第十三話 「落札したもの その十」
部屋に入ってきたのは、スーツを着た長身で体格のいい初老の男性だ。
見覚えのある風体に一瞬清子の体が固まるが、男を見た鈴希が会釈し「ヨシキさん、お久しぶりです」と微笑んだのを見て、緊張は解けた。
そんな清子の視界の端で、陽介が背筋を正し一礼、という不思議な行動を取っている。
吉木、だろうか。それとも良樹みたいに鈴希のように下の名前の可能性もある。
仮に名字がそうだとして、一体何者だろう。
見ず知らずの男を知ろうとする清子は、人を下の名前で呼ぶ癖がある鈴希が名字で呼んだかもしれないことに違和感を覚え、だったら格式高い人なのかもしれないと思った。
そのわりフランクな対応のせいで、いまいちわかりづらいが。
態度からするに二人とも知り合いであることは明白、だから問題はどういう知り合いなのかだ。
着ているスーツの質感や革靴の艶はいかにも高級そうで、しかし何よりも、男が醸し出す気品というか背筋の正しさが只者でないことを物語っており。
しかも警察官である陽介が半分固まったような今の状況だ。
この吉木という男がいわゆるどういう立場の人間なのか、薄々理解しながら、清子は彼らとどういう関係なのかを考え始めていた。
すると男が清子の視線に気づき、近づいてくる。まるで立ち憚る枝草を跳ね除けるような、ふとすれば気圧されそうな勇ましい足取りだ。
思わず見を硬くする清子の肩に、男はそっと手を触れた。
「大変でしたね、伊藤さん」
喉の反響がよく聴こえる太い声。
いかにも男らしいその手は、大きく分厚く、温かく。
その袖口からふわりと漂うタバコの香りがした。甘いタバコの、だ。
「あの……」
それと背筋が正しいというもう一点だ。
清子はこの二点だけで、名字も違う似ても似つかない二人の男に同じ気配を感じていた。
だから、この男が誰だろうとどうでもいいとも思った。
「息子がさらわれたんです。それが誰なのか、居場所もわからなくて……」
前置きなしに清子が言うと、肩を掴む吉木の手に小さく力が込められた。
「ええ。どうやら息子は、綿串君が三階へ向かったと思っていたみたいです」
怖かったでしょう。
吉木の目は清子の頭頂部に向かって一瞬動いた。
その無言の一瞬に、「メン・イン・ブラックですよ。たぶん日本人で、二人いたみたいです」と鈴希が合いの手を入れたおかげで、清子は彼のいう息子が誰なのかを確認しそびれた。
「メン・イン・ブラック?」
「黒スーツっていったらそれしかなくないですか?」
鈴希が言うと。吉木は、ふむ、と唸って「調べてみなければな」と清子から手を離した。
「念の為確認するが。もしや、ということは……?」
吉木が意味深なことを言う。
そんなはずは、と鈴希は首を横に振るが、それはどう見ても怯えているようだった。
ここまでずっと明るく、むしろ事態を楽しんですらみえた彼女が、吉木の一言でここまで萎縮してしまうとは。
密かに驚く清子の隣で吉木はため息をひとつつき、そして清子の方に向き直って膝を落とし、目線を下げた。
「伊藤さん」
「……はい」
「正直にお話しますと。今集まってくれている三人の中で、私が一番役に立たない。できるのは、ほんの僅かな手助けだけなんです」
申し訳ない、と頭を下げる吉木。
清子はどうしていいかわからず、また「はい」と頷いた。
「まず。伊藤雅君は、こちらの都合で、書類上極秘裏に火葬した、ということにしてあります。警察など下の者たちに混乱を与えないためと、これ以上あなた方に追求がいかないようにするためです。その点、ご了承いただきたい」
「は、はい……。大丈夫です」
頷くことしかできない清子がそうすると、そこに陽介が「あれ、そうなんですか?」と口を挟み、吉木は「そうだ」と頷いた。
「だから公に監視の意味はなくなったが、事情を知りたい中野署は伊藤さんらの監視を続けるだろう。陽介君、きみがそれに当たれ」
「了解しました」
陽介が背筋を正すと、「ですが」と吉木の視線が清子へと戻る。
「しかしおそらく、特にご家族は驚かれることでしょう。その点について、どのように説明するかは伊藤さん自身にお任せしたいと思っています。政府が嘘をついている、とそう言ってもらっても構いませんし、火葬が事実だとしてもらっても」
「はい」
清子は一応返事をしたものの、今吉木の口から出た、政府、という言葉が引っかかっていた。
彼が誰でもいいと思っていたはずがその発言で、吉木はやはり権力者なのか、という半ば確信めいた疑問が浮かんでしまったからだ。
「本心を言えば、伏せていただきたい。しかし、あなたの心労を考えれば、そう無理をしてもらいたくもない。ですから、せめてSNSでの公表は差し控えてもらいたいんです」
はい。
とまた清子が考えもせずに頷こうとしたその時だった。
「またそんな悠長なこと言ってんのか、あんた」
いつの間に部屋に入ってきていたのか。
鈴希の背後で、善が缶コーヒーを片手に壁に寄りかかって立っていた。
