116.【ただ最弱がいないだけ】
「どうだ、ヴィーネ。」
「はい・・・私は、もう少しで退院できそうですし。」
優しくかけられた言葉の暖かさに頰を緩ませながら、ハッとした。あんなにも心を痛めている友人がいるのに、どうしてこんなに笑いそうになっているのか、と。ミカミ・アキトというちっぽけで弱くて脆い人間は、どういう訳だがとても大きな存在になっていて、どうしてだか皆の心に強く根を張っていて。
看病してくれるウルガ先輩には大丈夫と言ったが、そんな葛藤に思考を割いているうちに、睡眠不足が続き、体調は悪くなる一方だった。思い切って剣を振ろうにも、自分の体は歩くことぐらいしか出来ない。憂さ晴らしも出来ない生活で、これぐらいの体調不良で済んでいるのは、一重にウルガ先輩による看病のお陰なのだろうか。
「どうかしたか?」
「ぁ・・・いいえ」
いつもなら幸福感を味わうのだろうけど、ウルガ先輩のそんな言葉にさえ、私は糾弾されているのでは?と怖くなって、どうしても泣きそうになって、そうして、顔を背けてしまう。
「ヴィーネ、無理をするなよ。その、元気になったら、どこかに出掛けないか?」
「え?」
「こういう時こそ少しでも元気に過ごそう。そうじゃないと、気が滅入っちまうだろ?」
初めてデートに誘われた。
嬉しさに頰が緩み、顔がどんどん赤くなる。さっと顔を隠したが、これじゃあとても失礼だ。
「それに、思わないんだ。」
「?」
なにか見えないものを見つめるように、ウルガ先輩は言った。
「ミカミ・アキトという人間が、こんなところで死ぬとは、思えないんだ。」
意思を込めた呟き。あの男は、もう死んだつもりでいた。けれどそれは、そのウルガ先輩の言葉は、どういうことなんだろう?その少年は、その最弱は、そんなに、強いものなのだろうか。
ちなみに、この日私が眠れなかったのは言うまでもない。別の理由で。
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「暴風王の戦闘領域。」
静かに響く澄んだ声が、その荒野に広がった。スノウスト荒野。かつて血の戦が巻き起こり、漆黒に染められた死が量産された地。興都戦線と同じくらい、恐ろしい事件。そんな事が巻き起こり、その平原は焼き爛れた荒野へと姿を変えた。
けれど、そこにどれだけ魔法を放とうが、戦おうが、なんの被害も出ないという理想的な地は、ファルナの訓練場だった。国からの圧力で戦場へと赴けなかった黒竜戦。その後悔を胸に、男は呟いた。
「アキト、君がいなくなってから、この国は壊れそうだよ。」
、
「私は、どうすれば良かったんだ?」
グレンという英雄を、シャーグリンという賢者を、その奈落の監獄バルバロスへと押しやった父と、落ちてゆく、最弱でありその戦線の最高貢献者の英雄を殺した自分に、どんな変わりがあるだろう。
自分でもバカな考えだと切り捨てたけれど、毎日鍛錬するこの荒野で、いつも思い出す。
新しい魔法で、強くなった。新しい戦力が加わって、国が大きくなった。弟と再会できて、心の穴が埋まった。アキトがいなくなって、アミリスタが笑顔を見せなくなった。アキトが囚われて、レリィが顔を出さなくなった。アキトの姿が消えて、リデアから輝きがなくなった。
必死に助けに行こうとするレリィを、アキトに頼まれていたから必死に止めた。諦めたように俯くアミリスタを、アキトに頼まれていたから泣いてもいいように1人にさせた。必死に戦おうとするリデアを、アキトに頼まれていたから休ませた。
これで、いいのだろうか?
ミカミ・アキトは、これで満足なのか?
分かっていただろう。アキトという存在がいなくなることで起こる哀しみを。もう、ミカミ・アキトはただの最弱じゃない。いなくなると悲しまれる、それぐらい、大きな存在になっているんだ。それでも、彼が罪を被らなければ、不満はどこに行った?彼がその一言を残して堕ちなければ、悪はどこに行った。
いつからこの世界は、ここまで醜くなったのだろうか。この世界が始まったときから、もう、醜かっただろうか。
この世界が作られた理由は、醜かったのではなかろうか?