#29 幻想(みち)との遭遇
「ふわー! 1日ぶりのご飯美味しいですー!」
大樹の枝、その隙間から差し込む陽射しを浴びながら、果実をほおばる少女の笑顔が眩く輝く。
そこにあるのは、蒼天のような清々しさ。
その身の丈には合わなそうな杖を使いこなし、“魔法”と思しき奇蹟を見せた少女は、天真爛漫な笑顔を浮かべて、空っぽだったお腹を満たしていた。
その満面に“幸せです”と書いてあるような表情は、ナナシ達を和ませ、数分前の奇蹟の衝撃を僅かに和らげていた。
「ばあちゃが“木の実は危ないから食べるな!”って言ってましたけど、甘くて美味しいですねぇ! 感激しました!」
「ナルムのおかげだよ。彼のケモノ人としての嗅覚は、食べられない果実と食べられる果実を嗅ぎ分ける事が出来る。ちょうど“食べ頃”の実もね」
ユウの解説に、うんうんと頷いた少女は、大きく口を開けて、ふたたび果実に齧り付く。
――しっかり熟した、“もがれたがっている”実を識別出来るケモノ人の鼻は、瑞々しく甘露な果実を、過酷な旅路にもたらしてくれる。
果実や食料だけではない。この森に入る前にも、ナルムの嗅覚は、危険の察知など、様々な恩恵をナナシ達に与えてくれた。
旅立つ者にケモノ人を一人付けるという風習は、ただの伝統でなく、実益に沿った習わしなのだと、ナナシは感心し、同時に感謝していた。そして、
「うみゃああ……! 穫ったみゃああ!」
「おおお……!?」
衣服を脱ぎ捨て、川の中に潜っていたナルムが大魚を抱えて飛び出してくる。
ナルムの腕の中で、ビチビチと跳ねるそれは、肉付きも体格も良く、得難い“上物”なのは確かだった。
「チャケガマス! 問題なく食べられる魚類の魔物だよ! 毒もなく、その鱗は秘薬の調合用素材としても重宝されてるんだ」
「わー! すごい! すごいですぅ! こんなビチビチしてるの初めて見ましたー!」
ナルムの腕の中で水しぶきを飛ばすチャゲガマスを、ツンツンとつつきながら、少女は丸い瞳をより大きくして、きらきらと輝かせる。
「あ! ナルムさん、こっちにも大っきいのがいますよ!」
「いんや、食べる以上にとりすぎちゃいけねぇみゃ。“オイラ達が森にとっての怪獣にならねぇように”って母ちゃんの教えなんみゃ」
「な、なるほど……!」
ナルムが語ったのは、太古から伝わるケモノ人たちの”伝統“であり、自然とともに生きる”誇り“でもあった。
”うんうん“と感心しきりの少女に、果実塗れの口元を拭う布を手渡しながら、ユウは自身の感想を述べる。
「そう。彼等、ケモノ人の在り方は、この“幻想世界”と語り合い、共に生きる事なんだ。――もしかしたら。君の”魔法“と近しいのかもしれないね」
「まほーと……そうかも! そうかもしれねーですね!」
「………」
やはりというべきか。
“探り”に近い自分の言葉にも、無邪気に笑う少女の姿に、”魔法“という大幻想の片鱗を見る事は出来なかった。
それは、魔法が、彼女にとっては日常に過ぎない事の、一つの証明であったかもしれない――。
少女の健やかな笑みの陰で、ユウの胸を、一抹の不安が過っていた。
「ふわーお魚も美味しいですねぇ。このスパイスくせになりそうです!」
「母ちゃんが調合した特別製みゃからな。味もうめえけど、旅の疲れをとる効果も抜群なんみゃ!」
「……ほんとにクセになるな、コレ。怪しい粉とか入ってない?」
「こりゃナナシぃ!」
日が翳り、夜の帳が降り始めた森の中、一行は川辺に腰を下ろし、焚き木の火を囲んでいた。
ナルムの腰に提げられた、ケモノ人伝来の“万能袋”には、ポケットごとに塩や砂糖、スパイス等が詰まっており、野営での調理で日々、八面六臂の活躍を見せていた。
各町の宿屋では、ケモノ人が持つ、この万能袋の補充も行っており、各地の名産スパイスをその都度加える事で、各ケモノ人の旅の軌跡に沿った、独自の調合が出来上がる。
