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黒兎少女  作者: 武智城太郎
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通り魔(5)

 その週の土曜日に、倫子は九条彩音の自宅を訪れた。

 立派なお屋敷だ。広い敷地をぐるりと高い塀が囲み、正面門は大型の電動門扉になっている。

 倫子はそのわきにある通用門の前で待っていた。さきほどカメラ付きのインターホンで用を伝えたところだ。肩にはサンドルを乗せ、愛用の黒のリュックサックを背負っている。(ちなみに黒ブラウスに黒のフレアスカートという全身黒でまとめた私服姿)

 通用門が開き、彩音の母親というには年配すぎる女性があらわれる。

「柏木さんですね。私はこの家の家政婦をしてる者です」

「どうも」

「あら、可愛い猫ちゃん。どうぞ中へ」

 前庭は広々としており、彩りゆたかな草花は手入れが行きとどいている。防犯カメラや人感センサーライトがそこいらじゅうに設置されていて、セキュリティも万全のよう。自動車が三台は収納できるであろう大型のガレージもある。

「お見舞いありがとうございます。でもお嬢様は体調がすぐれなくて。お会いできるかどうか……」

 対応は丁寧だが、沈んだ声は隠しきれていない。

「医者はなんと?」

「何人もの方に診てもらったんですが、治療は難しいらしくて……」

「彩音さんの御両親はご在宅ですか?」

「奥様はおいでですが、お嬢様のことでお疲れで……。旦那様は今日も会社です。お仕事がお忙しくて」


 倫子は客間に通される。

 まるで高級ホテルの一室のように豪奢だ。

「クラスメイトの木村さんもお見舞いにおいでなんですよ」

 一人掛けのソファーの上で、香織が膝を抱えて丸まっている。

「柏木さん……」

 顔をあげた香織は意外そうな表情を浮かべる。初めて会話したのが、この前の通り魔騒ぎのときなのだから当然だろう。

 老家政婦は会釈して、静かに部屋を出ていく。

「お見舞いに来てくれたの?」

「そんなところ。九条さんには会った?」

「うん。でもぜんぜん治ってない。もっと酷くなってるかも」

 今にも泣き出しそうなほど落ち込んでいる。

「あたしのせい。あたしがずっと彩音に腹を立ててたから」

「あんたたち、いつも仲いいでしょ」

 倫子からすると気持ち悪いほどにだ。

 香織はかぶりを振って、

「表面的には仲直りしてたけど、あたしはずっと気にしてた。そのことがなんでか急にムカついて教室で怒鳴ったの。あたしが悪いのに」

「ケンカの原因は何?」

「……つまんないこと」

 核心については秘密にしておきたいらしい。

「ケンカの原因を言いなさい」

 倫子は反響のかかったような奇妙な発声で問いなおす。相手を従わせる〈暗示〉魔法だ。

「……休みの日に、彩音が吹奏楽部の友達と遊びに行ったの。二人で」

 香織はすぐに本心を吐露しはじめる。

「彩音はあたしがヤキモチ焼くと思ってそのこと隠してた。はっきりとは言わないけど。それで怒ったの。あたしはそんなことで嫉妬しないって。誰と遊ぼうと彩音の自由だって」

 うっすらと目に涙を浮かべて、

「でもそれはウソ。その部活の子じゃなくても、彩音がほかの友達と楽しそうにしゃべったりしてるのがすごくイヤ。イライラしたり、最悪不安で息苦しくなる。こんな嫉妬深くて、独占欲の激しい自分が許せなくて、そう思うとよけいに──」

「もういいわ」

 倫子が制止すると、たちまち香織は黙り込む。本来が素直な性格なのだろう。

 それにしても、と倫子は思う。

(ほんとにつまんない話だった。よくある女子同士の子供っぽい嫉妬とは)

 そこへ、老家政婦がお茶とケーキを運んでくる。

「ご挨拶したいんですが、彩音さんのお母さまはどちらにおいでですか?」

「たぶん寝室のほうだと思いますけど……。でもとてもお疲れでどなたとも──」

「ありがとうございます」

 倫子は早足で客間を出ると、そのまま屋敷のいちばん奥にある寝室に乗り込む。

「九条さん」

 老家政婦の言ったとおり、彩音の母親はベッドでぐったりとふせっている。なるほど、心労でずいぶんと憔悴しているようだ。

「……彩音のお友達かしら?」

「柏木です。わたしは悪魔祓いの心得がありまして」

「はあ?」

 とつぜんの申し出に面食らっている。

「ほんとうです。彩音さんを元にもどすことができます」

「娘は友達とケンカしたのが原因で、解離性障害になったってお医者様が……」

「そんな理由であんな風になったりはしません。わたしにお任せください」

「はあ……」

 まるで本気にしていないようだ。

「成功したら謝礼というか、心付けというか、じ、十万円をご請求します。よろしいですか?」

 倫子は少しばかり緊張している。魔女として金銭を要求するのは、これが初体験だからしかたない。

「はあ、彩音が元にもどるならそれくらい……」

 期待していた言葉が聞けて、倫子は俄然気合が入る。

「わかりました。さっそくやってきます」


 ゆったりした湾曲の階段をのぼり、倫子は二階にむかう。

 可愛い丸文字で〈AYANO〉と書かれた木製のネームプレートが掛かっているドアを見つける。

「ここね」

 ノックするが返事はない。

「油断するな」

 肩のサンドルが耳元で戒める。

「わかってる」

 ドアを開け、中に入る。

「ん……」

 思わず顔を歪めてしまう悪臭。

 彩音の姿の通り魔は、フローリングの床に全裸で腰を下ろしている。 

 種類はよくわからないが、大きな骨付きの生肉を、ガシュガシュと汚い音を立てて本能のままに喰らっている。肉汁と唾液を絶えず滴らせるせいで、上半身はベトベトだ。サンリオキャラたちに彩られた、少女趣味のファンシーな部屋との落差がすさまじい。

