#25 共鳴る光
(転生者……)
疲弊に膝をつき、荒い呼吸に喘ぐナナシの姿に、マクソンは息を呑み、その拳を握り締める。
――正に、“致命”の隙であった。
見逃すはずもなく、逃走を許すはずもなく、ゼルメキウスの巨脚が、大地を抉り、醜悪な粘液を滴らせる牙と角が、一気に躍動の気配を高めていた。そして、
「転生者ィッ!」
「んなっ……?」
予期せぬ方向から加えられた力に、ナナシの目が点となる……!
ゼルメキウスとの間に割入った、マクソンの豪腕がナナシの首根っこを掴み、強引に放り投げたのだ。
マクソン自身も回復した身体を跳躍させて身を躱し、ポケットから取り出した筒を放り投げる――。
【…………!】
筒から放出された噴煙が、ゼルメキウスの視界を塞ぎ、巨脚の前進を阻んでいた。
マクソンも気付いたのだ。ゼルメキウスという“眼”を中心とした生体に。
「……何て助け方だよ、おっさん。腕力ハラスメントって言うんじゃねぇか、コレ」
「……何故黙っていた、“転生者”」
「へ?」
大木に強打した背中を擦り、ボヤくナナシに、マクソンは険しい面持ちで問う。
「君の行う黄金の粒子による奇蹟。それが、“キミの生命によって成されている”と」
「ああ……」
“そんな事か”と呟きながらも、ナナシはバツが悪そうに首を掻き、僅かに目を伏せる。
「別に大した意味はないさ、時間経過で回復するようだし、俺も一々理解して使ってたわけじゃないからな」
しいて言えば、
「……俺の役割が、あの怪物を斃す事なら、キッチリ生命使い切って幕を引こう――そう考えてたのかもな」
「ナナシ……」
“何故か俺は生まれてはいけない、そんな気がしていた”。
いまのナナシの言葉は、以前ナルムが聞いた、ナナシのその独白に繋がっているように思えた。
“自分自身の事を何も知らない”という恐怖。
――ナナシには、自分自身が、ゼルメキウスと同様の怪物に思えているのかもしれない。
「……愚かしいな、転生者よ」
「……?」
そのナナシの葛藤、苦悩を察したのか、マクソンは厳かな、そして、穏やかな口調で告げる。
「お前は、この国で転生れた。それはすなわち、このアストリアの“国民”という事だ」
である以上――、
「無為に生命を落とす事は許さん。君は軍人が護り、共に生きる仲間なのだからな」
「おっさん……」
多くの経験が年輪として刻まれた“大人”の表情で語るマクソンに、ナナシは自身への恐怖を上回る大きさと温かさを感じていた。
戦力として、自分のような“転生者”に劣っているのだとしても、ゼルメキウスには敵わないのだとしても、彼が隣で拳を固めてくれている事が、ナナシには何より心強く感じられた。
そして、
【……邪、魔ァ……】
「……ッ!?」
突如として耳朶を撫でた“人語”が、肌を粟立たせ、粉塵の中から鞭のように放たれた触手が、ナナシ達へと挑みかかる……!
今度はナナシがマクソンを蹴り飛ばし、触手の脅威からマクソンを救っていた。
「転生者……ッ!」
「大、丈夫……だ! 無駄死には、出来ねぇからな……!」
触手に首と右腕を絡め取られながらも、ナナシは覇気ある声で応え、日本刀の刀身に滾る焔で触手を焼き切らんとする……!
しかし、“災厄”がそれを待つ事はない。
複雑に入り組んだ外骨格をパズルのように変形させ、体内から空気を噴出する器官を構築したゼルメキウスは、視界を塞ぐ粉塵を吹き払い、その巨脚をナナシへと前進させていた。
【ナナ……シ】
「ヘッ……人の言葉まで覚えんのかよ、ちょっと、笑えねぇな……」
その瞬間、
バキッ……!
