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第三話 「信じ難い話 そのニ」

 これはいったいどういうことなのか。

 美杏が呼ぶただしの愛称"だーくん"が送信者のメッセージ画面は、清子にとっては予想打にしないあり得ないものだった。


「いつから。美杏は……」

「わかりませんけど。少なくとも引きこもりの間もでしょうね、きっと。清子さんの知らないところで雅くんとやり取りしてたんですよ。兄妹仲が良くっていいじゃないですか。で、何が書いてあるんです?」


 細かいことはどうでもいいのだろう。

 事務的にされた気遣いに清子の心は多少痛んだが、気を取り直し再びスマートフォンの画面に焦点を合わせた。

 瞼に力を入れ、清子はそこに書かれている一文目に目を凝らす。


「どうやら俺は異世界転生してしまったようだ……」


 清子が最初の一文を読み上げた瞬間だった。

 鈴希はハッと息を飲み、何かを呟いた。


「え?」


 スマートフォンの画面から目を離し、清子が鈴希の横顔に吸い寄せられるように目を向けると、彼女のはネックレスのチェーンを気にしているところだった。


「イイガミシュウサク……です」


 再度吐き出された言葉には力がなく、しかも先に呟いたことと音が違うような気がした。


「人の名前、ですか?」


 訊ねる清子に、鈴希はまず首を横に振った。 


「すいません。この話はあまりに突拍子もなくて、信じてもらえないかもしれない……」

「どういうことですか? それが、雅に何か関係が?」


 何かあると感じた清子は、食い下がるように訊いた。

 すると鈴希は、じっと前方を見つめたまま、まるで重い口を動かすかのようにゆっくりと話し始める。


「昔、今から十年ほど前のことです。わたしは大学を卒業したばっかりで。その前からライターの仕事はちょくちょくやってたんですけど。

 本格的にライターとして食べていこうと思ってネタを探してた時に調べていたことなんです……」


それは、鈴希の学生時代の友人で新米警察官だった人物からの情報だ。

 彼が先輩警察官から聞いた話だというそれは、つい最近あったらしい一人の男性の奇妙な失踪事件の話だった。

 

 それは、一本の通報に始まる。

 通報者は女性で、今恋人の部屋にいるのだがどうも様子がおかしいから来てほしい、というものだった。


 不審な通報に近くの交番から警察官一人が現場であるマンションへ向かうと、そこには通報者である女性がいた。

 そこで彼女は第一声、恋人が消えた、と言った。


 失踪を疑った警察官が彼の部屋へ入ると、風呂場の扉が開きっぱなし、シャワーが出っぱなしで、脱衣所の床も廊下もびっしょりと濡れていた。

 その跡は奥の部屋にまで続いていて、その部屋の扉も開け放たれている状態。


 そして廊下には、なぜかテレビのリモコンが落ちていた。

 それから警察官が奥の部屋へ入ると、部屋の床も濡れていて、そこにもエアコンのリモコンが落ちていて。

 また、部屋の一番奥にあるベッドにも濡れた跡があって、向こうの窓が半分開いている状態、カーテンも中途半端に開かれていてその端も少し湿っていた。


 しかしそれ以外には特に荒らされた形跡はなく、少しベッドがよれている程度で部屋全体的には整理整頓されていて綺麗なものだった。

 その後警察官がベランダを見てみるもそこには濡れた形跡はなかった。


 状況からして、住んでいた男性は浴室でシャワーを浴びている時に何かがあって風呂場から飛び出し、一旦は奥の部屋に入り、ベッドの上に乗った、というところまでは考えられたが、その後男性がどこへ行ったのかがわからない。


 通報者である彼女に訊いてみると、ベッドの上に乗ったところまでは警察官と同じ見解で、しかし彼女が言うには玄関内側のドアノブが濡れていたからベッドから玄関まで戻ってきたのかもしれない、とのこと。