 通り魔は、気味の悪い白濁した瞳を倫子にむけて、

「魔女め、なにをしにきた!」

「仕事よ。彼女の中から出ていきなさい」

 通り魔は愉快そうに大笑いし、

「この身体は具合がいい。使い潰すまでいてやる!」

「あなたのためにならないと思うけど」

「ザコ魔女がほざくな! 家に帰って父親に犯されてろ!」

 倫子はその卑猥な罵倒にも顔色一つ変えない。

 肩のサンドルにむかって、

「はじめましょう」

 リュックから、蓋をしたガラスの小瓶とダガーと呼ばれる西洋の短剣を取り出す。

「くだらん、ハッタリだ」

 通り魔はまた生肉を喰らい、喰らったぶんだけ音を立てて脱糞する。

 床に下りたサンドルは腰を持ち上げて、通り魔に対して臨戦態勢をとっている。

 倫子は短剣を鞘から抜く。レプリカではなく諸刃の真剣だ。

 その切っ先で、目の前の空間を二度切り裂き、

「イョ ザティ ザティ アバティ」

 と呪文を唱えはじめる。

「笑わせる。雀が鳴いてるのか?」

 だが通り魔は、目に見えて動揺している。

「汝と我が主 生ける冥府の神々とその御名によって おまえの住み家たる五つの業火によって──」

「魔女の分際で! この地獄の使者である大悪魔さまに!」

 追いつめられ、今にも喰らいつかんばかりの剥き出しの敵意をあらわにする。

「そのちっぽけな肉を犯して切り刻んで犬の餌にしてやる!」

「倫子、瓶をかまえろ」

 倫子は短剣を投げ捨て、左手で持っていたガラスの小瓶の蓋を開ける。

「イョ ザティ ザティ アバティ──」

 ガキンッ!

 通り魔が投げつけてきた生肉の骨が、小瓶に命中する。

「!」

 小瓶は倫子の手から離れて床に落ち、真っ二つに割れてしまう。

「しまった!」

「ケケッ、鼻垂れが!」

 チャンスと見るや、通り魔は猛然と倫子にむかって襲いかかってくる。

 そうはさせじと、サンドルは疾風のごとく躍りかかる。

「サンドル、怪我をさせないで!」

「むずかしいな」

 サンドルは通り魔の顔面に張りついたところだ。

 倫子はいそいで部屋を見回す。

「!」

 お茶のペットボトルを見つけると、急いで駆け寄って拾いあげる。500mlサイズで、まだ未開封だ。

「おい、まだか!」

「もう少しよ」

 キャップを開けて逆さにし、ドボドボと中身を捨てていく。

 攻撃できないサンドルはひたすら通り魔の顔面に張りついていたが、とうとう引っぺがされ、そのままフルスイングで投げつけられて、至近距離で壁に激突する。

 ようやくペットボトルが空になり、倫子は大急ぎで呪文の続きを唱える。

「ここに用意した小瓶に入り 我が僕となれ。イョ ザティ ザティ アバティ!」

 ビキッ、と空気が軋む音。

 悪魔憑きの彩音の顔が、滑稽なほど恐怖に怯えた表情になる。

 一瞬で通り魔はペットボトルの中に吸い込まれ、倫子はあわててキャップをしめる。

 抹茶色のパッケージのせいでよく見えないが、小さな黒い生き物が中でガサゴソと動いている。まるで昆虫でも採取したかのようだ。〈小瓶の悪魔〉は、本来悪魔祓いの魔法ではなく、使役するための悪魔を捕えるための魔法だったのだ。

 少々足元がフラついてるものの、サンドルは無事らしい。ぐったりと床に倒れている彩音の顔に鼻を近づけ、生死を確認する。

「気絶してるだけだ」

「万事成功ね」

 倫子は心地よい達成感に浸りつつ、ペットボトルと短剣と割れた小瓶をリュックに入れ、帰り支度をする。

 ドアを開けて廊下に出ると、香織と彩音の母親が心配そうな顔で立っている。

「柏木さん! 中で何してたの? 大きな声がしてたけど!」

 香織は矢も盾もたまらないといった感じだ。

「だから悪魔祓いよ。彩音さんは元にもどったわ」

「ほんとに?」

「ええ、まずはシャワーを浴びさせることね」

 ポカンとしている母親にむかって、

「約束の報酬は後日でかまいません。それでは」

 倫子はそう言い残し、階段を下りていく。

 部屋のほうから、彩音を介抱している二人の声が聞こえてくる。


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