97.【英雄譚にかこつけた最弱の記録】
「あなたは、救ってくれそうな気がするのです。あたしを。いつか、お教えしましょう。」
謎多き言葉を残して、アンナとカンナの姉妹は消えた。自分たちの街が消えるかもしれない。それなのに、2人には焦りが感じられない。まるでこの街が消えても構わないとでも言うような、そんな態度だった。イラを送り込んできた人間を丁重にもてなしたのだ、その態度はそんな意図が込められていたとしか思えない。
「アンナたちが兵を送り込み続けているって言ってたけど、イラが相手なら、どれだけ死ぬか・・・」
心の痛みを必死に堪え、震える声を押し殺してリデアが呟く。
リデアの希望的観測とは裏腹に、次々とイラを襲う兵たちはいとも簡単に蹴散らされ、大地に紅く還っている。曇天から降り注ぐ不安を浴びながら、皆の叫び声を聞きながら、自分もその旋律に叫び声という音を織り交ぜて、皆死んでいく。そんな地獄絵図になっていることは、アキトでも察せられた。
「行こう。まだ、止められる。」
けれども、リデアやアミリスタが狙われているこの状況で、興都が陥落の危機にある時に、何より、レリィの望んだ平穏な日常に亀裂が入っているこの時に、地獄に踏み入ることを恐れるはずがない。
全ては、あの時から始まっていた。
カーミフス大樹林に召喚されて、哀れな少女を助けたいと思ってしまって、普段はそれを邪魔する恐怖心があったはずなのに、壊れた心は恐怖心を捨てていて。だとしても、今思えば、あんな状態のレリィを見て、自分は恐怖心に負けたのだろうか?どこのどんな人間でも、あの時のレリィをみて、恐怖に押さえつけられることはないはずだ。正義感を押しつぶす恐怖すらを呑み込む怒りに、燃やされるように走ってしまうはずだ。たとえ弱くたって。
自分が簡単に倒せた相手が、いただろうか?
力を手に入れて、ヒロインに出会って、雑魚を蹴散らしてラブコメに発展する?あるはずがない。自分の弱さなら、この世界に雑魚なんているはずがない。今ならそこらへんの山賊でも簡単に殺される。
それくらい、弱いのだ。
いきなり何も知らない地に飛ばされて、気付いたら立っていた異世界で、研ぎ澄まされた殺意と最高峰の剣技を身を以て知った。頰を斬り裂かれ、痛みに喘ぎ、自分の汚い心を容赦なく抉る叱責の嵐にボロボロにされた。初めて味わった本当の恐怖より、その糾弾が怖かった。初めて刻まれた冷たい刃よりも、自分の心が痛かった。
裏切って、見捨てて、軽蔑されてもいいくらいの事をしたのにも関わらず、少女は今見ることのできない太陽のように笑った。自分は何もしない、その華奢な少女が全てを背負う作戦を決行させた。罪悪感と痛めつけられた体が軋む感覚に体が震え、持っていた心さえ無くした気がした。それても、その少女は輝いていた。
激闘の余韻冷めぬまま辿り着いたその村で、レリィに出会った。全てに絶望していた少女の唯一の拠り所、それを増やしてあげたいと思った、救ってあげたいと思った、これまでしたことがない無理もして、これまで味わったことの無い痛みに叫んだ。咆哮して、荒々しい感情に身を任せようとしても無理なくらい繊細な戦いだった。それなのに、相手は強く自分は弱い。一発相手の通常攻撃が当たっただけで命が吹き飛ぶような戦いの中でも、レリィを助けたい一心で立ち向かい続けた。魔石に苦しめられて、魔力にボコボコにされて。けれど、魔石で相手を苦しめて、魔力で降りかかる災厄をボコボコにしてやった。それができる盤上を作った。
それでも樹林は、離してはくれなかった。レリィを救うために奔走し、壊してきたもののツケを払わされるかのように、カーミフス大樹林の執着が襲った。なんともバカな話、レリィのような状況のシャリキアを見ただけで助けたくなり、助けるように戦った。シャリキアとともに、互いにボロボロになりながら、痛みをまた刻まれて、騙されて。自分がついたことの無い優しい嘘は、予想以上に鋭くて、脆い心は簡単に切り刻まれた。絶望で救いたかったシャリキアを殺し、それが最善の道で。
振り切ったカーミフス大樹林の執着は、まだ離さないとでも言うように付きまとった。ついた興都で相次ぐ事件。魔獣の脱走、大罪の結託、正体不明の最強。正体不明の最強は、自分の影、カガミ・アキトだった。最弱の影が最強、よくできた話で反吐がでる。漲る決意を踏みにじるようにヴィネガルナに詰られ、カーミフス大樹林の執着に涙する自分をレリィがゆっくりと救ってくれた。助けてもらい、助けを出す。始まった興都戦線で、その執着と再会した。炎の死闘でその身を焦がし、少女を助けた。
そして、今、大罪囚の中で、純粋な戦闘力では序列2、3位の憤怒、イラ・ダルカとの戦いへと向かおうとしている。
これまで綴った物語の中で、ここまで紡いだ英雄譚にかこつけた弱々しい戦いの記録を振り返って、果たしてどれほどこの戦いが難しい。
戦力が無い。相手が強い。当たり前だ。なぜなら自分は弱い。
けれど、この戦いに、最強の剣士はいるか?この戦いに、救わないといけない人物がいるか?この戦いに、魔という困難が存在するか?この戦いに、最強はいるか?この戦いに、倒す以外の無理難題があるか?
駆け巡る疑問、答えは簡単、否だ。これだけ簡単な戦いが、怖いはずあるか?いや、もちろん怖い。ここで怖く無いと強がれるほど、自分は物語の主人公をしていない。
目前で哄笑をあげる狂い人。血を愛でるようになぞる指、目、剣、全てが怖い。当たり前だ。
だってこれは、ロールプレイングゲームの最初の街にいるモブが、主人公が苦戦して倒すような敵に立ち向かうような話なのだから。
さぁ、戦おう。モブのままじゃ済まさない。その憤怒に、モブに倒されたという屈辱を刻んでやる。
壊れた心なのにも関わらず感じる恐怖に震えながら、具現化させた剣をとる。焔の戦は目前に。