(十) 反転の法則
トールはこの年ですでに、友達と木の棒で戦争ごっこをして遊んでいる。
ジルは普段からトールに戦場で敵を殺した時のことや、騎士としての名誉について話していた。
トールはそんな父が誇りなのだろう。
いつも友達に自慢気に話をしている。
「騎士はそこらの兵士なんかとは違う。誇りをもって剣を振るうんだ。父さんのようにね。」
「いいなあ。僕も馬の世話係じゃなくて騎士になりたいよ。」
「それは無理だよ、生まれが違うんだ。だがウィルには僕の馬を世話する名誉を与えよう。」
「本当に? 約束だよ。僕も戦場に連れて行ってくれよ。」
「ああ、お前は生涯、僕の馬の世話係だ。」
僕は、こんな会話をしながら目を輝かせる様子を穏やかに見ていられない。
戦争の暗い部分についても隠さずに話すべきではないか?
でなければ、初めて人を殺めた時にうける衝撃に飲み込まれてしまう。
少しの覚悟がそれを左右させる。
だがそんな想定は無駄か。
いくら話を聞いた所で、あの時の心情は想像などでは補いきれない。
それが命を奪うということだ。
一度乗り越えたとしても、死の感触を知った者はもう、以前の自分に戻ることはできない。
狩る者と狩られる者、どちらの立場の苦悩も味わう。
自然の脅威や、誰かの手によっての死を目にするのとは訳が違うんだ。
トールはいつか、ウィルを妬む時がくるだろう。
だけど今はまだいい。
幸せな時を過ごして欲しい。
トールとウィルは剣に見立てた棒を交えながら、生き生きと遊んでいる。
「こんな平和な時がずっと続けばいいんですけどね。」
僕はやり切れない想いでトールの守り手に話しかけた。
「そうかい? 私は楽しみにしているよ。トールが戦場で試練をどのように超えていくのか。私たちは一緒に戦うんだ。そう思うとワクワクするだろ?」
「そうなんですか?」
驚いた。
予想外の返答に思わず大きな声がでて、その自分の声にまた驚いたほどだ。
しかしトールの守り手は確かに、心躍ると言わんばかりの愉快な表情をしている。
これは紛れもない本心だろう。
「当たり前だよ。自分の縁人が成長していくのが嬉しくないわけがない。」
「そうですか。すごいですね、僕にはまだそこまでの余裕はありません。」
その言葉に彼はまた愉快そうに笑っている。
なんとも頼もしい人物だ。
肝に毛が生えているようだな。
トールのような運命を生きる者には、守り手もそれなりの者が付くということか。
確かに見かけもかなりタフそうだ。
いかにも戦士というようないで立ちで、肩なんて僕の倍ほどもあるだろうか。
しかし、守護者になるということは、ケイシの言葉を借りると、彼も神ということなのだろう?
そんな者が争いを楽しむなんて心、持ち合わせているのか?
「私の言う戦いは、争いという意味ではないさ。剣を交えて互いの首を狙い合うなんて、そんな血生臭い戦いは、物で成り立つこの世界独特の表現だ。あれは内面の葛藤が現象として現れているだけだよ。」
「内面が戦争を現しているのですか?」
「そうさ、本当に戦っているわけではない。この世界の反転の力は学んだろう?」
「ああ、はい。」
確かにその原理は教えられたが、僕には上手く活用できないと判断し、頭の片隅に置いた祖母の知恵くらいの位置にいた。
「そうかそうか。」
彼はまた大きな口で愉快に笑っている。
「理解が出来なくて、あまり意識していませんでした。反転はそんなに重要なことですか?」
「とても重要だ。これが分かると縁人の導き方のコツがつかめる。」
なんと。
これを理解しないのはそんなに大ごとなのか。
「だけど君の気持ちはすごくわかるよ。私も初めは何が何やら訳が分からなくてね、随分苦労したんだ。」
「よかった、ならこんな僕にも理解はできるということですよね。」
「もちろんだ。必ずできるようになる。」
本当に頼もしい人だ。
こんな風に自信満々に断定してもらえると安心する。
ケイシはいつも曖昧な表現をするので、自分でどうにか答えを見つけなくてはいけないのだ。
「その通りだよ。出来るようになるには、自分でその方法を見つけなくてはいけない。」
ああ、やはりそうなのか。
「当たり前だろ。むしろそこが要なんだから。結果ではなく過程が重要なんだ。それを省くなんてもったいない。それが道を歩むということ。歩まずに到達できない。この世界がそれを教えてくれているじゃないか。」
世界がそれを教えているとは?
