大卒陰キャの恋模様
鬱展開があります。
苦手な方はご注意下さい。
どこにでもあるアパートの一室。そこに一人の男――加藤一輝――が帰ってきた。
玄関は暗く、出迎えてくれる人など誰も居ない。手探りで電気のスイッチを見つけ部屋に明かりを灯す。その明かりも眩しい程の光ではなく、ぼうっとしたものだ。
重い足取りでリビングに向かい、机に買ってきたコンビニ弁当を置く。床にどさっと座り込み、大きな溜息をついた。
どこで間違ってしまったのだろう。一輝は一人そう思案する。
どこかと聞かれれば、間違いなく大学三年の頃だろう。大学生活も半分を切り、就活を始める時期だ。
一輝はそれまで、人並みに勉強はしていた。全力で努力していた訳では無いが、全くしなかった訳でも無い。だから、就活も大丈夫だと思っていた。
結果は酷かった。いざ就活となると、求められるのはコミュニケーション能力や主体性などだった。これまでの勉強は何だったのかと言わんばかりに、勉強以外の事を求められた。
もちろん勉強の全てが無駄だったとは言えない。しかし、無駄だと言わざるを得ないものも中にはあった。
唐突にそんなものを求められた一輝は就活に失敗し、大学を卒業しても就職する企業が無かった。今はバイトで生計を立てながら、就活を続けている。
そんな自分の現状を思った一輝は、もう一度大きく溜息をつく。
ピンポーン
その時チャイムが鳴った。
一輝は不信に思う。自分の事を訪ねてくる人などいないはずだと。すでに両親は他界し、友人と呼べるような関係の相手もいない。
恐る恐る玄関に近づき、ゆっくりとドアノブを回して開ける。
そこには一人の女性が立っていた。その女性は髪を腰の辺りまで伸ばし、どこかおっとりとした雰囲気を漂わせていた。
彼女は隣部屋に住む、高橋令である。
「こんな時間にすみません。少し渡したい物があって」
「え……あっ……」
現在の時刻は午後八時。他人の家を訪ねるにしては、やや遅い時間帯だろう。
「明日はバレンタインなのでチョコを作ったんです。よかったら貰ってください」
「えっ……あ、あっと……」
すっかり忘れていたが、明日はバレンタイン。世間では恋人達が色めき立っている。
令から貰ったチョコは可愛らしい包装が施してあり、恐らく手作りだと思われる。
「じゃあ、失礼しました」
「あっ……あの……」
それだけ言うと、令は自分の部屋に戻っていった。
一輝も自分の部屋に戻り、貰ったチョコを眺める。包装を解き、中の一つを取って口に運ぶ。
口の中で溶けるような甘さと、僅かな苦さを感じる。それは一輝が今まで食べたチョコの中で一番美味しかった。
「これ絶対脈ありだろ……。じゃなきゃこんなのおかしいって……。ふふ……両思いか……」
そう一人呟く一輝の頬は明らかに緩んでいた。
翌日いつも通りバイトをしていた。働いている店が有名なチョコレート店という事もあり、バレンタイン当日の今日は多忙だった。
そんな仕事も一区切りつき、休憩時間になった頃店長に呼び出される。
「おい、加藤。ちゃんとメニュー覚えて来たんだろうな?」
「あっ……その……まだです……」
一輝は今のバイトに入ってひと月程度で、未だメニューを覚えれずにいた。
「はあ? まだ? お前仕事舐めてんの?」
「なっ、舐めてないです……」
「ほんっと使えねぇ。次までに覚えて来いよ! 分かったな!」
「は、はい……」
「はいじゃなくて、すみませんだろ!」
「す、すみません……」
か細い声で謝罪の言葉を口にして、店長に頭を下げてその場を離れる。
「加藤のやつまた怒鳴られてるよ」
「今週何回目だっつの。まじウケる」
「てか、ちょっと泣いてね? きも」
他のバイト達の声が一輝の耳に届く。その声には侮蔑が孕まれており、一輝の事を嘲笑していた。
「なあ、加藤。レジ代わってくんね?」
「えっ……でも、まだ休憩……」
「何? 口答えすんの? ここでバイト出来ないようにしてやろうか?」
「――っ! ごめんなさい……」
自分よりも若い女子高生に逆らえない屈辱に塗れながら、重い足取りでレジに向かう。
「情けな。あれで大卒ってまじ? あんなんにはなりたくないわ~」
後ろから隠そうともしない罵倒の言葉が飛んでくる。それをなるべく意識しないように歩き、レジに立つ。
