一人でしている
女を前にして、関口弘毅は勃起している。
天を仰ぐほどのけ反った性器に触るのは、彼女ではない。弘毅がベッドの上で脚を開き、彼自身の手でそれを掴んで下から上へと繰り返し扱いていた。
声は我慢できても、快楽で震えた吐息がこぼれる。くちゅくちゅ、と水音がするのは、尿道から涎のように先走り汁が出るのを、自身の手で塗り付けてしまっているからだった。
オナニーを誰かに見せたことはない。そもそも自分の手で性器を触るのすら随分久しぶりだ。性欲が溜まれば、街で“売り”をする女を買っていたので、自分で抜く必要がなかったからだ。
ぶるっ、と肩が震える。柄にもなく、甘い声が出そうになった。男根がひたすら脈打ち、気を抜けば、すぐにでもいやらしい喘ぎが出そうになった。
「こんなことさせて何が楽しいんだよ……」
弘毅は泣きそうになりながら文句を言った。下半身は裸だ。下手に見悶えすれば尻の穴まで見られてしまいそうで恥ずかしくて死にそうだ。
どれだけゆっくり手を動かしてもにちゃ、にちゃ、と品の無い粘着質な音が鳴り、流れ出る体液と掌とで糸を引いた。
こんな髭面のおっさんを虐めて何が良いのか。
女はずっと無表情でいる。
「楽しいですよ? とても」
女が淡々と言った。彼女は座面と背もたれに低反発素材を用いた椅子に姿勢を正して腰掛け、口以外を動かそうとしなかった。
「気持ちよさそうで、可愛い」
その声の端にわずかに含まれる、微笑ましいといわんばかりの響きに、弘毅は顔を一層赤らめた。
髪の長い女。下半分がウェーブがかっている。白いワンピースに、フリルの付いた濃紺のジャケットを羽織った姿。二十半ばに見えるが、弘毅は異性の年齢を当てるのだけは尋常じゃなく苦手としていた。
彼女と会ったのは、これで二度目。一度目は、彼女が警察病院に見舞いに来てくれたから。
名前は知らない。職業も。彼女の口から聞いていないが、公安警察である可能性が高い。弘毅がそう判断するのは、自分がある事件に巻き込まれて殺されかけた時に元同僚らに救われたことがあり、彼らの中に、この女の姿を見たからだ。
「そんなに、俺の存在が不愉快かよっ」
手を止めてはならないと言われている。人差し指で尿道の口をほじくりながらその刺激は耐えがたく、弘毅は自分の肩に頬を擦り付ける。
「内調に移ったのがそんなっ、気に食わないってか……くそっ……嫌がらせが悪趣味すぎっ……」
自慰を続けながら、もう片方の手の甲で口元を隠した。無意識のうちに、掌で裏筋ばかりを擦る手付きをしている。それが最も感じる部位だと学習しはじめている。
内閣情報調査室の調査員は真っ当な任務ばかりではなく、有権者のスキャンダルをマスコミに流して失脚させるという政治家の駒のような汚れ仕事も多かった。結局は、覚えのない罪を着せられて辞めてしまった。蔑まれても仕方ない。
「そういうわけではないのですが」
女はきょとんとして、
「ああ、でも──嫌われてるって思い込んでびくびくしてる貴方を見るのは、堪らないですね?」
彼女は、ほんの少し目を細めた。
陶酔の目付きに見えた。気のせいかもしれないが、ぞくぞくしたものが弘毅の背を駆け上った。
胸が締め付けられる錯覚に陥るのは、正気じゃないせいだ。年下の女の前で辱められ、羞恥と不安で精神が乱されているから、優しいように感じる彼女の声や表情の些細な変化で、脳が幸福物質を分泌させる。彼女が微笑もうものなら恋に落ちそうだ。
「んっ……」
鼻にかかった声が漏れる。
歯を食いしばった瞬間に、ペニスの根元で疼きが強くなった。弘毅は踵で寝台を潰し、爪先でシーツを掻いた一瞬後にびくんっ、と大きく震えた。
肩で息をしながら、彼は股間に視線を落とした。そこはまだ硬く立ち上がったまま、先端から液体がたらたらと肉の棒を伝って流れていった。透明な液体と白く濁った粘液が半端に混ざったものだった。完全にイくまでもう一度触らなければならないと知って、弘毅は絶望した。
しかし、こんなことは誰にも強要されていない。
内調を辞めたあと、弘毅は女の紹介で雑誌記者になった。
公安が相手にするのはテロリストや新宗教団体など、政府を脅かす反社会的勢力への捜査と鎮圧。女は弘毅にその職を生かし、情報提供者になれと言ってきた。
彼女は弘毅の働きに対し、自分が割を食うほど多額の報酬を寄越してきた。そのあとに、過払い分をオナニーを見せることで埋め合わせしろと要求してきた。
その話のはずが、テーブルの上には彼女は持ってきたUSBチップが照明の光を反射して冷たく光っている。
「約束通り、そちらに置いてありますので。良い記事を書いてください」
データの中身は、あらかじめ弘毅が指示した。今季における最新レディースファッションの情報だ。
彼女の仕事とは関係ないが、わかったことがある。この女は、本業や金銭面において少しでもメリットを得ようとは露ほども考えてはいないのだ。
弘毅は眉尻を下げ、弱く呻いた。あまりにこちらが得しすぎているからと罪悪感を抱いたのと、一度彼女の要求に応じようと思ったから。それでいて罠だと思った。隙をついて気絶させられ、その間に携帯電話を奪われると思っていた。あるいは女が公安を装った犯罪者の恐れもあったから、弘毅は返り討ちにする気でいた。
読みが全部外れた。本当に女の狙いがこれだとは思わなかった。そして好奇心も相まって自らの手でしてしまって、身体が妙な快楽を覚えてしまった。癖になったこの感覚から逃げられるとは思わない。
「それ……」
女が静かに口を開いた。彼女は口元に指を添えると、どこかわざとらしい空気を出しながら、首をかしげた。
「そちらの穴も、弄ってるところが見たい。次の取引で見せてくれます?」
ぼんやりした頭では、弘毅は答えられなかった。ごくっ、と思わず唾を呑んだ。彼女の目が期待している。何かを見抜いて光っている。この時、弘毅の心臓は騒がしくなって一向に静まらなかった。