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なる姫をコインランドリーで見送り、運転席の芳とはフロントガラス越しにかるく手を振ってあいさつしたきりで、青帝はなる姫をつれて、レクサスに乗り込み、コインランドリーの駐車場から去って行った。
荷物は後で芳が取りに来るだろう。
かおるはコインランドリーから荷物を引き取り、一人マンションに戻ってきた。なる姫が帰ったことで、マンションの管理人室に人影はない。
ここ数日にぎやかだったマンションのエレベータホールも静かで、かおるはひとりエレベータに乗り、マンションの部屋に戻ってきた。
玄関を開けると、部屋に電気がついており、誰かが中にいるのが分かった。
「?」
不思議に思って、玄関に荷物を置き、リビングに向かうと、
「そまるのみやさま」
染宮、捨(((すて))がそこで、ソファを水拭きしていた。
「ああ」
捨が一瞬振り返り、かおるを確認してまた作業に戻る。
「なんかちょっと、匂うんだよね」
捨の近くにある専用の洗剤らしきボトルスプレーを雑巾に吹きかけ、捨はソファを入念に拭きあげていく。
「そのソファ、私はなんだか高級そうで座れませんでした」
かおるが正直に伝えると、
「あ、そうなんだ、別に気にしなくてもいいよ」
捨が返す。
「拾((ひろい))が迎えに来るの?」
荷物がまだ残っているので、また、芳がくるのだろう。そのついでに自分も乗せていってもらうつもりだと告げる。
「そう言えば、芳、て呼んでるけど、かおるのみやじゃないよ。」
捨に言われる。
「あ!なんか、ちゃんと訊いてなかったけど」
確か…。
「正式にシーアノ宮になった」
「そうなんですね」
確かシーアノ宮は元々は架帝、今の青帝の祖父、の叔父にあたる人から始まる。その後、隆帝が譲位してシーアノ宮になった。そのいきさつは詳しくは知らないけれど、まあ、あんまり深入りしたくない面倒な事情がありそうなのはわかるので、興味はない。
その面倒な事情がついてるシーアノ宮を芳が継いだ。
「うえー…。めんどくさ。」
正直な感想。
「…お義姉さん」
「え。私、ならないですよ」
瞬否定。
「…お義姉さん、知らないんですか?」
「あのプロポーズ大作戦、あの僕たちの誕生日パーティの時に、青帝があなたのことを気に入って、今回指名推薦されたんですよ」
「えええええ!!!!!」
「聞いてないよ。芳からひとっことも!!」
どうなってんだ。報連相は。
「拾はかなり渋ってたんだけど」
「父と母まで出てきて、母がここを使っていいと言いだすから」
そこまで話が広がってしまうと、もう、芳一人ではどうしようもなくなってきたそうだ。
「そうだったんですね」
確かに思い出すと、青帝と初めて会ったのに、向こうはこちらを知っているような感じもしていた。
「うえー…。こわ」
思わずかおるがつぶやくと、
「うん、青帝だからね。気をつけたほうがいいよ」
「そうなんですね」
「本人も気をつけてるけど、化け物クラスの魔力があるからね」
「そうなんですね」
「皇都なんて一瞬で焼き尽くすこともできるだろうし」
「…二度と会わないよう気をつけます」
「無理だと思うよ。皇国内ならどこにいても、一瞬でここに現れるから、どこにも逃げられない」
「そうなんですね」
芳とはケタ違いだって、芳本人が言っていた。皇都が焼き尽くされないことを祈るだけだ。
「もし何かあったら、誰が止めるんですか?」
ふと疑問を持つ。
「体力的なことなら僕か拾よりも最適な人物がいる。将皇殿がね」
捨は確かめるように続ける。
「魔力の暴走とかなら、架帝、キイズ公、僕の父あたりだろう」
「なる皇后もそのためにいるだろうし」
「え?でも、体はそんなに丈夫じゃないって」
「体はそうだけど、彼女にどれくらい魔力があるか、わからない。」
「そうなんですね」
「だから、皇后なんだよ。常に自分の隣に保険がいたら安心だろう?」
右に皇后。左に将皇を置いているのは、安心のため。
