#24
「仕切り直しだ。今度は泣かすぞ、クソ野郎……!」
【――――――】
降り注ぐ絶望に足掻く、尖り耳の勇者が一人。
"破滅の凶事”と対峙するナナシの瞳に、赤々とした怒りの焔が滲み、その腕が構える日本刀が、悠然と立つゼルメキウスの鼻先に突き付けられていた。
魔獣の歯牙の如く、八股に分かたれた刃には、ナナシの怒りの焔が燃え移ったかのように、赤熱化した溶岩が滾っている――。
大小様々な火傷と、擦り傷で幼い身体を汚した少年と、それに覆い被さるようにして、致命的な重傷を負った軍人の姿が、ナナシの心を震わせ、その血潮を滾らせていた。
「……ったく、おっさんに頼んだのは、避難誘導で、こんな無茶じゃないだろうが」
「……転生、者……」
ナルムに覆い被さり、命懸けで守ってくれていたマクソンの身体に、ナナシの腕が、黄金の粒子を振り飛ばす。
死までの猶予を、指折り数えるような、重度の火傷も、瞬く間に癒え、マクソンの部下達も粒子の恩恵により、息を吹き返しつつあった。
「ナナシ……」
「ナ〜ニ泣きそうになってんだ、ナルム! 安心しろ、お前が一眠りして起きる頃、この怪物はもう息をしちゃいないさ」
「う、うん……!」
信頼による安堵と不安が、内混ぜとなったナルムの瞳に、ナナシは不敵に笑んでみせる事で応え、ナルムもそれにボロボロの笑みで応える。
少年の傍らには、泣き腫らした目をした少女が寄り添い、無茶過ぎる無茶をした少年の胸をポカポカと叩いていた。
“うみゃ〜”と鳴くナルムの姿に目を細め、ナナシは自らの拳を固める。
この窮地に、最も勇気を振り絞った少年――。
ナルムの奮闘と苦痛の対価は、この拳で、あの怪物に必ず支払わせる……!
「ま、待て、転生者。いまのゼルメキウスには"絶界"が――」
「オラァァアッ!」
“……!“
その刹那、ゼルメキウスの目が、驚愕に見開かれたように見えた。
衝撃に、蒼い巨躯がグラつき、後退る――。
ナナシが振り抜いた拳は、絶界をすり抜け、ゼルメキウスの顔面を、思い切り殴り飛ばしていた。
「……悪いな。その胸糞悪い顔だけは、直接ぶん殴らなきゃ気がすまなかったんでね」
僅かに赤く腫れた拳に、フッと息を吹きかけ、ナナシは神幻金属の長刀を構え直す。
世界そのものの天敵種と呼べるゼルメキウスを、容易く殴り飛ばす勇者の雄姿に、ナルムとマクソンはゴクリと息を呑む――。
「お、おっちゃん、ナナシは……」
「う、うむ。転生者の身体が宿す黄金の粒子――アレには術式の効力を打ち消す作用があるのかもしれん。そして、術式とは、尖り耳の異能を人間が再現する為に、編み出したもの……」
額の汗を拭い、マクソンは己の推測を言葉とする。
「尖り耳の彼が、術式を無意識に理解し、超越していたとしても不思議はないのかもしれん――」
信じ難いまでの超常である。
瞬く間に重傷を癒し、複雑に構築された術式をも超越する、まさに“奇蹟”だ―――。そして、
【――――――――――ッッ―――――――――!!!】
「……!」
状況が、動く。
驚愕と停滞を切り裂くような、超高音の咆哮とともに、ゼルメキウスの巨躯がナナシへと突進……! 防御の為に構えた刀の腹ごと、ナナシの身体を弾き飛ばしていた。
「ちぃ……ッ!」
“絶界”という搦手が通じないとみるや、“絶界”の用法を未成熟な身体の補強へと転換。力押しの格闘戦に転じたゼルメキウスの判断は、実に的確だった。
本来、自らの力に耐えきれぬほど、未成熟なゼルメキウスの巨躯は、生じた亀裂から体液を零しながらも、パワーでナナシを圧倒。
ナナシに傾きかけた戦場の天秤を、再び自らの優位へと傾かせていた。
ゼルメキウスにとって、自らの身体に負荷を与える、リスクのある戦い方ではあるが、それはゼルメキウスが、リスクを侵すだけの脅威を、ナナシに認めたという事でもある――。
畏るべき事に、“焦燥”も、“慢心”も、この怪物には存在しなかった。
(大物らしく油断の一つでもしてくれりゃあ、御し易いんだが……)
「ナナシッ!」
ナルムの声に応えるように飛び退いたナナシの肩口を、ゼルメキウスの体躯から生える大角が掠り、その身を護るローブを容易く裂き散らす。
その衝撃で、高度な術式で構築されていたナナシの装備は解れ、引き締まった彼の上半身を露わとしていた。
「……ったく、転生れた時といい、“裸”なんて妙な属性ついたらどうしてくれんだ、この野郎ッ!」
次第に荒くなる呼吸に、肩を上下させながら吐き捨て、ナナシはゼルメキウスという難敵の異常性に、額に浮いた脂汗を拭う。
(コイツ、さっきから――)
そうだ。
この怪物は全く瞬きしていない。正確には遭遇したその瞬間から、ゼルメキウスは一度足りとも“その瞼を閉じていない”。
それどころか、
「なっ……!」
力押しには翻弄を。
そう判断し、躍動しようとしたナナシの身体を、その動きを正確に読み取り、先読みしたかのように先手の一撃を加えてくる。
逃さず“見て”いるのだ。その場にある情報を一つ、残らず。
(この“眼”が、コイツの最重要器官か――!)
ナナシが巻き上げた砂埃も、ゼルメキウスの“眼”から逃れる術とはならず、よくよく観察すれば、眼を防護する透明の装甲板は、ゼルメキウスを構築する外骨格の中で最も分厚い。
ゼルメキウスという生物が、この眼を中心として構成されている事は明らかだった。
【――――――――――――――――ッッ!!!】
勝ち誇るかのような、嘲笑うかのような咆哮を上げるゼルメキウスの視界は、勝利の色に塗り固められていた。
“彼女”の視界には全てが、記されている。眼から吸収した情報を受信した核が、“彼女”の視界に正解を書き記す。
マクソン達の術式も、この眼によって解析され、なぞられた。
正しく通常の生物の埒外にある、“怪獣”である。
こんなものが、自然に在っていいはずがない。
言うなれば、世界を破滅させるという事象そのものが、生物の形状をとっているに過ぎないのだ。そして、
「くっ……」
生物であるが故に、ナナシは膝を折り、吐瀉物を吐きちらしていた。
ナナシもまた、転生れてから、一睡もせずに戦い続けているのだ。
蓄積した疲労が、次第に彼の身体を蝕みつつあった。
「ナ、転生者……」
その姿に、マクソンは気付く。あの自分達を救い、癒した黄金の粒子、あれは――、
(君の生命、そのものではないのか……!?)
絶望に満ちゆく状況の中、戦闘は佳境を迎えようとしていた。




