#31 悠久の縁(後編)
「ぴゃーっ! やっぱり婆ちゃの煮付けはうめーです!」
「うん、本当に旨い……」
食卓に響くのは、喜びに咽ぶ、明朗快活な少女の声。
食卓に置かれた魔魚の煮付けに舌鼓を打ちながら、ナナシたちはこの奇妙な、”幻想的“な状況を各々、享受していた。
漂う光に導かれて、ナナシたちが辿り着いたのは、雄々しく天空を突き抜ける大樹の中に造られた“家”だった。
その、”天空を突き抜ける“という表現は比喩ではない。
ナナシの“転生者”としての視力を持ってしても、実際に大樹の頭頂部を視認する事は出来なかった。
この大樹、そして、この森は正しく、幻想世界に息づく”幻想“の一つ、極みと言える。
その大樹の幹を刳り貫いて建造したような家は、内部に入ってみれば、拍子抜けする程に普通の家屋だった。
“素朴”と言ってもよい、人が暮らしを紡ぐ温もりのようなものが、此の場所には感じられる――。
「風呂も準備できてるよ。まったく……こんな土まみれになりおってからに」
「ん〜!」
桜色の老婆に、埃を払うようにポンポンと頭を叩かれて、少女は煮付けを口いっぱいに頬張ったまま、口を尖らせる。
そのまま、勢いよく煮付けをたいらげた少女は、舌鼓を打っているナナシたちに顔を向け、にっぱりと笑顔を浮かべていた。
「色々ありがとうございました! わたし、ソラっていいます!」
快活に告げる少女のえくぼが、ナナシたちの瞳に眩しく映える。その名の通り、太陽が輝く青空のような、清々しい、澄んだ笑顔だった。
「ソラ、か。いい名前だな。俺は、ナナシ。ナナシだ」
「ななし――名無し……? ナナシさんですか?」
ナナシの言葉に、ソラは不思議そうに首を傾けていたが、やがて、幾ばくかの納得を得たのか、うんうんと頷いていた。
桜色の老婆が用意した茶のようなものを、気持ちよさように喉へ流し込むと、少女は勢い良く立ち上がり、椅子にかけられていたタオルを手に取る。
「さぁ! お腹ふくれたので、お風呂です! 黒聖樹で出来たお風呂はきもちいーですよ!」
快活に笑顔を咲かせるやいなや、ソラはパタパタと風呂場へと駆けてゆく。
その背中を見送ると、ユウは唖然とした顔を、ナナシとナルムへと向けていた。
「黒聖樹……魔術師用の杖の素材となる希少な樹木だね。黒聖樹製の杖は、買えば100万はくだらない上に、所持自体が1級の術師の証明とされる代物だよ。それを、お風呂に――」
“幻想”の釣瓶打ちに、頭を抱えたユウを、ナルムの肉球がよしよしと撫でる。元冒険者のユウから見て、この状況はあまりに常軌を逸していた。
そして、
「しかし……“尖り耳”とはね。孫娘の恩人とはいえ、正直――厄介な客人と言わざるを得ないね」
「……!」
ソラが風呂に離席した事を確認し、桜色の老婆は、若干、険のある声音で言葉を紡いでいた。
その目は、フードに隠されているはずのナナシの耳を凝視しており、畏れと忌避が入り混じったような、複雑な光を宿していた。
そんな老婆の物言いと剣呑な空気に、ナルムはたまらず椅子から飛び降り、強く抗議する――。
「ぜ、全然、厄介じゃねぇみゃ! ナナシは“破滅の凶事”をやっつけた、正真正銘の勇者みゃ! 馬鹿にすると許さねぇみゃ!」
「……噂話は聞いてるよ。だが、アレが復活したのも“そいつのせい”かもしれないんだよ。そう――“あの時”の顛末から考えれば、その方が“筋が通る”のさ」
だが、老婆は動じる事なくナナシの顔を観察。手にした杖で、ナナシのフードを遠慮なく剥いでいた。
露わになった“尖り耳”に、老婆の喉奥から漏れた嘆息は、何処か物憂げな響きを孕んでいた。
「“あの時”……って何かご存知なんですか? “破滅の凶事”と“尖り耳”の事」
そして、老婆の暴挙に、ユウもまた立ち上がり、その口を開いていた。
ユウの優しい面立ちの中、確かに満ちる憤りを真摯に受け止めたのか、老婆もまた姿勢を正し、話す彼へと向き直る――。
「気にはなっていたんです。エルフはゼルメキウスに滅ぼされた。けれど、そのゼルメキウスも当時、エルフの作った切っ掛けによって斃されたとされている。両者の存亡にどのような因果関係があったのか、伝承には詳しく残されていない――」
老婆の放言に戸惑うナナシの顔を一瞥し、ユウは言葉を続ける。
「“自分の正体”に悩む友達のためにも、僕は真実が知りたい」
「ユウ……」
友人に無礼を吐いた以上、しっかりとそれは答えてもらう。――固い意志が、告げるユウの双眸に満ちていた。
老婆も、その意志を受け止めたのか、長い溜め息を吐くと、手にしていた杖を置き、口を開く。
「……ご存知も何も私は“当事者”さ。“あの戦い”には、小娘だった私も参加していたんだからね」
「え……?」
“えええええええっ!?”
老婆からの予期せぬ言葉に、三人の思考が一時停止し、続いて雷のような驚愕が脳髄を貫いていた。
――言ってみれば、伝承・知識以上の“経験”を、この老婆は有しているのだ。
「ちょっ……それどういう事――」
自分の根幹に関わるであろう“当時者”の登場。その驚愕に勢い良く立ち上がったナナシに押され、転がった椅子が近くの本棚へとぶつかる――。
その衝撃に、収納されていた、何冊かの魔導書が落下し、パラパラと面妖な中身を広げていた。そして――、
「な……?」
開かれた魔導書の文字が、光と共に室内に乱舞し、やがて一つの映像を形作る。
映し出されたのは、絢爛だが、纏う者の気品なのか、落ち着いた印象を覚える装束に身を包んだ女性――。
その黄金の髪の隙間から覗くのは、紛れもない“尖り耳”であった。
「あ……」
その女性を目にした瞬間、ナナシの瞳から理由なき雫が、静かに零れ落ちていた。
――何故かはわからない。だが、その瞬間、ナナシの胸は言いようのない感情に掻き毟られ、言葉を発する事すら困難となっていた。
(俺は、この女性を知ってる……?)
言葉にならぬ、その邂逅は悠久の縁。
それは、“自分の知らない自分”との出逢いでもあった。




