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中学校から帰ってくるときに、自転車を止める音が聞こえるのを覚えてしまったらしい。
隆治が玄関を開けて、ただいま、と言うよりも先に、玄関の上がり|框«かまち»のところに、二人の幼児が待ち構えていた。
ピンクのワンピースを着せられている女の子の両手には二冊の絵本があった。音が出る絵本と、絵本の一部に穴があいている緑色の虫の絵本で、両方とも彼女のお気に入りの絵本である。
満面笑顔である。
隣にやや遅れて慌ててきたらしい男の子はTシャツから肩が出ていて、よだれも出ている。
「あー」
と喜びを声に出しているのは、弟の|隆史«たかし»である。
月齢3か月しか違わないのに、すでに一歳くらい差があるような成長の違いを感じる、が、さっさとティッシュでよだれを拭くのが先である。
「えへへぇ」
嬉しそうによだれでベタベタの手で、中学の制服を触ってくる。
「げ」
「あ、たっちゃん!」
母親の美智子が気づいて、代わってくれる。鯉江の家の男がすべて、た、で始まる名前ばかりなのに、母親は自分をたっちゃんと呼ぶ。
ちなみに、弟のことはたぁちゃんと呼んでる。
不安である。
が、隆史のことは母に任せる。リビングからダイニングを抜けて階段のところへ行くと、
「うわああああん」
|南衣«みない»が突然泣き出す。
↩
突然泣き出す南衣に驚く。
「みーちゃん、おにいちゃん、着替えてるあいだ、ちょっと待っててね」
「うわああああん」
泣き止まない南衣を前に、隆治はカバンをそこに置いて、
「いつもそう言って、咲子さんが待たせてばっかりいるから、だろ」
代わりに南衣を抱き上げる。
「先に読もう、な?」
その言葉に、南衣は反応する。うっく、うっくとまだ感情が止まらないが、右手に持っていた絵本を隆治が受け取ると、にたあ、と笑う。
あとは適当に絵本のボタンを押せばいい。南衣は適当に歌い出す。つられて隆史も声を出す。歌詞のない歌声。
なんでこんな簡単なことを、咲子さんは後回しにするのかわからない。
「ミメイドだったら…」
そこで止める。誰?なんて訊かれたら困るのは自分だ。
「よんで」
頬に涙の粒をのせたまま、南衣がもうひとつの絵本を隆治に見せる。
音の出る絵本からはまだ音楽が流れていた。
「にちようびのあさ、うまれた」
隆治の音読を聞きながら、
南衣と隆史は小さな人差し指を絵本に突っ込んで遊んでいる。
「ぎゃはははは」
「きゃ、きゃ、きゃ」
そうやって20分ほど遊べば、美智子がおやつを用意する頃には二人だけで遊び始め、隆治は階段下においたカバンを持って2階に上がる。
↩
2階に上がり、自分の部屋に入る。長らく子供は自分一人だったので、自分だけの子供部屋である。隆史が自分の部屋を欲しがる頃には、自分はもうここには住んでいないだろうと思う。
部屋の学習机にカバンを載せて、制服を脱ぎだしたところで、
階段の方からぺたん、ぺたんと音がする。
慌てて隆治が階段のところまで見に行くと、両手と両膝を階段につけて上がってくる南衣がいた。
「おかあさーん、南衣がベビーゲート開けたぁー」
階段下で、え?やだ、あらら、と慌てる声が聞こえる。対象年齢が2歳までと書いてあるとおり、2歳を過ぎた今、ついに突破されたことを知る。
満面笑顔である。
2階の上がったところにもベビーゲートはあるので、そこをすぐに開けてやると、にたあ、と笑いながら部屋にはいってくる。
「あ。」
南衣はさっさと目的のベッドに向かっていく。目的はひとつ。ベッドのスプリングでジャンプして遊ぶのだ。ジャンプして笑う南衣を眺める。昨日まではよく怒ったりした。ちゃんとダメなことはダメ、て言わないと。だけど今日は特別だ。
「僕のことを覚えていてね」