「そんなんだから、出遅れるんだ。イイガミの件でそれを学んだんじゃなかったのか?」
また、イイガミだ。
清子にふと疎外感が浮かぶのをよそに、吉木が立ち上がった。
「無理を言うな。国とは、国民一億以上を束ねてこそなんだ。一人ひとりの理解が及ばない以上、秩序のためにも、突拍子もないことを政府として発表することはできない」
吉木が言うと、「まるで政治家気取りだな」と善は大袈裟にかぶりを振った。
「あんたはただの一人、いくら役職が立派でも単なる国民の一人だろ。どうしてそれを理解しない。立場ってのは、守るためだけにあるのか? 動かすために使えよ」
「わがままを言っている場合じゃないんだ、善。立場とは責任だ。それを放棄するような態度をとれば、私個人がどうのという話ではなくなる。お前こそそれを理解するんだな、いい加減」
嘆息に振り回されるように頭を横に振る吉木もまた、大袈裟だ。
すると善が鼻で笑い、そして。
「だから、国じゃ遅すぎるんだ……」
吐き捨てるように言って缶コーヒーを一口飲んだ。
「あんたらのやり方じゃ、結局ウソを明かすことになるだろ。今は火葬を上辺にして上手くやれるかもしれないが、そんなものはただの付け焼き刃にしかならない。いずれ俺たちが雅を取り戻したら、政府はどうするつもりだ? 公安でも動かしてなかったことにするのか?」
「そんなことはしない。これは、急を要する事態の応急処置だ。付け焼き刃も当然だろう」
「だから、俺はそれを言ってるんだ。立場だ責任だと言いながら、事情があってウソをつきました、なんてそんな理由はあんたら身内にしか通用しない。当然そうなるのも当たり前だ」
だからむしろ、甘えてるのはあんたらだね。
言って善はまたため息をついた。
「国、立場、責任。あんたらはそれを同義のように使い、国民とか秩序維持みたいな言い方で不特定多数をひとまとまりだと錯覚させる。
だけど、そんなものただの自覚の問題だろ。一人はあくまで個人なはずだ。
信じるか信じないか。
そういう部分を人任せにしといて真実は闇の中じゃ、国にはまりきらない個人の理解で秩序そのものの意味が危うくなるに決まってる。
だったらあんたらは、人が信じられる要素を作る必要があるんじゃないのか? イイガミのことがあって、今すぐにでもやらなきゃいけないことがあるはずだ」
善の話を聞き、吉木は少しの間無言だった。
そしてようやく口を開いたかと思うと、すぐに首を横に振った。
「とにかく、今は雅君を見つけ出すことが先決だ。あれらが何を目的に、なぜ彼を連れ去ったのか。まずはそれを知らなければ……」
そんな吉木の発言を嘲笑するように鼻で笑い、缶コーヒーを一口啜った。
するとこの数分間、まるで時が止まったかのように微動だにしていなかった鈴希と黄地も何かを考えて唸り、身動ぎを始める。
誰もわからないのだ。
その様子をベッドの上から眺めていた清子は、だったら、と口を開いた。
「……私、わかります。どうして雅が連れて行かれたのか」
清子は自然と挙手していた。
そこに、えっ、と誰のものでもない声がし、視線が集中する。
「たぶん、時間が欲しいんだと思います」
清子の言うことに、なるほど、と頷いたのは善ただ一人。あとの三人は首を傾げていて、「どうしてそう思うんですか?」と鈴希が反応した。
「あの子が、今異世界にいるからです」
「い、異世界……って。それ、やっぱりただの小説じゃ?」
鈴希が言う。
「初めのものはそうでした。でも、次に来たメッセージは、内容が全然違ったんです。まるで日記のような、物語として書いたって感じではなくて……」
「それ、見せてください!」
詰め寄る鈴希に、清子が美杏から届いたメッセージの画像を開いてスマートフォンを渡すと、吉木が彼女の背後から画面を覗き込み「これは……」と呟き。
そしてスマートフォンは善へ渡された。
それを一読するなり、善の表情がニヤリと歪む。
「つまり、彼の魂が別の世界へ行っている証拠はあったわけだ。どうしてもっと早くこれを見せてくれなかったんですか」
そう言って善は妖しげな笑いをこぼした。
「だとすれば、伊藤さん。あなたの言うことが正解だ。奴らは、雅くんに起きたことを利用して魂の移動法を見つけようとしている。間違いない」
確信したように言う善だが、「そうとも限らん」と吉木が口を挟んだ。
「もしもイイガミくんと同じなのだとすれば、奴らが求めているものは永遠の命という可能性だってあるだろう」
「ヒーラ細胞みたいに、か?」
「そうだ。その上位変化が雅君に起きているのだとすれば、彼の体を欲しがる理由になる」
だったら最悪だ。
そんなことを言いながらも、善の歪んだ表情は変わらない。
すると。
「またなのか……」
陽介は、なんともいえない複雑な表情を浮かべていた。
そこに、絶望感が滲んでいるみえる。
「でも、まだそうだって決まったわけじゃない。そうじゃないって思いたいけど、でも。そうだとしたら、また神頼みか……」
