第一話:「功刀大輔」
『プルルルルルル――』
東京駅の京浜東北線南行ホームで発車ベルがけたたましく鳴く。その中、僕は人混みを颯爽と避けながら階段近くの列車のドアに駆け込んだ。
『よし、滑り込みセーフ』
心の中で小さくガッツポーズをしながら、僕は列車のドアが閉まる合間、走った後の荒い息使いを克服しようと必死になっていた。
VVVF音を高めながら加速する列車。その音楽を奏でる列車の中で、お酒の匂いをさせた飲み屋帰りだと思われる乗客たちが、楽しくおしゃべりをしていた。
金曜日の夜ということで車内は少し混雑をしていた。
このような状況の中、息を整える僕は少し感傷的な気持ちとなってしまっていた。
なぜなら、この飲み客と対照的に僕はこの時間まで仕事をしていたから……。
自分で言うのもあれだが、僕は一流の『機械メーカ―』に3年前に入社した。僕は祖父の影響を受け、機械をいじるのが昔から好きだった。そのため、工業高校の機械科へ進学し、卒業後『機械メーカー』への就職を志願。今の会社に入社し、社会人となった。
自分の好きな仕事ができる! その当時は有頂天になっていたが、現実はそこまで甘くなかった。
僕は機械の『設計』がやりたくてこの会社に入った。しかし、入社後は「工場の管理」をやらされている。新入社員はすぐ設計者にはなれないらしい。
しかも、あまり慣れていない「工場の管理」をやるため、ミスが多い。結果、上司からきつい叱責を日々受けてしまう……。
また、追い打ちをかけるように会社は僕の入社後半年ほどで経営難となり、翌年リストラを行った。その結果人員が削減され、一人頭の仕事量が増大してしまった。そのため、僕のシフトは「超勤」ありきで組まれている……。
上司の叱責を浴びながら、朝から夜遅くまで一日中工場の管理を行う。そのような仕事を1年半ほど続けていた。
「はあ……」
疲れた心と体を奮い立たせ、僕は列車のつり革をつかみ、どこか席が空くのを待っていた。
横浜駅まで到着した。ここまでくると、人がごそっと降りていく。空いた席を我先にと取り合う乗客たち。僕も他の乗客に混じっていす取りゲームを行った。
京浜東北線最終列車は横浜から根岸線に入る。僕は座れた席にて考え事をしていた。
後半年続ければこの会社に満3年在籍したことになる。正直この会社の状況を鑑みて将来性を感じられない……。
そう、僕は『転職』ということについて最近真剣に考えるようになっていた。
しかし、この会社に入社が決まったとき、僕がこの業界へ進むきっかけとなってくれた祖父が一番喜んでくれていた。そんな祖父はすでに他界している。この会社を辞めたら、祖父を悲しませてしまうかも……。僕の心は迷っていた。
◇
僕はふと目を覚ました。どうやら列車の中で居眠りをしてしまったようだ。僕の最寄り駅は大船駅。終点のため、乗り過ごしてしまったとは考えていなかった。しかし……。
「え……」
僕は現状の違和感に気づいてしまった。
そう、車内に僕以外誰も乗っていなかった。
車庫に入ってしまったかと一瞬考えたが、どうやらそういうわけではないらしい。
車内のデジタルサイネージでは『次は本郷台』だと記載されていた。
『そうか、次は祖父母が住んでいた実家の最寄りか……』
そう思いながら、僕はほぼ真っ暗な車窓を眺めていた。
列車は本郷台駅に到着した。本郷台駅からは、1人の白髪の老人が乗り込んできた。
『なんでこんな時間に老人が乗車してくるんだ……?』
かなりの違和を感じながらも、僕は失礼に値しないよう、老人をまじまじと見ないようにした。
その老人は、僕の1つ隣の椅子に座った。
次は『大船駅』。車内のデジタルサイネージがそう教えてくれていた。
あと4分もあれば大船駅に着くだろう。僕は自宅に帰れる安堵感でまた眠りにつきそうになっていた。
◇
