第十五話 「落札したもの その十二」
清子が開くのは、例のごとく美杏とのメッセージの画面だ。
火葬の件についてはまだ何も言えていないが、GPSによる監視はなくなったと伝えたことで、美杏も数時間ぶりにスマートフォンに電源を入れ、雅から新しくメッセージが届いていたことに気づいたようだ。
その間、雅の小説、改め雅の日記は、一気に十四件も増えている。
増えた十四件は、「後で見せてくださいね」と鈴希に言われていた。善も同じだ。
この短時間に日記が増えたのは不思議に思えるが。
そもそも異世界という遠いもなにもない場所から届いているわけだから、時差が生じていたとしてもおかしなことはない。
だとしてこの日記は、どの程度の頻度で書かれているのか。これがまめなのかそうでないのか、判断するのに必要なのは日付だが。
まず雅はそれを毎回書いたりはせず。そしてなにより、日付もまた異世界仕様だった。
そのせいで、日付らしいことがわかっても雅の書く日記の頻度はわからない。
『三つ日の月、第二週三日目』
一つの日記には日付と思しきことがそう書かれてる。
月と週と日、それらについてはこっち側と共通しているようだが、曜日という概念はないのかもしれない。それと、月の数え方にも特徴があるようだが、単に三月ということではないだろう。
奇妙なこの日付の記し方は、おそらく雅が日記を日本語で書いているからだろう、というのが善の意見だ。
その証拠になるとは判断しきれないが、最初の日記で雅は年齢を数字の二桁を漢数字で表している。
考えられるのは、普通用いられるアラビア数字を忘れている可能性がある、ということだ。
きっと、バイリンガルのような感覚だといっていたことの弊害だろう。
雅は今、ウィウットとしての異世界純正の感覚と日本語を混同して考えてしまっているのかもしれない。
日付に関して改めて考えてみて、清子は新たに一つ気づいた。
それは、雅の日記が唐突に十四件も増えたのが、先の日記に書かれていた『冬が明けたら』というところが理由かもしれないということだ。
中学校を卒業し、冬が明けたら大学へ、ということは雅は向こうで冬休みなのだろう。
学校が行かない分考える余裕ができ、だから日記が増えているのだと清子は考えていた。
そこから判断すると、『三つ日の月』とは冬のこと。
つまり、夏である現在の日本の環境とは半年近く時間が離れていると予想できる。
十五年と半年。
それが清子と雅との距離だ。
つい三日前まですぐそばにいて、同じ時を共有していたのに、そんなに離れてしまっている。
物理的な距離にせよ、時の差にせよ、清子にとって意味は同じだ。
遠すぎる。
それなのに、触媒はそれをほんの三日という時間で縮めてしまった。
善が言うところの、本物、が驚異的であることを清子は実感していた。
「時間が、縮まる……?」
また一つ気づいたことが、清子の現実と不意に繋がった。
「…………」
雅の体に起きていた、突如傷が浮かび消失する、という現象だ。
瞬く間に生じる謎の現象が、左手の甲の時にだけ治癒の瞬間を見ることができたのはなぜだったのか。
ずっと不思議だったが、それは時間が縮まったことが原因なのかもしれない。
「もしかして……」
傷が無数に一瞬にして現れて消えるというのは、雅の十五年をこの三日で再現していたのではないだろうか。
それが善のところに連れて行った時には、傷の出現と消失の頻度が減っていた。だとすれば、異世界の雅と現在との差は縮まってきている。
間違いない。
「あのっ!」
と清子は声を上げた。
それが突然のことだったので、善も鈴希も体をビクリと反応させた。
「ど、どうしたんですか。いきなり大声出して」
「わかったんです。雅の傷の謎がっ」
興奮する清子に反し、二人は冷静だ。
どういうことですか、と善がスマートフォンを下ろした。
「雅の体と魂は、まだ繋がっています!」
二度目の「どういうことですか?」は、鈴希が言った。
「三つ日の月は冬のことで、雅は十五歳。だから、私たちと雅は十五年と半年くらい離れているんです。触媒がそれを縮めたのだから、三日です。たった三日で、雅は十五年を生きていたって……」
そう思いませんか。
二人の反応を窺う清子だが、まず先に目に入った鈴希は首を傾げていた。
しかし。
「……なるほど」
善だけは、また納得して頷いた。
「証拠は……というよりも、根拠はありますか? 息子さんの体が十五年を再現したという証拠が」
「それは……」
気づいたことを思い違い違いにしたくない。
清子は雅の日記を遡り、辻褄の合いそうな部分を探した。
そしてそれは、一番初めの日記に見つかる。
「……これです、『一応名家の生まれで、騎士として育てられたみたいだ』。だから、雅は騎士なんです。霧峰さん、あの時の傷を覚えていますか?」
「あの時……?」
