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前身・その最弱は力を求める  作者: 藍色夏希
第3章【その血族は呪いに抗う】
190/252

187.【レイヴン・レイクロスの最後の罪】


『汚らわしい。』

『お前なんて産まなければよかった。』

『その目で見るんじゃねぇ!!』

『近付くな愚民、お前がどうなろうと、こっちはどうでも良いんだよ!』

『どうして私達が、お前がやったんだろう!?ふざけるな、私だけでも』

『おいおい、親がそんなんで良いのかよ。』

『血が・・・お、お前ら!』

『こいつも殺せ。ただ餓鬼は殺すな。』

『ついてこい。地獄から抜け出せるぞ。よかったな。』

『次は地獄より苦しいところだがな。』


我らには、親がいなかった。正確には居たが、男遊びにばかり夢中になり、八つ当たりをしてくる女と、それが連れてくる男達。もう誰が誰だか分からないほどの父親、もとい、男。そして、そんな家庭環境に置かれた、我。

不幸だとは思わない。もしもこれが不幸なら、生まれながらにして幸せな奴がいるということを認めてしまう。認めてしまったら、生まれながらに不幸な奴が、生まれながらに幸せな奴になれないことを、理解してしまう。

だから、世界は平等で、精霊王のご加護によって動いている。幸せと苦しみは、誰にでも等しく訪れ、誰でも幸せの中に留まることを許されるはず。我にも、幸せが訪れるはず。


バカな妄想をしていたものだ。


生まれながらの幸福と、定められた不幸は、存在しているのだ。

力のないものは淘汰される。努力は才能に勝てない。努力などするだけ無駄だ。強くなろうと足掻くなど、幸せのためにもかくなど、無駄以外の何者でもない。

だから我は、たった一度だけの努力で終わってしまった。努力が終わった瞬間に気付いてしまったから。その現実に気付いてしまったから。終わってしまった。


己の首を切る艶やかなナイフの輝きと、摩擦のような熱に侵される喉元から、それ以上の熱量で血液が溢れ出す痛み。そしてなにより、それすらも霞んでしまうほどの後悔。

ただただ、涙がこぼれた。どうしてだと嘆いた。

奥歯が砕けるほどに力を込め、握りしめたナイフが震えるほど咽び泣き、痛みなど感じないなんて都合のいいこともなく、激痛えの号哭と、後悔の涙とともに、我は死んだ。


だから、死ぬときは、そんなものを感じずに死んでもらいたい。


「おとなしく出てきていただけて、嬉しいのです。」


目の前に佇む少年も、同じである。

もうすでに、楽しみ終わった狩り。だから、目の前の少年も、同じなのだ。


ーーーーー


ライラを木の陰に隠し、震える足で進む。鉄仮面は、ボロボロだった。それでも、しっかりと被って居た。取れないように、落としてしまわないように、無くしてしまわないように。

そして、目の前のバケモノに、飲み込まれてしまわないように。


「おとなしく出てきたのは合ってるが、死んでやるつもりはないぜ。」

「・・・力がない。それに嘆くのは仕方がない。しかし、あなた方は間違っている。求めようとしている。力がないのはなぜか、力を持っている人間がいるからだ。なら、悪はそいつらなのです。なのに何故、そちら側に行こうとするのです!」

「っ」


声を荒げるレイに、初めて人間味を感じ、踏みしめて居た足が揺れる。

いいや、それでも、そのバケモノは殺人鬼。狂った男だ。

それに、アキトと相対している。


「マイナスだぞ、それ。」

「なにを・・・」

「強い奴がいるから弱い奴がいるんじゃない。弱い奴がいるから、強い奴がいるんだ。」

「なにが違うというのです?それに、なんの違いがあると!」

「弱い奴がいるから、その中から努力で成り上がる奴がいる。それを見た弱い奴が、また更に戦おうと決意する。だから、この世界には強い奴がいる。」


才能を持っている人間がいる。もとからなんでも出来る人間がいる。でもそれは、本当に出来ているのか?それは本当に、力となっているのか?

