第二十二話 「あるかないか その七」
それから数分間、善と鈴希がカップのコーヒーを空にするまで待っていたが、青柳はなかなか戻ってこなかった。
かといって、呪い返しができないのに彼女が戻ってきても雅の行方を探る方法はない。
だったら、どうすれば雅の行方を追うことができるのか。
当然の疑問は、むしろ振り出しに戻るようなものでもある。
「それは違うね。一つマスが潰れたんだ。振り出しに戻ったというよりも、この道じゃ先が見えないとわかっただけ意味はあったろ」
自分の分を終え、鈴希のカップを洗いながら善が言った。
「じゃあ、次はどうする、って訊いたほうがいい?」
鈴希は同じ椅子に座ったまま、洗い物をする善をぼんやり見つめている。
「出品者のことはどうなった?」
「全然、連絡なしだよ。ま、予想通りっちゃ予想通り」
「となると、状況は一旦休みってとこか」
手の水を払い、善はそんなことを言った。
「ちょ、ちょっと善くん。ここまで来てノープランってこと?」
焦る鈴希が言うと、いいや、と善は首を横に振った。
「別に何もないってわけでもないが、何にせよ他力本願であることに変わりはないな」
「吉木さんを待つ。そうでしょ」
まあ、正解。
そう聞いた瞬間、「あーあ」と鈴希は背もたれに仰け反って盛大なため息を高い天井に吐き出した。
「その他にも、伊藤美杏の連絡を待つ。ソンダーダッハからコンタクトがあることに期待する。ってのもある」
正しく、他人に頼る方法だ。
鈴希は天井を見上げたまま、二度目のため息を吐いた。
「……善くんってさ、そういうとこあるよね。さんざん賢くしておいて、実は自分じゃ何もしてないって感じ。口車に乗せられて、あーやっちゃった、って気分になる」
「その口車に乗って得られることも少なくないはずだ」
「まあね。だから、騙されたなんて言ってない」
鈴希が遠く向かってに言い、善がそれを鼻で笑ったその時。
スマートフォンが鳴った。
それをポケットから取り出し、画面に目を落とす善。
「果報は寝て待て、だ」
満足気にそう言ってスマートフォンの画面を叩いた。
だが、もしもし、とも応答らしいことを何も言わないので、傍で訊く二人には誰から、なんの連絡がきたのかがわからない。
果報というくらいだから、吉木からだろうと予想できてはいる。それでも、うんともすんとも言わない善の反応は二人を不安にさせていた。
少し経って。
ようやく「ああ」と善が頷くのが聞こえたかと思うと、二人の背後で動く人の気配がした。
清子だけが振り返ると、そこには青柳が立っている。
「ちょっと、善くん。ちゃんと説明して」
神妙な顔。強い語気には、詰問のその気配が感じられるが。それよりも今、善は電話に夢中だ。
シンクに腰を預け、左一方で胸に抱えて右肘をそこに乗せスマートフォンを耳に当てた格好のまま振り返りもしない善が、また「ああ」と頷いた。
「ねえ、わかってたの? あれがすでに呪われているって、それなのにまた呪いをかけさせたんでしょ。どういうつもり?」
そんな青柳も、善の状況を気にしている様子はない。
電話中も構わず淡々と自分の言いたいことを言って、さらに「説明しなさい」とそこに佇んだまま言った。
その返事はと言うと、「今メモを取る」だ。
しかしキッチンの辺りを探しても書けるものは見当たらず、善はスマートフォンを耳に当てたまま、「山下さん、メモできるものありますか?」と突然声をかけた。
青柳はただ肩をすくめただけだ。
すると善は、「スズ、今から言うことをメモしてくれ」と視線を鈴希に移した。
バッグを持っていない鈴希は自分のスマートフォンを両手で持ち、目で合図をする。
「北海道。青森。宮城。長野。奈良。愛媛。岡山。鹿児島……」
善が一つ地名を言う毎、鈴希の両手の指がスマートフォン上をすばやく滑る。
「八箇所、多すぎるぞ。もっと絞れないのか?」
質問にスピーカーの向こうの人物は何を言ったのか。
善は「急いでくれ」と頷いた。それから少し待ち。
「それで、可能性があるのは?」
質問に対する答えは、青森、宮城、だ。
ここから数百キロ。
あれから十二時間以上が過ぎ、ようやく手に入れた手がかりは、そんなにも離れていた。
それを答えだけ聞かされれば、いつの間に、なんて思いが過り。清子には、まるでこっちの雅までもが瞬間移動でもしたかのように感じられた。
しかし、二箇所だ。
何もわからない状態から、一気にそこまで近づいたのは清子たちにも同じ力が働いたといえるだろう。