 だったら玄関から出たのかとも考えられたが、彼女が言うには、男性の履いていた靴もサンダルもそこに残されたままで一つも無くなっていないという。


 では窓から出たのかというと、それは男性の住む部屋はマンション最上階の五階ということから、難しいと判断された。


 そこで当然通報者である彼女のウソを疑った警察官は、彼女を任意同行で聴取することにした。

 その際、増員されたもう一人の警察官が上下階と隣室に当時おかしなことがなかったか訊いてみたところ、隣室の住人から玄関の扉をノックする音が聴こえた、という証言を得た。


 しかし、後の聴取によってノックは彼女本人がしたことであることが判明。

 また、マンションに設備された監視カメラには、男性がマンション内に入ってくる姿も、出ていく姿も映っていなかった。


 この奇妙な失踪事件に、警察は本腰を上げて捜査を開始。

 マンション内全ての部屋と、一ヶ月に遡って監視カメラ映像を調べてみたが、どこにも男性の姿は見つからず。

 

 それから、ベランダから外に出た可能性を考えて周辺捜査も行ったが、主要道路沿いにあるマンションで交通量、人通り共に少なくはない場所にも関わらず、おそらく全裸でびしょ濡れの男性、という異常者の目撃証言は一つも得られなかった。


 警察はついに男性そのものが彼女の虚言であることを疑うが、マンションの管理会社には確かに、イイガミシュウサク、という男性が契約している書類がある。

 任意での精神鑑定にも異常はなく、彼女自身の虚言癖の可能性も否定された。

 また、男性周辺の親しい人物らへの聴取を行うも、誰も男性に失踪するような理由を思いつかなかった。


 動機不明、原因不明、消息不明。

 イイガミシュウサクは、書類上にその名だけを残し、姿を消した。

 

「……まるで神隠しですよ。気になったわたしは、それでこの事件のことを調べてみようと思ったんです。調べてみた結果、ヤバいことがわかったんですけど。それは置いときましょう。

 ある時です。その頃には彼の恋人だっていう女の子とも仲良くなっていて、それで会って話をした時に彼女が言ったんです」


 シュウサクは、別の世界で上手くやった。


「別の世界……?」

「そう。でも、彼女もそれを聞いただけで。だからわたしは、彼女にそんなことを言った少年って子を探したんですけど、結局見つかりませんでした。その後、彼女とも連絡がつかなくなって……」


 そう言う鈴希は、少しだけ寂しそうな顔をした。


「とにかく、そういうことです。一応言っておくと、個人的にわたしは信じてますよ。別の世界のこと。でも、突然失踪した人間が別の世界でってありがちじゃないですか。証拠も根拠もない、よくある作り話とか勘違いだった可能性が高いんです」


