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第三十ニ話 「救済 そのニ」

「伊藤さん、お待たせしました」


 青柳よりも先にリビングに入ってきた吉木は、そう言って会釈代わりに深く頷いた。


「ありがとうございます……」


 恐縮して清子は立ち上がった。


「霧峰さん……息子さんのこと。本当に申し訳ないことをしたと思っています。私のせいでこんなことに」


 清子が腰を折って頭を下げると、吉木は「おやめなさい」とすぐそばまで歩み寄る。


「あれになにがあろうと、それは善自身の責任です。あなたがやすやすと頭を下げてはいけない。雅くんのためであればなおさらです。それに、あれはあれで無意味な行動を取るようなことはしません」


 それよりも、と吉木は背後を振り返った。


「雅くんを見せてもらっても?」

「はい。よろしくお願いします」


 清子が言うと、吉木はソファのそばに行き、そこに膝をついて雅をじっと見つめた。


「……これが、転生を果たした者の体なのか」


 ポツリとこぼすように吉木が呟くのが聞こえると。


「残された抜け殻よ」


 青柳が口を挟んだ。


「正直、もはや生物ともいえない状態。あれを見せて」


 言われて吉木はジャケットの内ポケットから十センチ四方程度の透明の袋を取り出して、青柳に渡した。


 ついに、ホンモノが目の前に。

 雅に超常現象をもたらした、それがすぐそばにある。

 恐る恐る青柳のそばに寄る清子。


 青柳の手の平上で目の当たりにするそれは、この距離でも油断すれば見失ってしまいそうなほど小さなものだった。

 

 長さ十五ミリ。

 オークションサイトに記載されていたことよりもずっと小さく感じるのは、そこに幅や厚さが書かれていなかったからだろう。


 ビニール袋に入れられた恐るべき力を秘めた石は、何の変哲もない石、というよりもただのクズのようにしか見えない。

 清子の想像通り薄く鋭い、掃いて捨てられる程度の欠片だ。

  

 しかし、青柳の言っていたように何も感じられない。

 ありそうな威厳や生理的に感じられるような特別さではなく、あるかないか、そういう存在感そのものが希薄。


「ある程度予想はしていたけど……。よく見つかったわね」


 青柳が言うと、ああ、と吉木が頷いた。


「ひとえに、雅くんのおかげだろう。この彼が、もしイイガミ君のように消えてしまっていたら見つからなかったはず。こうして存在していてくれてこその産物なんだ……」


 ありがとう、と吉木はソファに横になっている雅に頭を下げた。

 瞬間、ドキリと清子は心臓に針を刺されたような痛みを感じた。


 雅が消えてしまう可能性があった。

 清子はそんなことを考えもしなかったからだ。


 それが、消えずに残っている。

 イイガミシュウサクがどうなったにせよ、そもそも消えるはずの雅が消えなかったのだとすれば、それはもしかすると自分がかけた呪いのせいなのかもしれない。


 痛みに乗じて心拍数が上がり、清子は耳が熱くなるのを感じていた。


「もしかして、霧峰さんは。こうなることもわかっていた……?」


 清子が思わず口にすると、バカね、と青柳が嘆息した。


「あなたが言ったことでしょ、それは。あの子に未来が視えると思っているなら、あり得る話じゃない」

「それはそうですけど。まさかここまでとは……」


 驚愕する清子の額に薄っすらと汗が滲む。

 

「で、どうするの?」

「どう……」

「あなたの子、大変な状態なんでしょ。どうするのよ。これを使うのか使わないのか」


 青柳が言うと、怪訝な顔をして吉木が立ち上がった。


「使うだと? 方法がわかったのか?」

「さあ?」


 肩をすくめ、青柳はビニール袋を握り清子を親指で指した。


「でも、この人はなにかわかったみたいね」


 そうなんですか、と吉木が清子を見る。

 その期待に満ちた視線に晒され、清子は緊張していた。

 そして、ポケットからスマートフォンを取り出し、一枚の写真を表示させて吉木に向けた。


 画面を見つめ、吉木は首を捻る。


「これは、いったい……?」


 そういう反応は予想していた。

 清子はスマートフォンの向きを自分の方に戻した。


 そこには水色のシートと薄黒く変色した指先が写っている。

 