伸びた分だけ強力に縮む、さながらゴムのような絆として雅は繋がっている。
追う、とはそういうことなのだ。
だから、逃さない。
清子の目に闘志が宿るのと同時、善が「とにかく向かう」と言って善は通話を切った。
そうして善は二人を見るが、結果は伝えられなくてもわかっている。
清子も鈴希も立ち上がり、準備万端とばかりに善を見つめていた。
すると善は二人の視線の中心にいてニヤリと頬を歪め。「行くぞ」、と二人の間をすり抜けるが。
「待ちなさい」
そこに青柳が立ちはだかる。
「説明がまだよ、善くん。あれは、いったい何なの。わかっていることを教えて」
「……イヤですね」
「どうしてよ。言えない理由があるってこと?」
違いますね。と善は鼻で笑った。
「条件にないことだ。山下さんが挙げた四つの条件に、俺があなたに呪いを依頼した理由も、その結果の感想も言う事項はなかった。だからですよ」
「……ほんっとに、いやらしい。つまり、私は利用されたのね? あなたの実験に」
「それはどうでしょうね」
そう言って善が浮かべたのは、微笑みだった。
青柳が言うようないやらしさでも、不気味なニヤつきでもなく、単なる笑みだ。
そこに邪気を感じないのが意外だったからか、青柳は目を丸くしていて、腹に抱えていたであろう言葉を失ってしまったようだった。
そのすれ違いざま、善は「ありがとうございました」と言った。
そうして鈴希も後に続き部屋を出て、清子も出ようという時だった。
ねえ、と青柳に呼び止められて足を止めた。
「あるかないか、あなたはどっちだと思う?」
「彼に利用する意志があったか、ないか……ですか?」
いいえ。
青柳は静かに首を横に振った。
「未来……というか、将来かな」
「どういう意味です?」
訊き返すも青柳はかぶりを振り、「やっぱいいや」とポケットから抜いた右片手で清子を追い払った。
それで軽く会釈して清子が部屋を出ようとすると、また「ねえ」と声がした。
「報酬を期待してるって、あの子に言っといて」
声は聞こえていたが、清子は振り返らずに頷くだけして二人の後を追いかけた。
◯
運転は引き続き善が、鈴希は助手席に座っていた。
後部座席に座る清子も、今は前のめりになって前二席に体を近づけている。
理由は当然、先ほど善にかかってきた電話の内容にある。
通話の相手は、やはり吉木だった。
伝えてきた内容は、メン・イン・ブラックの正体。
詳しいことは未だわからないが、吉木はメン・イン・ブラックの正体を、PCCL、という会社だと言った。
その営業所所在地こそ、善が鈴希にメモを取らせた八県であり。今現在向かおうとしている場所はその内の二県がある方面だ。
東北地方。
これから三人はそこへ向かうわけだが。
北海道、青森、宮城、長野、奈良、愛媛、岡山、鹿児島。
吉木が、この内青森と宮城の二県が雅の行き先として怪しいと踏んだのには、ちゃんとした根拠がある。
まず、雅が連れ去られた八月十日の午前四時半頃、ビルの前に警察が到着した直後にシルバーのミニバンが一階の駐車場に入る様子が、近所の監視カメラ映像に残されていたことにそれは始まる。
その車が再び駐車場から出てくるまでにかかった時間は約五分。
駐車場内部までは映像で確認できなかったものの、その後車の出入りはないため、雅を連れ去った車に間違いない。
そこに映っていたナンバープレートを調べてみると、それは島根太郎という人物が所有する車だとわかっているが、当人については調査中。
吉木の使いが港を探したものの車は見つからず。
吉木自身の機転から近くの輸出業者調べさせてみると、それがとある中古車系の業者で当日輸出されるフィリピン行きの貨物に入れられる予定だったことがわかった。
その時の手続き書類によれば島根太郎は、偽名らしき山中鹿介とされており、住所も偽りだった。
しかし、従業員はそのいかつい山中鹿介から半ば強引に買い取り額を二割増しにされたことから、男をよく覚えていて。
一応車を買い取りはしたものの、よくないものであることを考えて廃車にしてしまおうと考え直したようだ。
そこで残された車の中を調べてみたところ、カーナビから例のPCCLという社名と長野県の所在地が登録されているのを発見した。
次にそのPCCLについて調べると、それは書類上一応産廃業者として存在する会社であり、その営業所として長野県を含む他七県に散らばっていることがわかったが、現存するかどうかは目で見て確かめるしかないためそれも調査中だ。