例えば、絵の上手い人間がいるとする。その人間が努力をして居なかったら、一流の絵師になれるだろうか?否だ。上手くなりたい、綺麗に描きたい。そんな向上心と努力で、世界には素晴らしいものが存在する。

才能は、ほんの少しの踏み台だ。ほんの少しだけ高くなった身長で、ほんの少しだけ見えるようになった世界を覗いたから、努力で踏み台にものを重ねて、壁の向こうへ行こうとする。好奇心が、誇りが、目標が、そこへの一手をうたせる。


アキトは捻くれている。壁を乗り越えず、回り込む戦い方。しかし、力への渇望という点で、劣ることはない。己を強く磨こうと、誰かを守れる強い人間になろうと、強く願い、渇望する。


今だけは鉄仮面が外れる。変に張り付けてきた顔が、剥がれている。


「お前の考えにどうこう言うつもりはない。だけどよ、俺は違う。それを、見せてやる。」


アキトの背後に咲いていた血液の花たちが、ボッと燃え上がる。

広大な世界に広がる、鮮やかな炎たちに照らされて、アキトの弱々しい宣言が成される。

その炎たちは、アイリスフィニカの、かすかな応援だったのだろうか。そうなのだったら、その応援は大成功だ。


何者をも焼き尽くそうとしていたエゴロスフィニカの炎とは違う。その炎は、アキトを癒すように、慰めるように、信じさせるように、暖かく寄り添ってくれる暖かさだ。まるで、アイリスフィニカのような、暖かさだ。


「見せてもらおうじゃありませんか。我らを下そうと言うその力を!あなた方の刃を!」

「ああ、見せてやる。その代わり、」


首につけていた貴鉱石のネックレス。ゆっくりとそれを外し、握りしめる。


瞳を閉じて、心を鎮めて。揺れる心に合わせるように。繋いだその力を、手繰り寄せるように。


今まで溜めに溜めてきた魔力の脈動が、術式に吸い込まれていく。アキトがずっと作り続けてきた希望を、リデアの作り上げてくれた設計図どうりに作り上げて、そして、少女の願いを収める。

ナイフほどの大きさしかない、頼りない武器だ。だけれど、今は求めることのできない少女の、リデアの、暖かい力だ。

何人もの力をもらって、立ち向かう。


金色に輝くリデアの刃。それは、突き立てれば最後、華々しい輝きをもって相手を砕き尽くす、最強の一手となり得る力。


「その代わり、お前も見せてみろよ。てめえ勝手な怠惰の末に、どんな力を持ってんのか。」

「力?我らが力を全て見せていないと?」


そんなリデアの刃をレイに向け、アキトは問う。本当の力はどうしたのだ、と。

最強の猟銃と、破潰を知らない骨の剣。そして、驚異的な身体能力。十分すぎるほどに見せてきた。十分すぎるほどに実感した。けれど、本当に全ての力を見せたなら。


「あの骨の塊は、必要なのかよ?」


ッ、

レイの瞳の光が揺れる。もうそれは悠然に、図星だと言うことを叫んでいた。


「猟銃に剣。体の修復。それら全部を同時にしたって、あの骨の塊は、一個使い切ることができない。いや、そもそも形が変わらない。それくらい、あれはでかい。」


元の世界にあったとしてもおかしくないほどの、とんでもない高さと大きさの骨の塊。一個あればいいはずのその骨の塊を、何故そこまで多く配置する?何故隠してまで用意した。


「あんなカモフラージュをしてまで隠したかった骨の塊を、わざわざ増やしてリスキーな行動に出た?」


アイリスフィニカのように目端がきき、アキトのように注意深い性格のものならば、それらの中にレイの骨があったことなど、簡単にわかったのであろう。であれは何故、バレやすいのにもかかわらず数を増やすのか。散々考えてきた答えが、レイのその反応で確信に変わり始めた。

アキトの思考が、突破口の輝きを捉えた。


「お前には、あれ全部を使い切るような大技が、まだ残っている。」

「・・・・・・。くっくっくっ、はははははは!そう、そうだ。あなた方には感激だ。どうしてその答えに至ったのか興味深いが、我らにそれを使わせようとしたのは、全く愚かだ。」


哄笑に骨を歪めるレイ。もしこのまま戦っていたとしたら、アキトたちにも勝ち目ががあったかもしれない。しかし、レイが隠し通すほどの技を、アキトは使わせようとしている。アキトは自殺まがいの戦いを、挑もうとしている。


