第十七話 「あるかないか そのニ」
一同の期待に満ちた視線が集まる中、木与木多は首を横に振っていた。
「ダメだ、何もねえ……」
まるで息切れでもしているかのように、肩でする浅いため息混じりに木与木多はそう言った。
「何もない……? どういうことです」
「そのままだ。何もねえんだよ」
とにかくこれを見ろ。
木与木多が善に差し出したのは、五枚のポラロイド写真だ。
善はそれらをニ、三秒だけ眺めただけで「なるほど」と、すぐに鈴希に渡した。
すると鈴希は、写真を見るなり「何もないって、そういうこと……」と神妙な顔で呟く。
「見せてください」
清子が言うと、鈴希は座卓をじっと見つめたまま、写真を渡した。
視えない、とはいっても何かヒントはあるはずだ。
念写した本人と、その手の道に通ずる二人が諦めているのに、清子はまだ期待していた。しかし。
写真を見て清子が口にできるのは、「何これ……」という一言だけだった。
写真に映っているのは、例のオークションの画面だ。
右側に入札に関係する数字とそのリンクボタン、即決価格の三万という数字、そして即時落札のためのリンクボタンが表示されている。
その左側半分、大きく四角く区切られた写真がある。
日に焼けた薄黄色の畳と擦り切れた縁を背景に、中央付近に置かれた赤い正方形の紙切れが一枚。
それだけだ。
商品名に記載されている石がどこにもない。
残る四枚の写真も同じだった。
「失敗ということはないんですか?」
押し黙ったままの善と鈴希に代わり、清子が訊くと。
木与木多は、やはり首を横に振った。
「失敗じゃねえのさ。だからそうだな……強いて言えば、視えちゃいる。確かに視えちゃいたんだが、どうしてもわからなくなっちまうんだ」
「わからない? それはつまり、写真にできない、ということでしょうか」
いや、とそれも木与木多は首を横に振る。
「透視しても、その石ってもんだけわからなくなっちまうんだ。ぼんやりぼやけてよ」
こんなの初めてだ、と木与木多は今度はかぶりを振った。
「透視ってのはな、およそ過去を見るってなもんだ。終わったことを再確認する。視えてるわけだから、だから失敗なんてのは本当ならあり得ねえんだよ。それなのに、そこに写っているはずのもんがねえ。
こう考えるとおかしなふうに聞こえるかもしれねえが、つまりそいつは、存在してねえって意味なのかもしれねえ」
「存在していない……って。でも、雅はこれを落札しているんです。だから写真を確認していたはずです。さすがに、何も写っていないこの写真でお金を払ったりは……」
話しながら、清子も困惑していく。
視えていたのに写らない。どうしてそんなことが起こるのか。
清子はふと、怪しい、と言った鈴希と同じ思いを感じた。
透視だから、なのではないだろうか。
いわゆる超能力、常人では体験できない事象が本人のみに起きているのだ。
信じたとしても、嘘か本当かの判断はできない。
手元の写真五枚は、確かに過去のものだ。今はない画面をポラロイド写真にしたのだから、念写ということそれそのものはあるのだろう。
だが、視ているのは木与木多本人のみ。
思念を写したとして、木与木多がわかっていなければ外側にいる誰にも見えないのは当然なのではないか。
抽象画がそうであるように。
一度人の脳を介した情報には、純粋な事実とは違う多少の脚色が込められているのかもしれない。
「……あの」
言うべきか否か、迷いつつ清子が声を掛けると、木与木多が清子を見た。
「木与木多さんが、石を知らないからということはないですか? 想像もつかないものだから、視えなかったとか」
清子がそう言うと、善が顔を上げ「あのな」と口を開きかけたが。「いいさ」と木与木多がそれを制す。
「よくよく言われんだ、そういうふうに。頭に浮かんだことを視る能力なんじゃないですか、ってな。
でもな、そうじゃねえのさ。俺がやる透視ってのは、今言ったけど、過去を視るってなもんだ。だから現実だ。俺みたいなもんは、その過去と今の橋渡しをしてるにすぎねえ。
説明すんのは難しいけどな。わかりやすくいうんなら、一度切り忘れたシャッターを改めて押し直すってもいえる。条件付きでな」
「条件、というのは……?」
木与木多は、うん、と頷いた。
「すまん。条件ってより、ヒントって言ったほうがしっくりくる。
たとえば誰でも知ってる透視ってのは、隠れた図柄を当てることだったり、行方不明者の捜索だったりするかもしれねえな?
