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第三十三話 「救済 その三」

 向こうの雅。ウィウットが危機にさらされている事態は、とうに過ぎたはずだ。

 だからもう、異世界転生で彼を救う機会はない。


 だが、ウィウットのいる場所が未来なら、救う手立てはまだある。

 平成三十年のこの時から、彼を待ち続けるのだ。それがどれだけ遠い未来だったとしても。


 そのために越えなければいけないのは、不可能という事象の限界だ。

 永遠。

 まずこの事象を操れなければ、いつ来るかもわからないウィウットとの出会いは果たせない。


 それは本来人が得ることのできない代物だった。

 しかし、雅がいなければだ。

 奇しくも雅は、不可能という限界を、越えられる壁、という解決可能な域にまで段階を引き下げる結果となった。


 だから、残された人間はそれを越えればいいだけ。


 謎の裏組織PCCLは、雅という体を調べることでその永遠性を手に入れようと企てた。

 そのための傷跡、おそらくは不死を手に入れようとしたのだろう。


 突如傷が浮かび消失する現象、ひと目見ただけならそれを不老不死と考えるのがむしろ当然のように思える。

 だが、実際は違っていた。


 清子はそれを、過ぎたことをもう一度経験している、と考えた。

 それが青柳の見解で雅に起きている現象は、時からの逸脱、だ。

 

 つまり雅は、清子のかけた一方的な母の愛という呪いによって、永遠性が付与されていた。死なない、という単純な形でだ。

 

 それは消滅しないという意味。

 だから雅は、向こう側とこちら側という二つに分かれた。


 清子が呪いをかけた時点で、本来ならば体が黒い石の効果で消滅したということと、死なないということに矛盾が生じ。

 そのせいでこっちの雅は、意識を完全に消失した空っぽの体として残されることとなった。


 そう考えて辻褄は通る。

 だから清子はそれを根拠として、間違いない、と結論していた。


「だから、こっちの雅に私の意識を入れれば……転生すれば、私は向こうの雅に会える……」


 むしろ、それしか方法はない。

 そういうつもりで言った清子を、バカか、と一蹴したのは、青柳ともう一人。


「お前はなにを考えているんだ……。永遠だとか転生だとか、バカげてる。雅はもう死んだんだぞ。意識がないというのはそういうことだ。まだわからないのか?」


 今にも泣き出しそうな顔をして文博が言った。


「違うの文博さん……。雅はまだ死んでいない。ここではない別のところで生きているの。信じてるとかそういうことじゃなくて、事実なのよ」

「き、清子、お前……」


 文博の瞳の色が曇っていく。

 この悲しげに歪んだ目を清子が見るのは初めてではない。


 雅に、臆病者、と言ったその時にも同じような目をしていた。

 思い通りにいかなくて、駄々をこねる代わりに文博はそういう目をするのだ。


 つまり、彼が言いたいことは一つ。


「もういい……なんて言わないで。今ここであなたが諦めたって、もう私は変わらない。私は、決めたの。雅を守りたいの。あの子になにがあっても、自分の手で守りたいの。

 あの子のためを思ったつもりがあの子を苦しめていた。もしかすると、あの子自身その苦しみに気づいていなかったかもしれない。


 私たちは、結局そうだったのよ。文博さん。

 本当は親である自分たちが負わなければいけない部分を、雅に押しつけていた。それを教育だといって、ごまかし続けたの。


 だけど、違う……。

 私たち親がしなければいけなかったことは、あの子のために身を裂くことだった。

 誰の迷惑にならないようにするかを教えるべきだったのよ。


 自分が傷つかないようにするために、じゃない。

 美杏の言った通りね。


 私たちがそんなことだから、雅は部屋に引きこもった。逃げ場所がそこしかなくなってしまうまで、私たちは雅を追いやったの。

 でも、それでも雅は生きていてくれた。生きようとしていた。自分が苦しいのに、あの子は……」


 こんなものにすがってまで。

 そう言って清子は青柳が手に持つ黒い石の袋を見つめた。


 金運の上がる石。

 雅はただお金がほしかっただけだった。お金が必要だったのは、生きていくためだ。

 もしかしたら、いずれあの部屋からも出ていくつもりだったのかもしれない。


 それが、こんなことになるなんて思っていなかっただろう。

 

「それなのに、あの子は向こうに行ってもまた苦しんでいる……。だから私は、救わなくちゃいけないの。母として、あの子が頼れる盾として。私はあの子を守りたい」

「…………」


 文博は何も言わなかった。

 ただ押し黙り、何かを感じ取ろうとしているのか、ソファの上の雅を静かに見つめているだけだ。

 すると。はいはい、と青柳がちゃちゃをいれるように口を挟んだ。


「くだらない夫婦談義はやめてちょうだい、気持ち悪い。そんなことのために人んちに知らない人上げて、あなた何様のつもりなの?」


 目が覚めるような一言だ。

 清子は途端に恥ずかしくなって、「すいません」と頭を下げた。


「で、どうするの……ってもう三度目よ? 覚悟は散々聞いたし、もうあなたのすることにやめろだなんて言わない。やってほしければ、やってやってもいいわ」


 先ほどまでとは打って変わって、青柳はそんなことを言った。

 

「一応言っておくと、これは本物よ。間違いない。私が、何も感じないなんておかしいんだからそうよ。あなたが言った通り体を傷つけることで何かが起きるっていうのも、正しいと私は思う。でも、一度使えば後戻りはできないし。だったら私も実験はできない。つまり、わかる?」


