(十一) 夢
「ララ~ラリ…」
リリィは絵を描く時、自分一人の集中に入り込む時、歌をうたう。
それは歌詞のない鼻歌だ。
どこかで聞いたメロディーなのだろうか。
聞き覚えがあるような、ないような。
リリィがよく口ずさむからだろう。
この音が耳にこびりついていて、ふとした時に僕も歌っている。
鼻歌が聞こえだすと、まるでリリィの声に共鳴が起こっているように、世界はリリィを中心として動き出す。
そうすると僕の目の前に、あの美しい白い花が咲き広がる景色が浮かぶのだ。
リリィが作り出すこの空間が、僕にとっての天国と言える。
「リリィ、服が汚れているじゃないか。またシモーヌさんに怒られるぞ。」
膝や袖などいたる所に土がついてるが、リリィはお構いなしだ。
「いつこんな所に付けたんだよ、もう。」
こうなった時のリリィには、いつも通り、僕の声など聞こえていない。
「そうか、僕は注意したからな。」
どうしてだろう。
リリィへの気持ちは変わりようがないのに、あれから僕の熱意はどこかへ行ってしまったようだった。
前ほど熱心にリリィになにかを教えようとはしなくなった。
いくら僕が頑張っても、この気持ちは満たされない。
そう考えてしまう自分が後ろめたい。
僕はリリィのためと思って言葉や、歩くのを教えていたんだ。
リリィのための守護者だ。
自分のためにやっているんじゃない。
そう思いたいのに、自分の欲が満たされないとわかってからこの有様だ。
結局僕がやっていたことは、全部自分のためだったのだろうか。
罪悪感。
それにまた、リリィと出会う前に抱いていた劣等感。
リリィみたいに、周りが見えなくなるほどに絵に没頭するなんて、そんな感覚を味わったことがない。
僕はなにかに心底夢中にはなれない自分が嫌いだった。
「しかし君のその劣等感は謎だ。」
ああ、またか。
今は少しだけ、ひとりで浸っていたかったのに。
僕は冷めた目でケイシを見た。
ケイシは本当に不思議そうな顔をしている。
「これが僕なんです。きっとこれが僕のありのままなんです。」
「『ありのままはこれだ』と決めつけるものではないよ。」
そうでしたね、そんなこと言っていましたよね。
「それでも、僕はこんな人間がリリィの守り手にふさわしいとはどうしても思えません。」
「私はそうは思わない。」
ケイシの返しは素早かった。
「どうしてですか? 僕の持つ熱意はリリィに向いているものと思っていた。だけど違った。」
今度は黙りこくるのか。
否定しないってことはケイシもそう思っていたんだろ?
「守り手と縁人の関係は、愛を学ぶのでしょう? 僕が愛していたのは自分だけだ。縁人を愛せない守り手は守り手ではない。」
これには納得だろ?
「君は混同している。熱意と愛は必ずしも同じ方向を向いているものではない。熱く煮えたぎった想いは相手を火傷させる。」
そうだよ、そんな冷めようのないものが僕の思っている愛だ。
「確かに、一生懸命である事は素晴らしいことだ。だがそれは、その状態のみに価値がある訳ではない。熱意を美学とするのは、自分にもそれを課せるという事。一生懸命ではない自分を許してやれないという事に繋がる。君のように。だがなぜ一生懸命でなくてはならない?」
一生懸命でなくてはいけない理由?
そんなの決まりきっているじゃないか。
どうでもいい、なんて扱いの愛があるというのか?
「それに、熱い想いを持った人は、人を感動させます。人の心を突き動かすものが悪いわけがない。」
僕にはそんな力はない。
「良い悪いの問題をあえてするならば、熱意の持てない事を、熱意のあるように仕向けてやり続ける事は良くない。自分を誤魔化すのは道がズレてしまうからだ。そうなるとありのままではなくなる。だが人は、自分で誤魔化しているということに気付けない。その熱意の根源がどこから発生しているかを判断できない。だから、熱意自体を美学と捉えるのは危うい。」
僕のこの熱意の根源は、自分への愛だろう。
つまり欲だ。
「そして君の言う、一生懸命な姿を見て感動するのは、それがありのままだからだ。魂の道に沿ったものだから感動出来る。それはこの星のエネルギー、しいては神のエネルギーが味方した姿だ。熱意を向けたすべてのことに味方をするわけじゃない。熱意があるかないかは、ただの状態だ。」
つまり今の僕はなんだって言うんだよ。
ハッキリと言ってくれ。
確証が欲しいんだ。
「君の持つ劣等感は、ただの状態である道を歩いている自分を残念に思うのと同じだ。道を歩んでいるなら必ずしもがむしゃらである必要はない。静かに余裕を持って道を歩む者だっている。全力疾走するのか景色を楽しみながら歩くのかは人それぞれだ。熱意を持てない自分を攻めるのは意味がないことだとわかるだろうか。」
なら僕は認めてもいいっていうのか?