 少し前までの明朗な姿はどこへやら、自信なさげに頭を掻く鈴希だが、その表情は硬い。

 清子は深く頷いた。


「もし、そういう世界があるのなら。雅は今、そこにいるということですか?」

「もしあれば、ですけどね。可能性があるかもって、ぶっ飛んだ話ですよ」


 そう言う彼女の声は軽さを取り戻していた。


「というか、美杏ちゃんが送ってきたそれが異世界からのメッセージだと決まったわけでもないですよ」


 謙遜しているのか、そう感じた清子が「信じます」と力を込めて言うと。

 鈴希は変に顔を歪めてまた頭を掻き、はあ、と納得したような声をもらした。


「じゃあ、聞いてみたらどうです? その雅くんのメッセージが何なのか、美杏ちゃんに」

「確かに、そうですね」


 そこからの清子の行動は早かった。

 美杏へ早速送信するメッセージは、『これは、何?』。

 美杏からの返信は数分後、『夢』。


『夢、というのは?』

『だーくんの』

『雅が見た夢なの?』

『違う。だーくんの夢だった、たぶん』

『どういうこと?』


 と、そこで美杏から着信がきた。


『だから、そういうことなんだってば。だーくんは、小説書いてたんだよ。おかあ……あなたには言わなかったけど。そういうのを送ってきてくれてたの、だーくんはっ』


 小説を書いていた。それが雅の夢だったのかもしれない。

 知らなかった雅の事実を知り、心が痛む清子だったが。

 それよりも今は、メッセージが異世界から届いたものでないことに肩を落としていた。


「違ったのね……」

『は? なにが』

「小説、メッセージじゃなかったんだね……」

『わけわかんないんだけど』


 スピーカー越しに美杏の嘆息が聞こえる。


『結局、何も変わってない。期待したあたしがバカだった』


 それだけ言って美杏は通話を切ってしまった。

 娘の言葉はやはりショックだったが、一度落とした肩の重さの中では軽いものだ。もう慣れている。

 

 そんな事情を知ってか知らずか、鈴希は相変わらず明るい声で「やっぱ違いましたね」と言った。


「でも、落ち込むのはまだ早いです。今はそれよりも先にやるべきことがあるんですから」


 鈴希の言葉は、清子をまた救う。

 跳ね上げるように体を起こすと、清子は運転席に向かって体を捻った。


「なんですか! 教えてください。私、なんでもしますから」


 不意に懇願するような清子の態度に、鈴希は僅かに身を縮める。


「清子さん、落ち着いて」


 その言葉に冷静さを取り戻したわけではなかったが、清子は素直に身を引いた。


「なんにせよ、雅さんのことは時間がかかります。その間ずっと警察から逃げてるんじゃ動きづらいし、何も変えられない」 

「はい」

「だから、まずは動きやすくなること。つまり、時間を確保するんです」

「はい。そのためにはどうすればいいのでしょう」

「公表するんです」

「公表?」

「雅くんのことをです。世間に公表しましょう、詳細に。雅くんは死んでいないんだって知ってもらうんです」


 そうすればきっと、世論が生まれる。

 それが警察の動きを鈍くし、雅をそばに置く権利をまず取り戻すきっかけになるかもしれない。

 

 鈴希の話には、やはり魅力があった。

 何をどうすればいいのかわからない清子であっても、世間が動けば文博を変えられるかもしれないと思ったからだ。


 わかりました、と清子は頷いた。


「清子さん、SNSはやってます?」

「すいません、やってないんです。それが必要なら、今すぐ始めます。やり方教えてください」


 清子は意気揚々と答えたが、鈴希は渋い顔をして唸った。


「今から始めると、雅くんのことしか書き込むことにならないし。わたしがやっても何もわからない人たちにとっては胡散臭くなっちゃうと思うんです。だったら、美杏ちゃんとかどうです? 若いし、やってるんじゃないですか?」


 おそらく、そうだろう。

 わかってはいたが、清子には躊躇する思いが浮かんでいた。

 美杏を巻き込みたくない。

 それに、たった今愛想をつかされなおしたばかりだ。


「それは……、無理だと思います」

「どうして?」

「私は、嫌われているんです。たぶん、みっともないから。あの子にとって、私は頼れる存在じゃないんです」


 言葉にすると、清子はふと虚無感に襲われた。

 まるで空っぽだ。

 雅とだけでなく、美杏とも何もしていなかった。

 それなのに、どうして美杏のことで涙が出ないのだろう。


 浮かんだ疑問は、どうしてか清子自身を立ち直らせた。


「……でも、頼んでみます。あの子はまだ私のそばにいる。雅に必要なことだって言えば助けてくれるかもしれません」

「よし、じゃあ早速お願いします」


 そうして清子が美杏へ送るメッセージを打ち込む最中、鈴希は車を少しだけ加速させた。


「あの、そういえばこれからどこへ向かうんですか?」

「わたしの家です。ホテルよりもよっぽど安全だと思いますしね」


 隠れ家まで考えてあったなんて、なんとも手際の良いことだ。

 宛もなく彷徨っていた自分とは全く違う行動を取るこの鈴希という人に、清子はもう憧れを抱き始めていた。

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