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第二十八話 「奪還 その六」

 その最中だ。

 また鈴希がスマートフォンを操作する手が止まり、改めて指を動かした。

 数秒後、スマートフォンが短く震え、画面を見つめる鈴希は「エレベーターに来る」と言った。


「急ぎましょう、清子さん。奴らはそこで降りるみたいです。すれ違いに行ったほうがいいって」


 さあ、と鈴希が手を添え、二人は今よりも少しだけ足早に階段を下りた。

 

 そして地下五階。

 当然そこも階段の側から中が窺えるが、無意識にそこへ向けていた清子の顔の前に胸を寄せ、「見ないほうがいい」、と鈴希は視線を阻んだ。


 しかし、少し遅かった。

 ほんの一秒か二秒、たったそれだけの短い時間で清子の目に映ったものは、もうすでに焼き付いて離れない。


 薄く黄色味を帯びた液体、それが満たされた瓶。

 中に浮いていたのは、腹の中身を剥き出しにしたウサギだった。

 他にそれが何と判別できるものは、ネズミ、体だけ禿げたトリ、体を失ったイヌ。それと、ヒト、かもしれない一部。

 あとは、白っぽく変色した動物の臓腑。


 大小様々ないくつものホルマリン漬けの瓶が、上のどの階でも見なかったごく一般的な骨組みだけの棚に並んでいた。


 清子にとって、それは初めて見るというわけではない。

 テレビ、映画、そういったもので少なからず目にしてきた別段珍しいともいえない光景だ。


 だが、怖い。

 ただ怖い。

 そんなわかりやすい感情が、今さらになって清子の中で藻掻いていた。


 心臓は激しく鼓動し、足は先ほどよりもはっきりと震える。

 それは、行くな、というの体からの警告か。

 それとも清子自身が、行きたくない、と思っているのか。

 唾を飲み込んだのをきっかけに息が上がり、脂汗が額に滲み、脇の下を冷たいものが伝っていく。

  

「清子さん」


 鈴希が清子の肩を抱く手に力を込めた。


「す、鈴希さん。ただ、た、ただし……」


 それ以上、考えることすらも拒絶したいのか。清子の脳は言葉を消し、まともに喋らせることもしないつもりだ。

 それなのに焦りばかりが残されていて、清子の震えは徐々に大きくなっていく。


「見てみなくちゃわからない。だから、ダメだよ。想像だけで、怯えちゃダメ」


 そう言うと鈴希はまたぐっと力を込めて清子を抱き寄せ、ほとんど持ち上げるようにして踊り場まで下ろす。


 途中、階下から複数人分の足音がし、すぐにエレベーターの両扉がぶつかり合う物音が聞こえた。


「もう少しだから」


 励ますように鈴希が言うその脇で、重い鉄の箱が壁の裏を移動していく気配がしている。

 だから急ぎたい気持ちはあって、だが動こうとするものの上手くいかず。鈴希は清子を強引に引きずって残る階段を下りる。


 そして地下六階。

 階段の側から窺える間仕切り壁の向こうに、例の棚はない。


 あるのは壁だ。

 クリーム色なのかピンク色なのか、血色の良い人の肌色を思わせる壁が、ガラスの向こうに立っている。


 なんだこれは。

 予想外の物が目に飛び込んできたおかげで、一度は最悪を予期した脳も懐疑によって冷静さを取り戻したようだ。

 体の震えが少し弱まり、清子は吸い込まれるようにして廊下へと足を踏み入れた。


 肌色の壁は、クリーンルームの手前ギリギリまでの幅。

 そこから、クリーンルームであり部屋への入口である自動扉を挟んで向こう側にも同じ色味の壁が見える。


 ここまで来て、清子はようやくそれが小部屋であることに気づいた。

 

 何に使うための部屋だろう。

 清子が疑問に思ったのはほんの一瞬で、廊下の隅に並べられたキャスター付きの担架を見つけ、この肌色の小部屋の意味を暗に察した。


 すると。


「中へ行きましょう。雅くんは、奥にいるみたいです」


 鈴希の声がして。直後に清子の直ぐ側でクリーンルームの扉が開いた。

 

