#27 祭りの後、旅は始まる
「肉も魚も遠慮なく使え! 酒は樽ごと運べ! 生涯目にする事のない量のご馳走を広場に用意するんだ! なにせ世界は今日……救われたんだからな!」
感極まった村の仕切り役、ダンクの大声が村中に轟く。
ゼルメキウスという禍が去った村は、朝陽と共に、安堵と勝利の喝采に満ち満ちていた。
「花が咲いたら嬉しかろ♪ 竜が飛んでも嬉しかろ♪ 笑お笑お、御伽話の朝が来る♪」
村に伝わる祭囃子が明るく響く。
不安と恐怖に覆われた夜は終わり、笑顔と喜びに溢れた“祝祭”がいま、始まろうとしていた。
避難所に運び込まれていた食料は、そのまま祝祭の酒宴、そのご馳走の材料となる見込みだ。
そして――、
「……ホントに行っちまうのか、おっさん。祭も始まるってのに」
破滅の凶事が消滅し、絶望が反転した眩い希望の朝――誰もが喜びにキラキラと輝く朝に、村を立ち去ろうとしている者達がいた。
背中にかけられた、名残惜しげなナナシの声に、マクソンは軍服の襟を正し、振り返る。
「君がゼルメキウスを斃した事で、我々の任務は終わった。事後処理のために数名は残すが、こんな大所帯、村にとっては邪魔だろうからな」
「……そこは“俺達が斃した”って言えよ」
文字通り生命を賭けて村を、世界を護りながら、律儀に嫌われ者として去ろうとする軍人達に、ナナシは不満気に呟く。
事実、今回のゼルメキウスの討伐は、自分一人の力で成し遂げたものではい。
むしろ、一人の犠牲者も出す事なく事態を収束させる事が出来たのは、迅速に、厳格に住民の避難誘導や警護を行ったマクソン達の功績であるところが大きい。
「うみゃあ〜世界を救った後のお祭なんて滅多にないんみゃ! おっちゃん達もしっかりご馳走食ってくみゃ!」
なのに、他人事のように立ち去ろうとするマクソンのズボンを掴み、ナルムはみゃあみゃあと抗議する。
そのナルムの頭をポンと叩き、マクソンは穏やかな、大人の声を響かせる。
「ありがとう少年。君達の気持ちは有り難いが、我々の仕事は終わっていない。むしろ、これから本番となる部分も大きいのでな――」
「……? ゼルメキウスを斃したのに、ですか?」
ナルムを引き剥がしながら尋ねたユウに、マクソンは頷くと、神妙な面持ちで言葉を続ける。
「“破滅の凶事”という名は、破滅をもたらす生物単体を指すのではなく、その誕生に伴う災禍全体を指しているとの伝承がある。故に、此度の事は終わりでなく始まり――そう解釈する事も出来る」
「うみゃ……!?」
「まだ、何か起きる……って言うんですか!!」
驚愕に表情を歪ませたユウとナルムを落ち着かせるように、マクソンは二人の前に手を翳す。
「――この“幻想世界”の大地に、大海に潜む大怪獣達。それらがゼルメキウスの誕生を切っ掛けに行動を活発化する可能性は大いにある。……事実、此度の戦闘の中、ゼルメキウスの“滅尽の蒼”が大型の怪獣を誘引・活性化させていたからな。我々アストリア国は水面下でその対処も進めてきた」
「あ……」
ユウの脳裏に、以前耳にした“アストリア国が対怪獣用組織の設立を進めている”という、噂が蘇る。
世界は、自分達が思っているよりも激しく、早く、変化を始めようとしているのかもしれない――。
「だが、安心したまえ。事前の調査でこの付近に対処不可能な大怪獣の潜伏は確認されていない。唯一、確認されていた小型の幼体も別の場所に生息領域を移したようだ」
そう告げて、マクソンはニヤリと笑む。
「これも君の仕業かな、転生者」
「……どうだろうな。まぁ怪獣をぶっ倒すのが俺の、転生者の役目、だしな」
傍らに立つユウとナルムからも賞賛の眼差しを贈られて、ナナシは少し照れ臭そうに頬を掻く。
