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(九) プラットフォーム

リリィは顔の腫れが引いてくると、徐々に目を開けている時間が増えてきた。


シワシワで生まれてきたかと思えば、ムクムクと膨らんできたのでどうしたものかと心配したが、元気に育ってくれて安心だ。


目が見えているのだろうか? 

近くで覗き込むと、僕の気配を感じているような様子がうかがえる。


「リリィ、僕がわかるか?」


リリィの顔の前で掌をヒラヒラとしてみせると、表情か微かに変わった。


ああ、すごい。

やっぱり見えているんだ。

リリィが僕の存在を捉えている。


「僕はルカ、君の守り手だよ。」


個人差はあるが、人は生まれて数年、妖質という力を使う。

それが強く出る時、こちら側、つまり陰の世界を感じる事が出来る。

幼いうちのわずかな時間だろうけど、リリィの意識に僕の存在がいるのだ。


僕はこの喜びを絶対に忘れないだろう。


「ちょっとエミリー見てくれよ。」


当然、僕の声は聞こえないのだが、興奮のあまり近くにいたリリィの母親を呼んだ。


「あら、やっと目が開いたのね。」


リリィの様子に気付いたらしいエミリーは、小さい頭をポンポンとしながら微笑んだ。


それだけか? 

母親なんだからもっと感動しろよ。


「ママがわかる?」


なんだよ

一番最初にリリィが見たのは僕の顔だぞ。

あんたじゃない。


生きていた頃はこんなこと疑問にも思わなかったが、親はもっと子供に関心を持つべきだと思う。


都市の方では、子を自ら育てることは稀だとも聞いた。

ほんの数年で親元を離れ、稼ぎに出ることになるだろうに。


当前と言われればそれまでだ。

だが僕が親だとしたら、幼子を外に出すなんてもう心配過ぎて、全力で拒否をすることだろう。

もしこの感情が親のものと同じであるとすれば、絶対にそうする。


周りからはきっと、過保護すぎる親として変な目で見られるのだろうが、かまわない。

我が子の可愛さが勝るというものだ。


あまり記憶はないが、僕の親はどうだったろうか。

おじさんに僕を託すことをすんなりと承諾した。

そんな気がする。


それに比べて、おじさんは自分の娘に甘かった。

アンは八つの頃に領主の家の手伝いとして働きに出た。


数日ぶりに家に帰ったアンは、ひどく辛そうで今にも泣きそうな顔をしてした。

その様子に僕も心配になったほど。


次の日おじさんは、領主の家に行くと言って仕事を休み、アンはそれっきり働きに出ることはなかった。

おじさんがなにを言ったのかはわからないが、それから少しの間、この出来事は村のみんなの噂話の種となった。


確かにおじさんは見かけに反して優しい。

僕にも一度だって手を上げたことはない。

僕の風変りはおじさん譲りということか。






リリィの父親のジルは、村の領主の息子たちに剣術を教えている。

騎士として戦場でも活躍するほどの腕前だったが、左肩を壊し以前のようには動けず、こうして雇われているようだ。


母親のエミリーは、同じ領主の家のメイドだ。

エミリーの母親も祖母も婦人の世話係として仕えていた。


なんでも祖母が他の村から移り住んできた時、当時の領主に気に入られてから代々奉仕しているとのこと。


ジルとエミリーはそこで出会い、夫婦になった。


もう一人、リリィにはトールという名の三つ上の兄がいる。

トールはもう数年もすれば父から剣術を学ばされ、戦場へと送り出されるのだろう。


なんて悲惨な運命の子だ。

哀れに思うが、それも全て必要な学びとして自らここに生まれ落ちたのだから、受け入れるしかない。


