第五話 童心
俺たちが新しい拠点を決めるのに、一時間もかからなかった。
プライベートルームと工房がセットになったソロからパーティ用の一軒家。特に何かを気に入ったわけじゃないが、立地が色々便利だから選んだだけだ。
あえて言うなら、俺が初めて買った工房に似ていたからかもしれない。
新しい家を買ったウキウキ気分で、自分の工房に入り浸った俺はしばらくしてプライベートルームに戻った。
室内には一つしかないベッドの上で不機嫌な顔をして寝転がるアウラが居る。
プライベートルームの家具はアウラが担当し、俺は工房を、とそれぞれ担当した。なお、アウラが寝転がっていたベッドだが、仮眠と休憩にしか使わないだろう――とのことで二台目は設置しなかった。
俺の背後に悪寒が走るが、アウラが危ない事を企んでないと信じよう。
「設備の確認が済んだら、戻って来いとわらわは言ったよな?」
名前も知らない牛型魔物の革を使った高級感のあるソファーに俺がどんと座り込むと、アウラは起き上がって低い声を出す。
「俺がすぐ帰ってくると思ってたか?」
「思わん。どうせ新しい玩具に童が如くはしゃいでおったんじゃろ」
その姿がありありと浮かぶわ。そう言いながらアウラは隣に座ると、俺の頬を両手で掴んだ。
「へいかいっ! ――ってつめた」
彼女の手は異常に冷たく、鳥肌の立った俺は反射的に振りほどいた。ソファーの前にある長いテーブルには結露で濡れるガラスのコップがあり、きっとそれのせいだ。
「『正解っ』じゃないわ! 装備の相談をするから考えといてくれって言ったのはお主だろ! わらわはお主にインベントリ権限を返して、自室で暇つぶしするつもりなんじゃから、さっさとせんか!」
アリスみたいなことを言い出したぞ、こいつ。堂々とゲームのAIが仕事を放棄しないでもらえますかね。
「インベントリがインベントリを放棄してんじゃねえよ!」
俺もお返しに、認めたくもない触り心地の良いアウラの頬へ手を伸ばす。
「お主が工房で作業してる時まで、わらわがいなくてもいいだろ!」
「正論だが、気に入らねえから却下だ」
「ブラック反対! AIにも休養は必要だ!」
「俺がログインしてない時間はずっと自由時間だろ」
「働きたくないでござる」
「アリスにアウラでもできる仕事の斡旋を頼むぞ」
「ノーセンキューじゃ!」
「ばかっ、暴れんな――机の上にコップを置いたまま――」
ソファーの上で暴れるアウラにオレンジの天誅が落ちてくる。溶けた氷で薄まった、微妙にべたつくオレンジジュースが俺に覆いかぶさるアウラの体を濡らした。
「ギャー、これはドーラに作ってもらったお気に入りなんじゃぞ!」
「とっとと『クリーン』を使えばいいだろ」
ピカッと電球が光ったアウラは悪だくみを思いついた顔をする。
「……毒を食らわば皿までだ」
何をとち狂ったのか。アウラはインベントリからありったけの水が入った容器を取り出し、俺にぶっかけ始めた。
「仮想空間だからってやりすぎだろ」
「あはははは、どうせあとでクリーンを使うのだ。わらわと水遊びに付き合ってもらうぞ」
久しぶりに構ってもらった犬のように羽目を外すアウラに、俺も仕方なく反撃する。――とはいっても俺には床に落ちた空のコップか素手で掬って水をぶつける、小さな抵抗しかできない。
人間にはできない手段でインベントリを操作するAIに勝てるはずがないのだ。
「顔に直接かけるのはやめろ」
「上を取られたご主人が悪いのだ。ほれほれ、今度はわらわにもかけるのじゃ。ジメジメしてるくせに暑いし、汗がずっと不快だったのだ」
アウラは思う存分、俺に水をぶっかけた後。自分も水浴びがしたいと言い出した。
すでに俺もプールデッキみたいに水浸しな部屋は気にしないことにした。ここはリアルじゃない、仮想の世界だ。
夏の猛暑――ほどではないが、こんな日は童心に帰って水遊びしてもいいか。
「ご主人よ――そろそろ水を使い切りそうだ」
ただこの為に用意したわけじゃない水はすぐに底をつく。
全身びしょびしょで地肌に張り付いた服をそのままに、アウラは自分の無防備な姿すら気づかず無邪気に笑う。大人ぶってみせる彼女の本質はまだまだ子供なのだ。
「お前が補充しとけよ? その水は水遊び用じゃないんだからな」
うん、バカみたいに遊んだ。予定してた装備の打ち合わせは一切進んでねえ。
部屋の外では、そんなひたすら遊び惚ける俺達を見下ろす一人の人間が立っていた。
「……あんた達、常識がないの?」
扉が全開になったまま黒髪の妖精族が「マジなにやってんの?」と、痛々しいモノを見る目で見ている。
この懐かしいアバターはリリエッタの『オーバーセンス』にいた頃のモノだ。日本人形みたいな黒髪に、シルフィと同じ妖精の羽が背中から生えている。
俺が新しい拠点を買うと話したときに、渡すものがあるからと言われてこの場所を教えていたのだ。
そんなわけで来ることが分かってたトモエのことを、すっかり忘れていた俺たち。改めて自分の状況を確認すると、成人指定が必要なぐらいきわどい。ここにいたのがトモエ一人だったのが幸運だったと思えるほどに。
「トモエこそ、どうやってここに入ったんだよ」
アウラに渡されたタオルで頭を拭きながら、勝手に私有地へ入ってきたトモエに聞いた。それに答えたのはトモエではなく、アウラだ。
「わらわが許可を出しておいたぞ?」
「気が利いてますね、お子ちゃまAI」
水か汗か分からないほどびしょ濡れになった服と部屋に浄化魔法を使い、一瞬で元通りにする。許可を出す前に一言言ってくれれば、トモエに見られず誤魔化せたってのに……。
それからイベントが始まるまで現実時間で一週間ほど、妹を含むステラの連中が襲撃してくる中。なんとか必要な装備を作り終えて、俺とアウラはその日を迎えた。




