162.【ミカミ・アキトの異世界譚】
チスニプリウムに宿らせる精霊。それは、同じく水を司る精霊。更に、そこに重ねるように流れを操る精霊を招ぶ。
剣を振り切り、続く斬撃から溢れ出す水達がその海原へと落ちて行く。流れを司るその精霊によって加速し、海流にすらも同化した水の斬撃が、休む間も無く撃ち込まれ続けられる。
「す・・・げぇ・・・」
途切れる暇もなく撃ち続けられる斬撃の数々。その全てが、一撃をもってアキトを死に至らしめ、さらには群を滅ぼし尽くし、増える続く数の暴力で世界に傷跡が刻まれる。しかし、その乱舞の中で煌めく刃と、そこから伸びて行く斬撃を伴った水流は、世界を壊す害悪ではなく、人々を魅せる星空と変わらないように見えた。
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「命題の変更・・・吸血鬼としての力全てで2000年頭脳を回転させ続ける『思考者』エゴロスフィニカの、思考の題材となるもの。」
ある吸血鬼の少女と、兄弟という名の対をなすその男は、吸血鬼という人種、種族であった。そうして、奇しくも作り出した生物の中から生まれたエゴロスフィニカは、現在世界に生存している吸血鬼の内の、数少ない1人。どうすれば餓死せずに済むのか、考え続けられるのか、という命題に始まり、様々なことを命題として考え続けたその男は、とうとう精霊王の思考の一部に手を掛けた。
「ミカミ・アキトが力を伸ばし、この作り上げられた世界を壊してしまうのではないか。そんな疑念があったから、迷っていた。」
ーーーそうだね。
「『思考者』は、そんな考えを理解した。そして、それに協力しようと命題を変えた。『ミカミ・アキトの殺害』に。」
ーーーああ、そうだ。
思考者とまで言われ、謳われた彼が、精霊王の考えに同意して己に舞い込む幸福の度合いを量りちがえるはずがない。だからこそ、彼は精霊王の刃へと、自身の手で勢いを与えた。自身の手が傷を負うとしても。
「未来が見えない人間が面白い。愉快だ。そう、言っていたじゃないか。」
ーーーけれど、その面白さという果実に魅せられて、僕はシシュウという貴重な人材を失った。
かつての影魔道士。その男の奇異な戦闘方法と、憔悴しきった瞳が澄んでいく様子に、精霊王は物語を見出した。そしてそこに、未来が見えるはずが見えないというスパイスまで加わったわけである。彼に期待し、その動向を見守るのは必然と言えた。
しかし、それによって、シシュウは境界を跨ぎ、この世界から去ってしまった。
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鳴り止まぬ水しぶきの音。
それは、華奢な少女の撃ち出す、大砲なんて問題にならないくらいの爆撃の数々と、その猛攻をゆらりゆらりと流れる水達によって奏でられる、悲鳴のようなものだった。
波打つ水流が高波となり、軽々とライラの背を飛び越え、影を落とす。同時に射出される死雨の力。拒絶結界と精霊の力を重ねがけしながら戦う少女の姿は、大罪と呼ぶにふさわしい恐ろしさをもっていた。
「でも、この子に任せてるわけにはいかない。」
普段なら、足手纏いになるからといって後衛へと下がるアキトではあるが、その後衛とは名ばかりの傍観者になることを、今回のアキトは承認しなかった。なぜなら、ここでアキトが戦って迷惑をかけるのは、得体の知れない大罪囚。ならば、アキトが与える迷惑を、アキトの戦略が上回れる。どっちにしろプラスになる。
それに、こんな華奢な少女1人に、その足音を聞いてしまったアキトは任せておけなかった。ただ1人の少女であるのに変わりはないはずなのに、少女はそんな化け物と刃を交える。そんな理不尽は、アキトの現状と何か変わりがあるだろうか?否。
「実体化魔法。」
諦め半分でポツリと呟いた一言。体を巡っていた魔力が、体内の魔力タンクへと行こうとする。しかし、魔力がたまっていない魔力タンクに行くため、生命活動に必要な魔力が枯渇。頭を揺らす頭痛が、視界を黒く汚した。
そもそも、魔力タンクが壊れて底が抜けているアキトには魔法は使えない。あの激戦に後悔はないが、ほんの少しの懇願はある。せめて魔法は・・・という。
アキトの弱さが招いたこと。納得して、ゆっくりと本棚を伝って下の階の通路へと降りる。既に水に浸かりそうになっているその通路へと飛び降りる途中、アイリスフィニカの忠告を思い出した。
「水が生きているみたいに。」
アイリスフィニカを確実に狙う水の槍。それを、少女は示唆していた。
「水には触れられないか・・・」
自身の無力を痛感し、相手の強さに理不尽を嘆く。いつも通り、普段通り。最弱は不安と息を吐く。