レジ打ちを始めてからしばらくたった後、一人の見知った顔が店を訪れる。そいつは商品を手に取るとレジに向かってきた。そして、一輝の顔を見て口を開く。
「あれ? お前一輝じゃん。なに、ここでバイトしてんの? ウケるわ~。あ、これ会計おなしゃす」
「は、はい」
「ていうか、何で同窓会来なかったんだよ。皆で集まったのにな~。もったいな」
この男とは、大学が同じというだけの関係だ。遊びにいった事はおろか、言葉を交わした回数も少ない。
一輝はただひたすらに、早く帰ってくれと思っていた。そう思う一心でさっさとレジ打ちを済ませ、商品を渡す。
「あざっす。じゃ、就活頑張れよ、フリーターくん」
男は周囲にも聞こえる程の声音でそう言って、店を出ていった。
一輝は周囲の人の話し声が、全て自分に対する罵倒や侮辱なのではないかと、錯覚するほど追い詰められていた。
今日はこれ以上仕事を続けられないと判断し、早退の旨を店長に伝えに行く。
「あの……体調が優れないので……早退……します……」
それを聞いた店長は大きく溜息をついた。
「お前何が出来るの? もういいよ、居ても邪魔だから。さっさと帰れよ」
周囲の冷たい視線を浴びながら、一輝は制服を脱ぎ帰路についた。
「うっ……おえっ……うっ……」
家に帰った一輝は洗面台で、嗚咽を漏らしながら嘔吐いていた。
「それで? 用事ってなんだよ?」
ひとしきり吐いた後体を落ち着かせていると、隣の部屋から知らない男の声が聞こえてきた。一輝の部屋は角部屋のため、隣部屋は一つしかない。そしてこのアパートの壁は薄いため、耳を澄ませば声を聞くことが出来る。
「今日ってバレンタインでしょ? だからね、チョコ作ったの」
一輝にはその事実は受け入れ難かった。令が男を部屋に招き、あまつさえチョコを渡すというその事実を。
「はあ? そんなののために呼んだわけ? しょーもな」
「そんなのって……。一生懸命作ったんだよ……」
「知らねぇよ。そんなことよりほら、早くベッド行けよ」
「……うん」
そんなやり取りが行われた後、ベッドが軋む様な音を立てる。それに伴い、うめき声とも取れるような令の嬌声が聞こえてくる。
一輝の心は深い絶望に包まれた。元より限界だったのだ。それをギリギリの所で押しとどめていたのが、令に対する恋心だった。それが瓦解した瞬間だった。
令は今知らない男に抱かれている。その光景を想像してしまい、再び吐き気に襲われる。
だが、そんな状況でも一輝の体は反応していた。
しばらくすると音は止み、再び会話が聞こえてきた。
「ふう。じゃ、俺この後用事あるから金くれ」
「えっ……もうないよ……。この前ので無くなったよ……」
「は? じゃあ、もういい。別れるわ」
「待って! それだけは嫌!」
令の叫ぶ声が耳に響く。
「じゃあ、金出せよ」
「わかった……。今月の家賃代があるから……それあげるから……。別れないで……」
「ちっ! あるなら最初から出せよ!」
「ごっ、ごめんなさい!」
男の怒声が聞こえた後、一度何かを殴る音がした。
「次来るときまでに金用意しとけよ。出来なかったら別れるからな」
「はい……はい……」
そんな会話の後、乱暴に扉を開ける音が聞こえた。男はどこかへ向かったようだ。
「……シャワー浴びよう……」
令の声もしなくなり、辺りには静寂が訪れる。だが、いつまでたっても一輝は動く事が出来なかった。
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バレンタインからしばらく経過した頃、令はある異変に気付いた。隣の部屋から異臭がするのだ。隣の住民は言うまでもなく、一輝である。
その事を大家に伝え、その後連絡が取れなかったので、部屋を直接見に行くことにする。
大家の持つ合鍵で玄関のドアを開けた先には、首を吊った一輝の姿があった。
ここまで読んでいただき、ありがとうございます。
この話は連載中の小説の息抜きとして、勢いで書いたのでけっこう雑です。
因みに連載中の小説は『魔王様、お仕事の時間です』という作品で、ギャグ八割シリアス二割ぐらいの感覚で書いてます。こちらは鬱ではないので、読んでいただけると幸いです。
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