216.【吸血鬼の女王】
殺意を感じた。
害意を感じた。
憎しみを感じた。苛立ちを感じた。
ただただ明確に、己を殺す感情が、全力で牙を向けていた。
そして、気付いたら。のしかかる呪いに対して、本能レベルで恐怖を感じていた。
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アイリスフィニカの中で、2000年というとてつもない時間が、その束縛と孤独の呪いを、明確なる恐怖感へと格上げした。
もう、あんな地獄を味わいたくない。もう、あんな恐怖を抱きたくない。そんな理性が、本能に突き動かされて、恐怖となって体を硬直させる。
でも、
ーーーあんな呪いを、彼にかけるわけにはいかない。
そんな本能が、恐怖という本能を殺す。
そんな本能が、少年を守ろうとする本能が、大きく息を吸い込んだ。そして、アイリスフィニカも、ゆっくりと息を吸い込んだ。
大きく、息を吐いた。
「顕現魔法、『アント・ヴェンリ』。」
後天的、顕現魔法。その希少性は、他の使用例の少なさから、圧倒的に希少、不可解なもの。
そして、それら全てに当てはまることがある。それは、それら全てが、何故か。例外なく、宝具と呼ばれるほどに、
強い。
天を衝く轟音、雲の幕間を切り裂きながら、赤く輝く紅蓮の魔力が顕現した。
遥か昔、吸血鬼が不要と切り捨てた精霊王の祝福は、斬って離せるほどに弱々しいものではない。それを、アイリスフィニカ自身が、痛感する。
己の右手に収まった、小さきナイフを見て、痛感する。
ーーーこれが、力。
雷へと姿を変えた狼が、視認不可の光量と速さで、轟く音とともにアイリスフィニカへと突貫する。
本能が、感じ取る。それは、死の気配。それを、本能が許さない。
視界全てが金に染まる。アイリスフィニカの前蹴りが、一切の攻撃力を叩き割った。遅れて、爆音の衝撃が、街を襲う。
バチバチと電流を走らせながら、赤く染まった頭頂部から血を吐き出し、狼が咆哮する。
魂が叫ぶ。そのナイフに向けて。
己が、己を形作る全てが、全てをもって、そのナイフに叫ぶ。力を寄越せ、戦え、その刃の輝きで、彼を守れと。
突如巨大化したとてつもない魔力が、アイリスフィニカから膨大にあふれ始める。その力は、道に敷かれた石畳すらも瓦解させ、行使前の魔力さえも、可視化させた。
「血の本能を」
刻まれた愛を、解きはなつために。
「本能の咆哮を、」
彼と一緒に居たい。その想いを、力へと昇華させる。そんな、力。
「『アント・ヴェンリ』!!」
紅蓮の輝きが、白へと変わる。握りしめた刃を、心臓へと突き立てる。痛みはなかった。そう、痛みはない。その刃に宿る輝きが、心臓へと流れ込んでくる。動悸が大きく、強くなる。
体全体に、輝きの粒子が駆け巡る。駆け巡る。その血流に、溶けていく。
血が、輝きを食んだ。
アイリスフィニカの足が、膝下から切り落とされる。
輝きを食んだ血液が、滝のようにだくだくと流れ落ちていく。致死量と言われても驚かないほどに、血溜まりは凄惨。しかし、その惨たらしい血液が、切り落とされたアイリスフィニカの両足へと纏わりつく。余った血液が、それを元あった場所へとくっつける。
アイリスフィニカの両足を、紅く輝く真紅のブーツが包み込んだ。
輝きの粒子が、全て足へと投入され、それでもって、やっと顕現した、真紅のブーツ。まだ、足元しか覚醒していない。しかし、本能の顕現は、成功した。
『アント・ヴェンリ』の輝きがアイリスフィニカへと淀みなく流れ続ける。『アント・ヴェンリ』にあった輝きが、アイリスフィニカのブーツを顕現させ続けるために使われ続ける。そのナイフの輝きがなくなった時こそ、アイリスフィニカが敗北する時、そのナイフの輝きがある時こそ、彼女が、血の王で在れる時。
彼女が、吸血鬼の女王で在れる時。
尊様達の『Orange Sapphire』を聞きましょう。あれは聞く麻薬…
近々短編のラブコメを投稿します。