 そこへ真っ先に入る鈴希。

 だがクリーンルームは作動せず。その奥に待ち構えている同型の自動扉も鈴希の進行に合わせて勝手に開くと、そのまま閉じることはなかった。


 だから勝手に開いたのではなく、開かれたのだ。

 どこにいるやもしれないハッカーが、そうしたのだと清子にもわかった。

 一度鈴希が進んで行くのを見た後だ、特別警戒することもなく、清子はクリーンルームを通り抜けていく。


 部屋の中は、思ったよりも広い。

 クリーンルームの出口から一直線に広い道が設けられていて。

 小部屋は、左側の隅にに大きなものが一つ、右側の隅と間を置いてもう一つの合計二つ、左のものの半分ほどの大きさのものがある。


 他に目につくのは、棚と机と椅子とパソコン、顕微鏡とそれからどこかで見たような気がする印象に薄い機器がいくつかと冷蔵庫みたいな物だ。


 ここがもし、らしく化学の実験室のような部屋だったなら、清子はまた嫌な未来を見て具合が悪くなったことだろう。

 しかし、ここはそんな薬品臭く無機質な模様ではない。


 床も小部屋と同色の肌色をしていて、ほぼ無臭。

 机の上もきちんと整理されていて、清潔な病院、といった風景が広がっている。


 よもや壁に可愛らしい動物の絵や、手の平とバイ菌というわかりやすい構図の絵でも飾ってあるのではないかと探してしまうほど、清子には身に覚えを感じられた。


 そのせいで、右側すぐそこの小部屋の扉に『レントゲン室』と書かれていても、清子はいまいち理解できずにいた。

 

 漠然と思う、ここはどこなのだろう、という感覚。

 ショックで機能をおかしくした清子の思考回路は、ここを仮にピンクの花畑と認識させ、ウサギを追って迷い込んだ不思議の国さながらに思わせていた。


 ふらふらとした足取り、右に寄るとレントゲン室と向かい合ってそこには、『CT室』とあり、振り返って左の方へ行けばその大きな小部屋には『MRI室』とある。


「そっか。美樹先生のところ……」


 若い頃清子が通っていた産婦人科医院だ。

 その院長でやさしいおばあさん先生が、吉村きみえ先生。

 そこで働くもう一人の医師の美樹先生は、きみえ先生の娘で清子よりも一回り年上だ。


 年が近くて、初めての妊娠で不安を言う清子にとても気を遣ってくれた。

 

 美樹先生には子供が二人いて、どちらも女の子。

 夕方近くに行くと、待合室に二人並んで座っていることがあって、そういう時は、お姉ちゃんの優ちゃんがまだ小さい芽衣ちゃんに絵本を読んであげていた。

 そんな仲睦まじい姉妹の風景もまた、不安をさらってくれた。


 思い出すとふと体の中に温かさを感じ、そのせいか熱っぽくなった清子は、パソコンが並ぶ机の椅子にそっと腰を下ろした。

 そしてその手は、腹部をそっと守るように当てられる。


「もうすぐだからねー……」


 雅。

 その名前は、文博が付けたものだ。


 十数年前にやっていた深夜ドラマで、牙と名につくヒーローがいて、普段はそんなものに見向きもしない文博が妙にそれだけは気に入って録画して見ていた。

 それで文博は子供にも、牙、の字を入れたいと言い始めたのだが。さすがにそれでは凶暴すぎるということで、が、と読めて牙がへんに入る、雅、という字を使うことにした。


 かといって、みやび、では語感が女の子っぽいというので、ただし、と読む。


 清子に異論はなかった。

 ただお腹の子に会いたいという一心だけで、名前も何も考えてもいなかったからだ。

 それに、端から文博の言うことに異論など唱えるつもりもなかった。


 温かい記憶が吹き出し、清子は思いつく適当な旋律で鼻歌を歌い始めた。

 聴いたこともない曲、だがテーマは子守唄と決まっている。


 眠っているのか起きているのかもわからない雅のために、清子は鼻歌を、手を使って喉を使って伝えようとしていた。

 

 その時。


「き、清子さん……?」

「はい」


 顔を上げ、清子はお腹の子に「順番が来ましたよ」と呟いた。


「きっ、清子さんっ」

「すいません、今行きます」

「ちょっと、マジで言ってんの……」

「あれ。えっと、私の順番じゃ?」


 困惑する彼女に、清子もまた困惑し首を傾げる。

 すると彼女は頭を抱え、乱暴に掻きむしると、強い目つきで清子を見つめた。

 

 その意味もわからずまた清子が首を傾げていると、彼女は大股に近づき、右腕を大きく振り上げた。


「えっ?」


 清子が振り上げられた右手の意味に気づいた瞬間。

 バチンッ、大きな音を立てて、右手の平は清子の頬を打ち抜いた。


 会心の一撃。

 手加減知らずの衝撃に、清子は吹っ飛び椅子から転げ落ちた。

  

