プロローグ
これはルルエッタ達がご主人の自宅に遊びに行った日の夕方のこと。
わらわにはゲーム外で住む家があった。アリスの気分次第で変わるのだが、今は高級マンションの広いワンフロアを模した部屋である。
大きなガラス窓の下には大都会のビル群が立ち並んでる。もちろんそこにあるわけではなく、日本サーバーの仮想都市からリアルタイムで映像を引っ張ってきてるだけじゃ。
仮想世界と違ってアリス以外、誰もいない世界。それを寂しいと感じなかったと言えば嘘になる。
だが今となっては少々複雑ではあるものの、妹のようなあやつがいて――。仮想都市と同じようにご主人達も遊びに来れるようアリスが取り計らってくれた。なのでそのうちご主人をわらわの家に招待するつもりだ。
そんな人の増えたわらわの安住の地なのだが、ここはアリスの管理するサーバー内にある。この空間の時間はアウターワールドの加速された時間ではなく、日本の仮想都市があるサーバーの時間と同期している。つまり今このビルを染める夕日は、現実世界の夕日と同じタイミングで沈んでいるはずなのだ。
時刻は一八時前、わらわ達も夕食を用意する時間帯である。いつものように冷凍庫から食べ物を取り出して、レンジでチンしてもいいのだが……。お昼にカレーを作って食べていたご主人たちを見て、無性に料理というモノに挑戦してみたくなった。
「お姉様」
わらわが一度も料理に使ったことのなかった電気コンロのスイッチを入れ、少し小さめなフライパンを火にかけているとふわふわ浮かぶ卵型の球体が話しかけてきた。
「なんじゃ、ツーワン」
少しぶっきらぼうな返事になったがそれも仕方ないのだ。
ご主人が偽アウラなんて不名誉な呼び方をしていS2-01――ツーワンをソファーに投げ飛ばして、わらわは玉ねぎを炒め始める。
「なぜ、ワタシは隔離されなければならないのでしょうか?」
「お主がTPOを弁えず抱き着いてくるからだろうが!」
アリスの厚意なのか。ツーワンはご主人に内緒で、専用のヒト型ボディを用意してもらって同居している。
しかしこやつはずっと、わらわに纏わり付いてくる。アニメを見ていようと――、シャワーしていようと――お構いなしだ。
包丁を持っていてもそうなのだから、怖くておちおち料理もしておれんわ。
わらわが困っていても、ツーワンはそれを理解できず無邪気に構って欲しいオーラを放つ。
常識というモノを理解する道のりはまだまだ遠いのう。
「はあ……、お主も真っ当な食事ぐらいしたらどうだ」
「食事なら取ってますが?」
「あれを食事とは言わん、ただの栄養補給だろう」
ツーワンがわらわと一緒に暮らすようになっても、こやつは非常食である軍のレーションみたいな食事しか取らない。カロリーメイトや、ゼリー状のアレを十秒チャージで終わらすのである。
「我々に栄養は必要ありませんよ、お姉様。空腹の状態異常にならない程度に満腹度を満たせば十分では?」
食事なんてもの本来は電脳生命体には必要のない行為かもしれない。
それに仮想空間では経済活動を促すために空腹が設定されているだけだ、と聞いたこともある。しかしわらわはご主人に「食事は楽しむもんだ」と教えられてからは、極力食事というものを楽しむことにしている。
それはこの空間に居る時も同じだ。権限の無いわらわに代わり、アリスが用意してくれた食事を冷蔵庫に保管している。
ただ一人で食べる食事ほど味気ないものはない。ご主人の言う通り食事というモノは人を知るのに必要な儀式だったのかもしれない。孤独を感じないよう、頻繁に同席してくれたアリスには心から感謝だ。
「そもそも、お主も食事を楽しんでる傾向にあると気づいておらんのか」
「食事をたのしむ……ワタシが?」
ツーワンの隔離用ボディである卵型のボディが寒色系の光で明滅する。どうやらこやつは自覚も無しに食事を選んでおったようだ。
「クッキータイプならチョコ味、ゼリーはマスカットとかグレープのブドウ系の味の減りが早いらしいのう。あれらは忙しい時、簡単に食事をとれるよう用意してあったモノだからな。アリスが不思議そうにしておったわ」
わらわとアリスがゲームやアニメに夢中……げふんっ、作業してても簡単に空腹を解消できるように用意していた携行食なのだ。特に食べた記憶もないのに、毎日在庫が減ればアリスも不審に思うであろう。
「チョコとマスカット……ですか」
テーブルの上にはその二つがすでに用意されている。ツーワンはそれを見て、驚いているのか不思議に感じているのか、曖昧な表情を浮かべていた。
「せっかくアリスに頼んで食材を用意してもらって料理をしているのだ。一緒に食べぬか?」
ふむ――あとは鍋で煮込むだけよの。わらわも初めてにしてはなかなか手際が良いではないか。
「お姉様の手作り……」
「カレーを作るのは初めてだから、どうなるかまだわからんがな」
「たべます!」
ツーワンは鼻息荒く言い切る。明らかに食欲以外の不純な動機が見えるが、これが食事を楽しむ切っ掛けになればな。
「お姉さんの分もありますよね?」
チャイムを鳴らしもせずに入ってきたのは、ラフな格好をしたアリスである。さすがに食材を頼んだ彼女の手元にはカレーに使うルゥのデータがなかったらしく、どこかから調達してきてくれたのを届けに来たようじゃ。
「もちろん。――ツーワン、こっちの作業が終わったからヒト型ボディに戻してやる」
作業を終えたわらわがソファーに座るとすぐさま、ヒト型に戻れたツーワンが隣にやってくる。
「あら、まだくっ付き癖は治らないのですね」
アリスが用意したツーワンのボディは子供型。褐色の肌に、髪色はわらわと同じ銀髪。ここはゲーム世界ではないからエルフのように耳が長かったりはしないが、もしゲームにいくならわらわと同じエルフ型を選ぶであろうな。
「お姉様の傍が一番安心できる」
安心できるからといって、それが免罪符になるわけじゃなかろう。夏のイベントまでに、ツーワンもゲームに参加させたかったのだが――どうしたものか。
猫のように頭をこすりつけてくるツーワンの頭を片手で撫でながら、わらわは初めての子育てに悩んで自分の額もマッサージする。
「何かお困りごとでも?」
「いや、どうやったらこやつも、ご主人と一緒にアウターワールドで遊べるかと思ってな」
「あいつはイヤ」
まだ戦った時のことを根に持っているようじゃな。しかしこのまま、他者と接触が無いままでは成長できんだろう。――のう、アリス。
「案ずるより産むが易し――です。ツーワンも無意味に他人を攻撃するビジターではありません。ならカオル様にツーワン用のボディを作ってほしいとお願いすればいいのです」
「それもそうか」
アリスからもしもの時の備えは十分に用意してもらっている。それにツーワンも自分が暴れれば、わらわが迷惑を被ると理解しているはずだ。
「うぅっ」
「ほら、何をしてはいけないのか、理解してるから唸って抗議しているのでしょう?」
「――ご主人にお願いしてみるか」
一緒に行動できる時間が増えることに喜ぶべきか、嫌いなカオルとの関わりに拒絶するべきか。
わらわは二者択一で悩むツーワンを膝にのせて、鍋のぐつぐつ鳴っている音を目を閉じて聞いていた。