この想いが、僕がリリィを愛しているんだって。
この苦しさがそれを表しているんだってこと。
「熱意は愛の判断基準にはならない。愛はなにかで判断をするものではない。君はその愛を否定しなくていい。」
それを聞いて、苦しさから解放されたように涙が流れた。
僕はこの気持ちを否定しなくていい。
ごめんリリィ。
僕はこんなんだけどリリィのことが好きなんだよ。
君を想って、君のそばにいたい。
これからも僕を君の守り手でいさせて欲しい。
僕はリリィを抱え込むように両腕を回した。
トクトクとリリィが生きる音が聞こえる。
この鼓動を初めて聞いた時、僕は守り手としての決意をしたはずだったのに。
だけど何度でも決意しよう。
自分の弱さにのまれそうになった時には、この音を目印にする。
僕の命の音だ。
僕は、寝床に入り眠りにつき始めたリリィをぼうっと見下ろしている。
この時期は、こんな時間になってやっと日が落ち始める。
夜は涼しいから、今夜もよく眠れるだろう。
いい夢を見て欲しい。
僕らは眠ることを必要としない。
肉体からぬけて意識で過ごす時間が長くなり、どうやって眠っていたのかさえ忘れてしまった。
だからリリィが眠る時間は、考え事を巡らせる。
そうしていると、すぐに外が明るくなりはじめるのだ。
夢を見るというのは、こんな感じだった気がする。
何時間も経った気はしないのに、すぐに朝が来るんだ。
ほら、もう小さな寝息が聞こえだした。
この呼吸に合わせて、息をする。
僕の至福の時だ。
今日もリリィのそばにいられて良かった。
これだけでいい。
大それた夢なんかなくてもいいんだ。
「夢はあった方がいいよ。」
え? 僕のまったり時間にケイシの声が割り込んできた。
「夢が必要ですか? でも僕はもう死んでいるし」
「夢を持つのに肉体のあるなしは関係ない。君らは誰しも夢を持っている。ないと思うのは意識をそこへ向けていないだけだ。」
そうゆうものなのか?
「ケイシも夢があるのですか?」
「私の場合は少し違う。夢を持つというより、一致しているという表現が適切だろう。私は、君たちが呼ぶ『夢』に完全に一致している。持つ持たないと言い表すのとは異なる。」
「そうですか。」
僕にはまだわからない次元らしい。
しかし誰もが夢を持っていると言われても、そんなの生きていた頃も見つからなかった。
「君はルカとしての人生で、自分を生んだ人の事を覚えているか?」
また随分かけ離れた質問だな。
「母ですか?もちろんです。」
だが、それももう慣れた。
ケイシの言う事は、的外れに見えて必ず意味がある。
「その者の名は?」
「マーリンという名です。」
「マーリンはどんな人物だった?」
僕は久しぶりに母さんのことを思い出す。
「母は信仰深くて、優しいけど厳しい面もありました。」
「君が何をすると、マーリンは笑顔を見せた?」
「そうですね、僕は幼い頃よく教会の裏で花を摘み、母に手渡していました。だけど大きくなってから、母はあまり花が好きではないと知ったんです。」
「だが『よく』ということは、君はマーリンに喜んでほしかったから、よくそんなことをしていたんだね。」
改めてそんな風に言われると、なんだか恥ずかしい。
「まあ、はい。幼かったので。」
「では、ルカではない人生で、君を生んだ人の事は覚えているか?」
「はい?」
ケイシは何を言っているんだ?
「君のルカ以外の人生の時だよ。」
「そんなの覚えているわけ⋯」
「そうか、では主なる神のことは?」
「え、神はもちろん知っていますけど。」
「知っているではなく覚えているか?」
「いえ、僕がお会いできるはずはないでしょう。」
「覚えていないか。私たちのこの魂の源は?」
「神?」
「そうか、それなのに人間は、自分を生んだ神のことを覚えていないんだ。」
それは当然のことだろ?