と、骨の砕けるような音ともにナナシの身体が、跳ね飛ばされていた。
その手は、衝撃に日本刀の柄を滑り落とし、受け身も取れず強打した全身が、凄まじい痛覚を訴える。
消耗の激しい身体が、動きを止めるに十分なダメージ。呼吸すらままならないナナシに、ゼルメキウスは悠然と歩を進め、醜悪な乱杭歯から粘液を滴らせる――。その刹那、
「「ナナシ……!」」
ナナシを救出せんと、駆け出したマクソンとナルムを、鞭の如く撓る触手が一蹴……! シシィの悲鳴が闇夜に木霊する――。
積み重なる絶望。
痺れる掌を、地面に押し付けるようにして半身を起こしたナナシは、この瞬間、“死”を意識した。だが、
「ナナシ……ッ! “避けないで”!」
「……!」
間一髪。
風切る音とともに撃ち込まれた“矢”が、胸に撃ち込まれた“矢”が、ナナシの肉体に活力を吹き込み、彼に立ち上がる力を与えていた。
回復したナナシの腕は、ゼルメキウスの突進を真っ向から受け止め、致命的なダメージを回避していた。
「最高のタイミングだな、ユウ……!」
「いやいや……とんでもないピンチじゃないか、ナナシ!」
ナナシの賞賛に、焦燥に上擦ったユウの声が応える。マクソンとナルムにも回復の矢を撃ち込んだユウは、その懐から“輝装玉”を取り出し、いまにも押し負けそうなナナシへと叫ぶ。
「預かった装備がある……! 投げるから使ってくれ、ナナシ! 神幻金属製の“輝装玉”だ! きっと活路になる!」
(輝、装玉……)
装備が術式で球状になったアレか。確か冒険者の前途を照ら――、
そう思い立った瞬間、ナナシの思考に、電流が走った。
「ユウ……! 俺に届かなくていい……! 投げて、発動させろ……!」
「えっ……?」
ゼルメキウスの巨躯を受け止めるナナシの掌、その指が一点、“眼”を指し示していた。
周囲に濃く残る粉塵。
マクソンが投げた筒に刻まれている、“噴煙剤”の文字。
視界に入った情報を、元冒険者である経験と勘で統合し、ユウは一つの結論を導き出す。
窮地にあるナナシからの指示を。
「わかった……! ナナシッ!」
【……?】
“愚かな……”。
ゼルメキウスは自らの視覚が捉えたものに、人間が出鱈目に投擲した球体に、憐れみすら感じていた。
球体を構築する術式は、“眼”によって瞬く間に解析され、装備品をただ圧縮・小型化しているだけのものと知れている。
だが、
「“解”……!」
“視”てしまった時点で、ゼルメキウスは“二人に敗れて”いた。
【――――――――――――!?!?!?!?】
突如として視界が光に閉ざされていた。
発動した“輝装玉”が放つ眩い閃光。それが、ゼルメキウスの眼へと焼き付き、その視覚を封じていた。
輝装玉には光を放つような術式は使われていない。これは、飽くまで幾つかの術式を組み合わせた事により、副産物として発生する光である。故に、ゼルメキウスの解析を免れたのだ。
――ゼルメキウスの眼が、術式を解析する力を持たなかったなら、あるいは、このような油断と失態は生じなかったのかもしれない。
そして、
「ナナシッ!」
【…………!?】
閃光の中、駆け出したナルムが拾い、放り投げた日本刀が、宙高く跳躍したナナシの手へと握られ、渾身の一撃がゼルメキウスの左眼へと叩き付けられる……!
「うおりゃあああ――ッ!」
【―――――――――ッ!?!?!?!?】
斬撃が“眼”を保護する鋼膜を叩き割り、その破片と共に、ゼルメキウスの絶叫が木霊していた。
蒼い返り血を浴びながら着地したナナシに、ユウは先程とは異なる“輝装玉”を投げ渡す。
「さっき投げたのは僕用の予備! それが“転生者”用の、キミの装備だよ、ナナシ!」
「サンキュー、ユウ!」
告げるユウに頷き、ナナシは手にした“輝装玉”、そして、それに紐付いた強大な力を認識する……!
その力に擽られるように、脳裏に浮かぶ言霊。それは――、
「『鎧醒』……ッ!!」
「……!」
顕現する、雅なる奇蹟。
ナナシの口舌が、その言霊を唱えた瞬間、眩い光とともに、白と蒼に彩られた流麗な鎧装が、ナナシの全身を覆い、新たな勇者の雄姿を闇夜に輝かせていた。
降誕せし、その鎧装の名は、
「神意鎧装――無銘」
闇が晴れ、陽が昇る――決着の朝が来た。