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「エゴロスフィニカはまだ手加減をしている。迷っていることを知っているから。しかし、ここで止めなければ、覇帝はすぐにでも下層に降りて彼らを殺す。」
ーーー・・・・・・分かってる。
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刹那。水の槍がアキトの眼前に迫った。
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「俺が口を挟めることでないのは分かっている。しかし、まだ、間に合う。」
ーーー僕は・・・
「決断を迷う時間は、そう無い。」
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痛み。アキトを巡る神経が、その警告を伝えた。
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ーーー僕は・・・
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左胸に浅く刺さる。しかし、勢いは止まらない。
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ーーー僕は、王。
「全ての選択は、委ねられている。」
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アキトの胸を槍が貫く。
ーーー僕は、まだ見ていたい。ミカミ・アキトの、異世界譚を。
そんな何かが、見えた気がした。
確かに槍は刺さった。しかし、それを証明する手段は一つもない。なぜなら、貫かれたはずの胸には傷一つなく、纏う服には切り傷の一つもない。さらに言えば、貫いた槍でさえも、そこには存在していなかった。
ーーーミカミ・アキト。君の事を、教えてくれよ。
「お・・・まえ・・・は・・・!」
意識が途切れる。世界が、明るく消えた。
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見える世界には奥行きがなく、ただただ白かった。正確に言えば奥行きはあるのだけれど、白すぎて何も見えないと言って過言はない。そんな異常現象に遭遇したアキトはただただ無反応だった。慣れていた、知っていた。そんなことは全くない。
なぜなら。
アキトのそばに立つ『それ』が、何よりも意識を塗りつぶす存在感を放っていたから。
ーーー僕は282。覚えているかい?
「しょっちゅう俺に話しかけてきやがった・・・」
ーーーそうだよ。そのうるさい声だ。
かつての世界。バルバロスではない。上の世界。そこで、嫌という程聞いていた声。異世界で、初めて聞いた声。
軽口を叩き合い、叱りつけ、何故だか助言する。そんな不可解、不可思議、不可能な存在に、アキトは既視感など消え失せるような懐かしさを感じた。
「バルバロスじゃ随分静かだったじゃないか。」
ーーーあそこはシドの領域だからね、入りすぎるとバルバロスの力と僕の力が殺しあうんだ。
「よくわからんが、あそこじゃ話はできないってことか。」
ーーーそうだね。無理に入り込んで殺し合いが始まって、巻き込まれて君が死んだら意味がないしね。
バルバロスという場所の力。それに相対する、282という力。ぶつかり合った力は、簡単にアキトを吹き飛ばす。
ーーーだから、とりあえず君の周りの空間ごと、いつも僕がいるところに連れてきたのさ。体に傷がないだろ?
「ああ。どういう芸当だ?」
ーーー空間を切り取った時に、水の槍が両断されて、存在しなかったことになったんだ。君の傷ごとね。
「てことはここは、バルバロスじゃないのか?」
ーーーそうなるね。
テレポート、次元越え。数々のそのようなものを体験してきたアキトであっても、ここまでわけのわからないものははじめてだった。ただ、それだけで分かってしまう。そこにいる存在が、それだけ強力なのかを。どれだけ、次元が違うのかを。
「それで、俺をどうする気なんだ?」
ーーー言ったはずだよ。僕は君が知りたい。空間を繋ぐのには時間がかかるしね。君の記憶に入らせて貰うよ。もちろん、君も一緒に。
「つ!てめ!いつの記憶に!」
ーーーそうだな、君の1番最近の、本当の世界での記憶・・・かな?
記憶に入るだとかおかしな事を言っている。しかし、アキトは確信があった。それをやると。それができると。
「なんてトコに行こうとしてんだ!」
ーーー僕の知らない物語。見せてくれよ。