「……雅の手を撮ったものです。でも、少し前に改めて見てみたら、雅だけが写っていなかった。その黒い石と同じです。雅はやっぱり、同じようになってしまっているんです」


 清子が言うと、吉木の口からなのか鼻からなのか気のせいのような細く長い息がもれていた。

 その後に、「なぜ手を?」と。


「指先です。他が現れてすぐ消える傷ばかりだったのに、そこだけは塞がるでもなく傷としてあり続けていたから。あの時は意味がわかりませんでしたけど、今の雅の状態を見ればわかります……」


 あれは雅がこうなる前、体に直接つけられた傷なんです。


「それだけ小さな傷なら、若い雅だと数時間もあれば塞がります。それが皮が捲れたままだった。つまり、雅がこうなる直前についたものだと考えられるんです」


 だとすれば、それしか考えられない。

 言って清子は、青柳の手の平の中の黒い石に目線を向けた。


「ということは、これで体を傷つければ雅君のようになると。伊藤さんはそう考えているわけですね……?」

「はい」


 清子が頷くと、隣で青柳が「なにが、はい、よ」とかぶりを振った。


「それってどういうことだかわかってるの? もしかしたらあなた、消えるのよ」


 消える。そうだった。

 失念していたわけではないが、清子ははたと思い出し自然と息が殺されていた。


 もしも自分が消えてしまったらどうなる。

 だが、そんなこと今は問題ではない。 

 清子の意志は固かった。


「大丈夫です……」


 きっと。

 清子が呟くと、青柳はまた「バカじゃないの」と蔑むように言った。


「きっと? なによそれ、上手くいく保証なんてどこにもないってことじゃない。それに、考え違いしてるわ。今から向こうに行って、そこまでが上手くいったとしても、同じ時間に着くとは限らないのよ。近い場所に着くかもわからない。話にならないわ」


 そうして吐き出される幾度目かの嘆息は、清子の意志が妄想だと吹き飛ばさんばかりに強い。

 しかし、その風に立ち向かうために持ち直した姿勢が、さらに清子をしっかりと立たせてもいた。


「いいんです。この先どうなろうと、私は必ず雅の元に辿り着ける」


 固い意志を口にする清子を、また緩い風が襲う。


「ただ自信があるばっかりで根拠がないなら意味はないわ。今さら奇跡なんか信じるつもり? 子供じゃないんだからそれくらいわかってるはずでしょ。そんなの無駄撃ち、愚行よ……」


