57.【白銀の遣い】
幸運と偶然が手を組んで、哀れんで手を差し伸べたから生き残れたこの異世界で、どうやら自分はもう死ぬらしい。
背をジリジリと熱で焦がす刃が、最後の感覚だろう。
業火が焼くか、それ以前にクリファリカで首を絶たれるかもしれない。
待っている苦痛の時間が、異常に長く感じられた。だから、背後を見る。そこには、
動かなくなったアワリティアの死体が、なんていう都合のいい展開はなかった。
そこにあったのは、なにかを悩むようにクリファリカをアキトの首に突きつけるアワリティア姿があった。
「質問してもいいか?」
「・・・・・・・・・・・」
「いいって聞いてるのよ?」
投げかけられた言葉を咀嚼して、飲み込んで、理解して、それでもなお沈黙を貫き続ける。
目の前の惨劇が脳を蝕み声帯を縮ませていた。
掠れた息しかでない。どうして生きているのか、そんな疑問のみに思考を割く。
思い出せない記憶のために思考を割く。
「はぁ、まぁいいや。」
首筋の熱が取り払われ、少しの風が涼しさを感じさせてくれた。
クリファリカを振り上げたからという現実を分かっていても、自分が消えてしまい、虚空の一部になる恐怖が、疼く。
一直線に絶つ剣尖が、
「やめてやれ。」
1つの声に遮られた。
声の主には、ほんのすこしだけ聞き覚えがあった。
少女達の死という衝撃のなかでも覚えているという事は、自分のなかに大きなインパクトを残した人物だろうと考えて、
金切り音がクリファリカを弾き飛ばした。
「それも282の命令か?グレン。」
虚ろな自我と意識の中で、光を失った瞳でそれを見る。
見えたのは、白銀の剣を携える1人の剣士。それが、両手をあげるアワリティアに刃を突きつけていた。
確かこの男は敵だったのではないか。朦朧とする意識の中でそう思った。
「それもある。が、こいつをここで殺す必要が、お前にはないだろう?」
「・・・・・・分かった。」
弾き飛ばされたクリファリカが漆黒の稲妻となって消散し、ため息をつくアワリティアが、林の奥へと消えてゆく。
有力な戦力であるリデアを殺せたのだ、アキトという最弱を、リスクを冒してまで殺す必要は無い。
アワリティアの背中を見送って、振り返るグレンがアキトを見た。
「なんで・・・助けて・・・くれたんだ?」
思いもよらない行動をしたグレンを疑問に思い、掠れた声で尋ねる。
「特にお前を殺されたく無い人がいるんだよ。」
「お・・・れ・・・を?」
こくりと頷くグレンを見て、小さい声でそうかとつぶやく。
本来なら出るはずの涙は、枯れ果てたのか蒸発したのかでてこない。摩擦しきった精神が、悲しみを感知していない。
「282は奇妙な事を言っていた。」
「?」
「この世界では、お前の矯正はしなくてもいいし、援助もしなくていいと。」
剣を鞘に収め、真剣な眼差しでアキトを射抜くグレン。
その答えなら、グレンの目の前にある。アキトだ。
シャリキアによって繰り返された世界では、前の世界をなぞれない。前の世界に戻るまで、アキトに手出ししなくても問題ないという事だ。
ただし、シャリキアの記憶を失っているアキトには、グレンの話は意味が分からない。
だれも、ここが2周目だと気づいていない。
生きているはずの人が死んでいて、死んでいるはずの人が生きていて、起こることのないことが起きていて、起こったことがなくなって、繰り返された2周目は、最悪の方向へと進んでいる。
諦めたようなアキトを見て、グレンが口を開く。
「282から伝言だ。鍵は白い髪の少女だ。それと接触してくれれば、世界は軌道を戻してくれるらしい。」
「白い・・・髪?」
心当たりのないアキトにそれを話しても、理解などされない。
「俺に聞くなよ俺も知らないんだから。」
俯くアキトを一瞥し、グレンが歩き出す。
「親しい人の死を乗り越えれば、強くなる。乗り越えられなければ、俺みたいになるだけだ。」
そう言い残して、跳躍するグレンが樹林の闇へと溶け込む。
282という正体不明の者によれば、シャリキアと接触すればいいと。そんなものを信じる義理はない。
けれど、アキトはそれを信じることしかできない。
思い出せそうな忘却された記憶と、グレンの話がほんのすこしだけ重なった。だから、それを信じて立つ。
「白い髪。助ける。」
1つのキーワードと刻み付けていた信念が重なって、アキトの停滞していた時間を動かす旅が再び始まる。
ひしゃげた左手に金剣の温かみを思い出し、痛覚を忘れて握りしめる。
この異世界で、神は、アキトを召喚した者は、何をさせたいのか。
新しい環境に放り込み、やっと出会った仲間を殺して、やっと成し遂げた成果を潰して、アキトに何をさせたいのか。
まるでそいつに誘導されるように進む最弱の異世界生活を、アキトはどう生きればいいのか。
歯向かえばいいのか?抗えばいいのか?言いなりになればいいのか?
わからない分かりたくもない。しかし、1つだけ言える。
もう失いたくない。
そいつに従って皆が助かるなら、喜んで従おう。だめなら全力で抗おう。
あわよくば、いや、どうしても、またあの2人と話したい。生きて欲しい。自分はどうなってもいいから。