「どうゆう意味ですか?」
「ここでは移動なしに目的地に到着することが出来ない。こんなのは本来の在り方を知っていれば不可解だろう? だって人はどこへだって意図した瞬間に行くことが出来るのに。」
そうか、なるほど。
そういうことか。
僕の意識はリリィから離れていたって、思い描くとその瞬間にそばにいる。
自分でも知らぬ間にそこに存在することが出来ている。
だけど魂を磨くという、つまり神への道を歩むということは省略することが出来ない。
この世界の移動する過程を省略出来ないのは、それを現している。
これが反転⋯
外が内を現しているということ、なのか?
「その通りだ。なんだ理解が早いじゃないか。私よりもずっと優秀だよ君は。」
「本当ですか? でも、これをどのようにリリィを導くことに反映させればいいのかはさっぱり。」
「大丈夫。その時々で教えてくれるさ。彼らは私らなんかよりも経験値が高い。本物の猛者ぞろいだ。よい指導者に恵まれていることを喜ばしく思うよ。ここまでの指揮官、生前は巡り合えなかったからな。」
「あなたは生前、軍などにいたのですか?」
「ああ、私も人を指揮する立場にあった。だがもし今またその人生をやり直すとしたら、もっといい指導ができただろうな。まあ、またやり直したいなんてこれほども思わないけどな。」
どおりで人をその気にさせるのが上手いわけだ。
彼と話していると、僕にもできると自信がつく。
そんな彼が良い指導者と認めるケイシらは、それはすごい人なのだろう。
軍にいたことがない僕にはできない気付きだ。
ましてや人だかりを見つけると、反対方向を向いて歩き出す。
そんな集団行動の苦手な僕とは、真逆な世界を彼は生きていたんだ。
それなのに今は隣にいる。
こんな人と話が出来るなんて生きていたらあり得なかった。
本当に不思議だ。
「わかるよ、結局は同じなんだって思うよな。別世界に生きていた奴らも何も変わらない。別な世界なんてないんだ。別世界と思っていたからそれを現した場所でそれぞれ交わらずに生きているだけだった。」
「そうですね。」
僕はこの世界の“反転”という仕組みに俄然興味がわいた。
どうにかしてこれを習得してリリィの導きに反映させていきたい。
「いい向上心だ。その時は君も、私と同じように思うだろう。トールが戦場へ出る時、苦しみに足を踏み入れた時、もう嫌だと自分の命を諦めようとする時、私はその時、拍手をしてトールを讃えてやることだろう。戦えってな。」
「戦えか⋯」
僕は彼の言葉に心底感激したけど、自分があそこまで動じることなく、どんな時も胸を張っていられるかと考えると⋯
「ダァー!」
僕は思わず雄叫びをあげた。
ダメだ。
普通にできるわけない。
ダメだダメだ。リリィは女の子なんだ。
いや内面の戦いなのだから、それは関係ないか⋯
だけどその時僕は、リリィを笑って苦しみの中に送り出してやれるか?
僕は花を編むのに夢中なリリィの背中を見つめる。
そして柔らかそうな髪の毛に触れた。
感触は感じられないのでイメージをするだけだが、
それでも愛おしさは手を伝って僕の中に流れ込んでくる。
「こんなに可愛いんだ。そんなの無理だよ。なあリリィ。」
リリィは僕の声に反応しない。
ここ最近の僕の態度を見て、人前では僕とは話さない方がいいと学んだのだろう。
それでも二人の時には、僕を見て笑って話をしてくれる。
会話もたまにつっかえるけど、なかなか上手くなったではないか。
僕はそれだけで満足だ。
戦えなんて言ってやれなくても、ただ笑ってくれているだけで満足なんだよ。
リリィが笑って喜んでくれると、フワッと胸が軽くなるのを感じる。
これが波の感覚なのだろうか。
その波は、リリィが絵を描くようになってから、より敏感に感じられるようになった。
暇さえあれば、リリィは花の絵を描いている。
地面に細い木の棒を駆使して。
その時のリリィの集中力は目を見張るもので、放っておくといつまでも黙々と描いていた。
大抵僕の方からそろそろ帰ろうかと誘うのだ。
「リリィそろそろみんなの所へ行かないと。」
何度か誘い、リリィはやっと描く手を止める。
そしてだまって僕が差し出す手を取り、歩いた。
手をつなぎ歩くというのは、僕にとって簡単なことではない。
なんせ物に触れられないのだから。
だけど、息が合うと自然と僕らの手は重なり合う。
歩調も、手の振りも見事にシンクロして一つになる感覚だ。
掌が暖かい。
そんな気さえする。
いつまでこうしていられるのだろうか。
あと数年か?