「愚か・・・そうかもな。最後は狩りなんて一方的なことじゃない。」

「ほう?」

「決闘しよう。俺とお前で。全力で。」


レイがゆっくりと猟銃を下ろす。それが糸に溶け、レイの体の一部となって固まる。

それは、アキトの言葉を受け入れようとする、そんな意思といっても過言ではない。


「見せましょう、我らが鍛えた最強の刃。」

「俺も、見せてやる。」


ほとばしる輝きが乱舞。世界を照らす美しさが渦巻きあい、からまり合い、一筋の光となって、レイの天上に降り注ぐ。

それは、なんであったのだろうか。糸だ。

この奇妙な世界中にあるビル群の中から、全ての糸をこし出して、数え切れないほどの数と質量でもって、レイを上書きしていく。

切り立った山々がそれらに破壊され、歪な姿へと変わっていく。カモフラージュの石たちが、山脈に降り注ぐ。空高く、打ち上げられる。

光が、輝きが、糸が、風が、世界が、レイが、全てが共鳴している。何もかもが、混ざり合い、交じり合い、合わさって、消えない傷跡を覆い隠すように。その最初で最期の決闘に身を注ぎ、忘れようとするように。

狩りを忘れ、枷から解放されたレイの力が、収まる。いや、出来上がる。


天変地異の上位互換。それをいともたやすくなしたレイの、最期の方法。最強の刃。


それは、純粋な質量の暴力だった。


今までのレイの100倍、いや200倍、はるかなる空へと連なる骨の数々が、アキトたちを容易くすり潰す力を持っている。

そうだ。ちまちまと銃を撃ち、細々と剣を振る。そんな方法だからこそ、獲物は逃げていられる。こんな蹂躙の権化に遭遇して、誰が逃げることができようか。


全てのレイの骨が集まり、数百倍の大きさへと成ったレイの姿は、楽しそうに見えた。


ーーーーー




「やっぱりそうだよな、狙い通りだ。ありがてぇぜ、わかりやすい力。」


冷や汗をかきながらも、その余裕と呼ぶには頼りない、強がりと呼ぶには強い。そんな意思にあふれた表情は崩れない。

アイリスフィニカの血が塗りつけられた骨はレイに集合している。アキトを前に進ませる炎は無い。しかし、もらった暖かさは、忘れない。


「アイリス、頼んだ。」


刹那、クロスに切り裂かれたレイの胸部の骨から、紅い閃光が放たれた。


アイリスフィニカの血が付着した骨は、全てレイに集まっている。つまり、アイリスフィニカの血が、集合している。

アキトは見た。アイリスフィニカが、その血に溶けていく瞬間を。そう、その血は、まぎれもないアイリスフィニカの生命を司っている。

もう一度集合させれば、少女は姿を取り戻す。


「アキト!」

「アイリス!!」


シャリキアほどの幼さへと成ったロリリスフィニカが、アキトを上空で強く呼んだ。それに呼応する声。涙ぐんだ、アキトの声。


再び合わさり形作られたアイリスフィニカの刃が、切り裂いた。レイの骨を。


「一気に攻め込むぞ!驚きを感じてる間に、倒す!」

「ああ!」


アイリスフィニカが手中に収めた小さな刃が輝き、強く揺れるレイに再び突貫する。

研ぎ澄まされた赤き刃。その剣尖は、まっすぐに、ぶれることのない、美しい刃だった。


あばらに当たるであろう骨を切り砕き、轟音を立てて地面をぶち抜く気配に微笑みながら、刃を骨に滑り込ませて停止。ロッククライミングでもするかのような体勢。しかし、少女は吸血鬼。

突き立てた剣を蹴って跳躍、限界の力を失った体が、自由落下を始める。そのまま落下するかと思われたアイリスフィニカの足元がぐにゃりと歪み、血液のような美しい色へと変化、更にそれが分離して、小さな皿を作り出す。そこを足場に、飛躍した。

途中突き刺さる剣を引き抜き、飛ぶ勢いを落とさないように、ほぼ垂直のレイの骨を駆け上る。

刃を振り抜き、骨を断ち切りながら走る。走る。走る。

無論、レイとてこのままやられているはずもない。アイリスフィニカの軌跡を叩き割ろうと手を伸ばすも、その素早さに全て空振り。


「アイリス、持ってくれ!」

「ッ!!」


アイリスフィニカが足を踏み外す。

レイの骨が、急に変化した。それは、アイリスフィニカの進撃を止めようなどという生半可なものではない。アイリスフィニカを殺しつくすために歪められた、骨。突き出すそれがアイリスフィニカの腹部を貫き、それごと飲み込むように作り出された牙が、魔獣のように噛み砕こうと動き始める。