そう言う鈴希もまた複雑な表情をしているが、彼女の場合絶望というよりも、何か思い出しているという様子だ。
まるで慣れているかのような物言い。
それもきっと、イイガミシュウサク、という人物のせいだと清子は思った。
「なんにせよ、これで謎の組織にも当てがつきそうだな。そうでなければ振り出しだが……。善、なんとかできそうか?」
「こっちはもう、呪い返しで居場所を捜索する方法を考えてある。あとは必要な触媒を手に入れることだが……」
そのためには、あんたの力が必要だ。
そう言って善は吉木に目線を返した。
「伊東家は公安に抑えられてるんだろ。あんたの力でどこまでできるかはわからないが、家の中にある物を一つを探して持ち出すくらいの口利きはできるんじゃないのか?」
「公安……か。私の管轄外だが、中に一人送り込むことくらいはできるかもしれない。その触媒の形はわかるのか?」
「いや、まだだ」
善が首を横に振る。
「そうか。なら、今すぐそれを調べろ。わかったらすぐに報告してくれ。私は今から戻り、すぐにメン・イン・ブラックの存在確認と伊東家への潜入を準備する」
あとのことは頼んだぞ。
それだけ言い残し、吉木は颯爽と病室から出て行った。
その去り際、善が何か言ったのを清子は見ていた。
口の動きだけでは憶測でしかないが、あんたもな、か。
きっと通じ合っているのだろう。親子だから。
清子は、そこに少しだけ羨ましさを感じていた。
すると、そんな清子の眼差しをよそに善が壁から離れて言う。
「事情は大体掴めてきた。ここらで一度、事態を整理するぞ。綿串、メモしろ」
「はいよ」
言って鈴希はボディバッグから分厚い手帳とペンを取り出した。
「まず、雅くんに何が起きたのか……」
それは、おそらく異世界転生だ。
雅が美杏に送ってくるメッセージの存在を信じてこその憶測だが、それでも、イイガミシュウサクの件がある。
まずはこれを事実として受け止めなければ話は進まない。
その上で、なぜ雅が異世界に転生してしまったのか。
これには、本物の触媒が使われたというのが善の意見であり、しかし何が触媒となったのか、何を呼び出したのかはまだわからない。
だが結果として、雅は魂だけ異世界へと移動し、体は半分生きたまま傷を負い治癒するという活動を繰り返している。
「このことを踏まえて、今明らかになった敵の目的だが……」
これについては、二点ある。
一つは、清子が気づいた時間を欲しているという可能性。
もう一つは、魂を失ってなお活動し続ける雅の体から、永遠の命を得ようとしているという可能性だ。
清子の意見を踏まえたとしても、敵が命について何かしら変化を求めているのは間違いないと思える。
しかしこれについても正体は不明。
怪しいのは、イイガミシュウサク失踪事件に関与していたと思われる人物だが。
彼は死んだ。
動向を探っていた善と鈴希の目の前で、不慮の事故に巻き込まれて。
「とはいえ、あれの意志を継いでいる人間がいないとも限らない。特に今回の場合、その線で物を考えたほうが都合がいいし、親父もそれで組織を探すはずだ。だが、この際敵の事情はどうでもいい」
そんなことよりも重要なのは、雅が異世界転生するきっかけとなった触媒だ。
五年以上もの間、部屋に引きこもり続けていた雅が魔術を行ったとして、それも自室だったはず。
つまり、触媒も部屋に残されているはずなのだ。
いったいそれは何なのか。
清子の記憶では、室内に特段の変化はなかった。
そこからいえるのは、雅の行った魔術が大規模なものでないということ。
もしかすると、ウィジャボードのような小規模のもので魔術を行った可能性はあるが、その成功と交換に雅の魂が抜き取られているのならそこに証拠が残っていたはず。
しかし、いくら思い返しても清子の記憶にはそういった怪しげなものが浮かばない。
雅が椅子に座ったままだったことから考えて、机の上かそこらにあったはずの証拠なのにだ。
「だとすれば、触媒は思っている以上に小さいものなのかもしれない。足下に落ちていても気づかないような……」
例えば、財布に入れるような小さな亀くらいの。もしくはガチャガチャの景品のようなものか。
「伊藤さん、何か雅くん名義の荷物が届いたことはありませんでしたか?」
「それが……たくさんあります。雅は、割と頻繁にインターネットで買い物をしていたので」
「その中身を見たことは?」
「ありません。私のものではないので。それに、プライバシーがあると思って」
「まあ、それもそうか……」
見当もつかない。
善が唸り、清子が「すいません」と肩を落とし。
四者四様に触媒の姿を妄想して頭を悩ませていた。
やりたいことがあって上手くいかない現実。
手持ち無沙汰に鈴希がベッドに倒れたままのカップを拾い上げたその時だった。
突如着信音が鳴り響き、それぞれの視線がスマートフォンに落ちた。
善が顔を上げ、陽介が顔を上げ、そして最後までスマートフォンに釘付けになっていたのは。
「誰だっけ、これ……」
鈴希だった。




