128.【会心でもないクリティカル】
ーーーそらァ、舞い散れァよォ!
カチリ。ひとつ、何かの音が耳朶を叩いた。アイリスフィニカにはそれが何かわからなかった。分かるはずがない。
それは、誰も聞いたことのない。いや、聞いた者は死んでしまったから、正確には、知っている人はいない音だから。
幾何学的に折れ曲がる緑の紋様がその筋肉を走る。覇帝の両手で輝くその光に、どうしてか目を奪われる。その一点しか、見えなくなる。
「ラ・アイ・リス!、レ・エゴ・ロス!」
舞い落ちて、撒き散らされて、そこら中に蔓延していた雫たちさえも全て集めて、紅い双剣をその手に宿す。2つ目の詠唱で双剣が大きく変化。紅く美しい刀身が歪み、いびつな形へとたわむように変化。禍々しく、おぞましく、機巧的な双剣を手に、目を離せない拳に刃を突き立てる。
勢いよく振り下ろされる圧倒的な質量は、それに重さと速さと鋭さを混ぜ合わせてその刃を迎撃する。
一瞬、その荒々しい拳と繊細な刃の剣技が拮抗する。が、刃を伝って、腕へと渡り、そこから身体中に衝撃が伝染。アイリスフィニカの体内を、弾け飛ぶような打撃が巡り巡る。血のように流れたそれは背後から抜け、覇帝の一撃をアイリスフィニカは貫くように浴びた。
アイリスフィニカを貫いた打撃の威力を物語るように、その背後の地面が大きく抉り取られる。
「が、ハぁ!」
口の端から血液が流れ、痛みに喘ぎながら背後へと跳躍する。
視界は朧げで、耳鳴りは止まることなく。味覚を支配するのは口の中で暴れる血液。触れる剣の感覚すら分からなくなりそうになり、蔓延する血の臭いだけが自分という存在と意識を繋ぎとめられるものだった。
フラフラとした足取りでその先へ着地、もつれる足から地面にひれ伏した。
その上に、緑の紋様の輝きがあった。アイリスフィニカの肌に映るその死の色を認めるものかと。
ーーー期待はずれよのォ、小娘よァ。
「うるせぇな!さっさとおとなしくやられろよっ!」
黄金の劔から鞘を外し放り投げる。自由落下を始めるそれを見据えて、お粗末な太刀筋でそれを叩いた。
剣を握る腕や振る力は最悪。しかし、芯を貫く打撃に至っては、ミカミ・アキトの十八番。
「あ・・・きと」
「アイリス」
くるりくるりと舞う鞘。
信じて、託して、任せて、丸投げして。命じて、やらせて、一喝して。進むその確かな軌道を見て、紅く紅い軌道を見て、笑う。
「君って本当に、本当に!」
アキトの叩いた鞘が覇帝の眼前で破裂。命じられた血が従う。一滴一滴の血液が雨のように降り注ぎ、雨のひとつひとつがクナイのような刃へと変容し、そのクナイが眼前を覆う圧迫感に、きっと覇帝は思っただろう。
ーーーやられたのゥ。
覇帝の眼球奥深くに貫き、痛覚へと直接訴えかける血達の叫びに、いくら覇帝であれど少しは怯んだのだろうか。前傾姿勢だったその巨大をゆっくりと上げ、首をもたげる。巨体がそうしてする挙動は、一見遅く見えるが、その風圧と音から、当たればひとたまりもないと、本能が理解する。
きっと、その鞘はアイリスフィニカのレ・エゴ・ロスで作られたもの。戦闘スタイルから察するに、おそらくそれは変えることができると予想した。アイリスフィニカが血を変化させ、覇帝の視界を潰した。
「今なら!」
劔を引き、紅を構える。
輝くアキトの体。アキトの淡く緑色に輝く体に、アイリスフィニカの斬撃が加わった。
もうほぼ真っ二つと言ってもいい切れ味を満足そうに見て、唖然とするアイリスフィニカを嘲って、納得したように瞳を閉じるアキトに少し驚いて。覇帝はその闇に紛れた。