たかが十数年の短い命、せめてその間に、より多くのコードを断ち切れることを祈るばかりだ。

そうすれば、次はもう少しましな人生を送れるかもしれないのだから。


今回、リリィの親兄弟として人生の時を同じくするのには意味がある。

互いに解消するべき課題があるからだ。


全ての関係性に意味があり、また全ての事柄に意味がある。

様々に絡み合う縁と、課題…。


生きた人間の頭脳であれば複雑すぎて、把握しきれなかっただろう。

だが今は、不思議と事細かに頭に入っている。

自分の記憶力とか、頭の回転などに頼っているのではない。

上手く説明できないのだが、なぜかそれらの情報がフッとわかるのだ。


ただ、それを上手い事活用できるかはやはり僕次第。

とにかく今はリリィをよく観察して、リリィにとってどのように用いれば最適なのか。

その方法の糸口を探し出そうと思う。






一日の仕事が終わり夕食を終えたら、リリィの一家は団らんの時を過ごすのがいつもの流れだ。


リリィたちは領主宅の近くで暮らしている。

大きくはないが、石造りのしっかりとした家だ。


僕が住んでいた荒土の家とはずいぶん違う。

元騎士と言えども、やっぱり農民と比べれば随分な格差があるのだろう。


リリィの両親は以前、領主の敷地内にある使用人部屋に寝泊まりをしていたようだが、結婚をしてからはこの家で家族だけで暮らしていた。


一家団らんの時間は、よくジルとエミリーがその日の出来事などを話している。


「坊ちゃんの剣術の腕は随分と上がったよ。トールが稽古に参加する頃には立派な先生となってくれるだろう。」


「あなたの教え方がいいのよ。」


こうゆう無駄な世間話は昔から苦手だ。

しかし今はさほど気にならない。

とゆうか耳に入っていない。


彼らからしたら、今の僕は文字通り空気と同等の存在なので、意見を求められることもないのだ。

聞いているのか?と、疑いの視線を向けられることもないし、その点では結構快適に過ごしている。


彼らの会話の中にリリィの名がでると、僕の聴覚は無意識的にすぐさま反応する。

その時は注意深く内容を聞いて、頭の中に情報を刻むのだ。


不思議なのだが、人は死んだ後の方が頭が働くようになるのだろうか。

以前よりも出来のいい自分に驚かされる。


「最近リリィがなにか喋るのよ。食事を変えてからかしら。」


それは僕が言葉を教えているからだ。

食事を変えたせいじゃない。


少し前からリリィは乳のほかに、パンを湯がいたものを食べるようになった。

口の中を見ると、白い歯が少しだけ顔を覗かせている。


「リリィの歯は小さくて可愛いな。」


その愛おしさに笑みが漏れる。


あれから僕は幸福を感じると、勝手に六つの頃のルカに姿が変わるようになった。


リリィはそれを見ても驚く様子はない。

純粋に見たままを受け入れるのだろう。


それも歯が生えそろう頃には変わってしまうのかな。

だがそうなるときっと、もっと上手く話せるようになる。

それはとても楽しみなことだ。


「カー…リュカ…」


「そう、ル・カ。上手だ。さすが僕のリリィ。」


リリィはキラキラとした丸い目で僕を一心に見つめる。

美しい空色のようなブルーの瞳を見ると、吸い込まれるように目が離せなくなる。


「ほらジル、リリィがあなたの事を呼んでいるみたいよ。」


リリィの声を聞いたエミリーは、そうジルに呼び掛けた。


「本当だ、言葉が早いな。私を呼んだかリリィ。」


覗き込むジルの姿を見てリリィは嬉しそうな声をあげた。


めでたい父親だ。

リリィが自分のことを呼んでいると勘違いしている。

