#4
「うみゃあ……そんなぁ……」
「クッ……! 何で……!」
金属質な銀の皮膚。嘴の如く鋭利に伸びる口。背部の突起より滴る溶岩。
爆裂する凶暴な咆哮に、祭祀場全体が恐怖に鳴動する。
この幻想世界に突如として出現した生命を越えた生命――怪獣には魔物のようにクラス分けされた危険度は存在しない。
全ての種が最大の危険であり、遭遇はほぼ死を意味するからだ。
そして、いま、ユウとナルムの前に立ち塞がる怪獣のような十数メートルのサイズでも、分類としては小型、あるいは幼体と判断される。
地底暴獣ジランヴァ。
己の餌となる幻想種の匂いに誘われたのか、地底を自らの根城とするソレは、地底を掘り進み、この祭祀場に姿を現した。
成体の平均体長はおおよそ三十メートルである事から、この個体は幼体と推測される。
そして、小型の幼体であるが故に、祭祀場という限定された空間にその全身を出現させる事が出来たのだと考えられる。だけど、
(怪獣は、祭祀場に在る神幻金属を嫌っているって聞いていたのに……)
そもそも怪獣が”双美人の祭祀場”に出現するという前提が存在していなかった。
幻想世界の幻想と秩序を喰い荒す怪獣への対抗手段である、”転生者”の聖域に怪獣が踏み込んできたという前例はユウが知る限り存在しない。
言うなれば例外中の例外。
まさか、それに自分達が遭遇するなんて――。
グローブに血が滲む程に五指を握り締め、ユウは成すべき事を、やらねばならぬ事を決意する。
「……ナルム、詠唱を頼む。君は必ず無事に帰るんだよ」
「ユ、ユウ……?」
ユウが矢入れから取り出した二本の矢を、目の前に翳すと同時に、ユウの体はみるみるうちに鉄色に染まり、幾層にも重ねられた魔力の壁が、ユウの防御力を数十倍に跳ね上げる。
「鋼鉄化と防御力向上の重ね掛け……! 詠唱の時間だけ耐えられれば、僕たちの……勝ちだッ!」
「ユウ……! ユウゥ……!」
自らを生贄にするように、ジランヴァに正面から飛び込んだ親友に、ナルムは大粒の涙を零して絶叫する。
だけど、このケモノ人の少年も、自分が成すべき事、やらねばならぬ事を理解していた。
ここで振り向くわけにはいかなかった。
「な、汝は竜! 竜を殺す竜……! 幻想より雄弁な現世より招かれ、幻想の中に生を得た益荒男なり……!」
もしもの時のために、一生懸命に覚えた詠唱を、ナルムは必死に吐き出し、”転生者”を呼ぶ。
素早く詠唱を終えられれば、親友の生命を救う事が出来る……!
もっと、もっと早く……!
【――――――――――――――――――――――――――――――――――ッ!!!!!!!】
「うみゃ……!?」
だが、悪辣なる地底暴獣は、二人が想像する以上に狡猾で凶悪であった。
硬く、喰うのが面倒な獲物より、柔らかく瑞々しい生命を、ジランヴァは求めた。
ジランヴァが石畳を一踏みした衝撃で、ナルムの体は宙に舞い上がり、祭壇の近くまで吹き飛ばされる。
舌なめずりするように低く吼えると、ジランヴァはゆっくりとその巨躯を、ナルムと祭壇に置かれた卵の如き球体へと向かわせる。
「ナルム……! くっそおおおおっ!」
ユウの突進は、ジランヴァの軽い尻尾の一振りで阻まれ、ユウの体は双美人の像にしたたかに打ち付けられていた。
防御力を数十倍に強化しているにも関わらず、その痛みは呼吸が出来ない程に激しかった。
「な、汝は竜。竜を、殺す竜……」
「ナ、ナルム……」
だが、全身を蝕む痛みに耐えながら、必死に詠唱を再構築するナルムの姿が、ユウの体に奮い立つような勇気を与えていた。
彼だけは、彼だけは絶対に村に帰してあげなきゃ。
悲壮な決意が、青年に再び機銃弓を握らせていた。
「幻想より雄弁な現世より――うみゃっ!?」
嬲るように、ナルムを転がす地底暴獣に向け、ユウは機銃弓の制御弁を引き抜き、構える。
発動するのは、完全に自分の技量を越えた呪文――。
「喰らえッ!! ”零獄轟嵐”……ッ!!」
【――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――ッ!!】
”な……!?”