「昨日の夜です。私が雅を連れて行ってすぐ、あなたが雅を調べていて打撲の痕が浮かんだでしょう?」
清子の話を聞き、ああ、と善は小刻みに首を縦に振った。
「思い出しましたよ。たしか腕……いや、手首に現れた」
「そうです。その時、私は顎にも打撲の痕が現れたのを見たって言いましたよね」
「ええ、たしか言っていたと思います。それが根拠ですか?」
そうです、と清子は深く頷いた。
「雅は騎士なんです。あの打撲が剣のトレーニングでついたものだとすれば、小手を受け、顎を打たれたって考えられませんか?」
対面するのは、ウィウットの父親かもしれない。
それが剣の素人である雅を相手に、未熟な部分を叩いて攻める。
そんな光景をまざまざと浮かべながら、清子は自分の推測に絶対の自信を持っていた。
しかし、「考えられなくもない」と善の反応は薄い。
「ですが、根拠とは言い難い。あなたの想像が、見たものと辻褄を合わせるように働いているだけかもしれない」
「そ、そんな……。でも、別の世界のことは信じているんですよね。雅の日記がそこから届いていることも」
「もちろん」
「だったら、どうして……」
真実は目の前にあるというのに善が二の足を踏んでいるのがただ意地を悪くしているように感じ、清子は歯がゆさを目線に込めた。
すると。
「清子さん」
いやに落ち着いた声で善が言った。
「人っていうのは、基本的に主観から抜け出すことができない。そのために解脱なんて方法が編み出されたくらいにね。
だから、自分が思う辻褄ってものに縛られると真実に近づくことができなくなる。すぐそこにあってもです」
急に何を言い出したのだ。
わけがわからず清子が不満げに首を傾げると、善は嘆息した。
「たとえば、拷問を受けたのかもしれない。それを否定できますか?」
「ご、拷問……」
「そうです。息子さんが騎士だからといって、剣で叩かれているとは限らない。鞭の可能性だってあるし、訓練なんて形じゃなくて一方的に殴られているだけの可能性だってあるんだ。
根拠はあくまで根拠でなければいけないんです。事実が一つで、解釈は幾通りもある状態じゃそうは言えない。
こういう不可解な事象に対しては、より冷静に見る目が必要なんです」
ただ、信じるか信じないか、それだけはどうしようもない。
言って善は肩をすくめ、あの笑みではないいたずらっぽい笑顔で微笑んでいた。
「……つまり、そうだと決めつけるには情報が足りないということですか」
「その通りです。そして大概、足りない情報っていうのが最後のピースだったりする。私たちは今、それを待つしかないんですよ」
「待つ? 待っていれば、その根拠が得られるっていうんですか?」
「ですかね」
最後は言葉を濁したように感じられた。
かといって理由を問いただしたところで答えてくれもしないだろう。
善を納得させられる根拠を探すしかないと諦め、清子がまたスマートフォンに目を落とすと。
「車で待っているので、また」
そう言って善は部屋から出て行った。
突然のことに扉を眺めたまま硬直する清子。すると。
「さっさと来い、ってことですね。行きましょ、清子さん」
「……はい」
清子は着替えを済ませ、治療費の支払いをしようと病院の会計カウンターへ行くと、支払いはすでに済んでいるとのことだった。
支払ったのは、吉木だ。
今日会ったばかりの人にそんなことしてもらうのは申し訳ない。
なんとか返せないかと清子が言うと、鈴希は「悪いのはメン・イン・ブラックだし、あの人はお金持ちだから大丈夫ですよ」と笑った。
「百万とか二百万くらいまでなら遠慮はいりませんから」
「ひゃっ、って。もしかして、鈴希さん……」
支払わせたことがあるのか。
清子が疑惑の目を向けると、「合計ですよ、合計」と鈴希はまた笑った。
そうして二人が駐車場に向かうと、ある車のそばに警備員が立っていた。
いったいどうしたのか、なんて愚問だ。
全ては周囲に響き渡る不気味な絶叫が物語っている。
◯
「今からキヨキダさんのところに向かいます」
そう言って善は車を発進させた。
鈴希は運転席の後ろから「はいよ」とだけ言うと、スマートフォンを弄り始め。
清子はそのまた後ろで、スモークガラス越しの鉛筆画のような風景を眺めながら、キヨキダさん、のことを考えるが。
それは善の呟いた、透視、のことだろうとわかっていたから何も言わなかった。
絶叫は清子たちが車内に乗り込んだ時から止み、代わりに清子の知らないピアノ曲がタイヤの音に混じって聴こえていた。
だから雑音が雑音でなく、風にざわめく木々の声のようにも聴こえ。だからピアノの音色は鳥のさえずりか小川のせせらぎのように。
風景に影がかかっていなければ、そう感じたかもしれない。
実際、清子にはこの状況が風呂場のように感じられていた。
