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第三十一話 「救済」

 午後二時。

 それが待ち合わせの時間だった。


 もしかすると吉木たちが先かもしれないと思っていた清子だが、時間ちょうどに着いても、ジープが停まっている光景は昨日と同じだ。

 その脇に車を停め、清子は運転席で少しの間考えたが、この隙に彼女と話しておくほうがいいかもしれない。


 思い立って車を降り、玄関の扉を叩いた。

 待つこと十秒ほど。


「いらっしゃい」


 扉を開けてそう言った山下青柳は、昨日と同じ服装のままだ。

 髪が乱れていて、酒の匂いがする。


「おはようございます」


 清子が一応挨拶すると、はいはい、と青柳は右手をひらひらさせた。


「で、あなたの宝はあの中ね」

「はい。家の中に入れてもいいですか?」

「どうぞ」


 少し棘をもたせて言い、青柳は扉が閉まらないようそこに背を預けた。

 清子は一礼し、車に戻って雅を抱きかかえて、今度は青柳の脇を通り抜けて家の中に入る。

 そこで立って待っていると、青柳は玄関の鍵を閉め、「こっち」とリビングに促した。


「ソファに寝かせてあげて」


 言われるまま、清子は昨日善と青柳が座っていた三人掛けのソファに雅を寝かせる。

 すると青柳はローテーブル上に並べられた五本の瓶をどけ、そこに腰掛けて、雅をまじまじと観察し始めた。


 そうして雅を見つめながら言う最初の質問は、「善くんは?」だ。


「……怪我をしました。幸い命に別状はないみたいです」

「そうなのね」


 意外な反応に、清子は目を見開いた。


「気にならないんですか?」

「だって、死んでないんでしょ? 死にそうってことでもないし。なにより、あの子がそうならないなんて思ったことないわよ。いつだって危なっかしいし、それがあの子なんでしょ。心配なんてするだけムダよ」


「なるほど……」


 清子が納得して頷くと、青柳は、ふっ、と小さく笑った。


「それで、あなたはどうしてここに宝物を連れてきたわけ?」

「……見てもらいたかったんです」


 そう言って間を置き、清子は青柳の目を見つめた。

 酒のせいか少し虚ろだが、瞳の色はしっかりとしている。


「見ての通り。雅は、守られていませんでした。でも、あなたは呪いが成功したと言った。その意味がわかりますよね?」

「なによ。私の呪いが失敗したとでもいいたいの?」


「違います。あなたが感じたことを教えてほしいんです」

「またそれ……。お悔やみでも言ったほうがよかった?」

「そうじゃなくてっ」


 清子が凄む。


「この雅は、もうとっくにこの時を経験している。そうですよね? あなたはそれがわかっていた。だから私に訊いたんでしょ? 将来を信じるかどうか、って」


「あるかないか、よ。信じるのは人の勝手。だから私は、そう訊いたの」

「……だから、わかっていたんですよね」


 二度目に言うと、青柳はようやく「ええ」と頷いた。


「わかっていた、というよりも気づいただけ。私の呪いを返したのは、私だと思ったからよ。それこそ、あの子はとっくにわかっていたわよ、たぶん」

「でしょうね……。私もそう思います」


 そこに嘘はない。

 だが、清子がそうだと感じたのは、地下で雅の痣を見た時だった。


「あの子のあんまり良くない癖よ。推理や推測はいくらでも話すのに、結論となると急に濁すの」


 青柳は、ふふ、と笑う。

 そのわかっているような態度に、清子は違和感を覚えた。


「つまり、今回だけじゃないってことですか……? 霧峰さんは、昔からそういう節があったってことですか?」


 いいえ、と青柳は首を横に振った。


「昔からそうだったのかは知らないけど、私が二度目に彼と会った時からそうだったわ」


 青柳と会って二度目から。

 それがどういう意味なのかを、清子は知っている。


「銀の盃……。あれで見たということですか? 今のこの未来を」

「そんなの知らないわ。私はあれを、ホンモノ、だと鑑定しただけで、あの子があれでなにを見たのかは知らないから。でも、あなたはそう聞いたのね」


 はい、と清子は頷いた。


「霧峰さんは、そこに私が映っていたと言いました。だけど、一瞬だったって。だからこんなに正確に先を見ていたとは思えない……」


 清子が言うと、「どうでもいいわ、そんなこと」と青柳が嘆息した。


「それを訊きたかったわけ? だったら本人に直接訊く以上に確かなことはないわよ」

「……すいません。脱線しました」


 清子の下げた頭に、「とにかく座れば?」と声をかけ、青柳は立ち上がった。

 徐に行く先は、キッチンのコーヒーメーカーだ。

 