「じゃ、まっ!!」


アイリスフィニカが剣を振り抜く。そうすれば、ほんの少しだけ分離した血が、その軌跡を赤く染め、丸い円を描く。そのまみ勢いは止まらず、円が広がっていくように斬撃が飛び、変化した骨もろとも吹き飛ばす。

粉々に砕けて散る骨の雨、その中を駆ける少女の紅い双眸は、美しい。

少女の猛攻に、隙はない。


ーーーーー


「ライラッ!」

「ここだよ!」


うろ覚えの森の中をかけて、少しだけ見覚えのある場所にたどり着き、叫んだアキトに幼い声が呼応する。

ガサガサと茂みが揺れ、ひょっこりと顔を出す少女。幼げな顔立ちの少女の元へと駆け寄り、外傷がないかを確認する。そして、己の感情も確認する。

ライラに対する悪感情は、ない。


「ライラ、手伝ってくれ。」

「手伝う?ライラに、何かできるの・・・?」

「ああ、できまくりだ。やってくれないか?」


危険を覚悟、命を盾に、打倒という結果を守りながら戦う、とんでもない賭けだ。もちろん、それを少女に課すことは、あってはならない。しかし、そのほんの少しの手助けをしてくれれば、命の盾が突き破られる可能性は、大きく低くなる。

嫉妬という罪によって罪人にされ、周囲を咎人にし続ける、理不尽な力。そんな理不尽な少女を巻き込んで、最低最悪、けれど、そんな少女を巻き込まなければ、自分はあの敵を倒せない。それほどまでに、自分は無力で、ちっぽけで。


「いい・・・よ。やれるよ!」

「本当か?危ないし、お前の利益にはならないし、それに!」


無理をしていないだろうか。悪魔という理不尽にさらされ続けてきた少女、ライラが、拒否を知らないのではないかという不安が、すっと脳裏によぎる。そんな問いかけをしている場合ではないけれど、本当にライラの意思なのか、それだけは、知らなくてはならない。


「うん、やれる。ライラも、人の役に立てるんだよね?なら、やりたい!」


まっすぐに、アキトの心を突き刺すような鋭い双眸。いや、覚悟のこもった、強い双眸。それすなわち、アキトは信じるしかない。それが少女の意思だと。それが、彼女が下した決断だと。

もし嫌々やろうとしていたり、拒絶を覆い隠していたりしたのなら、ここまで強い瞳の輝きを映し出せるはずがない。

それに、アキトは知らないだろうけれど、この世界に、ライラほど拒絶がうまい少女は存在しない。

拒絶結界の使い手の少女は、緊迫した戦闘中だとは思えない笑顔でアキトを見た。


「そうか、そうか。よし!じゃあ助けてくれ、情けない俺の手助けを、足りない分の力を、貸してくれ。」

「うん。いいよ」


握りしめた拳の感覚が薄れるほどに、視界の端に現れる黒い幕が、己の限界を告げている。

最弱が限界を超えない程度で、最強に抗えるものか。不敵な笑み、強がりの精神。そっと握られた手の力強さに涙ぐみ、そっと鉄仮面をはめた。


ーーーーー


「ここからの防御が硬い!」


一方、決死の猛攻でレイの頭蓋を砕こうと奮戦する少女には、幾多もの刃が降り注いでいた。

普通に切るだけでは、切断された刃が飛来する、非常に危険な状況になる。そのため、アイリスフィニカはいちいちその骨を砕き切らなければならない。剣の腹で叩き割るということは、普段よりも斬撃の速度が大きく劣り、圧倒的に隙が生じる。だからこそ、この壁を突破できない。


「でも、アキトのため・・・アイのため!」


さらなる追撃の刃。垂直のレイの骨を、血液の小さな爪で駆け上がる。削れる骨が落ちていく、迫る刃が命に問う。何故走る。無論、アキトと居たいから。そんな答えを出した瞬間。脳裏に浮かんだ少年の顔と、いつも無理をしているような少年の顔と、何かをなくしてしまったかのような、悲しいアキトの表情を思い出すと。