その隠れた図柄ってのがカードにってんなら、カード。行方不明者の捜索だってんなら、その人の情報。
いかに超能力者とはいってもな、ただの人間だ。知らねえもんは知らねえのさ。
だから少しでも知る必要があって、そいつをヒントにして広い過去の世界に枠を作る。カードに何か描いてある、誰かはこんな人物だった。ってな感じでな。
言ってみりゃ、ピントを合わせるってことでもあるな。
ヒントを頼りにピントを合わせる。オヤジギャクみてえなもんだけど、確かにそうなんだ」
そんなふうに世界を狭くしなくちゃ、なんにも気づけねえのよ。
最後にそう言って肩をすくめ、木与木多は嘲笑ぎみに、ふん、と鼻を鳴らした。
「じゃあ、石が視えないのは、情報が足りないから……ということですか?」
しかしそれでも、木与木多は首を横に振る。
「こいつに関しては、そうじゃねえ。その五枚、集中し始めてすぐに視えたもんだ。スケベ画像を引っ張り出すのとおんなじくらい簡単だったし、俺が見てたもんには何か映ってたはずなんだ。
それなのに、写らねえ。こうだった、って記憶もはっきりしなくて。何かあったはずなのに、何もわからなくなる。まるで夢でも見てたみてえに、そこんとこだけが何も思い出せなくなっちまうんだ。
だけど、そんなのおかしいんだ。見たはずなのに、写らねえなんて……」
肺の空気を全部吐き出すような長いため息。
力が抜けたように、腰を下ろした木与木多は、「すまねえな。力になれなくて」と善の肩に手を置いた。
「いえ、十分ですよ」
どういうつもりか。
満足げな善は、もうすでにニヤリと口角を歪めていた。
対して、訝しむような複雑な表情を浮かべる木与木多。それをよそに、善はいつの間に持っていたのか分厚い紙束を取り出し、その一枚を破き取った。
それは、清子が初めて間近に見るもの。
善が数字を書き込むのを見て、本当にそうやって使うのか、と少し緊張させられるものだった。
「おい、善。いらねえよ、仕事は失敗だ。見たいもん見せられなかったんだからよ」
小切手の受け取りを拒否する木与木多に、今度は善が首を横に振った。
「いいや、木与木多さん。たぶんそれでいいんです。この石が本物だって、わかったからそれだけで十分収穫はあった」
もはや確信的な笑みへと変貌した歪んだ顔は、それに加えて目の輝きまで加わっていて。
むしろ清子には、それがかえって狂気的に見えた。
「本物……。まあ、そういう言い方をすればそうかもしれねえ。でも失敗は失敗だ。半額でいい」
そう言って木与木多は、庭の側の窓を開け、外に足を投げ出す格好で腰を下ろした。
「そういうなら、じゃあそれで」
と善もその隣にあぐらをかいて座り、木与木多との間に座卓の上にあったガラスの灰皿を置いた。
どうぞ、と渡したのは小切手ではなく、タバコだ。
木与木多がそれを受け取り、善と揃ってタバコをふかし始めた。
「で。なんの本物だ、あれは。ある程度わかっているんだろ?」
「全然ですよ。わけのわからないことに使われた、わけのわからないものです」
「なんだそりゃ。わけわかんねえな」
「でしょ。だから、写らなくて当然ですよ」
「まあ、な……」
納得したのかしていないのか、背後から木与木多を見る清子には判断がつかなかった。
それからタバコを吸い終えると、善が先に立ち上がり、改めて書き直した小切手を座卓に伏せて置き。
三人が軽い挨拶をして車に戻ろうと庭を歩いていると。
「おい、善。どういうことだ、こいつは」
縁側に立ち三人を呼び止めた木与木多の手には、小切手が摘まれている。
「他言無用。それじゃ足りませんか?」
善が言うと、木与木多は眉間にシワを寄せ「いや……」と小さく呟いて、それ以上何も言わなかった。
それじゃあ、と三人がまた車に向きを戻すと、木与木多はまた「おい」と呼び止めた。
振り返った三人、なのかそれとも善だけに向けられた言葉なのか。
気をつけろよ、と木与木多は言った。
◯
合計二百五十万円といくらか。
畳と赤い紙が写っただけの五枚の写真に掛けられるにはあまりにも高額だ。
たとえばこれが念写で写された特別なものだとしても、その事実は傍目には決してわからない。
だからこの写真一枚で五十万円すると言われても、買う者はどんな物好きでもいないはずだ。
事情があって、事実を知っている者だからこそ、価値を知るとでもいうべきか。
しかし、当事者であっても、清子にはこの一枚にそんな価値を感じられはしない。
むしろ、出前の分の支払い二千七百五十円を自分がもっておいてよかったと思えるくらいだ。
木与木多のところまでの手間賃としても安いだろうが、それでも。
善が言う、本物、の根拠は、透視能力者である木与木多の念写に写らなかったことだ。
写らなかったのに根拠になる、というのは正直なところ清子には納得しかねる内容だったが。