ピアノの音は宛ら湯船に落ちる水滴の音のようで、タイヤの雑音は換気扇が空気を吸い込む音に聞こえる。
ユニットの白いバスルーム。
磨りガラス越しに見る洗面所。
そこを横切ったあの姿が、立って歩く雅を見かけた最後の瞬間だった。
風呂場を掃除していた清子が振り返ったほんの一瞬だ。
きっとタオルを取りに来ただけだった。
いつ買ったのか覚えていないほど前に買った黒い上下のスウェットと伸びた長い髪のせいで、雅は本当に影のような姿に見えた。
それ以前は、雅を音という気配で感じるだけだった。
トイレの扉が閉まる音、時たま深夜に聞こえるシャワーの音、廊下を歩く足音。
やっぱりお茶に誘えばよかった。
湧き上がる後悔が一滴、知らぬ間に清子の頬を濡らしていた。
唇に触れて、自分が涙を流していることに気づき、清子はすぐに目元を拭った。
しっかりしなければ。
気持ちを取り戻すために、清子はスマートフォンを取り出し、雅に起きていることを証明するための情報を探そうと日記が並ぶ美杏とのメッセージ画面を開いた。
増えた十四の内、清子がすでに目を通した五つの日記は、先の二つに比べて長文は減り、雅の記憶を抜きにしたウィウットとしての日常や愚痴のように一言だけというものもある。
『三つ日の月』と記されていたのは、ウィウットの日常と思われる『顔合わせ』の回だ。
続く日記をさらに五つ読むと、そこには雅としてのことも書かれていた。
父親の剣術には足下も及ばないこと、『太刀筋が鈍っている』と言われたこと、その原因を『打たれる痛みに弱くなった』と言われたこと。
それから、好きなお菓子を食べてみると口に合わなかったとか、元学友の冗談が面白いと思えなかったとか、好きな教科が変わったとか。
雅はそれを、『ムコウの記憶のせいだ』と書いている。
ウィウットとしての自分と雅としての自分との差に違和感を感じているのだ。
そんな中、『ニルマ』という人物とはいつもと変わらず接することができるらしい。
ニルマは雅の幼馴染で、同じく名家の騎士だ。
一緒に風呂に入ったと書いてあるところ、男性なのだろう。
雅としての記憶のことを、彼は『少し変わったと思っていた』と話しているようで。
その上でニルマは、今の雅を『ただ賢いだけじゃない方が面白い』とも思っている、少し個性的な人物のようだ。
そして、雅は彼と時折訓練をしている。
だから、あの時雅に現れた打撲はその時についた可能性があるともいえる。
日記を読み進めたことで、清子は他の可能性が見えなくなっていたことに気づかされた。
善の言う通りだ。これでは雅に起きている現象の根拠にはならない。
見つけなければならないのは、他に考えようのない一つの出来事と雅を繋ぐ一点だ。
たとえば。と清子に浮かんだのは、あの左手の甲の傷だ。
治癒したものの痕が残っている唯一の傷。
あれのことが日記に書かれていれば、きっと正しい根拠になる。
清子はさらに先の六つ目の日記を拡大しようとして、そこに美杏からのメッセージが添えられているのに気づいた。
『ヌリだ。お母さん』
ヌリ。
気味の悪い語感だ。
どことなく悪いもののような予感を抱きながら、清子は改めて日記を拡大した。
『やっぱり、おれにはポワがなくなっている。
知裁もあるし理解もしているし、筆記では悪くもなかった。
それなのにどうしてか今は子供ができるようなこともできない。
使えたはずなのに。
親が言うには、幼い頃も受験でもできていたみたいだし、ニルマも学校では使っていたと言っていた。
おれも使えたのを覚えている。
たぶん、これも伊藤雅として自覚を取り戻したせいだ。
ウィウットとしてできていたことができないのだとすればそうに決まってる。
これで剣術もダメになっていたら最悪だった。
正直、だったら伊藤雅としての記億なんていらなかった。
異世界転生なんてことまでして。
何がチートだ。ここじゃ何も役に立たない。
PCの知しきも、科学の知しきも意味はない。むしろ、ここの人たちにとってはPCなんて子供のおもちゃみたいなものだろうし、科学だってポワの前じゃただ手間がかかるだけのムダだ。
もう、二つの記億があることを楽しんでいられなくなった。
コロッケとか牛丼とか。親もあいつらも喜んでくれたけど。
だったら、料理人にでもなるか。
少なくともこっちじゃ、コロッケももんじゃも作れるのはオレだけだ……。
けど、それって意味あるか?
ここに来て、オレができることって結局ムコウでもできることじゃないか。
俺は、なんのためにここに来たんだろう。わからない。
イルノの言っていたヌリのことを信じたくなる。
人が人でなくなる。シツシツジュバン。
どういう意味かよくわからないけど、それがもし伊藤雅を消してくれるなら、オレにもポワが使えるようになるかもしれない。
必要な黒い物体について、明日もう一度イルノに聞いてみる。』




