通り魔(4)
「それでどうなった?」
サンドルがうながす。床でエジプト座りをしている。
「九条彩音は今日も学校を休んでた。今も悪魔憑きのまま家にいるらしいわ」
机にむかっている倫子が早口でこたえる。
彩音が通り魔に憑かれてから、すでに五日が経過していた。
「その悪魔、よほどその女の体が気に入ったんだろう」
「わたしが彼女の悪魔祓いをする」
「本気か? なぜ?」
ノートパソコンの画面に表示されているのは、ある企業サイトのトップページ。背広姿の中年男性が得意げな顔で、赤のフェラーリとうつっている写真が掲載されている。
「これが彼女の父親よ。会社経営者。社長ね」
「クルマ屋か?」
「これは愛車を自慢したいだけ。工場の機械を作ってる会社だって」
「金持ちなのか?」
「ええ、かなりのね。悪魔祓いをして、謝礼に十万円むしり取るわ」
チャンス到来とばかりに、倫子にしてはめずらしく、やる気を表に出している。
「これが魔女としての初仕事になるわね」
倫子にとってお金を儲けることは、魔女になった大きな理由の一つだ。使い道はおもに貯金と、欲しい古本や新本を気兼ねなく購入することにあった。
「前にも言ったが、その悪魔の格が高かったら手痛いしっぺ返しを食うぞ」
「たぶん、そうはならない」
「なぜわかる? 説明できるか?」
「できない。勘だから」
「勘か。なら、つきあおう」
倫子は『黒兎の書』のUSBメモリをノートパソコンに差し込み、目当てのページに飛んでいく。
「この〈小瓶の悪魔〉の魔法でできるでしょ、悪魔祓い」
「成功すればな」
「翻訳もこれで合ってるはずだわ」
画面に表示されている〈小瓶の悪魔〉について記述している原文と、それを日本語訳して大学ノートに書き込んである文章とを見くらべて最終チェックをする。この魔法に関しては、翻訳の難易度はそれほど高くはなかった。
「〝自分の魔導書〟には書き写したのか?」
「今からやる」
倫子は本棚から、いかにも西洋の魔導書っぽい分厚くて黒い本を取り出す。これが〝自分の魔導書〟だ。元々は、魔導書風の装丁をほどこしただけの豪華な白無地ノートにすぎず、ネット通販で四千円で購入したものだ。
これに倫子の母国語である日本語に訳した文章を書き込むことで、原則的にはその魔法を使えるようになるのだ。印刷やデジタル化された文字にはほとんど魔力は宿っておらず、〝自分の魔導書〟は自らの手による写本で完成させなくてはならないという仕組みは、魔法界においては古代からの常識であった。
倫子は(編纂途中の)自分の魔導書をめくっていく。まだはじめの十数ページほどしか書き込めていない。章の数もわずかで、それも比較的簡単な魔法に限られている。これが今現在の倫子の魔女としての実力なのだ。
傍らのブックスタンドに、大学ノートの〈小瓶の悪魔〉のページを開いてセットする。ここにシャープペンで書き込んである日本語訳はいわば下書きで、本番はこれからだ。
倫子は黒の羽根ペンの先をインク壺につけ、慎重に自分の魔導書に書き写していく。もし書き損じたら、一ページ丸々破り捨てて、一から書き直さなくてはならない。翻訳間違いや誤字脱字はもちろんのこと、悪筆やひどい癖字の場合でも、魔法の効力に悪い影響が出るらしい。
「よし……!」
およそ二ページにわたった〈小瓶の悪魔〉の記述を、倫子は見事に書き写し切る。