示されたのは、驚愕と敗北。
機銃弓から放たれた最大の氷結呪文は、ジランヴァの大きく開かれた口から放射された火炎によって相殺され、大きな水蒸気爆発となって、ユウの体を遥か後方まで吹き飛ばしていた。
限界を越えた機銃弓は破損・融解し、水蒸気爆発の衝撃で、ユウは完全に気を失ってしまっていた。
「う、うぅ……ユウ……」
自分を助けようとした親友の行動を背に、ナルムはその腹腔から詠唱に必要な息を絞り出す。
全身が、肺が咽返るように痛い。けれど、
「な、汝は……」
【――――――――――――――――――――――――――――――――ッ!!!!】
諦めず詠唱を続けようとするナルムを、ジランヴァの前足が小突き、石畳の上をゴロゴロと転がす。
幼体故か、ジランヴァの嗜虐的な思考には幼児性があった。それ故に残虐であった。
「く……うう……ちくしょおお……」
悔しくて、悔しくて、涙が出る。
こんなのが、こんなのがもし村に行ったら、村が滅茶苦茶になっちまう。
オイラの大事なものが、全部、滅茶苦茶にされちまう。
つぶらな瞳に大粒の涙を浮かべながら、ナルムは”転生者”の肉体が収められている卵の如き球体へと手を伸ばす。
「うみゃう……!?」
ジランヴァに激しく宙に跳ね飛ばされ、石畳の上に叩き付けられたナルムのポケットから、大事な宝物がこぼれる。――それは、ナルムがもっと小さな時に描いた”母ちゃんの絵”。
「村は、村はぜってえに、ぜってえに、守らなきゃいけねぇんだ……」
あそこには、めっちゃ叱るけど、めっちゃ優しい人達がいて、いまはもう会えない優しい生命の記憶がある。
たくさんの、たくさんの失えないものがあるんだ。
だから、この世界がどんなに残酷でも、
「オイらから……母ちゃんの思い出まで奪わないでくれよぉぉぉぉぉ……っ!」
幼い命が、絶望の中で響かせる魂の慟哭。
その慟哭を嘲笑うかのように持ち上げられたジランヴァの前脚が、咆哮とともに振り下ろされる――!
そして、
「うみゃ……!?」
【ーーーーーーッ!?】
奇蹟は、起きる。
ナルムの慟哭は、死せる幻想世界に、神話を呼び起こす。
祭壇に奉られていた卵が、その殻を割り、眩い黄金の光を放っていた。
卵の内部に収められていた人形は、ナルムへと躍動したジランヴァの前脚を片腕で受け止め、悠然とそこに立っていた。
黄金の粒子が、まるで祝福のように祭祀場全体に満ちる――。
【―――――ッ!? ッ!?】
「呼んだのは……お前か?」
「う、うみゃ……?」
響いたのは、驚く程に静かな、落ち着いた声だった。
阻まれた自らの暴虐にいきり立つジランヴァを一瞥すると、現れた人形――"転生者"はジランヴァの巨体を軽々と持ち上げ、空いている右の拳を固める。
「……飛んでけ」
【…………ッ!?】
貫く衝撃……!
次の瞬間、素っ気なく躍動した握り拳が、ジランヴァの顎を撃ち抜き、その巨体を天高く舞い上がらせていた。
天井をぶち抜き、上層階に叩き込まれたジランヴァの低い呻きが祭祀場に響き渡る。
「う、うみゃあ……」
神秘に浸された驚愕が、心を射抜く。
現れた存在の神々しさと激しさに、目を白黒とさせるナルムの視界に映されたのは、一糸まとわぬ、引き締まった肉体の青年とサラリと揺れる黒髪――。
その黒髪の中にある神秘の象徴。
「”尖り耳”……」
それは、既に絶滅し、世界にその痕跡のみを残す妖精の一族の証。
まだ、あどけなさの残る若い顔立ちをした”転生者”は、死せる幻想世界に、滅びた神秘を纏い、その”生”を目覚めさせていた。
こうして、物語は始まる。
幻想を喰い荒らし、秩序を踏み潰す絶望と、現世から黄泉を渡り、幻想の中に生を得た大英雄ども。そして、名も無きもの達の戦いは、いま鮮やかに幕を開けようとしていた。