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特定不審死者Tがくれたもの  作者: 扉野ギロ
落札したもの
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第四話 「落札したもの」

 二時間ほど経ち、清子はまた都内に戻ってきた。

 行先が安全だとわかってはいるものの、やはり不安を感じずにはいられない。

 自ずと身は硬くなり、周囲に凝らす目も右往左往してしまう。

 すると鈴希は前方を向いたまま、「挙動不審すぎですって、落ち着いて」と清子に釘を刺した。


「ただ乗ってればいいんです。警察って輩はそれができない人間をいつも探してる。恐怖とか不安とか、そういう条件反射的に起きる変化を見逃さないんですよ。だから、落ち着いて」


 とりあえず、音楽でも聴きましょうか。


 そう言って鈴希はダッシュボードに立てられたスマートフォンの画面を操作し始めた。

 だからだ。

 つまり、覗き見する意図はなく清子は鈴希のスマートフォンの画面を見ていた。


 指紋認証タイプのものだったのですぐに画面は切り替わってしまったが、そこにはツーショット写真が表示されていた。

 仲良さげに肩を組む二人の女性。

 一人は背が高く髪の長い女性、鈴希だとわかった。

 その隣で鈴希に抱え込まれるような格好で笑顔を向けていたのが誰なのかは当然わからない。


 だが、彼女の着ている制服が何だったのかはわかる。

 警察官だ。

 

 一瞬、清子の脳裏を過ったのは、先ほど話に出てきた友人という人物だ。しかし、それを彼女は彼、男性だと言っていたはず。

 なら、今の女性は誰なのだろう。


 普段ならまず気にすることもないようなことだった。

 でも今は状況が違う。

 本当に鈴希は自宅に連れて行くつもりなのだろうか。

 もしかすると、彼女に頼まれて自分を追ってきたのかもしれない。


 一度は抑え込んだ不安が堰を切って溢れ出し、清子の額には冷や汗が滲む。

 だとすれば逃げなければ。


 再び挙動不審になる清子の耳に、突如耳鳴りを覚えるほどの大音量で何かの叫び声が響いた。

 絶叫らしいそれは、むしろ恐ろしい咆哮か。


 驚いて座席から跳ね上がるほど体を硬直させた清子だが、鈴希はやはり気に留めない。

 

 続くメロディは、メロディなのだろうか。

 素人の清子には、叫び声とギターやベースの弦が弾かれるプルプルとドラムの音がボコボコとしか聴こえないが、その危なげな印象でジャンルだけはわかる。

 いわゆるメタルというやつだ。


 こうして音楽だけを聴くことはないが、昔見たホラー映画のエンディングで似たような音楽が流れていたのを清子は覚えていた。

 しかし、このような音楽らしきものは、ホラーの演出のために使われることの方が多いのだろうと思っていただけに、わざわざ持ち運んで聴いているというのが信じられなかった。