俄然、握りしめる力が大きくなった。

そのなくしてしまった何かを取り戻して、アキトに返してあげることは、出会ってから日の浅いアイリスフィニカにはできない。そんな確信を、少女は持っていた。悲しい、悔しい。けれど、その少年を信じるのなら、その少年が今まで、アイリスフィニカを救ってきたように、ヒーローであろうとしたのなら、いるはずだ。アキトに心を返してあげられる人が。

だから、その人に会わせるために。アキトに恩返しするために。


「戦う!!」


駆け上がった硬い骨の先、足場となっていたそれらを砕きながら、飛翔、チャンスとばかりに飛来する刃の数々を叩き落とす。そして、その勢いのまま登り続ける。

アキトを助けるために。


ーーーアイを助けてくれたアキトを、助けるために!


速さが足りない。まだ、もっと高く、走り続けなければならない。もっと速く、力強く、その先にあるレイの顔面に、叩きつけてやらないといけない。その刃を。アキトの刃を。アキトの刃である、アイリスフィニカを。


踏みしめる足に、鋭利な刃が、深々と突き刺さる。掠れながらべっとりと広がる血の軌跡。白と赤のコントラスト。しかし、それだけでは止まれない。たとえなんど突き刺されようと、たとえなんど阻まれようと、たとえなんど叩き落とされようと。進む。

咆哮をあげる。空を貫くほどのその覚悟の声、呼応する己の心、体。

血が吹き出る、痛みが駆ける。


「ぐっ!!」


苦悶の表情もれる嗚咽。それでも、突き進む。

振り切る赤の輝きは、先ほどよりも速い。進む少女の足は、もっと強く踏みしめられている。亀裂が入るほどの一歩、続く粉砕の音、慌てるように叩きつけられる刃の乱舞、少女はそれでも、進み続ける。

少年のために。


「アキトの、ために!!」


駆ける速度が残像を生み、迫る髪が揺れ動く。少女は風となり、少女は炎となり、凍てつくような殺意でもって、燃え盛るような激情でもって、その刃を叩きつける。

そして、


「あと、少し」

「アイリス!」

「あ、アキト!?ど、どうやってここに!」


急に現れたアキトに対して驚き、会えてしまった嬉しさに心が踊る。ずっと、ずっと待ち望んでいた。しかし、そんな時間はない。そもそも、どうしてアキトがレイの肩口に居るのかが分からない。バツの悪そうなボロボロで血まみれの少年に、少しきつく問い詰める。もちろん、照れ隠しだ。


「ライラに手伝ってもらった。でも、やば・・・い」

「アキト!」


手に持った金のナイフだけは握りしめて、絶対に落とすことのないように握りしめて。そっと少年が倒れる。言動から察するに、アキトはライラの気圧の精霊に力を貸してもらい、ここまで登ってきたのだろう。

アイリスフィニカでさえもここまでの重傷を負っているのにも関わらず、アキトが無事でたどり着けるはずがない。それでも、アキトは登ってきた。とんでもない怪我という代償を伴って。


「無理すんな!すぐに治療して!」

「駄目だ!あいつを・・・倒さねえと、俺は・・・!」


アキトを抱えて飛び降りようとするアイリスフィニカ。しかし、アキトがそれを制止する。このまま絶好のチャンスを逃すわけにはいかない。それに、アキトも見せなければならない。この力を。


「アイリス、俺を頂上に連れていってくれ。」

「で、でも!」

「大丈夫だ。見てみろよ・・・追撃が止んでる。」

「え?」


そして、やっと気付いたとても言うように、アイリスフィニカが驚愕に声を震わせる。見れば、鬱陶しいほどに鳴り止まなかった剣尖の音が、おぞましい鈍撃の数々が、消え去っていたからだ。


「勘違いしてたぜ。この巨大化は、あいつの切り札なんかじゃない。本当の切り札は、あいつの全力は、」

「何いってんだ!そうだとしても、もう戦える体じゃないだろ!」


ここでも、そのアキトの心の無さが牙を剥く。感受性のほとんどを、強くなるために捨てたアキトには、感情が受け取りにくい。もちろん、恐怖でさえも。鉄仮面という力を与えてしまった所為で、それはさらに悪化した。過去の自分を悔やめど、未来の自分に覚悟を叩きつけたことは、数え切れないくらいにある。絶対に無理をさせるな、と。


