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戦え!水棲少女 伊香保するめ

【第7話】ミウ登場


1.



「……そういうわけでして、どうか世のため海のため、一肌脱いでくれやせんか?」


 ある日、僕の目の前に一匹のアカヒトデが現れた。

 そのヒトデは流暢に人間の言葉を操り出したかと思うと、自らを“海よりの使者”と名乗り、僕にある依頼を持ちかけてきた。


 その依頼の内容は人間の常識からすればあまりに荒唐無稽で、僕は返事をするかどうか以前に、ただ戸惑った。


 その場ではやんわりと断った僕だったが、その後も何度なく僕のもとを訪れては粘り強く説得を試みるその熱意に押され、動揺していた気持ちがだんだんある決意の形に固まっていったのだった。

 ただならぬ危機に瀕しているこの海を救うためには、どうしても僕の力が必要なのだそうだ。僕にしか、果たせない役目なのだそうだ。


 そしてとうとう、覚悟を決めた僕は、そのアスティという名のヒトデに依頼を引き受けるという意思を伝えたのだ。



「……分かりました。僕、水棲少女に、なります」



2.



 ──後日、するめの部屋にて。


「…………お嬢! むやみやたらに変身しないようにと、あれほど申し上げたばかりじゃないですか!」

「あ、はい…………本当、反省してますでゲソ。すみませんでしたでゲソ……」


 するめは、畳の床に正座して、アカヒトデのアスティに怒られていた。彼女の身体は、まるで白いイカの着ぐるみを着込んだような姿に変身を遂げている。

 つい今しがたまで、するめは最近すっかりハマっている悪堕ちごっこに興じていたところだった。

 幸い、祖父母は漁協の会合、父親は仕事、母親は買い出しに出掛けていて、家にはするめ以外の人間は誰もいない。

 これを機と見てじっくりこってり悪堕ちごっこにはげんでいたするめだったのだが、何かの用事でやって来たアスティにその様子を窓の外から目撃され、結果この通り、お説教をくらっているわけである。



 今のするめのこの姿は、通常の水棲少女形態とクラーケン・モードとの中間、“半獣形態”と呼ばれるものである。


 そもそも、水棲少女のさらなる変身形態であるクラーケン・モードは、海獣との巨大戦のために作り出されたものである都合上、概して人型からかけ離れたフォルムをしている。

 そのため、水棲少女形態とクラーケン・モードとの間の変身・変身解除にはそれなりに時間がかかる。故に、この二形態の間を戦闘中に行き来しようとすると、そのたびに手間がかかるし且つエネルギー効率も悪くなりがちという難点があった。

 その問題を解消するため、二つの形態のバッファとして“半獣形態”が追加アップデートされたのだ。

 おかげで、あらかじめ半獣形態に変身して待機しておいて頃合いを見計らってクラーケン・モードになりすぐさま巨大戦に突入するという戦い方や、あるいはその逆で通常の水棲少女形態に戻って機動力を活かす戦い方など、水棲少女の取れる戦略の選択肢がより増えたわけである。


 ……もっとも、するめにとっての関心は、どちらかというとその新しい姿が“悪堕ちごっこ”に使えるかどうかにあるらしい。

 するめは早速この“半獣形態”を使って『クラーケン・モードの人格に身体を操られ、イカの着ぐるみを着込んだような中途半端で恥ずかしい姿に強制変身させられてしまった』という設定の悪堕ちごっこをしていたところだった。



 一応おさらいしておくと、この伊香保するめという女子中学生は、イカの水棲少女である。

 通常の水棲少女形態は、丸首シャツにショートパンツという学校体操服姿に吸盤の生えた腕やヒレ、目や口などのイカのモチーフが付加され、たとえるならば人間とイカがフュージョンしたような、魔法少女系アニメに登場する変身ヒロインを思わせる見た目をしている。

 対して、そこからさらにクラーケン・モードに変身した姿というのは、人間の姿からもかけ離れた、たとえるなら体操服模様の人間大のイカそのものといった見た目である。純白色の丸首シャツの胴体は人間態の頭部や両腕を内側に飲み込んですっかりイカの胴体そのものに置き換わり、赤いショートパンツが素肌にぴっちり密着して同化した彼女の腰回りはイカの頭部に、両腕と両脚は新たに生えてきたものと合流して頭部から生えてイカの十本の腕を再構成する。体操服の胸元についていた名札や校章マークのプリント、身体の丸みなどは数少ない人間時の面影として残るものの、全身のシルエットは完全に本物のイカそのものである。



