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特定不審死者Tがくれたもの  作者: 扉野ギロ
落札したもの
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第七話 「落札したもの その四」

 狭いエレベーター内は、すぐそばに立つ善という男から漂うタバコの香りで満ちていた。

 だが、清子はそれをあまり不快には感じていなかった。

 理由は、タバコの香りに甘さがあるのと、それから善の後ろ姿があまりにも綺麗だからだ。

 

 つまりは見惚れていた。


 肩よりも少し長い髪はサラサラで真っ直ぐ、エレベーター内を照らす光を艶として纏い。

 その良質の絹を思わせる柔い黒髪を受ける背中は、細身だがしっかりとしていて。何より、浮き出た肩甲骨が彼の姿勢の良さを表していた。

 

 それがたっぷりとゆとりのある彼の緩い衣服の不精さを色気に変えているようだ。

 それも艶。

 頼りがいや清潔感といった男らしさにはない、特有の美しさが彼にはあった。


 とにかく、清子にとってこの霧峰善という男は魅力的だった。

 

「あ、あの。ハーフですか?」


 頭で考えるのと同時、清子は自ずと口を開いていた。


「クオーターです。母がスイスとロシアのハーフなので」

「へえ……お綺麗ですね……」

「ええ、まあ。母には感謝していますよ。この形のおかげで大概の人間は殺せますから」

「へえー……、え?」


 清子の驚愕は、エレベーターが到着するベルの音でかき消され。

 

「少し待っていてください」


 まるで何事もなかったかのように、善はそこにある部屋に入り、車椅子の雅を入れるために親子扉の子の方も開放した。

 

 その先に広がっているのは、部屋だ。

 しかし、清子が想像していた場所とは全く違っている。

 

 天板にガラスが嵌められた黒いローテーブル、上には空のワイングラスが置かれ。そばに置かれいる同色の革製ソファは、三人がけのものが一つと一人がけのものがもう一つ。足下には細かな文字が幾つもと、大きく六芒星の模様が刺繍された絨毯敷かれている。

 さらに奥にある窓を隠しているのは、ごく一般的な灰色のブラインドだ。


 雰囲気はともかく。どことなく生活感を感じるこの場所は少なくとも、会社と呼べるようなものとは思えない。

 そこに一歩踏み出す直前、すぐ右手に靴箱らしきものが置かれているので土足を気にする清子だったが、先に入った善が靴のままだったのでそのまま部屋に入った。

 

 そしてすぐ、何を意識するつもりもなかったのに清子の視線を吸い寄せたのは、照明が暗いままの部屋の右手。三人がけソファの背の向こうにあるダブルサイズと思われる大きなベッドだった。

 シルクのような光沢ある薄地の掛け布団が捲れていて、誰かといわず善が寝ていたことは明らかだが。

 清子はふと、誰と、なのかを考えていた。 


 そう考えさせたのは、三脚に立てられたビデオカメラのせいだ。

 今はベッドの方を向いていないそれが、何のためにそこに置かれているのか。

 清子の脳裏に、鈴希の言う『頭ん中そればっかりで、かなりヤバい人』という言葉が蘇る。 


 だとすれば逆にそういう趣味があったとしても。

 奇妙な理解を示しながら、清子は視界に善を入れようとした。


 その途中、ベッドサイドテーブルに置かれているものに目が止まる。

 暖色系統の配色がされたトルコガラスらしきランプが煌めいていて綺麗だ。しかしそれよりも、隣に開いたまま伏せられている分厚い本が清子はきになっていた。

 