そうしてメン・イン・ブラックの情報は掴んだものの、残された車に雅はいなかった。
だが、車が売りに出されたとなれば、雅はどこかで別の車に乗せ換えられたはずで。付近にある監視カメラ映像を徹底的に調べてみると、とある駐車場に入るところが映っていた。
その数分後、同型のブラックのミニバンが駐車場を出て、その後島根太郎の車が駐車場を出るのを確認。
念の為その後に駐車場を出る車を確認したが、ニ時間過ぎても出庫したものはなかった。
そのためブラックのミニバンを追跡してみると、車は東北自動車道に入り、栃木県の矢坂北パーキングエリア付近までは確認されているが、それ以降カメラに映っていない。
怪しい動向を二度目の移し替えと断定し、現在吉木の使いが現地を調査に行っている最中だ。
その怪しい車が東北自動車道を北上していたという情報こそ、現在PCCLの営業所が所在するとなっている八県で、青森と宮城を怪しいとする吉木の根拠である。
だから、雅はそのどちらかに連れて行かれた可能性が高い。
そして、どちらにせよ今は北上するべきなのだ。
森を抜け切る前に話は終わってしまった。
それでも清子が前のめりのまま姿勢を変えていないのは、まだ訊きたいことがあるからでもあるが、それよりも、硬直していたといったほうが正しい。
雅を連れ去った者の正体。
それが会社だと言われたことに驚いていた。
組織と言おうが会社と言おうが意味は変わらないのかもしれない。
だが、物事には印象というものがあって、組織と聞けば怪しさも秘密具合も強調されるもの。
それなのに、会社、と聞くとどうしてこんなにも身近に感じられるのだろうか。
どこかに潜んでいるのではなく。さも当然のように週五日、出勤という格好で彼らは仕事をしている、満員電車に揺られていたりして。
その仕事の内容がたとえ人さらいであっても、月収とか年俸とかいって給金を得ている。
PCCLという会社で働く人々の姿がやけに生々しく想像できて、清子は虫酸が走る思いだった。
だって、家を一歩出ればそういう連中とすれ違っているかもしれない。スーパーで、コンビニで、駅で。スーツを来た人間はごまんといるのだ。
もしかすると、自分を殴り雅連れ去ったのは先日すれ違った誰かだったかも。
そんなあり得る話が、平和や安全の裏に存在する。
自分がずっと無警戒に生きていたという、ありがちなことに清子は気づかされた。
だから訊きたいことがある。
「雅は、無事なんでしょうか……」
もっと早く気にするべきだった。
それだけ感じて清子が質問すると、善は「わかりません」と言った。
「一応、彼は死んだ状態。だから乱暴されているという状況は考えづらいですが、むしろそのせいで詳しく検査されるのは間違いないでしょうね」
「検査って。じ、じゃあ……」
起こりうる最悪が清子の脳裏を過る。
それを防ぐために雅を連れて逃げたというのに、あの時の勇気も何もまるで意味がなくなった。
虚無感が清子の口を閉ざす。
「だ、大丈夫ですよ、清子さん。雅くんは言ってみれば狭間の状態なわけで、あいつらは少なくともそれを信じてるんです。だから、下手に傷つけるようなことはしないって。それで雅くんが本当に死んじゃうことのほうが心配なはずだしさ」
「そう、ですね……」
一理ある話だとは理解していた。
それでもいまいち希望的な未来が浮かばない。かといって絶望的な未来も。
荒れる波もその原因である風もどこにもなく、まるで凪の状態。
清子には今、そういう冷静さがあった。
「でも、とにかく雅を助けなきゃいけないんです。雅が何かされたとして、ここからじゃなにもできない。そばにいなきゃ、なんの意味もないんです。だから私は、雅に呪いをかけた……」
清子が言うと、「そういうことか」と鈴希は善を見た。
善は前方を向いたまま、表情は変わらない。
「……それで、霧峰さんはどっちだと思いますか? 青森か宮城か」
「予想もつきませんね。なにせ突然聞かされた話です。PCCLという会社についても産廃業者だってことはわかっていますが、それ以上のことはまだわかっていない。そもそもペーパーカンパニーだって可能性も捨てきれていないんですよ……」
でも、と善は落ち着いた声で言った。
「なんにせよ、解決はします」
それは、落ち着け、という意味ではないのだろう。
善は確信しているのだ。
そう感じ、清子は「はい」と頷いた。