 さて、今のこの半獣形態は、それらを足して二で割ったような見た目である。

 この姿で畳の上に正座しているするめを見てみると、まず華奢な上半身を包み込んでいた体操服の白い丸首シャツは横幅が彼女の肩幅くらいまで風船みたいにふっくら膨らんでいて、外套と呼ばれるイカの胴体、先端にいくにつれて尖っていく円筒状の形に変形し、彼女の頭部から肩周り、お腹周りや腰周りまでもをワンピース・ドレスみたくすっぽり包み込んでいる。表面ははんぺんみたいにプニプニと柔らかそうで、身を捩るとムニュッムキュッと本物の着ぐるみみたく衣擦れみたいな音とともに皺が寄る。乾燥を防ぐためかヌルヌルとした湿り気を帯び、また体操服が変化した名残として日焼け止めのようなツンとした匂いが漂ってくる。

 その円筒状のイカの胴体の尖った上端の両脇にはエンペラと呼ばれる大きな三角形のヒレが生えて、するめの感情の動きに合わせてパタパタとはためいたり、シュンとしょぼくれたりする。今現在は謝罪の真っ最中であるため後者の状態だ。

 そのエンペラが生えた上端部より少し下、そこには元々丸首シャツの襟だった赤いリブ状の縁取り付きの丸い穴が正面側に一つ空いていて、そこからするめの顔面が、顔はめパネルから覗いた時みたいに前髪などの遮蔽物もなく表情丸見えの素顔が生えている。反省ムードを漂わせて顔を俯かせているので、顎の肉の柔らかみが赤いリブ状の縁にやや圧されてムニュッと潰れている。

 その少し下に視線を下ろすと、元々丸首シャツの胸元に縫い付けられていたポリエステル製の硬い生地の大きな名札と、その上に極太黒マジックペンで記された『2-A 伊香保』という学級名と名前、左胸に赤色で小さくプリントされた『中』という校章マークがそのまま残されていて、それ越しにするめのまだ成長途上の膨らみかけの胸の丸みがテントがかかったみたいにほんのり浮かび上がっている。


 元々はシャツの身巾から分岐して両肩を収めつつ腕を通すための袖だった箇所も、彼女の肩周りごとその円筒状の中に取り込まれ埋まってしまっている。元はそのシャツの腕を通す袖口だったもの、顔を出している襟穴と同じ赤いリブ状の縁取り付きの丸い穴が、イカの胴体の側面に左右それぞれ一つずつ生えていて、その穴からするめの細い腕がニュッと伸びている。人間の身体でいう首から肩にかけてのなだらかな傾斜などもなく、遠目で見ると円筒状のイカの胴体の横っちょからいきなり人間の上腕から先が生えているという、なかなか珍妙なシルエットになっている。

 彼女のその両腕は、元々の素肌の色白さを通り越して、イカの胴体と同じ純白色に染まっている。まるでボディペイントを施されたような、あるいはそういう色合いのタイツに包まれているような見た目で、彼女元来の腕の細さや肌理、筋張った感じ、すなわち素肌の質感がそのまま表面に浮かび上がっている。

 その両腕の内側には、腋の下から手のひらにかけて、一列をなして赤い吸盤が生え揃っている。これらの吸盤は一個ずつよく見ると丸首シャツの首元や袖口についていたあの赤いリブ状の縁取りとそっくりで、それをそのまま直径3cmほどまでサイズダウンしたような見た目をしている。一見、そういう類の装飾品みたいに見えるが、実は今のするめの身体に生えている吸盤には全て、彼女自身の感覚や神経が通じていて、間近で見てみると一つ一つの吸盤が呼吸を繰り返すかのようにヒクッヒクッと伸縮運動を繰り返しているのが分かる。


 もう少し視線を落とすと、肩幅と同じくらいの横幅まで膨らんだことで、丸首シャツの下端の裾周りだったところも元々の彼女の骨盤周りの径よりも少し大きめに広がっている。かといって、ミニワンピースのスカートみたいに前やお尻までもを覆い隠すには丈が全然足りないので、柔らかそうな外套の白いへりがなんとも言えない丈で見切れるその下に、するめの腰回り、イカの赤い頭部にあたる部分が覗いている。