「これからどうする、転生者。今後のアテはあるのか?」
「……」
尋ねられて、ナナシはすぐに答えが出なかった。……考えていなかったわけじゃない。
けど、自分がどうしたいのか、どうするべきなのか、ナナシ自身、まだわかりかねていた。
(俺、は……)
泳いだナナシの目線が、足元の水溜り、その水面に映された己が顔を見つめる。
――ゼルメキウスの討滅後、ナナシの容姿には変容が生じていた。
黒髪の一部が赤く染まり、黄金色に変色した瞳は金色の円輪を描いていた。
ゼルメキウスを斬った、神幻金属の日本刀は、徐々に膨張を続け、その九つに分かたれた刃が鞘を突き破ってしまっている。
……自分が、世界から“浮いている”ような感覚が、より増し増しとなっていた。
(……なんなんだ、俺は“誰”なんだ)
今後の事なんて、わかるはずもない。
何しろ、自分自身が何者かすらわからないのだ。
“転生者”。“尖り耳”。“神意鎧装”。
表情には出さないが、自分自身とされる大仰な情報と大き過ぎる異能にナナシ自身、溺れそうになっていた。
――ゼルメキウスを斃したいま、自分の目的も、行き先も、完全に白紙だった。
(……)
どうするべきか――このまま、村に留まっていいとも思えなかった。
たぶん、この小さな村に、自分という“異物”は大き過ぎる……そんな不安――いや“確信”があった。
渦巻く葛藤が、ナナシの瞳を僅かに曇らせる――。
「……何なら、私達と来て欲しいぐらいだが、君のような男を我々と同じ軍属のしがらみに落とすのは、どうも気が引けるな」
その葛藤を察したのか、マクソンは穏やかに告げ、軍服から取り出した一枚の紙を、ナナシへと手渡す。
「……ナナシ、“猿の翁”に会いたまえ」
「猿の、翁……?」
吸い込まれるように、ナナシの視線が紙面へと落とされる。
マクソンが手渡した紙には、猿の面を被った巨漢の絵と、その巨漢にまつわる情報が、“幻想世界”の言語で記されていた。
一文一文を、注意深く読み進める。
……そのどれもが、目を疑うような内容ばかりであった。
「この“幻想世界”における最大の戦力――転生者“組合”の長だ。ユウ君が報告してくれたが、彼の手の者が、此度の戦闘に参加していた。――恐らく、君の情報も手にしているだろう。遅かれ早かれ、彼は君との接触を試みる」
「……この紙に書いてる内容が事実なら、ゼルメキウスよりヤベーやつに思えるな、コイツ……」
記されている情報は巨漢……“猿の翁”の戦績、怪獣の討滅数が主である。そして、その数も、内容も、とても一人の転生者に成し遂げられるようなものではなかった。
彼が長を務める“組合”全体の戦績となると、もはや夢物語のような数値がそこに記されている。
「信じ難い事に、全ての数値は正確だ。そして、“組合”は怪獣の討滅の代償に、国が傾く程の報酬を要求する。事実、このアストリア国もゼルメキウス討滅に際し、目玉が飛び出るような額を提示されたものだ。幸い、払わずには済んだがな」
そう言って、マクソンは恩人を賞賛するように、後押しするようにナナシの背を叩く。
だが、ナナシの表情は複雑である。
「……やっぱりヤベー奴じゃねーか。大丈夫かよ、そんな奴に会って――」
「フッ……だが、不思議と、それで“実際に傾いた”国はないのだ。それどころか、より豊かとなった国も少なくない。此度も結局無償で動いてみせている。……読みきれぬ男だ。その男を、是非とも、君の目で見極めてもらいたいのだ」
「おっさん……」
マクソンの目には、信頼があった。
世界を救うための死線を共に乗り越え、勇者と見込んだ男への熱い信頼。その信頼を持って、彼はナナシに“猿の翁”という怪物の見極めを託したのだ。