「・・・アイリス・・・。俺は、自分が今異常だってことは分かってる。」

「アキト・・・」

「怖さも感じないし、嬉しさもあまり感じない。悲しさも、不安も、何もかも!俺は、我慢できちまう。」


どんなに辛いことがあったとしても、感じ取れる心の無さのせいで、伝わってくる感情は薄い。だから、堪えようとすれば涙はとまり、鎮めようとすれば怒りの力はスッと引く。例外はあれど、アキトの精神状態は異常。はたから見れば狂気の沙汰だ。しかし、そうする事でしか、アキトは強いという概念と渡り合えなかった。感情をシャットアウトする事でしか、戦えなかった。それほどまでに、弱かった。


「だから、今1番戦えるのは、俺なんだ。今1番、あいつへの怒りをなくして戦えるのは、俺なんだ。」

「怒りを・・・なくして?」


アキトの口から出たその言葉に、アイリスフィニカが首をかしげる。


「あいつは今、攻撃をやめた時点で、既に狩人じゃない。こうして俺を待っている今この時、あいつは1人の男だ。俺と対等に戦おうとする男だ。」

「でも!それでも、アキトじゃ!」

「約束したはずだ。アイリス。」


声を荒げてアキトを引き止めるアイリスフィニカに、アキトがそっと言う。

アイリスフィニカとアキトが、絶対に違わないように、結んだはずだ。

絶対に、


「絶対にお前を、俺と一緒に脱獄させるって。」

「っ、」

「安心しろ、お前がここまでたどり着いたから、あいつは俺と戦うことを認めてくれたんだ。戦うに値すると、対等になろうと、判断したんだ。」

「アイは、必要?」


不安げに問いかけるアイリスフィニカ。


「ああ。必要すぎる。絶対に離れたくない。でも、お前はここまで頑張った。もう休め。」


そう言われて、報われた気がした。

肩を突かれて後ろを振り向けば、血の入った瓶を持ったライラが居た。

もう既に、自分の役目は終わった。アキトを最後のステージに立たせる役目を、全うすることができた。それくらい、頑張ることができた。それを、労ってもらえた。

必要としてくれた。一緒に居てくれようとした。


「ライラ、こいつを頼む。自分だって無理してるくせに、人ばっか心配しやがって。」

「うん。任せて。」


アイリスフィニカも限界だったのだろう。アキトを心配しているうち、スッと意識が途絶え、アキトに寄りかかってきた。

幸福そうなアイリスフィニカの頰を堪能し、柔らかな感触を名残惜しみつつ、ライラにアイリスフィニカを任せる。アキトには、レイとの一騎打ちが残っている。

1つの骨を拾い上げ、呟く。


「行ってくる。」

「うん!アキト、頑張って。」

「・・・ああ。ありがとよ。」


困ったような笑みを浮かべながら、少年は青い光に包まれて、消えて行った。


ーーーーー


薄い金髪。しかし、風になびくそれは、美しい輝きをはらんで居て、綺麗だった。少し長めのその髪に隠れた顔は、見なくたって分かる。きっと整っているだろう。

まとう雰囲気は柔らかく、何かを悟ったかのような穏やかさを感じる。

広く輝く空。雲のなびく空から降り注ぐ光の元は、やはり太陽ではない。そして、それを映し出す地面には、薄く水が張ってある。アキトが歩けば、波紋が何重にも広がる。


「レイ・・・だな?」

「ええ。私は、随分と面倒な道を進んでいたようだ。」


哀愁を漂わせる、美しい低音の声。振り向いた彼の手には、磨き上げた白銀の剣が、鞘とともに握られていた。


「面倒な道。狩りに執着していたことか?」

「それもある。でもそれより、信念を貫き通せずに進んでしまったことが、1番の心残りだ。」


魔力によって骨を作り出し、その変化をさせると言う魔法。己の骨折などの外傷に見えにくい場所の怪我を治すために身につけて、人を癒そうと努力して、そして、幸せをつかもうと足掻いて。しかし、その途中で、諦めてしまった。挫折してしまった。そしてそのまま、進み続けてしまった。