「ど、どうして……」


 涙目で見上げる清子。

 そこに彼女がしゃがみ込み、胸ぐらを掴んで清子の顔を自分の顔に無理やり寄せる。


「あなたの子供はそこにいない……っ」


 逃げるな。

 そう言って、彼女は清子を地面に投げるようにして手を放した。


「…………」


 涙が勝手に流れてくる。

 痛いからじゃない、怖いからだ。

 

 部屋に入ってすぐ、視線の先に映った銀色の台。

 その意味さえわかっていなければ、現実逃避なんてできなかっただろう。

 しかし、清子にはその意味がわかってしまった。


 地下五階、ホルマリン漬け。ジャンル、という鈴希の言葉。

 ここにある検査室。


 清子の呼吸は一気に荒くなり、呼吸はただ清子自身を苦しめるだけの動作へと変わる。

 目の前が暗く、花畑も不思議な国も産婦人科医院も、みんな消えてしまいそうになった時。


 床を濡らす清子の涙の上に、スマートフォンが滑り込む。


          ◯


『アルタネティア歴ニニニ年。二つ日の月、第ニ週二日目。


 仲間たちとはぐれてもうニ日経つ。

 この森が人喰いだといわれる理由が今になってわかった。

 まわりの風景は変わらない。何かに見つめられている気配もずっと変わらない。

 今自分がどこにいるのか、まったくわからない。

 

 ニーマにきらわれる性質がここでは味方すると思っていたけど、考えちがいだった。

 おれがグランポワを持っている時点で意味がない。


 ここにいるヌニーマは、分列が早く腹が減っているのが多い。

 さっき、ヌニーマが同士食いしているところを見た。

 すごく攻ゲキ的だ。

 

 ずっと感じる視線はやつらか?

 ずっとおれのグランポワをねらっているのか?

 これをすてれば、逃げきれる?

 

 おれはどうなるんだろう……。

 

 まさかこんなことになるなんて思ってもみなかった。

 みんなと一緒ならできると思っていた。

 違う。

 おれは、みんなを巻き込んだ。

 ポワのこと、だれにも言わなければよかった。

 石なんて、どうせどこにもない。

 おれたちは、イルノにからかわれただけなんだ。


 もし、これをだれかが読むのならきいてほしい。

 イルノのはなしは信じるな。


 ヌニーマの声がきこえる。ちかい。』


『この森に住んでいるのは、ヌニーマとケモノだけじゃない。

 モンスターがいる。

 耳ざわりな声のせいで気配に気づかなかった。


 ケモノの巣穴にかくれている。

 ヌニーマに見られている感じは消えない。

 もしかすると、ヌニーマが居場所を教えているのか?

 ポワさえあれば。


 どうしておれは伊藤雅なんだ。

 雅じゃなければ、もっと強くなれた。雅じゃなければ、もっと守れた。戦えた!

 ムコウじゃあんなに簡単に倒せていたのに。モンスターなんて簡単だった。

 

 なぜ腹がへる。のどもかわく。

 足音がする。にげる。』

      

『第ニ週二日目。エスタに会えた。

 エスタのニーマのおかげで、見られている感じは消えた。

 やっぱりヌニーマだったんだ。


 エスタもモンスターを見かけたらしいが、見つかってはいないようだ。他の二人とは、モンスターからかくれている内にはぐれてしまったらしい。

 ニルマが心配だ。

 アルティコは無事だろうか。あいつは足が遅い……。


 こんなくだらないことのために、みんなを巻き込んでしまった。

 キケンだとわかっていたなら、やっぱり一人で来るべきだった。

 来ないほうがよかった。


 全部、ぜんぶこいつのせいだ。

 こいつが弱いから、つまらないウワサ話なんかを信じるはめになった。

 

 こんなところ早く抜け出さなきゃいけない。

 でも、どうする?

 エスタを先に逃がせばおれはヌニーマに殺される。

 でも、エスタだってこれ以上ニーマを使えばポワを失う。


 やっぱり、ニルマとアルティコを二人で探すほうがいい。それしかやりようがない。

 だけどそれでもしエスタのポワがきれたらどうする……。

 また声がする。とにかく二人で』 


『巣穴。

 今ニルマの影を見かけた。エスタがいない。

 また一人。寒い。だれか

 だれか、たすけてくれ

 モンスターがきこえる。もうひとりはいやだ』

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