 そこで思わず、「これ、好きなんですか?」と訊いた清子には今しがた抱いていた疑念が薄れていた。

 だが、この大音量で声は届かず、恐れ多くも清子は鈴希の肩を叩く。


「どうかしました?」


 口の動きでそう言ったのはわかるが、こちらの声が届かなければ意味がない。

 仕方なしに、清子は「ごめんなさい」と一応言ってから音楽のボリュームを下げた。


「あれ。嫌いでした?」

「あ、いえ。ごめんなさい、そうじゃないんですけど。こういうの好きなんですか、って訊こうと思って……」

「あー、なるほど。じゃあ、別に、です」

「え?」

「別に好きじゃないですよ。ただ、頭空っぽにできるんで清子さんにもどうかなぁって」

「な、なるほど……」


 見事術中にはまっていた。

 突然の連絡から、雅の情報を拡散する提案といい、雅の着替えといい、待ち合わせ場所の指定といい、この人は色々と手際が良すぎる。

 ふと冷静になった清子には、この綿串鈴希という人間が自分を巧みに騙そうとしている悪人のように見えていた。


 そして、その疑いの目を助長するかのように見つけてしまった灰皿。

 車の中でタバコを吸うなんて、というほど清子は潔癖ではないが。危なげな音楽と巧みな誘導術と行動、これらの情報が集まって彼女を疑うには十分な要素だった。 


 一刻も早く車を降りなければ。

 そう思う清子だったが、自分一人で雅を連れ出し、挙げ句この頭の回転が早い女性を巻くことなど不可能だろう。


 悩む清子の耳にまた聴こえてきたのは、今のものよりももう少しメロディを感じる音楽だ。

 でも、激しいことに違いはない。


「あの……」


 音楽を止めてもらうつもりではなく、やっぱり好きなんじゃないか、という意味で清子は声をかけた。

 すると。


「さっきのは、ブラックらしくて。こっちは全般的なメタルって感じですかね、よくわかんないですけど。こっちのほうが聞きやすくありません?」

「え、はあ、まあ……」


 清子は気圧されるように答え、そしてやっと「やっぱり好きなんですね」と言いたかったことを伝えた。


「いや、別に好きじゃないですよ。だから」

「でも、これも同じジャンルのですよね?」

「まー、そうですけど。わたしがこういうのを聴くのは、言ってみれば勉強するのと同じ感覚かな」

「勉強、ですか? 趣味じゃなくて」


「だって、勉強って好きだからするわけでもないじゃないですか。やらなきゃ、って感じでするわけであって。やっておく必要はあるし、結局役に立つし。

 だからわたしにとってメタルは、聴かなきゃ、って意味の存在なんです。日和れない時とか集中しなきゃいけない時とか、好きじゃなくても栄養になるから聴く。ま、ピーマンとかブロッコリーとも言えますかね」


 まさかそんな理由で音楽を聴く人間がいるなんて、思いもしなかった。清子にとって鈴希の意見は新鮮なものだった。

 だが、清子はその理由をすんなりと理解し、飲み込むことができたのも事実だ。


 好きか嫌いか、趣味か趣味じゃないか。そういう問題じゃない。

 必要だから。


 清子にふと浮かんだのは、夫の顔だった。


 二つ年上の文博とは、大学時代からの交際を経て、卒業を機に結婚した。 

 文博は、当時大学入学時に勧誘されてなんとなく入った映画サークルの先輩だった。

 

 映画サークルとはいっても、それは撮影をするような本格的なものではなく、様々な映画を鑑賞し意見し合うというものだ。

 だから色々な人と話をする機会が多かった。


 正直、心惹かれる同期生の男性もいたが、気がつくと清子のそばにはいつも文博がいた。

 文博は社会風刺やドキュメンタリーとか戦争などリアリティを追求した映画が好きで、清子は誘われてよくそういう映画を見に行っていた。


 初めは、同期生の何人かと一緒だった。

 だが、気がつくと文博について行くのは清子だけになっていた。

 確かに小難しいし、ストーリーらしいストーリーも感じられないし、こういうものは好きと嫌いにはっきり分かれるだろうとは思っていた。


 そういう点、清子は勉強のつもりで見ていたので、苦に思うこともあったが、将来就職のために役立つかもしれないと考えて付き合うことができた。 

 