捨と世間話をしながら、かおるは荷物の片づけを始める。自分の荷物は最初に持ってきたユニクロの袋に詰めて玄関脇に置く。次に冷蔵庫の中を確認する。
「ほしいものはそのまま持って行っていいよ」
初日に何かあった時のために、コンビニで買いためた冷凍食品たちは不要となった。
「ありがとうございます」
領収書がわりのレシートで後日経費処理してもらえるそうだ。お土産つきで帰してもらえるなら、なかなかいいアルバイトだったような気もしてくる。
「つばさ様。メリ様がいらっしゃいました」
午前の涼しい時間を狙って、近くの公園を一時間ほど散歩して家に戻ってくると、身の回りの世話をしてくれているミワが出迎えて告げる。
「メリさん…」
つばさ、と呼ばれた女性がリビングに戻ると、そこにはいつもきちんとしたシンプルな服装に身を包んだメリがいた。
「何かあったんですか?」
つばさの問いに、メリは一瞬だけ目を見開く。この勘の良さ、魔力はないというが、疑問はいつもある。
「何もないですよ。毎月一度の様子見ですよ。気温の高い日が続いていますが、体調はお変わりありませんか?」
メリの問いに、つばさは、そうですか、とだけ返した。
「ええ。元気にしております」
つばさはそうこたえたが、先週、散歩から帰ってきて体調を崩し、ミワが点滴を施したことは報告済みである。
「最近も俳句は詠まれていますか?青帝が作品を公開していただければ、皆の励みになると期待しているのですが」
「いえ、最近は作品になるものは何もなく、青帝が期待されているのが申し訳なくて」
つばさはそうこたえたが、俳句を纏めているノートは着々と増えていることは報告済みである。
「そうなんですね。では青帝にはそう伝えますね」
「ありがとうございます」
「青帝が体調が良ければ、また、昼食か夕食を共にと、望んでいるのですが」
「…」
「やはり、無理でしょうか?」
「ええ。私がいては場違いかと」
そう言われてしまえば、今回も見送るしかない。
「どうだった?」
メリが東宮御所の事務所に戻ると、そこに青帝がいた。隣には、頬杖をしているティマ宮のラピスもいる。ラピスの隣にはサワもいる。
「勘が良くて、緊張しました。」
サワが用意してくれたお茶をメリは飲む。程よく冷たくて砂糖ではない甘みをほんのりと感じた。
新瑞橋のマンションから引き揚げて数日がたった頃、劇場隣のかおるの実家の居間では、女優と女優の卵たちが声楽のレッスンを終えて、のんびりくつろいでいる。
「それでねえ。監督が皇后誘拐の話を作ってるのよ」
のんきである。
「おいおい。内容に問題があると言って、青帝が乗り込んできて劇場燃やしたらどうするんだよ」
かおるがあわてて訊く。
冷やした寒天をフォークで刺して、
「それはないんだよねえ?芳くん」
ぱくりと口に含む。
「なる姫が攫われたところで自分がかっこよく救出する作品にしたいんだって」
芳が冷やした寒天をフォークで刺す。そして迷うことなく、口に運ぶ。
「は、ああ?」
「ヒーローになりたいんじゃなあい?」
「きゃあああ!かわいいー」
女優と女優の卵たちが一斉に盛り上がる。
かおるは黙って、冷やした寒天をフォークで刺そうとしたところ、芳のフォークとぶつかった。そして芳が迷うことなく、冷やした寒天をフォークで刺して口に運ぶ。
「あ!」
「ごっそさーん」
芳がはむはむと大げさに頬を揺らす。
「あああああ!!!!最後のいっこなのに!!!!」
かおるがうらましげに芳を睨む。食べものの恨みは深いぞ。
「まあまあ」
「また作ればいいじゃない」
女優と女優の卵たちがうなづく。
「作ったのはあたしなのに!ふた切れしか食べれなかった!」
「まあまあ」
「今度は倍の数、作ればいいじゃない」
女優と女優の卵たちがうなづく。
「残ったら俺が食べてやるからさ」
芳がいいこと言ったという顔で言うのが、
「むかつくんだよ!」
「いってえ!」
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