己を知らぬ、名もなき転生者には、その信頼が何より嬉しかった。
「……猿の翁か。まっ、新しいボスキャラとしてはいいんじゃねーの」
少し熱くなった目頭をさり気なく擦り、呟いたナナシは祭の準備が着々と進む村の様子を眺める。
――目的が決まったという事は、別離もまた近づいているという事だ。
だが、
「……僕も、僕も行くよ、ナナシ」
「……! ユ、ユウ?」
その感傷を断ち切るように、決意を述べたユウにナナシは目を丸くする。
そこにあったのは、数多の葛藤を振り切り、覚悟を決めた男の表情。
拳を固く握り、ナナシを真っ直ぐに見据えるユウの瞳には、固い決心と強い意思があった。
「“猿の翁”の使いに直接会ったのは僕だし、村を救った恩人で、この“幻想世界”をまだ知らない君を、一人で旅させるわけにはいかないよ。それに――」
一瞬、瞳を閉じたユウの脳裏に、忘れられぬ過去が閃く――。
(……バァカ、お前ぇに■の文字が背負えるかよ)
まだ記憶に鮮やかに焼き付いている血風。
“自分は、笑って逝った、あの人に報いる生き方が出来ているのだろうか”。
抱え続けてきた想いとともに、ユウは閉じた瞳を開く。
「この村に流れ着く前に、挫けてしまった事――君とならやり直せる、そんな気がするんだ」
「ユウ……」
再び開かれたユウの瞳は、既に冒険者のそれに変わっていた。
“危険だ”と拒もうとしたナナシの言葉を飲み込ませる程、ユウの瞳には有無を言わせぬ力があった。
――そして、ユウの同行が頼もしく、嬉しくないと言えば嘘になる。
ゼルメキウスとの戦いにおいても彼に生命を救われた。彼の冒険者としての経験と行動力、人間性、“旅の仲間”として彼以上の存在は稀有だろう。
「う、うみゃ……うみゃ?」
同時に、突然に降って湧いた別離の気配に、ナルムは、ユウとナナシの姿を交互に見上げていた。
……理解はしていた。
ナナシのような立派な転生者が、ユウのような冒険者が、ずっとこの小さな村にいてくれる事はないんだと、頭のどこかでわかってはいた。
だけど、寂しい。どうしようもなく。
つぶらな瞳を潤ませたナルムの心中を察してか、マクソンは太い腕で彼を抱き上げ、自らの肩へと乗せてみせる。
そのマクソンの優しさに、ナルムもグッと歯を食いしばり、嗚咽を堪えていた。
「……思い出すな、私も子供の頃、村を旅立つ勇者の背中を見送った。大きく、頼もしいその背中を」
眩いばかりの希望を放つ若者達を見つめ、感慨深くマクソンが呟く。
脳裏に蘇る情景に、目を細めるマクソンの肩からナルムを預かり、ナナシはその口を開く。
「へぇ……勇者か。やっぱり大した血筋のヤツなんだろうな。それか転生した大英雄か。“正体不明”の身としては羨ましい気もするな」
ナナシのその言葉は、自嘲気味ではあったが、純粋な興味でもあった。
勇者と呼ばれる人間がどういうヤツなのか、知りたかった。自分とどう違うのか、知りたかった。
自分という正体不明のハズレくじを引きながらも、自分を信じてくれたユウとナルム、マクソン達に報いるためにも。しかし、
「いや、それは違うぞ。ナナシ」
「え……?」
マクソンが口にする答えは、ナナシが想像したものとは異なっていた。
マクソンはナナシの肩に掌を乗せ、真摯な眼差しで告げる。
「生まれや名が人を救うのではない。その者の行いと勇気が人を救うのだ。私の村を旅立った勇者も、寂れた武器屋の三男坊。名声も何もなかったが、彼はその勇気で見事に村を救ってみせた。……私の永遠の憧れだよ」
記憶の中、鮮やかに蘇る、その背中に目を細め、マクソンは目の前の若者達へと言葉を贈る。
