#21
【――――――――――】
「う、うみゃ……」
立ち塞がる、災厄の巨躯から、粘液が滴り落ちる。
不自然なまでに、大きく発達した後ろ脚と、身体の一部を覆う、鎧装の如き外骨格。そして、蜥蜴と蜘蛛を掛け合わせたかのような、不気味な貌――。
冷徹な、それでいて嘲るような眼差しが、ナルム達を見据え、舌舐めずるように、ゼルメキウスは、その大口から微かな唸り声を溢していた。
「あ……あ……」
汗が、溢れる――。
幼馴染を救うため、過剰に分泌されていたアドレナリンが一気に引き、"恐がりの自分"が強く浮き出てくるのを、ナルムは感じていた。
(でも、シシィだけは、シシィだけは無事に――!)
呪文のように、脳内で繰り返す決意。
恐怖に、真っ白になりそうになる理性を、必死に繋ぎ止め、ナルムは己の背後で硬直する、シシィを守る術を模索していた。そして、
「下がりたまえ、少年……!」
「うみゃ……!?」
轟く、野太い怒号。
勇ましい声とともに乱入した巨体が、手にした大型の銃器から爆炎を迸らせる……!
ナルム達の視界から、ゼルメキウスを覆い隠してしまうほどに大きく、力強い背中は、紛れもなく"戦士"の、"大人"のものだった。
「フン……!」
ナルムとシシィを背後に下がらせた巨漢――マクソン大尉は、腰の手榴弾を霧の中へと放り、霧に潜む生物を一気に吹き飛ばす。
そして、彼の三人の部下が、ゼルメキウスを四方から包囲し、絶え間ない銃弾――攻撃呪文の雨を喰らわせていた。
「転生者には悪いが、私達には、やり遂げなければならない使命がある――!」
――結果として、ナナシとの約束は一部、違えた事になる。
部下の大部分を村人の誘導に割いたマクソン大尉は、その使命感から、選抜した三名の部下とともに、ゼルメキウスの討伐に舞い戻っていた。
……"ある"のだ。自分達にしか出来ない事が。
「……呪文の習得に、その霧で操作する奇っ怪な生物! 実に畏るべき異能だか、"それに頼る貴様"には、一つの仮説も成り立つ。無理に誕生を早めた、胎児の貴様は、恐らく"自ら攻撃する手段"をろくに持たんのではないか――?」
【……………】
槍の如き尾で、攻撃を試みた事もあるが、それも一度きり。
恐らく、自らの有り余る力に、未成熟な身体が耐えられないのだろう。
毎秒数百発の火炎呪文を叩き付ける、連装機関銃を構え、マクソン大尉は吠える……!
「ならば、そのような"弱体化"をしてまで、お前が回避した、我等の最初の策は、お前に"効く"という事だ……!」
【………!】
マクソン達の体内で蠢く"術式"を感知したのか、ゼルメキウスの巨躯が、僅かに身動ぎする。
"対処"しようとするゼルメキウスの思考を、マクソン達が絶え間なく叩き付ける銃弾の雨が、著しく妨害していた。
「……そうだ、私達自身が"柱"だ。お前を吹き飛ばすな……!」
術式を組み込んだ柱で形成した"絶界"で、卵のある空間を世界から切り離し、吹き飛ばす。
それが本来の作戦である。
ゼルメキウスの介入で柱の術式は破られ、それを実行する事は叶わなかったが、いま、マクソン達の体内で動き始めた、"同様の術式"は、彼等の生体活動によって変化する、特殊な処置を施されている――。
……つまり、ゼルメキウスも容易に術式を分析・無効化する事は出来ない、"不可避の爆弾"という事だ。
(……姫様、申し訳ありません。我等は、此処で散ります)
覚悟を決めたマクソンの脳裏に、凛とした少女の笑顔が蘇っていた。
戦場より去り行く武人は、せめて、この勝利が、彼女の心の傷とならない事を祈る――。
「うみゃ……?」
そして、そのマクソンの軍服のポケットから、一枚の写真が零れ落ちたのを、ナルムの瞳が捉えていた。
そこに、映されていたものは―――、
※※※
「くっ……この、数じゃ……!」
機銃弓のチャンバーに矢を再装填し、ユウは、虚空から己を狙う怪鳥の群れを睨む。
ナルム達を追い、森の中を全力疾走していたユウは、突如として立ち込めた霧と、その中から出現した怪鳥の群れによって、無念にも、山中に足止めされてしまっていた。
黒い翼を羽搏かせ、鋭利な嘴の中に、肉食獣の如き牙を覗かせる、その悪魔のような怪鳥は、撃ち落としても、撃ち落としても、無限に湧き続け、ユウの血肉を啄む。
(この、まま、じゃ……)
ナナシを迎えた冒険の後、ろくに休まず、避難所への物資搬入を続けていた青年である。気力・体力の消耗は著しい――。
極限の疲労に片膝が崩れ、倒れかけた身体を支えようとした手が、命綱である機銃弓を滑り落としていた。
そして、
(キーン、と‼)
「……!?」
一筋の光が、虚空から山中に降り注ぐ。
その閃光は、怪鳥の群れを一文字に切り裂くと、脚部より噴き出す、鬼火の如き、青白い光とともに、戦場へと舞い降りていた。それは――、
「なっ……」
「お狐さん、参戦致します」
それは言うなれば、機械仕掛けの甲冑だった。
どのような術式・加護で稼働するものなのか。
その機械仕掛けの五指は、長刀を握り、細い脚部は、鬼火を絶えず噴出させ、虚空に浮いている――。
狐を模した仮面の下から響いた、若い声は、どこか、あどけなささえ感じさせた。
そして、これは――この戦場においては、二人目の"転生者"の参戦。
苛烈な戦闘の中で、また、新たな奇縁が結ばれようとしていた。