「いや、正確には思い出せる意識の範囲内では忘れてしまっている。だが、深い深い意識では覚えているんだよ。」
僕が思い出せないのに、意識の中では覚えているのか。
「私たちは皆、魂の生みの親に喜んでもらいたい、会いたい、近づきたい、そんな思いを深い所では持っている。そこに刻まれた思いは、記憶が薄れようと決して失われない。だが、様々な人生でコツコツと自己の記憶を積み重ねるにつれ、それは奥へ奥へと追いやられていく。」
「夢を持つというのは、奥へと追いやられた思いを引き出すためのひとつの策なのさ。魂に刻まれた思いを、人は無意識に感じている。どこへ向かいたい、どうなりたい、なにをしたい、なにに惹かれる、なにをすれば嬉しい…。そうやって夢を表現した時、神への思いは意識できる所にまで引き上げられる。夢を思うとワクワクするのは、神に喜ばれる嬉しさからきている。夢に向かうことは、神に戻るための道しるべだ。道がないと、人間はどこへ向かえばいいのかわからなくなる。」
確かに、この間までの僕がそうだった。
道を見失った。
「だが注意して欲しいのは、それた道の先に見るものを夢とは呼ばない。魂の夢を、欲や執着なんかと見誤ると混乱や苦痛が生じる。それも悪いわけではない。ただ、違和感を放っておくのは、後々に大きな波となって押し寄せる。それを選びたいかどうかだ。」
自分の欲から出た熱意。
だけど僕はこれが欲だとは、つい最近まで気が付かなかった。
「大丈夫。きちんと自分を見つめていれば、見誤ることはない。君だって気付くことが出来たのだから。それぞれに道は違えど、誰もが必ずその想いを持っているんだ。」
「僕には、自分の夢がよくわかりません。」
「それでもいい。積み重ねてきた自己の状態は皆、様々だ。その分、自覚するタイミングも違うし、薄れている時もある。夢に掲げなくても、その道を歩いている者もいる。必ずしも夢を持たなくてはいけないわけではない。言っただろ、ひとつの策だって。」
それでも、道に迷いやすい僕は夢を持った方がよさそうだ。
神の存在も思い出せないのだし。
「ケイシは神を覚えているのですか?」
「もちろん。覚えているというより、常に感じている。神は私たちの成長を見守り、待ってくれている。全ての魂をいつも見てくれている。誰よりも近くで。その存在に私は癒され救われる。絶対的な安心感に、なにがあったとしても不安や恐怖を抱くことも叶わない。私はそこへ行く。もっと近づく。確信している。自分がどこにいて、向かう先も、そこへ行く道も寸分たがわず分かっている。この愛の心地よさに、私も愛で返事をする。」
不動の安心感。
僕もそこへ行きたい。
「僕もいつか思い出すことができるのでしょうか。」
「もちろんだ。道を歩む者はいつか必ず目を覚ます。」
目を覚ます?
「どういう意味ですか?」
「君は眠っている。」
「眠っている? 眠るとは、睡眠の事ですか?」
「そう、君のような魂を夢魂と呼ぶ。人間は、見える世界を現実と思っているだろうが、それは夢だ。演劇だ。それを夢の中だと気付かないでいる。その夢の事を仮想現実と呼ぶとしたら、肉体を持つ人間が、仮想現実の中で眠るときに見る夢と思っているものは、深い意識にアクセスしている状態だ。その深い意識の中には、どこかに神についても刻まれているだろう。」
眠っている間にそんな大変なことをしているのか。
「人間が眠りにつく時、仮想現実から、本来へと反転する。反転活動として時間をさかのぼる。この星の過去と呼ばれる場面を、眠る度毎回だ。」
夢は反転のキーとなるのか?
「リリィは今、時間をさかのぼっているのですか?」
「時間をさかのぼるとは、言葉のあやだ。地上的な解釈を使って言った。リリィは今、時間という設定が組み込まれた仮想現実から、時間のないフラットな本来へ意識の状態が切り替わっている。」
ここらへんの話はまだまだ理解が出来ない。
「地上は反転を用いる。外に内を見せる。内に銀河がある。この世の影は本質。現実と思っているのは夢の中。睡眠中は意識の目覚め… 」
「夢を見る、夢を持つ、夢見心地などと、『夢』というのは神を思い出すキーワードとして用いられる。人間も夢が重要なことはわかっている。そして、目覚めている者は夢を見ない。それが夢ではない事を理解している。見る見ない、持つ持たないではなく、一致しているんだ。そうでない状態はない。」
だけど、内にすべてがある…なんか聞いたことがある気がするな。
そうだ。
似たようなことを生前にも耳にしていた。
『神の国は見える形では来ない。
ここにある あそこにある といえるものでもない
実に、神の国はあなた方の間にあるのだ』
これは、神へつながる道とは、僕の中にあるということだったのか?
「ケイシの歩んでいる道とは、どのようなものなのですか?」
「成長を共にする者たちと進んでいくことだ。成長は本人だけで進めるものではない。たくさんの魂の意に感化されて、業を創り、気付き、解消する。それにより重りを手放し、灯をともす。生きる者だけが成長するのではないよ。私たちも一緒に成長していく。完璧ではないから成長できる。」
ケイシの夢と一致している道は、僕にしたら壮大すぎて現実的には思えなかった。
僕は今のありのままの自分で夢を持つべきなんだ。
夢か…なんだろう。
僕はただ、美しい世界が見たかった。
誰かに奪われる不安を感じる事なく、永遠に続くと思える確かな美しい世界を。
僕だけの枯れない花が欲しい。
これを夢と呼んでいいのかもわからないが、他には思いつかない。
「素晴らしいよ。君の内に軸を一本立てたじゃないか。日も登ってきたようだ。では今日もリリィと共に道を歩いて行こう。」
〇ルカ
♫星野源 ‐ 夢の外へ
※楽曲から影響を受け、登場人物の心境を書いています。
なお、歌詞の解釈については、私個人の捉え方であり、物語と曲の関係性はありません。