65.【嘘の助けては君のため】
「嫌な事思い出した。」
沈鬱な表情で言葉を吐き、記憶を追い出すように頭を振った。
昔の事を思い出したのは、アキトの記憶とともにこの樹林に来たことを忘れたせいだろうか。なんもでいいが、あの城で暮らしていた記憶を、ラグナはあれほどしか持っていない。ウルガたちの手によってもたらされた決別の中で、ファルナはまだ再開を望んでいる。
気付けば、鬱蒼と生い茂っていた木々が晴れ、空の色が覗く空間にたどり着いた。
デジャブが脳で暴れまわり、既視感の波が荒れ狂う。その空間こそ、再開の激闘が起こったあの広場だった。グレンの戦術に敗れた記憶は、アキトの記憶と干渉していた為道ずれで欠落してしまっている。
「それで、お前は誰だ?」
顕現した魔力が撓み、唸り、鈍く輝く。明確な殺意をこめて射出された無数の鎖が頬を掠める。
小さく音を鳴らして掻き消える血肉。痛みを置き去りにして、忘れる事のない狡猾な頭脳と後悔を、力強く握った拳に込めて駆ける。
「ちっ」
持ち合わせているほんの少しの回避能力。それを総動員して迫り来る鎖を避ける。
接近するアキトに向かって再び鎖を射出するために袖へと戻る鎖たち。アキトが密かに仕込んでおいた木片は、服のうちで駆け巡り。
「あっがああああああ!?」
全身の肉を切り刻むだろう。
味わったことがある感覚。けれど、それが思い出せない。ああ、ラグナは忘れていない。忘れないだろうと、そう言ったから。体に刻み付けられていた痛みを、忘れていない。
「くそ、どこで!?」
苦悶にうめき滴る血液を前にして、ラグナは頭蓋に響く何時かの声に蹂躙される。
「なんか知らんが良かった。」
予想外の戦闘不能。しかし、アキトにとっては都合がいい。はやる呼吸を抑えてシャリキアの手を取った。一瞬体を震わせたシャリキアだったが、すぐに状況を理解して走り始めた。
足場があまり良くない森の中を、少女を連れて走るのはなかなか体力がいる。既にアキトの息は切れ、脇腹が痛みを伝え始めていた。けれど、ここで止まれば意味がない。
ーーーお前を助ければいいんだろ。
「あなたは、・・・どうして、どうして忘れたのにまた・・・」
「なにがだよ?」
なんとか保っている体力に限界を感じながら、潤んだ声で問いかけるシャリキアに叫ぶ。額を走る汗を乱暴に拭き取り、シャリキアの言葉を待つ。
「あなたは1回。私を助けたんです。」
「・・・は?お前は俺とさっき会ったばっかだろ?」
「でも、あなたは・・・どこかで覚えているはずです。」
バカな話だと切り捨てられないのはその自覚があったからだ。
思い出せる領域ではない。もっと深い深淵の中に、その記憶は残滓として残っているはずだった。
「私はあなたを助けるために記憶を消しました。けど、どうして」
感情を押し殺して伝えた事実と、押さえ切れずに溢れ出てしまった困惑が、何より事実だと知らせ、この記憶に問いかける。
「俺はもう、失っちまったんだ。」
「え?」
か細い声で聞き返すシャリキアの方を見ず、思い出す。この心がここまで壊れていなくて、この心にもっと感情が宿っていたら、アキトはここまで冷静に、否、諦められてはいなかったろう。
「守んなきゃならない。死んでも守りたかったものを、俺は失っちまった。」
それは、シャリキアの身勝手が起こした悲劇。これが2週目で、抜け穴があったとしても、シャリキアには重い罪悪感がのしかかった。声を出せないシャリキアを無視して、アキトは話し続ける。
「グレンにお前をどうにかすればいいって聞いた時、とっさに助けねえとって思った。多分、記憶が戻ってたんだと思う。」
ほんの少しだけ、グレンに感化されて残滓の記憶を感じることができたのだろう。
今ここで走り、崩れてしまいそうなシャリキアの手を握っているのも、そのおかげだ。
「なんにも守るものがなくなった。だからさ、せめてお前だけでも守らせてくれよ。」
「で、でも」
「あいつがお前になんかしてたってのはわかってる。あいつをどうにかすりゃあいいんだろ?」
「で、ですけど!」
必死に反論するシャリキアへ。
「お前はただ、助けてって言えばいいんだよ。」
いとも簡単にそう言うアキト。背けていた目はいつの間にかシャリキアを捉え、掴んだてから熱が伝わる。
そして、小さな声で呟いた。
どうしようもなくなって、どうすることもできないアキトのために、シャリキアは、アキトの未来を幸せにするために。
嘘の助けてを小さく紡いだ。