52.【罪人の再臨】
嘘のように開いた傷から、レリィを作っていた、生きながらえさせていた液体が、こぼれ落ちて、固まっている。
濁った真紅の服を見て、虚ろな彼女の心を見て、無力を噛み締めて、歩き出す。
潰れた左腕など気にならない。
砕けた骨も、潰れた肉も、ごちゃ混ぜになった痛覚も、アキトの心を紛らわしてはくれない。
皮肉な事に、アキトの緩やかな歩みに、瓦解する樹林は干渉しない。そしてそれは、ツリーハウスも同じだった。
彼女の聖域に入るのが申し訳なくて、ツリーハウスの根に少女の体を預ける。
死んでしまった少女を抱えていても、なにもできない。
死んでしまった少女を抱えていても、出てくるのは悲しみだけ。
その悲しみなんていらなくて、切り離したくて、少女を手放す。
なにも救えない世界で、アキトは死んではいけない。
脳が忘れてしまった絶対に助けるという誓いを、魂が覚えていた。刻み込んでいた。だから、死んではいけない。
「っ、リデア!?」
「?あ、あなたは・・・?」
視界に入った金麗の少女を、咄嗟に呼んでしまった。リデアはアキトを知らないのに。
少女は、傷だらけで救助にあたっていた。
実体化魔法で支柱を作り、降り注ぐ土砂と舞い落ちる地面をせき止めている。
無論、動けない状況下で血塗れになっているが、竜伐の少女にとっては些細な事だ。
そんな血塗れの少女は、竜伐の認知度を思い出し、黄金の魔力を放ってからアキトに駆けてくる。
「え・・・と。」
「あ、アキトだ。アワリティア討伐を、手伝えるかもしれない。」
「っ!?」
驚愕に目を丸くし、その場で硬直するリデア。当然。アキトのような部外者が、そんな厄災の所在など知るはずがない。
ヴィネガルナあたりに言えば容赦なく切られていたかもしれない。
しかし、リデアは表情をすぐに変え、
「あなたがどうして知ってるのかはわからないけど、手伝ってくれるの?」
「ああ。」
アキトの迷いのない返答に、リデアが思考する。
アキトを逃がすか、大勢をとってアキトを危険に晒すか。そんな葛藤ができる少女だ。
しかし、アキトの瞳を見て、決断する。
「ありがとう。それじゃあ、ついてきて。」
さっと身を翻し、振動する大地を迷いなく進む。
この陥没区域なら、どこに大穴が空いてもおかしくない。そんななかを進まなければならないほど、状況は悪い。
おそらく、ガルドとアワリティアは撤退を開始している。
今見つけて討伐しなければ、大罪囚打倒のチャンスを逃す事になる。ただし、それは向こうも同じだ。
今リデアを倒さなければ、厄介な竜伐を倒すチャンスが少なくなる。それこそ、興都襲撃でもしなければ。
どうなっているかは分からない。
だから、アキトはリデアに付かなければならない。未だアキトを蝕む悲しみを抑えててでも。
「リデアあの結界は使えないのか?」
アキトの知り得ない情報を言ってしまったが、リデアはそれに気付かず自身の服を見た。
「あの術式は、アミリスタの魔法が一回分織り込まれてるこの服で使っているの。だけど、」
そこから先は聞かなくてもわかる。
切り傷や損傷の酷いリデアの服は、術式を正常に作動できないだろう。
「なら、リデアの魔法を何か俺に付与できないか?」
リデアの実体化魔法をアキトが使えるようになれば、アワリティアとの邂逅で必ず役に立つ。
アキトの命とその魔法で、どうにかできるかもしれない。
「無理ね。魔力が馴染みやすい『鉱石』があれば何回でも使える術式をつけられるんだけど」
アキトはそんなものは持っていない。
自身の無力に歯噛みして、崩れ落ちる樹林を睨む。
阻止したはずの『カーミフス大樹林の崩壊』は、2度目の世界で起こってしまった。
か弱い少女の死も。
「すまん。時間を取らせた。」
小さく謝罪するアキトにリデアが首を振る。
そして、すぐさま駆け出す。アキトもそれに続いて走り出す。
先ほどまでリデアがいた所は、すでに処置が完了して、一時的に安全地帯になっているだろう。
アキトが駆けてきた区画は、リデアでも間に合わなかったのだろう。
救えなかったものを嘆くのではなく、救えるものを救おうと走るリデアを見て、アキトも覚悟をきめる。
流れ出しそうな涙をこらえて走り続ける。
「っ!」
刹那。空気を斬る魔力の音に、リデアの息を呑む音が重なった。
破壊の暴力が空気を蹂躙し、溢れる風圧が2人を殴りつけた。
なんとか踏みとどまり、瘴気を捉える眼球がそれを見る。
月の称号を持つ大罪囚。強欲に大魔石を収集し、全てを欲した大罪の罪人。
その姿が、鋭利な刃物を持った姿で顕現した。
「アワリティア!」
反応したのはアキト。
激昂するふりをして、あたりの状況を盗み見る。
アワリティアに使った戦術であるゴリ押し落とし穴作戦は、この何もない場所ではできそうにない。
この世界では出会ったばかりのリデアと連携できるわけもなく、この戦闘はリデアとアワリティアの一騎討ちとなった。