122.【自己犠牲】
自分から逃げるというのは、どういう意味だろう?
柄にもなく哲学的な事を考えて、カッコつける途中に虚しくなって。たどり着いた答えは、平凡。
自分が合か否かを求められた時、否と答えない心。そんなものだと、答えにたどり着いた。
そして今、その窮地に立たされて、逃げる事など許されない。
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「さぁ、あの日の続きだ!」
ふわりと浮き上がるグレン。揺れる茶髪とかつての殺意の瞳、全てが重なった。つづりの脳裏に刻まれていた全てが、ジオ・グレンを敵だと認めた。
こうして戦うのも、命を賭けるのも、そのウドガラドという国のためではない。自分と、自分の愛した少女を守るための、アキトと同じような理由の。ウドガラドは、自分たちから自滅の道へと走り始めた。
かつて、グレンはアルナに英雄としてバルバロスに堕とされた。
そして、アキトはファルナに英雄としてバルバロスに堕とされた。
重なっている。歴史から学ぶ事を忘れて、この世界からウドガラドが消える未来へと、走り出す。
その流れを止められるのは。
「今この国をどうにかできるのは、」
皇さえも憔悴し、竜伐の勇ましさは鳴りを潜め、誰が戦おうと叫べる?だから、
「俺しかいない!」
きっと、アキトだって思っていなかった。こんなに自分の存在が大きいと。こんなに自分の存在が大切だと。つづりの今しなければならない事は、その最弱を救い出し、その最弱に言ってやること。お前はここまで大きい存在になっているんだと、そう知らしめてやらないといけない。
素早く抜き去った剣を手に、消えるグレンの残した土煙を睨む。どれだけ見ても分かるのはそこに剣士が居たという感覚だけ。ラトラフィフスには分からないその何かで、つづりは見た。哄笑をあげる剣士の斬撃を。
微かに現れる刀身の輝き、そして、震えるほどに握りしめた最強の鉄拳を、迷うことなく繰り出した。
点滅するように現れるグレンが生み出した致死の剣撃が、つづりの血塗れの技に討たれる。亀裂が刀身を走り、砕ける音が伴って、その剣は粉々に砕け散った。
けれど、達成感など微塵も感じさせず。そして、敗北感など微塵も感じさせず。
つづりとグレンは衝突した。
粉塵が搔き消え、飛び出すグレンの2刀目の剣がつづりの頭蓋へと走る。目端に捉える輝きを、その動体視力でかわして地面に手をついた。黒くくすんだ地面に、つづりの手から何かの粉がばら撒かれた。それが広がるより先、つづりが跳躍、一瞬でそこにグレンの剣が死を運んだ。
かわしながら、火種を放る。落ちていた火薬に点火するその小さくか細い火が燃え上がる。燃え上がり、轟音が巻き起こり、炎の柱がグレンを貫いた。
「効いたな、今のは!」
爆炎に叩き上げられたグレンが叫ぶ。黒煙に紛れるグレンへと、さらに短剣を叩きつけて追撃、その短剣に迫るほどのスピードで、つづりの拳鎚がグレンを貫こうと走る。乗せられた想いと力は、そこに実体が無いという常識を覆し、残像とも言える速さのグレンの顔面に、その拳をぶち当てた。
「ぐっ!」
拳についていた火薬に、更に火種を投下して、爆裂が2人の間に空間を作った。全身に纏わりつく焦げ臭い黒煙をなぜかせながら、グレンは後方へと着地。新たに生み出された爆炎を破り捨て、血塗れの拳をかまえるつづりが続く攻撃をグレンへの殺意に変換。
感じる。震えるほどの殺意の波を、抑えきれていない必死な、狂的なまでの力の波動を。そうして、期待ばかりがその身に集い、ジオ・グレンの白銀の力が、つづりの紅く重い一撃と交わる。
時が止まったように硬直。全てが止まり、あわやその空間全て、むしろ世界全てが、決して自分たちだけでは無いのではないかと思うような静寂が、沈黙と硬直を持って訪れた。ほんの一瞬の静かすぎる力の拮抗。
「ふっ」
バキン、と音を立てて砕け散る刃を見て、溢れる余裕の表情でグレンがつづりを見る。
強撃と攻撃の拮抗は、つづりに軍配が上がった。
が、ジオ・グレンは英雄だ。
「死を覆すのが、英雄。」
「ぐふ!な・・・にを」
紅く。脳裏に焼きつくように、焦げ付くように、刻み込まれるように、重なり続けていた戦闘中の活動限界が、吐血という形でお前の負けだと告げていた。
死を覆すのが英雄。だから、
「だから、不老の俺は英雄になれる。」
あの日。282に力を見込まれ、その貪欲なまでの情報を求める強欲で命を救われてから、その番人は禁忌の象徴へと身を落とした。
見た目までは変わらずとも、つづりは衰えている。あの時から全く変わっていないように思えても、その奥底に眠っている力は徐々に弱まっていき、このグレンとの戦いで、魂を、命を抉り、削り出して、力へと変換して戦っていた。けれど、それでやっと互角に立っていたつづりと、死を超越したグレンとでは、力の持続時間が違う。
「お前は英雄の器じゃないんだ、つづり。」
哀愁を滲ませて、どこか遠くに呟くグレンが、つづりの背後で立ちすくんでいたラトラフィフスへと目を向ける。まるで、もう用はないとでも言うように。
「まぁ、英雄なんてこんなもんなんだよ。そのミカミもな。英雄なんて自己犠牲をよく言っただけなんだ。」
つづりはゆっくりと瞳を閉じた。