#30 悠久の縁《前編》
「大……」
「魔法使い……?」
突然、頭上に現れた光球――その中に潜む”幻想“が告げた言葉に、ナナシたちの喉が上擦った声を奏でていた。
球体の中でナナシたちを見下ろすのは、荘厳なローブを纏った、鼠のようでもあり、蜥蜴のようでもある、小柄な、“桜色の老婆”――。
ナナシが”制裁“を息巻いていた、”彼等を森に閉じ込めた“張本人でもあるが、ナナシはその身体をピクリと動かす事も出来なかった。
――それほどの“格”のようなものが、光球から、気配として周囲に伝播しているのだ。
しかし、
「こら〜! ばあちゃ〜!」
そのような“大幻想”に臆する事なく、少女はプンスカとその愛らしい声を響かせる。
「ばあちゃのグルグルの術のせいで、旅の皆さんにしこたま怒られました! ゆるせねーです!」
「……おやおや迷子の常習犯が、ずいぶん生意気な口をきくじゃないか」
少女の抗議に、老婆の目線が動き、ナナシたちも緊張を解かれたように、頬を紅潮とさせる少女へと視線を移していた。
“大幻想”の”圧“は、変わらず空間を漂っていたが、老婆の声帯を震わせた感情の色は、どこか少女との近しい関係性を想起させた。
「道わかるもん!お菓子屋さん、いけるもん!」
「まったく――その道しかしらんじゃろ、お前は……」
桜色の老婆は”やれやれ“と溜息を吐くと、手にしていた杖で、疲労感に重くなった肩をポンポンと叩く。
その仕草と言い草に、少女は地団駄を踏み、頭から湯気を噴き出していた。
「むっかぁ~! 頭キタです! 絶対に帰ってやんねーです!」
「そうかい、今日はアンタが好きな川魚の煮付けをこさえてたんだがね。その様子じゃあ、獣の餌――」
老婆がすべてを言い終わる前に、少女の脚は陸上選手もかくやという美しいフォームで帰宅を開始していた。
不思議な事に、草花が少女の脚を避けるように道を形作り、迷いの森に、少女が進むべき明確な“帰路”を描き出していた。
あ然と、その現象と、小さくなる背を見送るナナシたちに、老婆は大仰な溜息とともに言葉を送る。
「……アンタたちには、迷惑かけたね。御覧のとおり、あの娘はおばかな聞かん坊でね。おかげで、私は苦労のし通しさね」
”術の耄碌も酷くなる訳だ“。
淡々と告げながら、老婆は憐れな旅人たちの顔を一人ずつ観察。
――ナナシの“耳”に、その視線を止める。
自身を観察する目線に、ナナシの“尖り耳”がピクリと動くのを確認し、老婆は腹腔から、どこか物憂げな息を吐き出していた。
「ふぅん……存外、耄碌だけが原因じゃないかもね。まぁいいさ、巻き込んだ詫びと、あの娘の面倒見てくれた礼はさせてもらうよ――」
「……!」
光球の中で、老婆がわずかに杖を持ち上げると同時に、ナナシたちの前に、光る道標のようなものがフワフワと浮かび上がっていた。
それらはナナシたちを導くように、七色の光を放ちながら浮遊――。
彼等が進むべき道を照らしていた。
「余所者にとっちゃ、この森の夜はそれなりに物騒だよ。死にたくなけりゃ、その“灯”に付いてきな――」
「ナナシ……」
促すように視線を送るユウに頷き、ナナシは七色の”灯“へと、その足を踏み出す。
老婆が語る通り、夜の帳が下り始めた森には、剣呑な気配が満ち始めており、野宿や強行突破も利口な選択肢とは言えない状況になりつつあった。
多少の足止めは食うが、この招待にあやかる事が最善策とナナシは判断。
一行は“大幻想”の住処へと、恐る恐るその足を踏み出していた。