 一発勝負なの。

 そう言って青柳は、黒い石の袋を清子に渡した。


「それと、もう一つ。たとえ魂の転生が上手くいったとして、それが内臓のない死体であることに変わりはない。当然動くことはできないし、あなた自身が痛みを感じないかどうかもわからないわ。それでもやるなら、私が転生だけは成功させてあげる」


 生々しい可能性を聞かされ、清子の喉がゴクリと鳴った。

 それでもやるか。

 やる、と即答はできず。


 少し間を置いて、「はい」と清子は頷いた。


「わかった。旦那さん、その子を連れてきて」


 そう言って青柳が裏口を顎で示すと。


「ふざけるな……。清子、俺はそんなこと許さないぞ。お前が何を考えていようと、俺には関係ない」

「そんなの、私にも関係ない。私がどうなったとしても、雅に近づくにはそれしか方法がないの」


 バカなことを。

 呟いて文博は清子の両肩を掴んだ。


「考えたのか? 動けないなら、雅にどうやって会うつもりだ。見つけてもらうまで待つのか? その前に雅が死んだらどうなる。まるで意味がなくなるぞ」

「だって、それしかないの。今ここで何もしないでいるよりはずっといい」


 どうして、と言う文博の声がか細い。


「どうしてお前は、肝心なところで俺の言うことを利かない……。これじゃあ雅が引きこもるようになった時と同じだ。あの頃もお前は、どうしてもそれだけは俺の言うことを利かずに……」

「あの頃……?」


 まるで思い出せず、清子が重たげに首を傾げると、文博の口から深いため息があふれた。


「俺はずっと、やめろと言ってきただろ? あいつに干渉するなって……」

「干渉……」


 そういえばそうだった、と清子は思い出す。


 雅のことは放っておけ。

 文博はよくそんなことを言った。

 それはいつからだっただろうか。

 はっきりと思い出すことはできないが、雅が小学生かその頃からだった。


 雅はいつも引っ込み思案で、それが原因かよく小さなミスをして落ち込む子だった。

 今となっては雅がそうなったのが自分のせいだと理解している清子だが、当時は単に落ち込む雅が不憫に思えて一緒に反省したものだ。


 だからそうだ。

 そういう時には決まって文博が、放っておけ、と言った。


 不憫な息子をなだめるのがいけないことだとは思えない。

 それよりか、雅を臆病者と決めて雅を諦めていたからこそ、文博はそうやって突き放していたのだろうと思っていたのだ。


「それが、いけないことだったって言いたいの?」


 そうじゃない、と文博が首を横に振る。


「お前は、雅に干渉しすぎるんだ。お前が優しいからだろうが、その優しさこそ毒なんだ。そもそもこの子は臆病だった。だけどな、いつまでもそうやって落ち込む癖がついてたんじゃ世の中生きていけない。強くなきゃいけないんだ。


 確かに、お前の言う通り俺は雅に厳しかった。

 この子が臆病でビクビクしているのにイラついていたのもそうだ。認める。

 だけどな。俺はこいつに謝るつもりはない。反省する気もない。


 だってそうだろ。俺みたいな人間は、世の中に腐るほどいる。そういう連中と渡り合っていくのに、臆病じゃ食われて終いだ。そうならないようにずっとそばにいることなんてしたくもないし、こいつがそうやってなにかに依存して踏み切れない奴になるのも嫌だった。


 そんな俺が嫌で、それで雅は部屋に引きこもるようになったんだ。

 誰に傷つけられたからじゃない。俺が、あいつを傷つけたんだ」


 静かに語る文博は、まるで清子を諭すかのようだ。

 だからそこには清子が抱くような懺悔らしさも反省も感じられず、それなのに自分勝手とも思えない。


 清子は混乱していた。

 ずっと同志だと思っていた夫が、この数日間にやっと気づいたことをすでに理解している。


 だとしたら、問題は夫婦にではなかったということなのか。

 何も気づかずにいたのは、自分だけだ。

 薄っすらと清子の感情が濁っていく。

 すると。


「あの部屋の鍵、わかるか?」


 突然質問され、清子は意図せず首を横に振っていた。

 それを、そうか、と受け止めた文博は、「あれは、俺のためにつけたものじゃない」と同調的に頭を左右に揺らした。


「ど、どういうこと?」

「あれは、部屋に誰も入ってくるなって意志だ。どうしてそんなことを示す必要があったか、わかるな?」


 わからない。


「わからない。そんなの、私がわかるはずがない……」


 必死に否定する清子に、文博が鉄槌を下す。


「俺は、あいつの部屋に入らない。あいつの部屋に入るのは、お前か美杏かだけだ」


 文博の言葉は、清子の膨れ上がった自信を木っ端微塵に粉砕した。

 母であること、雅をどう思うべきだったか、ここまでの経験で得たもの全てをだ。

 

 そうだった、とまた清子は思い出す。

 あの鍵を雅が初めて付けた時、それを文博が壊したのは、自分が伝えたからだ。

 

 雅が一人で部屋の中で何をしているのかがわからなくなって不安だった。

 そういうつもりで文博に言いつけると、文博はその鍵を雅の部屋の内側から破壊したのだ。


 そういう逃げ方をするな、言いたいことは言え。

 散々怒鳴った後、二人になって言ったのだ。


『もうあいつのことは放っておけ。部屋に鍵をつけるっていうやり方は気に入らないけど、それがあいつの貫きたいことだっていうんなら、何度だってそうするはずだ。だから、次はやらないぞ。お前も、諦めるんだ……』


 そうだった。

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