 元々するめの腰回りを包み込んでいた体操服の赤いショートパンツは、変身によってその丈がブルマと見紛うくらい短く縮んでいきながら、彼女の華奢な腰回りにピチッと密着して、薄手の下着かと見紛うように同化、表面には素肌同様の感覚が現れて、赤いイカの頭部を形成している。

 両脚の間にはカラストンビと呼ばれるイカの口、前後一対の黒くてゴツいクチバシとそれらに挟まれた粘膜色の口孔が生えて、これらも感覚が通っているため、自分の意思でパクパクパカパカと動かすことができる。

 骨盤の両側にはイカとしての目、ヒトのそれと同じ仕組みの白目と黒目で構成される単眼が左右一個ずつ生えていて、これらの目も人間としての両目と同様ちゃんと機能して物を見ることができるのだが、今は正座の姿勢で座っているせいでそのまぶたは畳んだ股関節に圧されてへニョンと潰れて、半目開きでくたびれたような見た目になっている。


 そのブルマ状の赤い腰周り──イカの頭部からは、まずするめのしなやかな両脚がスラリと生えている。これらは、クラーケン・モードまで変身しきった際には、イカの十本の腕の中でも特に重要な役割を受け持つ触腕の二本に相当する。その細くて筋肉張った感じの両脚もやはりボディペイントかタイツを履いているのかと思うようなツヤツヤした純白色に染まっているのだが、その表面には他の腕とは異なり赤い吸盤は列をなしていない。ブルマ状の赤い頭部との境目から伸びる白い太もも、膝、脛や足の甲まで、スベスベツルツルとした素肌の瑞々しさを呈するばかりである。その代わり、触腕でいう先端部分、つまり足の裏だけに例の赤い吸盤がびっしりと生え揃い群生している様子が、正座のお尻の下によく見える。

 ちなみに他のイカの腕、残りの六本も、外套の裾の下、白い両脚の付け根あたりから枝分かれするように、スカートを思わせるような感じで四方八方に生え出ている。いずれも、両腕と同様、内側に向けて一列に赤い吸盤が生え揃っている。正座をしている脚の邪魔にならないように、それこそスカートで座る時みたいに太ももの脇に流して、神経の反射でピクピクと動いてしまいそうになるのを抑えておとなしくしている。


 今のするめの風貌は大体こんな感じで、まさに赤い頭部に白い胴体と十本の腕というイカの着ぐるみを着て正座している、というふうだった。

 身体の線がところどころ浮き立ちすぎている点を除けば、教育テレビの子供向け番組に登場する着ぐるみを思わせるような見た目だ。



「まったく、変身エネルギーの浪費だけは勘弁してくださいよ……。みつきちゃんだけならともかく、お嬢まで無駄使いするとは思いやせんでしたよ……。もし上の方々にバレたりしたら、真っ先に突っつかれるのは担当者であるワタクシなんですからね?

 ……ちょっと、お嬢、ちゃんと話を聞いてますか?

 それとも、今はまだ“悪の大海獣スクィッド・クラーケン”の人格に乗っ取られたままで、その姿のまま巨大化して街に現れて破壊の限りを尽くそうと企んでいる、というわけですか?」

「…………あの、本当に反省してますんで、その名前で呼ばないでくださいでゲソ……恥ずかしくて顔から火が出そうでゲソ……」


 お説教が長すぎて、正座中の足が痺れてきた。集中力が切れてきたするめに対して、アスティがもう一度釘を刺す。

 ついさっきまで悪堕ちごっこに没頭していたせいで、するめはまだ語尾から『ゲソ』が抜けきっていない。

 一定の若年期にありがちなことではあるのだが、するめにはどうも妄想癖があり、“悪の大海獣スクィッド・クラーケン”というのはその妄想遊びの時に顔を出す別人格(という設定の脳内キャラクター)である。紛らわしいネーミングだが、水棲少女たちの敵である悪玉軍の率いる生物兵器“海獣”とは一切関係がない。