「どうだろう? リリィは君の努力の甲斐あって言葉が早かったからな。しかし芸術性もあるからなんとも言えないな。」
ケイシ。
「それはどうゆう意味ですか? リリィが僕を認識できる期間はなにかによって左右されるということですか?」
そんなの嘘だと言ってくれ。
「多少変わるだろうね。でも心配はいらないよ。会話が出来るようになると意識が変化する。これまでよりも知能が活発になるからね。もしかすると少しばかりその期間は短かくなるかもしれない。」
やめてくれ。
僕のやったことはそんな形で返ってくるというのか。
そんなのひどいじゃないか。
あまりに酷だ。
「リリィは生きているんだ。わかっていた事だろ? こちらに意識がありすぎると、生きることに集中できない。」
それはそうだろう、けど⋯
僕はうなだれるように顔を落とした。
「成長度合いによって 少しくらいその時間が変わるだけだ。私たちがすることは変わらない。守り導く。だからそんなに悲しまなくていい。」
そんな風に言われたって慰めにならない。
「そんなの知らない。聞いていません。だって僕は、リリィといっぱい話をしたいから、その記憶を出来るだけ留めておいて欲しいから、こうして⋯」
「それも無理だ。リリィの成長をコントロールすることも、リリィの記憶に私たちが残ることもないんだよ。」
平気でそんなことを言うケイシが、ひどく憎い。
狂気が僕の中に生まれていく。
なんでだ?
なぜ僕の喜びを奪う?
「なあルカ、なんでも自由とは言ったが、私たちは縁人の記憶に残ることを望めない。⋯いや、違う」
違う?
なにか方法はあるということか?
僕はやっと頭を上げケイシの顔を見た。
しかし、とたんに視界が崩れる。
ケイシが無気力な顔をして宙を見ながら、言葉を探していたからだ。
その様子に、望みが叶わない事はすぐにわかった。
「望んではいけないとは言わない。だけど⋯ただ、悲しいんだ。そんな希望を抱き守り手をやっていくのは。」
そうか。
「すまないルカ、望むのは自由だが君がリリィの記憶に残ることはない。」
そうだよな、考えたらわかることだ。
なんでこんなことを望んでしまっていたのだろう。
守護者は陰で生きる者。
舞台に上がっていいわけがない。
それはわかっていた。
僕はもう死んでいるんだ。
そう思いながら自分の手を見ると、所々実体が薄くなり、体は雲のように透けだした。
リリィの守り手でいることに、絶望を感じる。
「それでも、その幸福を自分の記憶に刻むことはできる。時間はまだあるんだよ。」
「それはどのくらいですか。」
「わからない。短いかもと言ったけど、わからないんだ。リリィ次第だ。」
「知能が上がるのを押さえられればその時間は伸びますか。」
「そうなるかもしれない。だけど、君はそれでいいのか?」
いいわけないだろ。
そんなこと出来るわけない。
リリィの成長を僕が望まないわけがないのだから。
「ただ聞いてみただけです。そんなの僕には出来っこありませんから。」
「こちらと繋がる力は絶対になくさなくてはいけない、というものではないんだ。リリィには知能とは異なる能力も十分にある。絵を描いたりするのもそうだ。ありのままでいる状態が多ければ、こちらとの繋がりは保たれやすい。これについて君が出来ることは、穏やかな波長でリリィを見守ってやることだけだ。」
結局僕は、その程度のことしかしてやれない。
「だが用心して欲しい。この人生はリリィだけの学びではない。私たち守護者の学び場でもある。今の君は以前よりも“ルカ”で存在している。個でいることの執着を強くしている。その状態で美しい波を出すことは難しい。」
「わかりました⋯僕はもう大丈夫です。」
考えたってどうにもならない事は、悩んでいても仕方がない。
僕はそうやって見ないフリをずっと続けてきたんだ。
今に始まったことではない。
だけど、また足が止まってしまった。
下を見ると、僕の足の下から踏まれた花の泣き声が聞こえる。
握っていた僕の手を離し、ひとり前を歩くリリィは随分遠くにいるように思えた。
そして背後からさす沈む太陽の光が、僕の正体をさらけ出す。
これにも気づいてはいたが、見ないフリをしていたんだ。
陰の存在に影は出来ない。
僕はこの世界に存在しておらず、リリィからしたらそこらに漂う生命なんかと変わりない。
僕らは陰に生きる住人だ。