 それに、と青柳は清子の目を睨めつけるように見た。


「とっくに伊藤雅は死んでいるかもしれない」


 その台詞が聞こえた途端、清子はまた耳が熱くなるのを感じた。


「わかっています……」


 そんなことはとっくに。

 最悪の未来は頭の中ですでに過った後だった。

 ウィウットが未来にいて、こっちに送られてくるメッセージが、日記なのだから当たり前なのだ。


 それがあの一文を最後に更新されていない。


『ニルマ、エスタ、アルティコ。ありがとう。』


 まるで遺言のような台詞。

 清子の元にそれが届いたのは、吉木から連絡を受けた後だった。


 もちろん、清子は錯乱した。

 しかしそれよりも、スマートフォンの向こうで泣きじゃくる娘をなだめる方が先だった。


 美杏を落ち着かせるために、だから清子は未来で確実に雅を救える方法を思いついた。

 混沌とする頭の中から一つずつ、美杏を納得させるために拾い上げた言葉が紡ぎ出したのだ。


 雅、黒い石、魂、転生、無数の傷、癒えない傷、空っぽの体、死なない体、未来、ここは過去。


「それに、奇跡を信じてなんかいない。私が信じているのは、呪いだけです」


 清子は額に汗を浮かべ、青柳をじっと見つめた。


 彼女の目、酒は抜けたようだ。光を吸って少しだけ青っぽく見える綺麗な色。

 素敵な瞳だと、清子は今さら羨ましいと感じた。


「私を……」


 清子が言いかけたその時、庭にもう一台の車が停まった。

 それを一旦の区切りにし、清子が黙ると、青柳はまた玄関ホールへと行った。


 次に聞こえてきたのは、ドタバタと激しい足音。そして。


「清子っ!」


 懐かしい声だった。

 低いが太くなく、少し鼻にかかっているのが若々しく聴こえるのだ。

 だから、全然似てなんかいなかった。


 文博は部屋に飛び込んでくるなり、飛びつくように清子を強く抱き締めた。

 清子は受け入れて、その体に両腕を回した。

 スーツの襟元からタバコの香りがする、少し痩せたのかもしれない。


「……ごめんなさい。文博さん」

「謝るくらいなら、こんなことするな」

「ごめんなさい……」


 言葉とは裏腹に、清子は温かい気持ちを感じていた。

 間違いない感情だ。

 ただ気づいていなかっただけ、それが文博をこれだけ必死にさせていた。


 ごめんなさい。

 もう一度口すると、もういい、と文博は改めて清子の体をきつく抱き締め、ソファの向こうの存在に気がついた。


 清子を放し、徐にそこへ近づく文博。

 

「た……雅なのか……?」


 第一声は、目を疑ってこぼれたような言葉だった。


「こんなこと……火葬したんじゃ……」


 文博が絶句すると。


「そういうことにするよう指示したのは、私です」


 吉木が言った。

 振り返り、文博は自分よりも一回り体格のいい吉木を見上げつつ睨みつける。


「……どういう権限だ、それは。つまらない嘘をついてまで、こいつの奇病がほしかったっていうのか?」

「あなたの奥様とお子さんを守るためです」

「守る……だと……?」


 言うなり文博が吉木に掴みかかる。


「こいつの状況を見ろ! これで守れたっていうのか!? ズタズタになってる!」

「……我々ではない」

「じゃあ誰だ、誰がやった! 俺の子どもをこんなふうにしやがって! ぶっ殺してやる!」


 興奮する文博の元へ走り、清子は吉木との間に体を滑り込ませた。


「落ち着いて、文博さん。違うの。雅をこんなふうにしたのは……」


 裏の組織、だ。

 しかし、そんなことを言って文博は納得するだろうか。

 考えた清子は、「敵なの」、と言った。


「敵……? お前はなにを言ってる。なんの敵だ、どうしてなにもしていない雅に敵が出来たりなんか……」

「それは偶然です」


 と吉木が割って入る。


「しかし、あれらが敵であることに違いはない……いや。今は、ということを知っておいてほしい」

「どういうことだ……」


 一つの野望を持ち、現状を破棄しようとする勢力。


「前回、あれらの目的は不慮の事故によって奇跡的に淘汰された。それが今回は、雅君のおかげで先に正体を掴むことができた。またしても、奇跡的に……」


 だから、彼には本当に感謝している。

 言って吉木は雅を見た。

 

 そこにすれ違い、清子が吉木を見上げる。


「やっぱり……?」

「まだ調査中です。いかんせんあれらの情報は少ないので」


 すると。


「ほんっとうに、しつこい奴らだ。ゴキブリ野郎め」


 いつの間にか入り口に立っていた黄地が吐き捨てるように言った。


「吉木事務次官。モリイって名字の奴らを令状なしで逮捕する法律ってできませんかね」

「その名が悪いわけではない。悪しきはあくまでモリイトウゴの意志だ。伝染してしまっているんだ。それこそまるで呪いかウィウルスのようにな……」


 吉木は苦々しさを噛み殺すように口を真一文字に結び、疲れたようにかぶりを振った。

 そこに、あら、と青柳の声がする。


「呪いは、ウィルスなんかとは違うわ。呪いそのものは意志でも、そこら中に漂っているわけでもないし、伝染なんかもしない。だから、例えるなら、花粉とミツバチね。無意識に運ばれ、それには媒体が不可欠。それがまた別の花に届くかどうかは、免疫じゃなく、運次第ってとこも似てるわ……」


 ところで。

 と、青柳の視線が清子に向いた。


「あなた、どうするの? 先に言っとくけど、あなたの身勝手な無謀に付き合う気はないわよ」

「……それは、無謀、でなければいいんですね。必ず成功するなら」


 清子がまた絶対の自信を口にすると、呆れたように首を横に振る青柳の反応もまた同じく。

 

「だから……」


 言いかけた青柳を、清子は「私を守ってください」と遮った。


「は?」

「私を、雅に転生させてください……」

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