 この人格に入った時のするめは、いかに自分がワルいモンスターなのかを素っ頓狂な裏声とワシャワシャ五月蝿い動きで主張したがるのだが、残念ながら中身はいつも通りのするめのままである。結局最後は、晩御飯に何が食べたいかとか、好きなアイドルの話とか、人畜無害なたわいもない話題に着地する。ただのミーハーなメスのイカちゃんである。可愛い。


 それにしても、アスティからすると、するめや倉下みつき(クラゲの水棲少女)みたいな自分からわざわざクラーケン・モードや半獣形態のような人外じみた姿にしょっちゅうなりたがる女の子を立て続けに抱え込むことになるとは、全く想定外のことだった。

 水棲少女に任命されるのは年端もいかないくらいの思春期の多感な女の子が大半であり、ほとんどの水棲少女が内心では『本当は水棲少女の姿に変身するだけでも恥ずかしいんだけど、役目を引き受けた以上は仕方がない……』という殊勝な心持ちで人間の姿からかけ離れたクラーケン・モードや半獣形態の姿に変身しているに違いない……という認識をアスティは持っていた。

 それが蓋を開けてみれば、どいつもこいつも、自分の部屋で触手を蠢かせてひとり遊びみたいなことをして楽しくやっているわけである。

 嫌々変身されるよりは全然マシなのだが、もっぱら近頃のアスティの悩みの種としては、敵である悪玉軍との戦いがどうこうよりも、どちらかというと彼女らの士気を下げずにいかにエネルギー消費量を引き締めるかという問題の方が大きな位置を占めていたりする。



「……というかですね、別にワタクシはお説教がしたくて今日ここに来たわけじゃないんですよ。何を隠そう、このたび新たに水棲少女の任務を引き受けてくれた新人さんがいらっしゃいましてね。その方をお嬢にもご紹介しようと思って、すぐそこに連れてきてるんですよ」

「新人さん?」


 反省ムードに徹していたするめの表情に違う色が差す。

 部屋の外で待っていた新人さんをアスティが呼びにいき、その間に足が痺れて崩していた正座を直して居住まいを正した。


「お、お邪魔します」


 部屋の襖が開いて、アスティに連れられて“新人さん”がするめの部屋に入ってくる。ちょうど正座していたするめの目の前にその姿が現れた。

 その凛々しそうな佇まいに、するめは目が吸い寄せられるようだった。


「お嬢、こちら、今回新しく水棲少女になってくれました“ミウ”さんです」

「こ、こんにちは、ミウと申します……」

「ミウさん、っていうんですか。はじめましてでゲソ。私、イカの水棲少女をやってます、伊香保するめと申しますゲソ。どうぞ、よろしくお願いしますでゲソ」

「は、はい。あの……はじめまして。こちらこそ、よろしくお願いします、伊香保さん」


 アスティの紹介を受けて、するめは実家で使っているような低い声よりちょっとトーンを張ったよそゆきの声音を作りつつ、折り目正しくミウに初顔合わせのご挨拶を申しあげる。言いながら、ちょっとかしこまりすぎたかも、なんて思ったりする。

 ミウは先輩であるするめに対していかにも緊張している感じで、几帳面に腕をピンと下ろした気をつけの姿勢とポーカーフェイスを崩さないまま、遠慮がちに挨拶を返した。


 するめが思わずかしこまってしまったのは、別に先輩風を吹かせたいからなどではなく、なんというか、一見して何か一目置きたくなるような何かをミウに感じ取ったからで、なんとなく良い顔をしたくなったからだった。


 部屋に入ってきたミウは、すでに水棲少女の姿に変身していた。するめと同じく、丸首とショートパンツの体操服をベースとした格好である。ショートカットの黒髪の上、触角みたいに二房だけピョコンとはねていて、そこだけインナーカラーで染めてるみたいに赤色が差している。

 背丈はするめよりちょっと高い。中性的な顔立ちにはどこか透明感のようなものがある。するめやみつきと比べると肌はほんのり日焼けしていて、この地域の子どもとしては標準的な色味をしている。フサフサとしたまつ毛にも触角と同じく綺麗な赤色が差していて、まるでそういう色合いのマスカラをつけているみたいだ。控えめで遠慮がちな態度の中にもシュッとした背筋が立っていて、凛とした王子様的な雰囲気を纏った女の子だった。その機微を感じ取るだけで、なぜだかするめは見惚れてしまいそうになる。声も女の子にしては低く落ち着いていて、聴いていて心地が良い。