あの時、善が木与木多に語らなかった『シツシツジュバン』というヌリのことを踏まえれば合点がいった。
人が人でなくなる。
雅が異世界で『イルノ』という人物に聞いたそれを、善は人の記憶に残らないという意味なのではないか、と理解していた。
鈴希もそれで納得したところ、イイガミシュウサク失踪事件が関係するのだろうと、清子は察した。
だが、だとすれば木与木多の念写に写らなかったことはどういう意味なのか。
過去を改めて写し出す力が念写で、それは現実だと木与木多は言っていて、善もそれを重々理解している。
それなのに、記憶に残らないから写らない、というのは矛盾している。
清子の疑問への答えは、まさに意表をつくものだった。
「だから。時間に残らない、ってことですよ」
「時間に残らない……?」
「そう考えれば辻褄が合うでしょう。俺たちが記憶と呼ぶものは物事にせよ感情にせよ、その時、という括りに限定される。
木与木多さんは透視のことを過去の現実だと言っているんです。それがあまりにも広大なので、絞り込むんだってね。つまり、その時、に確定する必要があるということです。
どういう原理か、透視能力者は過去の現実をリアルタイムで目撃することができる。だから、その時、は視えていた。でも、切り取ろうとすると無くなる。わかりますか?」
わからない。
何を言っているのかさっぱりだった。
清子が言葉にもできず曖昧な表情をしていると、善は「二重スリット実験を知っていますか」と言った。
「いえ、知りません」
清子が首を振ると、「そういうことは即答するんだな……」と善が呆れた。
「二重スリット実験というのは、ざっくりいえば量子というものそのものの性質を表す実験です。状態と観測という立場が難解な関係であることを示す実験、ともいえますか。
たとえば、自分の背後で今何が起きているのか、想像はできても見ることはできない。
見たとしてそこに車内の風景がありますし、実際そこに風景は存在します。じゃあ見ていなかったら存在しないのかというとそうことではなく、見ている見ていない関係なく背後の風景は存在するわけですが。どうしてかという原因はわからない」
はあ、と清子は適当に相槌を打った。
「この状況を説明するために、粒と波という言葉を使いますが……」
「はあ……」
二度目の相槌で、善は嘆息し「やめた」とかぶりを振った。
「結論から言います。
そもそも粒が粒だと把握している時点で、それは観測されている。
これから粒なのか波なのか知るために実験するというのに、すでに観測が生じているんじゃ話にならない。
盲目という状況も加われば、きっと結果が三つにも四つにもなるでしょう。
つまり、観測は意識ってものと深く関係していると考えられているわけです。
見ているからあるし、見ていないくてもある。
どっちも意識がそう捉えているのだから当たり前だ。
それなのに、例の石はその時だけ視えていて、その時から切り離すと無くなるんです。俺はこの状況を、時間があるからだと考えています」
善はそこに、「透視、という超次元の力があってこその考え方ですがね」と付け加えた。
「時間、ですか……」
「そう。現実は常に過去。正確に言えば、現在というものはもうすでに過去だということです」
「……どうしてですか?」
「視えているからですよ」
「視えているから、過去? 理由になっていないような気がします」
いいや、と瞼を落とし、善は清子の目をじっと見た。
「そもそも視るのにも時間がかかっていますから。一秒にも満たないかなり短い時間ですが、それでも光を反射して捉えるまでのラグがあるはずです。その後さらに脳で理解しているのなら、もっと遅くなっている……」
音と同じ。つまり、私たちが見ていると思った時すでに現在は過ぎてしまっていると考えられるわけだ。
そう言って善は頷く。
「とにかく。現実が過去である以上、透視は可能。その過去を広く見通す透視という力が及ばないのだとすれば、それは現在という状況か未来というところにあるはずでしょう。
だけど、未来にあるものを現実に視るっていうのはまた違う予知の能力であって、普通の人間にできることじゃない。
写真に撮られて、オークションサイトに添付されたのなら、なおさら未来のものじゃないっていえる。
だったら。あの石は、ラグを生じない現在にあるって考えられませんか?」
なんとなくわかりました。清子は頷いた。
「でも、だからって念写に写らないってことの意味がわかりません。現在は過去でなくて、念写は過去しか写せないとしても。オークションサイトの画像は撮られたものなんです。
過去のオークションサイトにあったものなら、過去として念写に写るはずじゃ……。それに、写真に撮れたってことも不思議です」
清子の疑問に対する答えは。
「もし、そいつにしか視えていなかったら?」。




