#26 神意鎧装
「神意鎧装……無銘」
「神意、鎧装だと……!?」
美麗かつ雄壮な、眩い鎧装だった。
ナナシの口舌が紡いだ名と、その身が纏う鎧装に、マクソンの野太い声が、甲高く上擦る。
白と蒼に彩られた、この鎧装には、流線と鋭角で描かれた刃の如き鋭利さと、羽織袴のような雅な趣きがあった。
“神幻金属”で編まれた“布”という、奇妙にして優美な袖を鮮やかに振り、ナナシは八岐の刃を持つ日本刀を構える――。
「……片方は潰しちまったが、見てるんだろ、“破滅の凶事”」
黒の透過素材で鋳造されたバイザーの下で、ナナシの意思が、黄金の両眼となって発光する。
「これが、お前の末路だ――!」
【…………ッ!?】
――刹那、ゼルメキウスの乱杭歯の隙間から、悲鳴の如き金切り声が漏れ響いていた。
ナナシの意思が、八岐の刃とともに躍動した瞬間、“彼女”の“眼”を持ってしても捕捉出来ぬ一閃が、その巨脚を切り落としていた。
ゼルメキウスの思考は、混乱の極致にあった。
残された右眼が観測した、“神意鎧装”なる鎧のデータはまさしくデタラメだった。
全ての数値が、自らを遥かに凌駕し、“打つ手”を分析出来ずにいる。――恐怖と呼べるような、思考の揺らぎを、ゼルメキウスはいま初めて感知していた。
「す、すげぇ……神意鎧装って――」
「“転生者”の中でも極一部、この“幻想世界”の神に選ばれた者にのみ与えられる、神秘の鎧装……。本当の強者、勇者の鎧装だよ」
神幻金属製の輝装玉を呼び水に召喚された、ナナシの鎧装。それを憧憬に満ちた瞳で見つめるナルムに、ユウは感嘆と興奮を押し殺せぬ声で伝える。
――神意鎧装を手にする転生者など、数える程しかいない。そして、自分達が出迎え、出逢った彼が、その一人だったのだ。
その興奮と感動が、ユウの身体を芯から震わせる――。
「“転生者”……」
己自身が何者であるかわからず、喘ぐ生命が掴んだ、輝く神器。その雄姿に、マクソンも感慨を覚えていた。
例え、無銘であっても、その輝きは眩く、強く、美しい――。
【ナ、ナシ……ナナシ、ナナァ、シィイィ……ッッッ!!!!】
「……!」
憤怒と恐慌で紡がれる人語、屈辱に彩られた咆哮が轟く。
巨樹の如き脚を断たれた事で、泥の中へ無様に倒れ伏したゼルメキウスの巨躯が激しく蠕いていた。
続けて起きるは、醜悪なる事象。
砕けた外骨格から零れ出た内臓と思しき器官が、表皮と混ざり合いながら、禍々しい人型を作り出していた。
藻掻くように、体液の海から産まれ出たソレは、その口から超高音の“詠唱”を響かせる。
「ぬぅ……!? これは……!?」
「ナナシッ!!」
マクソンとユウが発する、ただならぬ声音に、ナナシはその場に生じた“術式”の気配から飛び退く。
“現実”が、その場にある物資ごと削り取られていた。
僅かな詠唱で、一定範囲の“世界そのもの”が砕かれ、消滅していた。
禁呪レベル――いや、そもそも、このような術式・呪文はこれまで、この“幻想世界”に存在しなかった。すなわち、
「この短時間で、新たな術式を編み出したというのか――!?」
マクソンの額から脂汗が噴き出す。窮地にあって、なおも進化を続ける怪物に、心底恐怖した。そして、
「打ち破れるか、“転生者”……!」
転生して1日も経たずに、神意を手にした転生者への信頼と憧憬が、その恐怖を勝利への確信に塗り替える……!
「当然だ、おっさん……!」
歯切れ良く応えた勇者の眼前で、ゼルメキウスの周囲の“世界”が弾け飛び始める。
それは、暴走に等しい暴虐。
己の周囲の“世界”を尽く弾き飛ばし、己自身を此処ではない何処かへ強引に転移させようとする、ゼルメキウスの形振り構わぬ足掻きである。
だが、こんな怪物を飛ばしていい世界など、存在しない――!
「神意……発動」
神意を纏うナナシの意思が、鎧装と同調した瞬間、鎧装に秘められた奇蹟が顕現する。
「“我が前に立ち塞がる者……すべからく無銘なり”ッ!」
鎧装に、赤く聖痕の如き紋様が浮かび上がるとともに、ナナシが構える八岐の刃が、神々しくも毒々しい“赤”の光を帯びる……!
――ナナシが大地を蹴った刹那、ゼルメキウスの残された右眼は、自らの終焉を直視する。
「ぶった斬れろ、災厄野郎……!」
ナナシの鎧装が閃光の如く駆け抜けた瞬間、ゼルメキウスが弾き飛ばした“世界”ごと、ゼルメキウスの巨躯は真っ二つに両断されていた。
これが、神意鎧装“無銘”に込められた神意にして神威。
相手がどのような異能で、己を強化・秘匿しようとも、必ずその本体を暴き出し、“無銘”とする力。
ゼルメキウスの術式で砕かれた世界は、ナナシの一閃で修復され、元の景色を取り戻していた。断たれたのは、標的であるゼルメキウスのみ。
――神意の前に立つ者を、逃さず真っ向から断つ、畏るべき勇者の一太刀である。
「や、やったみゃ……!」
「ナナシッ!」
鳴り響くゼルメキウスの断末魔に、ナルムとユウの表情に、安堵と歓喜が弾ける。そして、
「おお……オオォォォッ!」
【―――――――――ッ!?】
油断なくゼルメキウスの残骸を見下ろすナナシの全身から、並々ならね神気が迸り、それは巨大な拳となって、ゼルメキウスを塵一つ残さず叩き潰していた。
圧倒的、あまりに圧倒的な力。“転生者”の範疇を越えたものに思える、その異様なまでの力に、ナルムもユウも歓喜を忘れ、その口をあんぐりと開けていた。
……その力の代償か、ナナシの鎧装は静かに除装され、意識を失ったナナシの身体は力なく崩れ落ちる。
そのナナシの姿に、呆けていたナルムとユウは、一目散に彼へと駆け寄る。だが、
「ナナシ……ッ! あっ……!」
戦慄……! 倒れたナナシの傍ら、斬り落とされていたゼルメキウスの巨脚が翼を生やし、空高く舞い上がっていた。
“逃した……!” ユウが歯噛みした瞬間、空に一筋の光が走り、大きな爆発音が轟いていた。
「あ、あれは……」
その鮮やかな光に、ユウの脳裏にあの狐面の“転生者”の姿が過ぎる。――間違いない。あの九尾の大鎧が、災厄の退路を断ったのだ。という事は、
「終わった……! 終わったんだ……!」
「うみゃあああ〜!」
衝き上げる歓喜に、ユウが拳を突き上げた瞬間、ナルムは安堵と喜びに大泣きしていた。
災厄を、絶望を叩き斬った、無銘の勇者はいま静かに寝息を立てる――。
マクソンはその奮闘を称え、労うように彼の肩に大きな手を乗せると、生き残った部下達に整列を命じる。
「世界を救った勇者に、敬礼!」
夜が、開ける。