 年齢はするめと同じくらいに見え、その容姿にはどこか見覚えがあるような気もしたが、しかしこういう顔立ちの女の子と知り合ったことはないはず。担当海域が近いことから、この近辺の子どもであることは確かなのだが、学年が違うか、あるいは違う学校の生徒なのかもしれない。水棲少女形態のベースになっている体操服はするめの学校のものと同じ赤い縁取りと名札付きの丸首シャツと赤いショートパンツだが、そもそもこの汎用タイプの体操服を使っている学校は他にいくらでもある。丸首シャツの胸元、細身でありつつも自然にスラリとしている胸板の上の大きな名札には『ミウ』という名前の二文字だけが下半分ほどに記されていて、普通なら学級名が書かれていそうな上半分は元々書かれていた文字がぼやけたように空白になっている。左胸についていたであろう校章マークも赤色で何かがプリントされていたことは分かるのだが、ぼやけるような感じで掠れていて、どこの学校のものかは判別できない。


「ミウさんは、他の水棲少女の方々とは違ったある特殊な事情がありましてね。詳しい個人情報などはワタクシからお教えできないんです。

 基本的には、お嬢やみつきちゃんとは別働隊という形での活動になりやす。ただ、海獣退治の時なんかは共同作戦を張ることになると思いやすんで、仲良くしていただけたらありがたいですね」

「特殊な事情、ですか」


 立ち話もなんなので、座布団を引っ張り出してミウに座ってもらっていた。

 するめは半獣形態の姿のまま、台所で淹れたお茶を盆で運んでくる。アスティの話に打ったするめの相槌に対して、ミウもコクリと頷く。

 思い返すと、するめとみつきの場合は水棲少女の仲間として顔合わせしてからあっという間に仲が深まっていったのだったが、それはたまたま二人が同じ学校の同級生で面識がある者同士だったという前提がある。

 特殊な事情とやらが具体的には何なのか分からないので、少しずつ様子を見ながら距離を縮めていくという形にはなろうが、するめとしては素直に、ミウみたいな子とこの先お近づきになれるかもしれないことはやぶさかではなかった。

 出されたお茶を、ミウは「あ、ありがとうございます。いただきます」と礼を告げて頂く。

「あ、美味しいですね」

 自然に漏れたという感じの感想に、するめはニコッと微笑み返す。ミウは背筋をピンと張って綺麗に正座しているので、するめの視線は僅かに上目遣い。その微笑みに、ミウの頬にはほんのり朱が差して、茶托に置いた椀の中の波紋の方へ視線を向けていた。

 この様子を眺めつつ、アスティは「うまくやっていけそうですね」と人心地つく。



 改めてそばで観察してみると、ミウの水棲少女としての特質がなんとなく掴めてきた。

 色合いや身体の表面の質感的に、“ウミウシ”の水棲少女であるようだった。


 一見、丸首にショートパンツという普通の体操服姿と大きな違いはないように見えるが、実際にはするめの変身時と同様に身体を包んでいる体操服の生地が素肌と密着していって一体化し、その表面に素肌同然の血が通ったツヤや瑞々しさが浮かんでいる。布生地の厚さ自体は残りつつ、首元や袖口や裾のところを注視してみると素肌とすっかり癒着して隙間がなくなっていて、その境目はスライムのように融け合ってひと続きのぼんやりとした色彩になっているのが分かる。

 丸首の白色とショートパンツの赤色は、それぞれツルツルプニプニとした肌触りと柔らかさを湛えていて、またよく見ると、うっすらと葛餅みたいに皮膚の表面が半透明に透けている。丸首自体の白い生地と襟と袖口の赤い縁取りとの境目、そして丸首と赤いショートパンツとの境目もまた融け合ってひと続きのグラデーション状の色合いになっていて、ウミウシの体の自然な模様を思わせる。

 背中側を見てみると、丸首の裾の両サイドがショートパンツからはみ出て伸びて、ピョコンとはねた形をしている。これはウミウシの体から飛び出た二次鰓を表していて、自分の意思で動かすことができるようで、まるで海中に咲いた白い花みたいにフワフワと揺らいでいる。