 そこに瓶の中の粗挽きコーヒーと冷蔵庫のミネラルウォーターを注ぐと、キッチンの向こうに回って取り出したカップを二つ、カウンターに並べる。


 グツグツ、と鳴るコーヒーメーカーの音に引かれ、清子はダイニングテーブルに向かい、一番手前の椅子に腰掛けた。青柳は、清子から三つ離れた端の椅子に腰を下ろす。


 その横顔を見つめ、単刀直入。


「私は、向こうの雅も救いたい」


 清子はそう言った。


「魂を救いたいって、そういうこと? 戻すんだったらまだしも、救済なんてものは私の本分じゃない。お得意な霊能力者とか聖職者様にでも頼むのね」


 違います。清子は首を横に振る。


「私が救いたいのは、ウィウットとしての雅です。それが正しい方法だって、やっと気づいた……」


 清子は噛みしめるように瞼を閉じ、大きく息を吸った。


「あの子は今、また一人になってしまっている。怪物に襲われそうで、逃げることもできなくて……。だから、力になりたいんです」

「どうやって?」

「もう一度呪いをかけたいんです。今ならできるはずなんです。今なら、私は遠くにいるあの子の力に……」


 言い終わる前に、「無駄よ」、と青柳は清子の方を向いた。


「あなたの呪いは、伊藤雅という人物にもうすでに届いている。それがウィウットだかなんだか知らないけど、それがあなたの息子で伊藤雅だっていうなら、意味がないわ」


 さっきも言ってたじゃない、と青柳の目線が清子の背後に向く。


「一度過ぎた時間を経験し直している。こんな現象は初めて見るけど、なんとなく理解はできるわ……」


 あなたのあれは、時間というリミットから逸脱したの。


「本当にイカれてる。普通呪いっていうのは、相互的に生じるストレスをぶつけるのよ。それなのに、あなたは違った。純度百パーのエゴ。人の気持ちなんか微塵も考えていない純粋なエゴが、あなたの呪いだった。

 

 だから、あなたの子がいつまでも死なずにあんなふうになっているのは、あなたのせいよ。

 現れて消える傷、だっけ? でも今はその傷が消えていない。奇跡みたいに癒やすわけでもなく、それでもあなたの子は腐ることも。たぶん、焼いたって正常に死んだことにはならない……。はっきり言って最悪の呪いね」


 あれが空っぽで本当に良かったって感じよ。

 青柳は言って舌を出し、吐く真似をした。


「本当に……言う通りです。私は、とんでもないことをしてしまった……」


 自分でしたことながら、清子はぞっとして身をすくめた。

 