故に、いま、ナルムの万能袋に詰められたものは、ナルムの母親の旅、生の軌跡そのものと言えるものだ。
これからは、そこにナルムの軌跡が合流する事となる。
「しかし……この森の脱出方法も考えないとな。腹はふくれても、前に進めなきゃどうにもならん」
皿代わりの大葉に乗せられた魚の身を、口に頬張りながら、ナナシは自分たちを取り囲む深林へと、目線を送る。
川辺への移動は難なく出来たが、ひとたび森の中を進もうとすれば、例の大樹が、たちまち自分たちの視界、行動範囲を占拠してしまう。
川辺から正道を見極めようと目を凝らしても、幻術の効果か、視覚が無意識に大樹を捉えてしまい、どうする事もできなかった。
「……術者に会わないといけないね。事情を聞いて交渉しないと」
「交渉〜? そりゃちょいと下手に出過ぎとちゃうか、ユウくん」
自分の言葉に肩を竦め、面倒そうに舌を出すナナシに、ユウは大きな溜息とともに応える。
「こっちが“禁域”に足を踏み入れた可能性もあるって言ったろ。下手をすれば、”双女神“の加護を、“幻想世界”を旅する資格を失うよ」
「むぅ……」
ユウの真剣な面持ちに、ナナシも粗雑な思考を引っ込めざるを得なかった。
――姿を見せぬ、正体不明の術者。
怪獣や魔物のように、“転生者”の力で”殴って終わり“ではないぶん、ナナシにとっては非常に難儀な相手であるのかもしれない。
だが、
「ん〜よくわかりませんけど、もしかして、ばあちゃの術の話ですか??」
「「は?」」
予期せぬ口から飛び出た、予期せぬ情報に、ナナシとユウの首か同時に動く。
情報源である少女は、その視線を賞賛と勘違いしたのか、えへんと胸を張って言葉を続ける。
「ばあちゃ、私が家を出るとすぐグルグルの術で森を塞いじゃうんです! ”外“で悪い目に会わないようにって。失礼な! 私だって隣町で買い食いぐらいできます!」
「お前を”外“に出さないために、ばあちゃ……お前の婆ちゃんが?」
発生しそうな頭痛を抑制するように、こめこみを揉みほぐしながら口を挟んだナナシに、少女は満面の笑みで応える。
「はい! ばあちゃは伝説の大魔法使いで、すごくて! うるせーんです! 喧嘩した腹いせに家出したらこんな事に……」
“うみゃあぁ……”。
呆気なく白状された真相に、魚を頬張っていたナルムの口から、驚き半分、呆れ半分の息が零れていた。
そして、聞き得た情報を咀嚼するように、ナナシは、うんうんと頷きながら、大きく息を吸い込む――。
「じゃあ、やっばりこの状況はお前のせいかー!」
「わー! ご、ごめんなさーい!」
自分の小さな頭をわしゃわしゃとしながら叫ぶナナシに、少女はつぶらな瞳をくの字にして逃走! ユウの背に隠れていた。
怯えた少女は、うぅ〜とナナシを睨みながら、焼き魚をハグハグと頬張る。
「ユウ! 禁域が聞いて呆れるぞ! 真相は家出娘の家庭内のゴタゴタだ!」
「う、うん……でも大魔法使いって――」
(それは――私の事さね)
「「……!?」」
――またしても響いた、予期せぬ声に、ナナシとユウの首が、同時に天を仰ぐ。
2人の目線の先には、満月のような眩い球体が浮かんでおり、声は、そこから響き渡っていた。
(やれやれ……私も随分と耄碌したね。森を閉じたつもりが、厄介な客人が紛れちまったみたいだ)
「あ、アンタは――」
声音に宿る凄みに息を飲みながら、訊ねるナナシに、声は球体にうっすらと浮かぶシルエットとともに、応える。
「私は旧くより生きる大魔法使い”ラグザ・トワ“――通り名をサクラという、その娘の婆ばさね」
「なっ……」
ナナシも、ユウも、ナルムも一様に言葉を失う。
球体の中でナナシたちを見下ろしていたのは、荘厳なローブを纏った、鼠のようでもあり、蜥蜴のようでもある、小柄な、“桜色の老婆”であった。
――其れこそが、ナナシたちが進むべき道と、出逢うべき幻想の容貌。
結ばれた奇縁の容貌、そのものであった。