 外国語の本だ。

 英語ではない、アルファベットでもない奇妙な文字の形は、アラビア文字とかそういうものだったはずだと清子は記憶している。


 すると、視界に入れようと思っていた善自らが清子の視界に入ってきて、ビデオカメラの角度を調整し始める。

 自ずと清子は体を硬くしていた。


「伊藤さん、こっちへ」

「な、何を撮るんですか……」


 明らかに警戒する清子を見て、善は小馬鹿にするように笑った。


「息子さんですよ。記録に残したいんです」

「雅を……?」

「そうです。それとも、あなたを撮りましょうか?」

「な、なにを言ってるんですか。か、からかわないでください……」


 こんな時に。

 そんな当たり前のことを口にしつつ、自分の気分も正しい方向へ向いていなかったことに清子は冷や汗をかいていた。


「じゃあ、カメラの前に息子さんを」 

「……はい」


 私室と思われる場所に想定外にも案内され、挙げ句場違いなからかい方までされて少しだけ清子は憤慨していた。

 どうしてかこの男の前では、あるべき張り詰め方というものが上手くできない。

 

 清子は短く深呼吸して息を整えると、雅をカメラの前に移動させ、「どうぞ」と促されて自分は三人がけのソファの端に腰を下ろした。

 その埋もれていくような感触は、鈴希の部屋のソファと同じく逸品に感じるものだ。

 

 少し遅れて善が一人がけのソファのほうにゆっくりと体重を落としていくと、革が擦れてギシと音が鳴る。

 それだけなのに、清子はまた鼓動が若干早まるほどの緊張を覚えていた。


 すぐそばに座っている男の異様な気に毒され、顔を上げることもできず。清子は行く宛を見つけられない視線を正面に見える棚の背からローテーブルの一点へと落として集中させていた。


 テーブルのガラス天板の奥には複雑な装飾の木箱が見える。

 背に番の金具が見えているあたり、おそらく開くものなのだろう。清子はそれを折りたたみ式のオセロとかチェスの類だと察した。

 そのそばには十字架や数珠、枯れた何か植物の枝のようなものもある。


 そうして、ひとしきりテーブルを観察してしまった清子だが、どうしてか善は一言も発さない。

 おかしな緊張感に固まりながらその上で沈黙となれば、いい加減姿勢が辛くなる。

 無意味な言い訳をきかせながら清子が少しだけ善の方へ首を動かすと、そこで善の顔がこちらを向いているような気がした。


 すると清子には、どうしよう、などということが頭を過る。

 自分から何か言うべきなのか、それにどうしてそんなにじっとこちらを見つめているのか。どうしよう、だ。


 そういえば、男が一人で暮らす部屋で二人きりになるなんて文博以外経験にないことだったことを今になって思い出した。

 たぶんそれがこのおかしな緊張の理由だろう。 


「……そうだった」

「え?」


 善の独り言にようやく顔を上げるきっかけを得て、清子が声の方に顔を向けると、善は立ち上がって清子の背後を通り過ぎていく。

 