 青柳の言う通り、雅がウィウットで良かったのだ。

 それが奇跡か何かわからないが、超常現象に救われている。


 だが、もしこの結果がわかっていたとして、自分は雅を呪わなかっただろうか。

 あり得たかもしれないもう一つの世界を感じようとする清子だが、結論は同じなような気がしていた。


 その結果がどれだけ残酷になろうとも、雅を子どもと捉えていた自分には、その残酷さそのものが理解できなかっただろう。

 愛情だと、そう結論して結果は仕方のないことだったとまた別の解決策を誰かに委ねたかもしれない。


「……とことん私はダメな人間です」


 無知というよりも知らずの心。

 不知は、はっきりした結果にも心が正常に機能しなくする。


 だから、雅一人に向けた繰り返しのような後悔がなければ、自分は何にも気づかず知らないでいるということに対しても、無知でいることに気づけもしなかった。


 雅が救ってくれたのだ。

 あの空っぽの雅が。


 振り返った清子の目にはソファの背もたれしか見えなかったが、そこで息づく雅の体の熱が感じられた。   

 傷だらけになって、肌の色まで変わってしまって、中身を失ってしまって。

 それでもまだ、自分を助けてくれる。


「だから、やっぱりこの子は私にとって最後の希望なんです。雅を救えるのは、この子しかいないんです」


 山下さん、と清子が青柳を見ると。


「そう来ると思った」


 青柳はかぶりを振った。


「私が呪与者である以上、ここに呪受体があっても意味は同じ。重複すれば返ってくるだけよ……。それに、私の大事な器は割れたの。人んちの家族のためにこれ以上痛い目みるなんて御免よ」


 バカバカしい。

 吐き捨てるように言って青柳は立ち上がり、コーヒーを二つのカップそれぞれに注いで、一つを清子の前に置いた。


 すると青柳は自分の座っていた席には戻らず、そのまま清子の隣の椅子に向かい合うように腰を下ろした

 

 覗き込むような目つき。

 真剣というよりも真顔で、青柳はじっと清子を見つめている。

 その眼差しを見返す清子の目は、真剣だ。


「でも、ホンモノがあれば別。そうですよね」

「……見つかったのね。あの写真の物が」

「はい」


 清子は頷く。


「少し前に吉木さんから連絡がありました。今、ここに向かってもらっています」

「勝手ね……」


 呆れたように言い嘆息する青柳。


「それがどんなものかも知らないのに、使えないわよ。いくら積まれても、死んだら意味がないもの」


 青柳の言葉に、清子は首を横に振った。


「だから、山下さんは石の鑑定をしてくれるだけでいいんです。ただ、使い方がわからないんです、私には。どうして雅が向こうのウィウットに転生したのかが……。でも、あなたならわかるはずです」


 確信していて、清子はそう言った。


「転生? そんなことをする方法を、その石から導けっていうの? 呪術師の私に?」


 バカなこと言わないで。

 苦笑交じりに言って、青柳は一段と大きくかぶりを振る。

 

 清子は頷いた。


「イイガミシュウサクくんです。山下さんも知っていますよね?」


 すると。一瞬戸惑い、間を置いて「ええ」と青柳が頷く。


「知っているわ」

「なら、シツシツジュバンも知っていますね?」

「……名前だけね」

「その答えを私は知っています」

「え?」


 青柳に浮かぶのは動揺、とぼけているわけでないのは身を乗り出したことで明らかだ。


「ど、どこでそんなことを……」


 言葉を詰まらせる青柳をよそに、「よく考えてみれば変だったんです」と清子は話を始める。


「シツシツジュバンという言葉。それは、雅……ウィウットの日記に書かれていたことなんです。それなのに、霧峰さんは知っていて、どうしてそれが異世界にあるのかを疑っている様子もなかった。

 変ですよね。でも、それも雅に起きていることの謎が解けた時にわかったんです」


 ウィウットは、この未来にいる。


「霧峰さんがそれをあの銀の盃で見たのかは、あなたの言う通り彼に訊かなければわかりません。だけど、少なくとも霧峰さんはウィウットがいる異世界がこの世界と繋がっていることに気づいていたはずです。


 その証拠に、不思議な言動や行動が幾つもあった。

 たとえば、雅の髪を切っておくとか、呪いをかけさせたこととか、いろいろとあの人はおかしかったんです。この時にならなければわからないようなことばっかり。だからあえて断言します……」


 霧峰善は、未来が視えている。

 それがどんな形でかはわからないが、ほぼ間違いなく。

 手首と顎の痣は、それを意味していた。

 

「でも。その、ほぼ、を打ち消す最後のピースは、まだ見えていません。つまり、待つ必要があるん……」


 です、という語尾は突如霧散した。

 