あれから何分この列車は走っているのだろう。体感では10分は走っているような気がする。しかし、列車は全く大船駅に到着しない。社内のデジタルサイネージを確認する。しかし、まだ『つぎは大船』と記載されていた。
列車のモータ音がこの列車がかなりの速度で走行していることを知らせてくれる。
僕は隣の老人を気にしないようにしながら、真っ暗な車窓を眺めて大船駅への到着をまつことにした。
◇
さらに10分が経過した気がする。しかし列車は全く大船駅に到着しない。僕はこのよくわからない状況を把握しようと社内を見まわした。その際、横の老人も確認してしまった。
渋い顔をした老人だった。何かを思い詰めているような……。
『大輔よ』
目の前の老人を確認したときにそう聞こえた気がした。
この声にはすごく親しみがある……。僕は目の前の老人をまじまじと見た。
そう、この老人は僕の祖父。死んだはずのおじいちゃんだった。
「おじいちゃん!? なんでここにいるの?」
僕はとっさに聞いてしまった。
『なんでだろうなぁ』
おじいちゃんはとぼけるような声色で答えた。
『お前が呼んだんじゃろ』
「僕が呼んだ?」
『そうじゃ』
僕は訳が分からなかった。しかし……。
「おじいちゃん……!」
僕はおじいちゃんに会えた嬉しさから、少し涙目となってしまった。
少し間が空いた。
『さて、わしには時間がない。簡潔にすますぞ』
おじいちゃんの声が僕の脳内に響き渡る。
『お前、今何か人生で迷っておるじゃろ』
「え……」
僕は驚きつつも、話をつづけた。
「今の会社の将来性が見いだせなくて……。転職しようかとおもってる」
僕は祖父に相談したかったことを打ち明けてみた。
『……どうせそんなことだと思っていたぞい』
おじいちゃんは続ける。
『会社の将来性もそうだが、今の仕事がきついんじゃろ?この時間に帰宅するのをいつも見ていたからわかっているぞい』
「うん……。それもある」
僕は本心を読み解かれた祖父に対して驚きを隠せなかった。
『転職するならそれもアリじゃ。わしは大輔が機械の仕事についていてくれれば満足じゃ。わしは今の会社に固執はしておらん。じゃがな……』
『仕事がつらいっていう理由だけじゃ他の会社では拾ってくれんぞ? もっと、今の会社で技術を学んでから転職したほうが良い』
「技術って、今の会社では『工場の管理』を任されているだけだよ? 技術を学ぶことなんてできないよ」
『馬鹿者が』
冷静な口調で、おじいちゃんは僕を諭す。
『「工場の管理」にも技術がいるわい。設備が故障したら、修理を依頼するじゃろう?そういう設備故障の予兆を発見できるようになれば、より迅速に修理ができるじゃろ。故障を予見できる「目」を持てるような技術を大輔は身に着けてくれ』
『ほかの会社でも工場の管理は行っているわい。この技術でプロフェッショナルになれれば、他の会社への転職も楽になるぞい』
『だから、辛くても「もう少し」今の会社で工場の管理を続けてほしいとわしは思っている』
「まもなく。大船。大船」
――列車のアナウンスが大船駅の接近を知らせる。
「……。分かった。工場の管理業務。もう少し頑張ってみるよ。自分が満足できるまでは」
僕がそういうと、おじいちゃんはうなずいた。
『わかれば結構。期待しているぞい』
そう言ったおじいちゃんは、会った時とは違い満足したにこやかな表情をしていた――。
◇
「お客様、終点ですよ」
その声で僕は目を覚ました。目の前にいたのは車掌さんだった。
「この列車は車庫に入ります。恐れ入りますが、列車からお降りください」
僕は大船駅のホームへ降りた。ホームにある時計は2時半を示していた。
「先ほどの祖父は夢だったのか……」
僕は疑問に思いつつも、心は憑き物が取れたような気分となっていた。
そう、明日からの仕事はもう少し頑張れるような気がしていた。
◇
迷った人を救う「迷列車」。
また一人、人生の「迷路」から救われた――。
次はあなたかも……?