 またショートパンツの尾てい骨あたりからも赤い生地が間延びした感じで垂れていて、これはウミウシの尾を表している。正座しているお尻の後ろ側、畳の上に垂らしている様子がカタツムリみたいでなんだか可愛らしい。


 こんな感じで、ウミウシ特有のプニプニとした軟体の身体的特徴と、ミウ自身のシュッとした芯の通った感じとが同居した、言うなれば柔と剛を兼ね備えたような水棲少女姿を呈しているのだった。

 どういった戦闘能力を持っているのかはまだ分からないものの、いざとなったら頼りになりそうな雰囲気がある。



「さて、挨拶も一通り済みましたんで、そろそろお暇しましょうか。このあと、みつきちゃんのところにも同じように顔見せに行くんですよ」

「あぁ、なるほど。そういうことでしたゲソか」


 今日会ったばかりの仲だというのに、するめはなんだか名残惜しさすら覚えていた。

 しかしこのあとも予定があるのなら引き止めるわけにはいかない。

 茶碗を下げて、するめは軒先まで二人を見送っていく。


「急なことで、あまりおもてなしできなくてすみませんでしたでゲソ」

「あ、いやいやとんでもないです……お茶、ごちそうさまでした」


 お世辞と言うよりは素直に思ったことを口にしたという感じでそう言うと、別れ際、それまでずっとポーカーフェイス……というか緊張の面持ちで動きが乏しかった表情の端、目尻のところに微笑みの色が覗いたのがするめにも見えた。



 一礼してするめの家を去っていくミウの後ろ姿を眺めながら、ふと、今更あることに気づく。


 そういえば……変身を解除するタイミングを失ったせいで、ずっとこの半獣形態の姿のままでミウさんに応対してしまったでゲソ。

 もしかしたら、ミウさん、私のこの姿を見てビックリしたかもしれないでゲソね……。

 まぁでも、水棲少女は変身した姿の方がむしろ正装みたいなところがあるし、過ぎたことを今更気にしてもしょうがないでゲソね!


 そんなことを考えながら、相変わらずイカの着ぐるみを着込んだような見た目のするめは自宅の中へと引っ込んでいったのだった。



3.



 いやぁ、今日は色んなことがありすぎて、疲れたなぁ……。

 一日の終わり、布団に潜り込んで、僕はそんなことを考える。


 先輩の水棲少女の皆さんに挨拶に行くということで、ずっと緊張し通しだったのは勿論あるんだけれども……。

 何より一番ビックリしたのは、連れて行かれた先、いざ顔を合わせてみると、なんとその水棲少女の先輩というのが僕と同じ学校に通う女子生徒たちで、しかもそのうちの一人が同じクラスに通う伊香保するめさんだったことだ。



 アスティさんが僕──海野コウシの前に現れて、開口一番『水棲“少女”になってほしい』と頼まれた時は、何もかも意味が分からなかった。

 懇切丁寧に説明を一から受けて、ひとまず、自分と同じくらいの適性を持った女の子が海の代表者から授けられた力によってその水棲少女とやらに変身して敵である悪玉軍と日々戦っている……という現状には納得した。その上で、至極当然に次の疑問が浮かぶ。

 女子しか変身できないはずである水棲少女の役目を、なぜ男子である自分に頼みにくるのか?


 アスティさん曰く、そこにはまたのっぴきならない事情があるらしい。

 少子化が進んだことで、水棲少女の適性を持って生まれてくる女の子の母数自体も減ってきており、それによって新たに水棲少女の役目を頼むことができる担い手の数も当然に減少、結果として慢性的な人手不足に悩まされているのだそうだ。

 この問題を解決するために研究が重ねられ、その結果、ある新事実が判明したのだという。

 それは──一定の条件を満たしていれば、男子でも水棲少女に変身できる、ということだった。


 例えば、ヒトという動物は雄と雌とが完全に分かれている。雄のからだは雄の生殖器官のみを、雌のからだは雌の生殖器官のみを持っていて、生殖行為を行うには必ず雄と雌が一個体ずつ揃う必要がある。

 他方、ヒトとは異なり、一個体のからだに雄の生殖器官と雌の生殖器官の両方が備わっていて、二個体が揃いさえすれば各々が雄と雌の役割を受けもつことで生殖行為を行うことができる“雌雄同体”の動物も、この世界には存在する。