言葉が早いのは僕とリリィの努力のたまものであるのに。


リリィは少しずつだが言葉を覚え、想いを伝えることが出来るようになってきた。

ありのままは様々な所で見て取れるというので注目はしているが、僕にはまだリリィの感情を探るのは難しい。


表情、脈の速さや臓器の音、視線の先、取り囲む色、変化する匂い… 


なかでも発する波というのは、これまで僕の中には存在しないものだっただけに、理解ができず手こずっている。


言葉で気持ちがわかるというのなら本当に助かる。

そのため僕は熱心にリリィに話しかけているのだ。


ケイシは “感じる”ことに集中すればいいと言うのだが、感覚的なことをいくら言葉で説明されても、わからないものはわからない。


すぐに僕の姿が見えなくなるだから、早いとこ言葉を覚えてもらい、少しでも長くたくさんの会話を交わしたいんだ。






体を覆っていた布が取られると、リリィは両足で立ち歩き出した。


「ゆっくりでいい、ここまで来れるか?」


柔らかな額に汗をにじませ、肉肉とした短い足で少しずつ。


「すごいぞリリィ、あと少しだ。」


こんなことで、今の僕の目は涙を流すようになった。

リリィの踏み出す一歩は、僕にとってそれほどに喜ばしい。


これからリリィは、こんな風に自分の力で歩いていくのだろう。

嬉しい反面、胸を締め付けられるような切なさに襲われた。


親になるとこんなにも感傷的になるのかと感心したが、やはり人それぞれなのだな。

リリィの両親は僕ほどの感動を抱いているようには見えない。


「リリィはなんでも人より出来が良いようだ。働きに出るのもすぐかもしれないな。」


「本当ね、助かるわ。」


その言葉に僕はジルとエミリーを睨みつけた。


「なに言っているんだよ、お前たちが楽をするためにリリィは生きているんじゃない。」


こいつらはなんて都合がいいんだ。

僕の声が彼らに届かないことが憎らしい。


「君は良いお客だ。」


我を忘れ怒鳴る僕の耳に、穏やかな声が滑り込む。

すると僕は、一瞬にして冷静さを取り戻した。

ケイシが姿を現すのは久しい。


「客?なんのことです?」


変わった表現に戸惑う。


「演劇を見たことはあるか?」


「ああ、はい。教会の典礼劇なら。」


僕は“復活したイエス”の劇を見た時のことを思い出した。


「そうそう、そんな風に舞台に上がった役者が、誰かの人生を演じるんだ。まるでその物語が今、目の前で繰り広げられている現実かのように。見ている客は歓声を上げたり、涙したりする。それが君のようだと思ってね。」


頭の中でその様子を想像してみた。

僕は劇にのめりこんで泣き叫ぶ見物客? 

そう言われ、気恥ずかしい言動をしていることに気付き眉をひそめた。


確かに、ジルやエミリーのそばにいる守り手を見ると、僕のようにあくせくしている様子はない。

自分の未熟さに呆れてしまう。

そうか、今起こっているこの“現実”というものは演劇、そう思えばいいのか。


「同じようなものだね。みんな人生という舞台上にいる。地上のプラットフォームだ。」


「プラットフォーム?」


「そう、彼らはそこで役を演じている。その場合、私たちは演者に光を当てサポートをする裏方だろうか。時々役者が忘れたセリフを横でささやき、客席を見るよう顎を上げさせたりもする。各々が各々の仕事をし、みんなで一つの劇を作り上げる。何度も何度も、様々な公演をしていくうちに、役者はスターへ、光へと戻っていくんだ。もともと光の存在なんだよ。だから恐れることはない。もっとゆったりとこの劇を楽しもうじゃないか。ほら、深呼吸して。」


