54.【強欲の軌跡】
エトラン・レーフの翡翠の輝きが空気を斬り、続く爆撃がアワリティアを塵にせんと迫る。
収束した土流を即席の盾に変換し、弾き飛ばされる土砂の合間から飛び出す。
エトラン・レーフの魔力を放った後、反動で一瞬止まった隙を、アワリティアは見て、飛び出した。それは、隠している手札をリデアが持っていれば死んでいた作戦。
アワリティアの卓越した観察眼がなければ、成し得なかった奇襲。
1度目の世界で最弱に倒されていても、彼女は大罪囚。世界を震撼させる大犯罪者。
偶然に塗り固められたアキトの盤上で、たまたま倒されてしまったのがアワリティアだ。彼女は、その偶然を作れないこの森では、絶対に倒せない。
そんな、圧倒的な強者なのだ。
「ぐっ」
殺意と影に反応し、磨き上げられた反射神経でアワリティアの刺突を躱す。
「そろそろ諦めたらどうかしら?」
「何をっ!」
繰り出される斬撃は、魔力をまとっていない。
それは、諦めてしまえばいいというアワリティアの言葉をなぞっている。
必死に言葉を返し、死を乗せた黒い刃を躱していく。
鼻先を掠め、美しい金髪が舞い、玉の肌に血糊を塗り、どれだけ傷つこうと、リデアは諦めない。
全ての傷を最低限に留め、闘志を尽きさせない。
「自分の信念がない戦闘で、力が出せるわけがないでしょう?」
アワリティアがいるというのに関わらず、興国の魔術師は死を恐れ、責務をリデアに押し付けた。
この戦いに、リデアの信念はない。
誰かを助けたいとか、この敵を殺し尽くしたいとか、なくなることのない正義感とか。
唯一あるのは世界のためという薄っぺらい『理由』のみ。そう、その信念のない戦いは、まるで
「黒竜討伐戦のようだ。」
「黙れっ!」
怒りの魔力が大地を揺らし、翡翠の斬撃が吹き荒れた。
分かっていたかのようにそれを避け、持った黒刀で受け流す。奏でられる金属の音。アワリティアの微笑。
「図星か?竜伐。」
「お前に、何が分かるっ!」
「何が分かる、か。」
輝いたエトラン・レーフから距離をとり、貼り付けた笑みを引き剥がしたアワリティアが平坦な声で言う。
驚異と思って距離を置いたのではなく、会話をするために離れた。
その思惑に乗るものかと、リデアが踏み込みエトラン・レーフを構える。
その時。
「自分より何よりが優れていて、絶対に勝てなくて、同じ土俵に立つことさえ出来ないような相手に、会ったことがあるか?」
「・・・、」
冷たい声にのった重圧が、踏み込んだリデアの足から力を抜いた。
「私はな生まれた瞬間に出会ったよ。見た瞬間に分かるのさ、こいつには勝てないってさ。」
哀愁を滲ませるその言葉に、徐々に熱が芽生え始める。憤慨ではない。
それは、貼り付けて、繕った感情。笑み。
「お前にとって、黒竜はそいつだったか?」
「っ!黒竜討伐戦はお前には分からないほど、過酷で」
リデアが強く切り出した言葉は、勢いがなくなり、アワリティアの冷たい瞳だけがリデアを射抜いていた。
悟ったのだ。アワリティアは、黒竜討伐戦が生温く思えるほどの過酷な戦いに、身を投じてきたのだと。
「絶対に敵わないような相手に会った時に犠牲を出して、悲しみに暮れるのは別にいいさ。だけど、お前にとって脅威にならないような相手にあれほどの犠牲を出し、死んだ同胞に嘆くのはさ、腹が立つんだよ。」
アワリティアの糾弾は、続く。
「お前はさ、知ってるか?」
「なんの事を・・・」
「人ってのはさ、死に続けたら痛覚がなくなるんだよ。」
「死に続ける?」
「痛みがなくなってさ、生きてるのか死んでるのかわかんなくなって、感覚がごちゃ混ぜになってさ、通常に戻るまでに10年かかった。笑えるだろう?たった数十秒死に続けただけで、10年の時間が必要なほど弱るんだ。」
自虐的な笑みを浮かべて、思い出すようにアワリティアが目を細める。
アワリティアが話す事の意味が、リデアには分からない。
なにか、別の次元の話をしている。
リデアは死んだことがないし、死に続けた事もない。
怖い。目の前の女がくぐり抜けてきた死線の数々が、怖い。
1つ1つが濃ゆく、濃密な試練を乗り越えて生きてきたのだろう。アワリティアの瞳は、そんな感情をはらんでいた。
ただ、そんなアワリティアでさえも、大罪囚の中では最弱。
怖気が走る。
世界の悪意に触れたリデアは、それを振り払うように瞼を閉じる。
震える肩を抱きしめ、未だ発し続けるアワリティアの殺意を必死に耐える。
隔絶した実力差。漆黒のゲートが虹の魔力を解き放ち、それを吸うクリファリカが輝く。
思い切り振り下ろされる死の斬撃は、回避したくてもさせてくれない。
輝く魔力の残滓が視界をよぎり、衝撃が自身を穿つのを待つ。それだけしか、出来ないから。そうすることでしか、リデアは自分を保てない。
そして、輝く刃が振り下ろされる。
鳴り響く轟音を捉えた自身の耳に違和感を持ち、ゆっくりと瞳が光を捉え始める。
虹の魔力に、耳朶を蹂躙され、考えることなどできるはずがないのにも関わらず、
「大丈夫か?」
自分を抱える震える少年が、精一杯の笑みを向けていた。