 僕が適性を持っているウミウシという生き物も、まさにその雌雄同体の動物だ。

 そこまで説明されて、僕もようやく話が見えてきた。

 つまりこういうことだ。“雌雄同体の水棲生物の適性を持っている男子であれば、その体内に秘めた雌の要素を引き出すことで、女子と同じように水棲少女に変身することができる”ということが発見されたのである。


 とは言え、水棲少女に変身できるからと言って、男子をいきなり女子だらけの集団の中に放り込むわけにはいかない。

 ヒトの世界は雌雄同体を前提に作られてはいない上、そもそも性の事柄というのは特に水棲少女の適性を持った年代の子どもにとっては非常にデリケートな問題だからだ。海の世界の価値観は人間界以上におおらかな部分が多いらしく、議論は喧々囂々を極めたという。

 そして、海の代表者やアスティさんをはじめとしたエージェントの方々が協議を重ねた結果、『当面は男子が変身した水棲少女はプライバシー情報を女子の変身した水棲少女以上に厳重に管理し、かつ女子の水棲少女たちとは完全に別行動を取る』という指針が立てられたのだそうだ。

 そのため、水棲少女に変身している時の僕は“ミウ”というコードネームで呼ばれることになった。体操服に元々ついていた名札と校章マークが特定できないようになっているのも、水棲少女としての身体が完全に女体化していて男子である僕が変身しているとは分からないようになっているのも、心苦しいながら伊香保さんに自分の正体を明かすことができなかったのも、そうした事情があったのだ。

 正直に白状してしまうと……実は、伊香保するめさんは、学校内で一番気になっていた女の子なのだ。つい昨日まで、どうすれば伊香保さんとお近づきになれるだろうかとか思いながら日々悶々としながら過ごしていたはずなのに、まさかこんな形で伊香保さんのお部屋にお邪魔することになるなんて……。

 別に、こういう見返りを求めて水棲少女の役目を引き受けた訳ではないし、実際にその姿に変身してからも内心では『うぅ……本当に女の子の身体になってる……やっぱり断った方が良かったかなぁ……』と後悔の念が遅れて湧いてきてたんだけれども、畳に正座している伊香保さんを目にした瞬間、そんなのも全てどうでも良くなってしまった。一生懸命悩んだけれども、やっぱり引き受けて正解だったのかもしれない!


 それにしても、今日の伊香保さん、すごく可愛かったなぁ……。

 我ながら気持ち悪いとは分かっていても、伊香保さんのあの姿を思い返すたび、布団の中に隠した顔がニヤニヤと綻んでしまう。

 詳しく聞いたわけじゃないけれども、あれはきっと、伊香保さんの水棲少女としての戦闘形態なのだろう。もしかしたら、いつもあの格好で敵と戦っているのかもしれない。

 後輩になった僕のために、わざわざあの姿に変身して見せてくれたのかなぁ。嬉しいなぁ……。

 水棲少女としてのモードに入っていたからだろうか、雰囲気も学校の教室にいる時とはだいぶ違っていた。

 眼鏡を外したらあんな感じなんだ……。前髪とかで隠れてない分表情も丸見えで、伊香保さんの顔立ちがあそこまでよく見れたのは初めてだったから、すごくドキドキした。綺麗だったなあ……。

 あと、話してる時に、ずっと語尾に“ゲソ”って付けて喋ってたなぁ。理由は分からないけれども、もしかしたら、自分はイカの水棲少女なんだぞっ!という意識を高めるために自主的に取り組んでいることなのかもしれない。だとしたらすごいプロ根性だなぁ。さすが伊香保さん! 僕も見習わないとなぁ。



 そんなとりとめもない思考の渚に浸かって微睡んでいるうち、ここちよい疲れの波に意識が押し流されて、あっという間に深い眠りの海の底へと沈んでいっていた。


 ああ、こんどはいつ、あの伊香保さんに会えるかな?


 夢の浅瀬を潜っていくさなかに思い浮かべていたのは、ちゃぶ台をはさんで一緒にお茶を飲んだ、伊香保さんのあの姿。

 イカの着ぐるみを着込んだみたいな格好で、白くて細い脚をたたんでチョコンと正座して、上目遣いでニコッと微笑みを浮かべた、あの姿だった。

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