 それにしても、清子が誘っても誰もついてこないのはおかしい。

 その意味を知ったのは、文博の好きな映画を見るために彼の自宅に誘われて行ったその日だった。


 別に、好きじゃなかった。

 だが、清子は文博の成すがままに身を委ねた。

 それは、他の女性からすれば愚かな行為だといわれるかもしれない。

 でも、清子にはそうするしかなかったのだ。


 知らなかったから。

 好きでも嫌いでもないものを拒絶する方法を。


 後になって知ったことだ。

 周囲は清子が文博と付き合っていると思っていたらしい。

 それに、ある時を境に文博は、サークル室で映画を見る時以外、清子ではない他の人間を誘っていなかったことも。

 文博が最初から清子に気があると周囲に触れ回っていたということも。


 気がつくと、だ。文博は清子の恋人になっていた。

 付き合って欲しいとか、そんなことを本人に言われたこともないし、清子が彼を好きだと言った記憶も特にはない。

 嫌いではない、という意味で言ったことはあっても。


 だから在学中清子のそばにはずっと文博がいた。 

 友達と遊びに行く時も、それが男性だと近々になって断られることが多かった。

 少しずつ、少しずつ、清子から文博以外の人間が近づかなくなっていった。


 そして文博は清子よりも二年早く卒業していった。

 にも関わらず誰も近づいてこなかったのは、どうしてだったのだろう。


 車内に響き渡る誰かが乱暴に叫び続ける声が、得られない答えを呟いているかのように聴こえた。


「私は……。好きかもしれません」

「へえ、そうなんだ。じゃあ、ぜ……社長と気が合うかもですね」

「社長さんは、好きなんですか? メタル」

「そりゃあもう。見たらわかると思います」

「そうなんですか……」


 生返事をしながら、清子がその社長という人がどんな人物なのか想像してみようとする。

 結果を頭に浮かべるのに、二秒もあれば十分だった。


「怖い人、ですよね」

「そりゃあもう。悪魔崇拝とか、呪いとか陰謀とか大好物ですから。頭ん中そればっかでかなりヤバい人ですよ」


 鈴希の話を聞き、清子はどうやら自分の想像だけでは足りなかったようだと悟る。


          ◯


 車が走る間、清子は一度も眠ったり気を逸したりはしなかった。だから通りかかった大通りがどこなのかまでは把握していたはずだ。

 それなのに、通りを一本入り、曲がり、くねり。雨染の付いたトタンや黒ずんだセメント瓦に覆われた古い家々が現れると、あっという間に道に迷った気分に陥っていた。


 慣れた街の裏に潜む歪な迷路のような街。

 知らない街という場所がこれほど不気味で恐ろしく感じられるのは、雅の小説の影響だろう。


 よく知らぬ怪しげな女に連れられ、縁もゆかりもない街にいる。ほんのニ、三本道を変えただけで、これだけ容易に異世界へ飛び込むことができるのだ。


「……そういえば」


 センターラインのない車二台がギリギリすれ違えるかどうかという狭い道。そこを慎重に徐行する車内で、清子は思わず口にしていた。


「どうかしました?」

「あ、いえ。別に……」

「そっ」


 軽く言って鈴希はそれ以上清子の、そういえば、を追求しようとはしなかった。

 清子は安堵して、そういえば、の続きを思い出す。


 そういえば。

 今の分譲マンションに引っ越す前、小学校に入学する直前だった雅はとても嫌がった。

 単なる子供のわがままだと思って文博が叱りつけ、清子は新しい家がどれだけ快適で綺麗なのかを伝えたが。


 あれは何に対するわがままだったのだろうか。

 わざわざそんなふうに過去を思い返したのは、ひしめく家と家との隙間に小さな子供が入り込んでいくのを見たからだった。

   

 あの時、自分は引っ越しをする理由で息子を騙すことだけ考えていて、雅があの土地に愛着をもっている可能性を考えなかった。雅が引っ越しをしたくない理由を聞かなかったのだ。


 モルタルとトタンの壁に挟まれた細い用水路の上を器用に走っていく幼い二人の子どもの光景が、清子にふと雅にも離れたくない友達がいたのかもしれないと考えさせていた。


 清子はずっと、雅は引っ込み思案で大人しい性格だったから友達ができづらいのだと思っていた。

 だとしても、母親である自分が一緒にいれば卑屈な思いをさせる必要がないと。


 だが、それは正しい理解だったのだろうか。

 雅が友達のいないことを嘆いたことがないのは、本当に友達と呼べる人物がいなくて自分がそばにいたからだったのだろうか。

 どうして自分には一人でボール遊びをする子どもの姿しか浮かばないのだろうか。


 家屋の陰に二人の子どもたちは消えてしまった。

 見どころを失って清子が視線を正面に戻すと、また別の子どもたちが三人ほど集まって家の駐車場に腰を下ろし輪を作っていた。

 それぞれの両手で握られているゲーム機は、昔雅に買ってあげたものと形が変わっていない。


 懐かしさと同時、清子には意味不明の切なさが押し寄せる。

 そういえば、だ。


 そういえば、引っ越し以降雅はあのゲーム機を頻繁には使わなくなったような気がする。

 清子は後部座席で膝を立てて横になる雅を振り返った。


 あなたに初めて買ってあげたゲームソフトは何だったっけ。

 心で尋ねても答えは返ってこなかった。


「……清子さん?」


 不意に声を掛けられ、清子が驚いて振り向くと鈴希が見つめていた。


「到着です。雅くんを運びましょう」

「は、はい」


 雅のことで頭がいっぱいで、結局この鈴希という女性への警戒を忘れ。いわばアジトとも呼べる彼女の自宅に、何の脱走プランも思い浮かばないまま到着してしまった。


 改めて緊張感を取り戻し、清子は周囲の環境に目を配りながら彼女の言う通りに雅を車から降ろす。


 綿串鈴希の自宅は、典型的な古い木造二階建てのアパートだが、都内の清子が住む地域ではあまり目にしない。

 駐車場も、それこそ駐車場と呼べるような場所ではなく、土地の空いている場所に二台分だけ車が停められる隙間がある程度。

 八世帯というアパートの全室数に叶っていない。


 その一階の角部屋が鈴希の部屋のようだった。

 周囲の目につかないよう迅速に、二人は雅を部屋に運び込んだ。

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