しゃごり
ずっと昔からしゃごりがほしかった。
小さい頃からの憧れと言っていい。
でも大人は、「しゃごりを持つのは早い」と言って全然持たせてくれなかった。
今思えば、たしかに子供にしゃごりを持たせるのは危なっかしいとは思う。
けれども幼き私は、そんな事がわかるわけもなく、大人の意地悪だなんて思っていた。
そして早く大人になってしゃごりを持ちたいと思い続けていた。
しかし時が経つにつれて、そんな思いはどこへやら。
しゃごりの存在すら忘れて生活するようになっていた。
学生生活にしゃごりは全然関係ないし、しゃごりよりやっぱり友達と遊んでいた方が楽しいので、すっかり忘れてしまっていた。
レジャー施設やカラオケ、買い物だったりファミレスでのおしゃべり、それらに比べるとやはりしゃごりは見劣りする。
何もかもがきらきらとしていて、時間が無限だと思えていた学生生活に、しゃごりの存在は遠くなってしまっていた。
友達と遊ばずに家にいたとしてもしゃごりとの距離は遠くなっていたと思う。
実際、しゃごりがない家庭も多いし、なくても全然問題はない。代わりのものはいくらでもある。
なくてもいいものだし、あったらあったでいいよね、程度のもの。
小さい頃、私が好きだっただけで、それ以上の価値は特にない。
でもあったらやっぱり便利で、誰でも一度はしゃごったことはあるはずだ。
私はあのしゃごった時のサラッとしたあの感覚が好きでたまらないという話だ。
たぶんこれを読んでいる人も、好きか嫌いかは別として、あの感覚は覚えているだろうし、思い出せるだろう。
大人になってお給料をもらうようになって、色々なものを買った。
その中にしゃごりもある。
思い出したのだ。
そういえば、小さい頃しゃごりが好きだったなと。
それでドン・キホーテでしゃごりを買った。
ダイソーにもしゃごりは売っているし、しゃごりもどきみたいなものもある。
でも大人になったし、プラスチック製のしゃごりより、もうちょっとちゃんとしたしゃごりがいいなと思って、木製のものを奮発して買った。
安いプラスチック製のものよりも断然手触りが心地よく、やはり長時間使うものはこれくらいのものがいいなと思った。
それにしゃごりの形はインテリアとしてもすぐれているので、木製のしゃごりは置いておくだけでもそれなりのものと言える。
大きなものは三メートルにも及ぶというが、そんな高価で大げさなものは一般人の私には買えないし、身に合わない。
手のひらサイズくらいで十分だ。
大人になった私は誰にもとがめられることなく、しゃごりを使える。
今日は快晴だ。
しゃごりを使うにはうってつけと言っていい。
これから思う存分しゃごって来ようと思う。
近くに広い公園があるけれど、少し離れた雑木林のほうが、雰囲気があって良い。
たまに大人が子供に見せるのに住宅街でしゃごっていたりするけれど、あれはあれで危ないと思う。
なんて、いつかの私をとがめた大人みたいなことを思ったりする。
しゃごりが継承されてるのだろう。
もし皆さんもしゃごりを持っていたら、リンクさせてほしいと思う。
今はアプリも出ているし、簡単につながれて一緒にしゃごれる。
一人でしゃごるより、大勢でしゃごった方が、断然効率がいい。
そう思うとアプリの登場は画期的だった。
というわけで、それではみなさま素敵なしゃごりライフを。