「――そうだ。勇者とはいつの日も、無名の勇気ある若者だった。君達のような。何も卑下する事はない。君達は君達のまま、真っ直ぐに進めばいい」
マクソンは固めた拳を、ナナシの胸に重ね、勇者を讃える雄々しい笑みを浮かべる。
「胸を張れ――絶望を斬るナナシよ」
「……!」
その時、熱い涙が一雫、ナナシの頬から流れ落ちた。
“正体不明のハズレくじ”に贈られたその笑みと言葉は、強く――熱く、ナナシの胸に響いた。
胸に灯ったのは、霧のように心を覆っていた不安を焼き尽くす焔。
それは新たな旅路へと踏み出す、大きな糧、力になる。
(勇、者……)
そして、ナルムは溢れる寂しさとは別に、どうしようもなく高鳴る、どうしようもなく熱くなる胸に戸惑いを覚えていた。
ユウとナナシと離れる寂しさより、マクソンの言葉を引き金に、不意に脳裏に浮かんだ冒険の情景――ナナシ達との冒険のイメージが、ナルムの胸を熱く焦がしていた。
絶対に楽な旅じゃない。
今回の戦いより辛い旅になるかもしれない。
けれど、
(ナナシ……)
彼のように、もっと強くなりたい。彼と、もっと一緒にいたい。抑えきれない熱が、熱い炎が、幼い少年の中で暴れ出していた。
――決心は、一瞬でついていたかもしれない。
「ではな、転生者。未来の勇者達よ。縁あらばまた会おう」
「ああ、色々ありがとな、おっさん……!」
湿った別離の時間の中、旅立ちを祝うような、爽やかな風が吹いていた。
共に戦った、若き勇者達の幸運を祈るように、マクソン達は敬礼の姿勢をとり、村を去る。
同時に、村の祭囃子に笛と太鼓の音色が絡み、祭の本格的な始まりを告げていた。そして――、
※※※
「考え直す気はないかね? ナナシさんも、ユウくんもずっとこの村にいてくれて構わない、いや、いて欲しい――それがこの村の総意なのだが」
「……気持ちは有り難くいただいておくよ。俺も帰ってくるなら、こんな村がいい。そう思ってる」
――旅立ちの朝。
村の仕切り役であるダンクは、ナナシの回答に顔をクシャクシャにして旅立つ二人をハグしていた。
見送りに集まった村人達の目には、一様に光るものがあり、旅立つユウがどれどけ村人達に愛されていたのかがわかった。
ユウも感極まり泣き出してしまわないよう、口を真一文字に結んでいた。
「……素直に泣いちまってもいいんだぞ、ユウ」
「いや、大事な、大事な村だから、笑って旅立ちたいんだ。僕の大事な」
しかし、言い遂げる前にユウは号泣していた。けれど、その口元には言葉通りの笑みがあった。
それは、この村への感謝と思い出の詰まった笑みだった。
「……名残惜しいが、旅立つ君達に村からの贈り物がある」
「……?」
ダンクが、ナナシ達にそう切り出した頃、旅支度を終え、大きなリュックを背負った少年は、生まれ育った家を見上げていた。
「この幻想世界には、旅立つ勇者に、優秀なケモノ人を一人付けるという伝統があってな。幸いな事に、昨晩一人立候補があった」
大事な、大事な母ちゃんの絵を家の扉に貼り、ナルムは泣きそうになる自分を噛み殺しながら、精一杯の元気な声で告げる。
「母ちゃん! 行ってきます!」
(いってらっしゃい)
風が母の声で応えた気がした。
思い出はいつでもここにある。
ナナシが守ってくれた、この村に。
だから、
「うみゃあ! ユウ! ナナシ〜!」
少年は明日へその足を踏み出し、旅立つ。
いまはまだ何者でもない、その小さな身体を躍動させて。
ACT-01:絶望の卵と無銘の勇者 END
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