 行き先は、部屋の入り口の方だ。

 善はそこへ行くと、突然部屋の明かりを落とした。


「ひっ」


 清子が思わず声をもらした瞬間、再び部屋の明かりが戻り、ベッド側にも明かりが灯された。


「……すいません、間違えました」


 そういう善はいたずらっぽく微笑んで清子を見つめている。

 清子は何も言わずすぐに目を逸らし、またテーブルに視線を落とした。

 その背後で善の動く衣擦れが妖しく聴こえる。すると。


「本当に、黒いんですね。でも、肌に荒れなんかは見られない。少し触らせてもらっても?」


 善がそう言って、振り返った清子と目が合った。

 善は雅のそばにしゃがみこみ、その体をつぶさに観察している。

 清子は頷いた。


 すると、善は「失礼」と言って雅の左腕を持ち、袖を捲上げた。

 節くれだった長い指。爪先には黒色のマニキュアが塗られているが、清子はそれを意外とは感じなかった。かといって似合っているとも思わなかったが。


「……温かい。確かに、死んでいるとは思えませんね」

「そうですか……」


 清子の生返事も気にせず、次に善は雅の左手の甲の傷に気づいた。

 雅に現れる無数の傷の中、そこだけが治癒し、そして今は盛り上がって山ができている。


「これは、息子さんにもともとあった?」

「いえ。昨日、二人でいる時に突然現れて、消えなかったんです」

「なるほど……」


 善が頷いたその目の前で雅の手首に大きめの打撲痕が現れ、そしてすぐ皮膚に馴染んで見えなくなってしまった。

 その直後だ。清子は雅の顎にも一瞬だけ打撲痕が現れたのを見た。


 あっ、と思わず声を上げた清子に善の視線が向く。


「どうしました?」

「今、顎のところにも打撲のような痕が……」


 清子が言うと善も雅の顎に目を向けるが、もうすでに痕は消えている。

 それでも善はそこを少しの間眺めていて、それからゆっくりと立ち上がると、今度は雅のシャツのボタンを外し胸の辺りを診始めた。


「たしか、傷は連続で現れ、ニ、三秒で消えるんでしたよね?」

「はい。そうです」

「だとすると、今息子さんは状況が良くなっているということですか?」

「え?」


 善の言っている意味がわからない。

 清子が首を傾げると、善は「連続というわりに、傷の出現が鈍いと思います」と。


「大袈裟に想像しすぎていたのか……?」


 独り言を言って善は雅の前髪を持ち上げたり、反対側の袖を捲ったり傷の出現を待つように観察を続けていた。

 その間、清子の目にも雅に傷が浮かぶ様子は見られなかった。

 

「伊藤さん。ちなみに宗教は何か?」

「宗教?」


 急に何を訊かれているのだろう。

 訝しみつつも清子は、「お寺にも入っていませんので」と答えた。


「それがなにか?」


 清子の質問に答える前に善は、「なるほど」と前に置いた。


「彼に現れているものが聖痕の類だとするなら、代々家族か、もしくは本人に信じる神がいると思ったんですが。手や胸だけじゃないなら違うのかもしれない……」


 では、息子さんが個人的にそういったことに興味をもっている様子はありませんでしたか。

 善は続けて言い、雅のシャツを元に戻した。


 当然無い。

 本当はそう答えたかったが、しかし、清子と雅の間には五年以上もの隔たりがあった。

 そこに何もなかったと断言できはしないものの、思い返しても部屋に信仰と思えるようなものはなかったはずだ。

 清子は小さく首を横に振った。


「いえ、ありませんでした」

「じゃあ。たとえば、そこに入っているようなものも見たことはありませんか?」


 そう言って善が指差しているのは、テーブルの中に収められている木箱だ。


「ごめんなさい。あまりちゃんと部屋は見ていなかったので、そこまで小さなものだとあったかどうか……」


 そうですか。

 善は頷いてさらに、「だとすると、降霊術を行った可能性は残っているんですね」と言った。


「こ、こうれい。というのは、いわゆる降霊……ですか?」


 宗教を訊かれたのだ。そう言われることが想定になかったわけではないが、実際に聞けばやはり戸惑ってしまう。

 

 清子が一瞬引いた仕草を見られていたのか。

 もちろんそうです、と善はすぐにそう言ったが「ご存知の通り胡散臭い現象の一つですが」と付け加えた。


「でも。事実、前世の記憶という形で死者の意識が現世に生じる事例もいくつかあります。デジャヴなんていうのもそうかもしれないし、臓器提供で好みが変わるとか。身近なところに降霊と思しき現象は起きているんですよ。

 要はそれをどう信じるか。

 降霊という言葉を憑依、単に成り代わって話すという形でのみ理解すれば、胡散臭さを感じるのも仕方ないでしょうね。

 ですが、降霊というものは単純にそうってわけでもありません。

 

 古くから日本にも雨乞いや豊作祈願という形でシャーマニズムは根付いていますし、ネクロマンシーという発想だって日本人が社会性を身につける前からあるんですから」


 善の言うことに、清子は「そうですね」と頷くことしかできなかった。

 ここまで考えもしなかった発想だからというのもそうだが。つまり善の言いたいことがわからなかったからだ。


 雅の心臓は止まっている、呼吸も。おそらく痛みにも反応しない。

 この見るからに死である状態が、憑依などという物珍しい現象で片付くものなのだろうか。

 だが、もしそうだったら解決策は清子にも思いつく。


「つまりその、除霊をすれば雅を戻せるかもしれないということでしょうか……」


 半信半疑だ。どうしてもそういう感情は隠せない。

 善は頷かなかった。


「いえ、そうではありません。

 今言いましたが、降霊ということを単に憑依ではなく、現象だと考えるといい。つまり、未知の何かへの問いかけに返事がされた場合、それが目に見てわかる事象で表現されるという意味です」