僕はゆっくりと息を吸い、さらにゆっくりと吐き切った。


「⋯そうですね。」


僕はこの劇に自分の感情を乗せすぎている。

視野が狭くなるとリリィを的確にサポートできないじゃないか。

冷静にならなければ。


「波だよ。見えなくても漂いを意識すればいい。それだけでも安定するものなんだ。」


「わかりました。」


僕はそれから想像力を巡らせた。

ジルの図々しい言動や、リリィを見るエミリーのそっけない視線、リリィの髪の毛を引っ掴むトールに苛立ちを感じた時、漂う波を頭に思い描く。


リリィの表情などの違いを見ると、それは確かに伝染するようだった。

気のせいかもわからないが、リリィが穏やかになる。

そう見えた。


「ごめんなリリィ。僕は不甲斐ない守り手だった。許してくれ。」






エミリーが仕事に復帰すると、リリィは家ではなく、主に領主の家で過ごすようになった。


育児係の女性がいて、領主に仕える者の子らをまとめて世話しているのだ。


「そんなはしたない事はよしなさい。女は口答えしてはなりません。」


ここにいる子は皆、のちのち領主の傍に仕えることになる。

なので子を叱り、振る舞いを正すのも育児係の務めだ。

だが、ひとりで何人かの子を見るので、当然ひとりひとりに十分な目が配られることはない。


リリィは集団から少し離れて静かに花を摘んでいた。


「また花を見ているのか、好きだな。」


「うん、好き。ルカは?好き?」


「ああ。リリィの好きなものは全部、僕も好きだよ。」


まあ僕がそばにいるし、トールも一緒なのだから大丈夫だろう。

言葉が早いリリィは年上の子とも話す。

喧嘩をすることもあるが、どうにか上手くやって行けそうだ。


しかし問題は、僕のことも生きている人間と同じように、存在する者としてリリィが捉えているということだ。


確かに姿が見えているのだから、僕が生きてはいないのだと理解するのは難しいだろう。

他の子は、もう少し成長してから会話が成り立つようになるので問題はないのだが、これは失念だった。


僕と会話をするリリィが変な目で見られるかもしれない。

それは危険だ。


世間では魔女狩りが横行しているし、まだ小さいからと言って周囲に疑念を抱かせるのはよろしくない。

こんな村では噂はすぐに広まるのだから。


「リリィ、こっちに来なさい。」


世話係がリリィを呼んでいる。

しかしリリィにはそれが聞こえていないのか、まだ花を見ていた。


「ルカ、見て。」


僕は話しかけてくるリリィに慌てて、人差し指を唇の前に立てる動作をし、シーっとして見せる。


するとリリィは、不満げな顔をしながらも口をつぐんだ。

それでいい。


「リリィ、シモーヌさんがこっちに来いって呼んでるぞ。」


トールがリリィの手を引き、みんなの方へと連れて行く。

助かった。

今後は人がいる場所ではあまり話しかけないようにしよう。


こちらを振り返るトールと目が合う。

その目は、余計な問題を起こすなとでも言いたげだ。


トールの様子を見るかぎり僕を認識してはいるようだが、それでも彼から干渉をしてくることはない。


生きる者とそうでない者の違いが分かるのだろうか。

どちらにせよ感覚として、僕らとは関わらない方が良いと知っているようだった。


そんな風に対応されると胸が痛い。

見えていないのなら仕方がないが、そうではないから。


彼の行動には、僕に対して一線を引くという意志が感じられる。

それがいつかのリリィを予兆させるのだ。

この先のそう遠くない未来、それは必ず訪れる。


リリィが成長している証なのだと、喜んで受け止めてやりたい。

のに、そんなふうに割り切れる自信がない。


心苦しさを紛らわせるため、僕はリリィの手を握ろうとして右手を伸ばした。


しかし、


「なんだ? また手が小さくなってる。」


だがおかしい。

いつもの六つのルカの手ではなく、これはどう見ても三つか四つの子供の手だ。

体を見ても明らかに小さくて、身に着けている服や靴はあまり記憶がない。


僕は今どのようなありのままを再現しているのだろうか。


しかしこの姿はなにか心地いい。

子どもたちの中にいても不自然ではない気がするのだ。


周りを見渡してからもう一度自分を見る。

うん、馴染んでいる。

これはいい。

それから子供の中にいると僕はさらに幼い頃の姿に戻るようになった。


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