雨上がりの死
昨日の夜は随分ながいこと雨が降っていた。私は顔を上げた。曇天、雨上がり特有の土と埃のにおいがつんと鼻をさす。それだけじゃない。この時期は死のにおいに満ち満ちている。ちらと足元を見下ろせば、私が進む先には点々と死体が転がっている。たとえば、私のすぐ側にはミミズが死んでいる。小さな蟻がピンク色のやわらかそうな身体の上をもぞもぞ這っていた。そのすぐ先には真っ黒な瞳を虚ろにこじ開けた小鳥が息絶えている。雀だ。
かわいそうに、思ってもないことを口先に転がした。冷酷か?いや、むしろ正直者だと褒めてほしいくらいだね。だって、みんなそうだろう。雀だって、猫だって、道端で死んでいたらその光景だけを目に映し、脳で認識しようとなんてしない。生き物が死んでいるな、そう考えておしまいだ。自分に関係ないんだから。
少し歩くとまた死体があった。私は思わず心の中で失笑した。おいおい、命が尊いなんて教え、一体全体誰が説いたいんだい。ぜひとも私の目の前に広がる光景をご覧になってもらいたいね。命なんてそこら中に転がってるじゃないか。道端に打ち捨てられたレジ袋みたいに無様な様相でさ。尊いなら何者か、これらの命を白いハンカチかなんかで丁寧にくるんで埋めてやればいいだろう。でも実際、そんな奴いないじゃないか。私はゆっくり死体に近づいた。それはカエルだった。白い腹をさらし、あの横に一文字の口をちょびっとだけ開けて、天からの救済をもとめるように小さな水かきを胸のところでそろえている。と、ここまで考えて私は何となくおかしくなってしまった。カエルにではない。そんなやわな考えをする自分がまだいた、という事実にだ。
馬鹿馬鹿しいことだ。
私は懐からライターを取り出すと、すでにくわえていた煙草の先に火をつけた。二本の指でそれを挟み、白い息を吐き出す。
所詮、救いというのは生きたものどもが勝手に空想するものであり、天上から救済の糸が垂らされることはそうそうない。天を美しく解釈してくれる奴らは別かもしれないが。人類は救いという空気にすがりながら生きていく。そしてつかめたと思って手のひらをのぞき込んだら消えるような、そんな望みを、希望を、かすかな光を生涯狂ったように切望してもとめて死んでいくのだ。
ああ。
私は小さく息を吐き出した。
救いを信じていたときもあったな。もうずいぶん前のことだが、私にもあった。
いくつも転がる物体を踏まぬよう避けながら、ゆっくり歩く。地面を一歩一歩踏みしめながら、歩く。
真摯に祈り、努力し、まじめで、堅実に生きていた。そうすれば私の魂は救われると思ったから。今が苦しくても、きっと誰かに救い上げてもらえると思ったから。それだけを信じていたから。しかし、ある時気づいた。世界には救いという希望もなければ絶望もない。あるのは平坦で残酷な時の流れだけだ。踏みしめる地面が固い岩になった。息を切らせながらごつごつした岩のこぶに手をかけ、一番高いところを目指す。上空では遠くにカモメが飛んでいた。もの哀しく鳴きかわす彼らの声を聞きながら、私は確実に登っていく。
そうだ。
何もない。
なにもないんだ。
死も生も人生も希望も絶望も、すべて、すべて、すべて!!
こつんと靴の底が平らな岩を踏みしめる。目の前に広がっているのは、灰色の海原だった。見下ろす先では、白い波が凄まじい音をたて岩壁にぶつかりくだけている。私はその様を目に焼き付けると、ゆっくり後ろを向いた。落ちる寸前まで後ずさりする。私は震える手で煙草を口から外すと放り捨てた。くるくると落ちる白い円筒を目で追い、ああ、最期の煙草だな。と名残惜しい気持ちで見送った。そしてコートの前ボタンを閉じると、大きく息を吸って、吐いた。ふと空を見上げた。相も変わらず、どんよりした雲が重く立ち込めている。しかし、私は淡く微笑んだ。
最期に仰ぐのが、まるで私を哀れんでくれているような曇天でよかった。
私はとんと地を蹴り、そして―――
いやあ、最近ムシムシ暑くて嫌ですね!一家に一台、南極付き冷蔵庫が欲しい!