その果てにあったのは、かつて自分を苦しめた狩りを誰かに味わわせようとする、醜い自分だった。


「本当に、馬鹿なことをしたものだ。」

「お前はいい方だ。途中で過ちに気づけた。俺なんかが言っていいのかは分からないけど、こうして戦う気になってくれたのは、気づいたからだろ?」

「そう・・・だな・・・」


狩人という幻想に魅せられてきた過ちに気付けたから、生きていた頃の姿で、こうしてアキトとの決闘に応じた。

ただ狩って、愉悦に浸るのではない。過ちに気付いたから、最後に、気付かせてくれた少年への。こんな醜い自分に戦いを挑んだ少年に、敬意を持って、その戦いに応じる。

自分がなれなかったものになろうとしている少年に対して、最大の敬意でもって、戦う。


力を求め続けられずに、こんな場所で腐っていた自分を叩き直す少年に、剣を向ける。


最後くらいは、力を求めていた頃の自分で、戦おうと。


戦う理由はない。けれど、このまま死ぬのならば、レイは、アキトに殺されることを望む。そして、アキトに残そうと誓う。敵を殺すことの経験を、彼に刻む。


この空間は、レイの切り札。いや、切り札にしたかった技。誰かと対等に戦いたいという気持ちのための、最後の技。


「私は、君のようになりたかった。」

「ああ。」

「しかし、そんな強さは、私にはなかった。」

「ああ。」

「君は強い。その覚悟を持てるほどの強さを、誰よりも持っている。」

「・・・・・・。」

「戦おう。」

「ああ。」


レイのおぼつかない足取りが、そっとステップを刻み始め、進む刃がアキトに突きつけられる。眼前で止まる刃をそっと握りしめる。ダクダクと流れ落ちる血液に構わず、そのまま握りしめる。そして、レイの投げ出した剣を掴み取り、レイに突き立てる。


力を求め続けられなかった弱さに気付き、殺してきた者たちを思い出し、果たして人は、戦おうと思えるのか?そんなはずはない。

きっと誰もが、思うはずだ。


「戦おうじゃねぇだろ。」

「すまないね・・・私は、最後まで。」

「殺してくれなんて、分かりたくなかったよ。」


死んでしまいたいと。

レイは思ったのだ。そして、アキトに殺してもらおうとした。


レイの体が粉々になり始め、ノイズのようにバラバラと崩れ落ちる。そして、シュレッダーにかけられた紙のように、呆気なく、パラパラと、その身を散らしたのだった。


レイヴン・レイクロスの、最後の罪なのだった。


ーーーー


気付けば、澄み切った蒼天はすでになく、とてつもない超高度からの景色が、アキトの瞳を焼いた。レイの残骸とも言える骨の儡像。その肩に、アキトは乗っていた。


「アキト!あいつは?」


その時、背後からライラの声がした。できるだけ表情を隠しながら、涙ぐみながら、アキトは微笑んで言った。


「倒したよ・・・。あの馬鹿野郎を。」


「アキト?」

「さぁ、こいつも、片付けよう。」


現在進行形で蠢き続ける骨達。巨大化したそれらは、主人を失っている。そして、彼らには、何百年という時間の中で、狩りという習性が染みついている。なら、どうなるか。

骨の中から新たな自我を作り出し、主人にする。

今はその途中なのだろう。不安定に揺れる足場の中で、震えが伝わってくる。


「ライラ、最後にもう一度頼む。」

「うん・・・」


ライラがアキトに触れる。精霊の効果を付与するための動きだ。そして、アキトがリデアのナイフをレイの頭蓋に突き刺す。

輝きは、アキトがライラの精霊によって動いた時に訪れた。カッと瞬いた白煙がレイの頭部を包み、その衝撃で全体が傾く。


「大丈夫なの?まだ光が・・・」


所詮アキトの魔力の集合体。爆発したとて大した威力ではない。しかし、バランスを崩せば別だ。

ゆっくりと傾く巨体が倒れて、その巨大な頭部が山脈に貫かれる。

アキトが使うはずの戦略であったが、簡単にできてしまった。それも、あの潔さ、いや、タチの悪さが神がかった男のせいだ。


「終わったぜ、アイリス。本当に・・・嫌な終わりだけどよ。」


胸に抱きかかえた少女にそう言って、前髪を撫でる。空中で静止する。

アイリスフィニカは意識を保っていなかったけれど、微笑んだ気がした。それだけで、少しは報われた気がする。


ミカミ・アキトはそうして、敵を倒すということを、心に刻んだのだった。


【レイヴン・レイクロスの最後の罪】


どうしようもない過ちもある。そのもどかしさ。そんな話です。

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