 待つ、という言葉の意味に清子にある疑問が浮かんだのだ。

 未来が視えていて果報を寝て待つはずの善は、どうして先導して超能力者のところへ向かったのだろうか。

 ここへ来たこともそうだ。


 善に何か視えていることは、ほぼ、確かなのに、その行動力が謎だ。

 彼自身、行動するということ事態が矛盾している。


 もしかして。

 謎の答えらしき、ただ視えているわけじゃない、という見解が浮かび、清子の目が泳ぐ。

 すると。


「大した推理ね」


 言って青柳は右手の平を額に当て頭を抱えるように机に肘をついた。


「それで、シツシツジュバンの答えは?」

「え、えっと。人が人でなくなる、です」


 正気を取り戻した清子は慌てて言った。


「人が人で……」


 呟きながら、青柳の目はソファの雅へと向いていった。


「それがあれと同じようにっていう意味なら、体が残っていないイイガミシュウサクと、あなたの子とでは起きたことが違うようにみえるわ」


「でも、霧峰さんと鈴希さんは似ていると考えているんです。雅から異世界にいるってメッセージが届いたから。それとイイガミくんの関係者が言っていた、別の世界、って言葉があるからです」


「別の世界……?」


 青柳は一瞬怪訝な顔をしたが。すぐに表情を戻し、そう、とため息をついた。


「そんなことがあったのね……。なるほど、なんとなく状況が理解できたわ」


 あっさりと言う青柳に、「本当ですかっ」、と清子が食いつく。

 そんな清子を青柳は煙たそうに手で払った。


「状況よ、それが理解できただけ。あなたたちの言う石っていうのをどうやって使うのかはわからないわ」

「で、でも、なにかわかりますよね? あなたなら……」


 青柳に対する確信は衰えず、清子はすがるような気分だった。

 間違っていないはず、今さら間違っているなんて思いたくない。

 

 およそ自己中心的ともいえる清子の気持ちを悟っているのか、青柳は困ったような顔を向けた。


「でも、全くってわけでもない」

「ほ、本当ですか……?」


 ええ。軽く答え、青柳はソファの方を指差す。


「ああなればいいのよ。たぶんね」 

「ああ?」


 清子も振り返り、ソファの背をじっと見つめた。

 

「だから、私はその方法が知りたいんです。どうすれば転生できるのかが知りたいんです」

「私……ね」


 言って青柳は、はあ、と大げさにため息を吐いた。


「あれと同じく、黒くなればいいのよ」


 あなた頭悪いわね。声と同時に清子は振り返る。


「だから、それはどうすれば……っ」


 苛立って凄む清子を、青柳はただ見つめていた。

 

 あまりにも静かな、どんな感情も感じることができない、遠い目。

 それは見透かされているようで、清子は写し鏡を見ているような錯覚に陥った。 


 自分が青柳で、青柳が自分で。

 その向こうにはソファが見える。

 そこには雅が眠っている。

 黒い姿の雅だ。


 あの時、風呂場の擦りガラスの向こうに見えた影のような姿。

 そんなふうになれ、と青柳は言う。


「わけがわかりません……」


 それは、孤独を知れ、ということだろうか。

 そうすれば雅に近づくことはできる。だが、それで転生できるのなら、転生そのものがごくありふれているということだ。

 だったら苦労はない。


 少し考えて。

 いや、と清子は事実がむしろその通りだということに気づく。  

 

 転生はすでにありふれた現象として受け入れられているのだった。

 信じるか信じないか。それが五分五分だったとしても、転生という現象の認知度は限りなく高いのは確かだ。


 つまり、転生はあり得ると考えておかしなことなど少しもない。

 問題は、雅と同じ時同じ場所に転生しなければならない、というところだ。


 そのために、黒くなればいい。

 雅と同じ状況になればいい。

 雅は、どうしてああなったのか。


「黒い石……で……」


 答えが見えた。

 清子が急いでポケットからスマートフォンを取り出した時。


 車のエンジン音と庭の草を躙る音が聴こえ、次いでバタンとドアが閉じた。


「来たみたいね」


 青柳が立ち上がるのに合わせて、玄関扉のノック音がホールに反響する。

 

 到着したのは、どっちだろう。

 清子はふとそんなことを考え、少し緊張していた。


 すると耳に届いた、「久しぶりだな」、という一度聞けば忘れもしない太い声は、吉木のものだ。

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