「えっと……。だから雅は神様に何かお願いをして、神様がその返事をした?」


 大まかに言えば。

 善はようやく頷いた。


「とはいえ、素人が祈祷の真似事をしたくらいでは手順が曖昧だったりして異次元の存在には伝わらない。それが、そこにあるようなものを使った場合には伝わってしまうことがあるんです」


 そう言って善はテーブルに仕舞われていた木箱を開いた。

 するとその木箱と思っていたものは一枚の板を折りたたんでいただけのものだった。

 

 中には一つ丸く穴の空けられた葉の形をした木札が一枚入っていて、アルファベットがAからZまでの二十六文字が二行と、さらに一からゼロまでの数字が並べて書かれており。その上部両端には太陽と月の絵と、隣にはYESとNOが。最下部両端には一筆書きの星、そしてその二つの星に挟まれてGOODBYEと書かれている。


 清子が想像していたオセロやチェスのようなゲームボードとは違うようだが。


「同じようなものを見たことがあると思います」


 善は言ったが、それよりも先に清子には似たようなものが浮かんでいた。

 あれは、五十音と、はい、いいえ、男と女だった。それに必要なのは十円玉の。


「コックリさん、ですよね。これ……」  

「そう。でもこれはウィジャボードと呼ばれる欧米で簡易的な降霊術を行うために使うおもちゃです」

「ウィジャボード……」


 その名を聞くのは初めてのような気がするものの、そういえばこういうもので遊ぶ若者が霊現象に脅かされる映画を見たことがある。

 清子は、「そういえば映画で見たことがあります」と頷いた。


「雅は、これを使ってこんなことになったかもしれないんですか?」


 映画を浮かべながら、清子は家に起きていたかもしれない怪現象を思い出そうとしていた。

 ふと浮かぶのは深夜の物音だが、あれはただの家鳴りだろう。皿が吹っ飛んだり、扉が勝手に開閉したり。そんなちゃんとしたポルターガイストなんて現象を経験したことが清子の記憶にはない。


「確実にとはいえませんが、あるいは。似たようなものを使った可能性だってあります。黒か白か、どちらの魔術を利用したかは現状わかりませんが、死という結果が起きているなら黒魔術の可能性が高い」


 魔術、という言葉をこれほど真面目に話す人間は、テレビの中の怪しげな霊能力者くらいだと思っていた。

 だが、雅について色々と判断が難しいのは事実だ。

 飲み込みにくい現実に清子の眉間に深いシワが刻まれる。

 すると。


「現代医学で説明のつかない死亡状態が今の息子さんなのだとすると、こういう線も捨てないほうがいい」


 まるで忠告か助言かのように善は言った。


 未知の感染症か、怪奇現象か。

 正反対に位置することが雅の死因になっているというのか。


「死……」


 清子はふと、雅の顔を見ていた。

 部屋に入って見た時と変わらず、眠っているかのようだ。だから、雅はまだ死から遠い場所にいると今も感じられていた。

 それなのに、同時に雅が死んだことを前提にも物を考えている。


 ただの意地で、それを否定するために雅を連れ出したのだろうか。

 清子が思い出すのは、やはりあの幻聴のような雄叫びだった。

 あれが、息子の声に聞こえた。だから、雅を連れ出す決意をしたのだ。

 だから。


「雅は病気じゃありません。聴こえたんです、あの子の声が」


 信じているから。

 清子の表情から浮ついた感情は消えていた。

 そんな清子を見つめる善の顔が、ニヤリと歪んだ。


「なら、あなたもこっち側だ」

「構いません。それが空想や根拠のないことであっても、私はそれを信じます。雅を取り戻すために。だから、教えてください。普通じゃない色々なことを」


 もちろん。

 善は深く頷き、部屋の左手の方へ歩いていく。

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