6.長き人生
「ぐぬぬぬぬぬぬ……」
特訓を再開してから二時間ほど経ったであろうか。
太陽は既に自分の真上付近にまで上っている。
落ち葉で埋め尽くされていたはずの広場は自分の前方部分だけ土が露出して幾らか削れており、突然の嵐に屋根を奪われたミミズや虫達が迷惑そうに引っ越しを始めている。
その嵐の元凶である自分の魔法の特訓は言わば"扇風機の強"で難所を迎えていた。
送り出す魔力の量を増やすと、いくら力強く指先の出口を窄めても押し返されてしまうのだ。
試行錯誤を繰り返すうちに、体内で魔力をある程度まで圧縮出来たり、渦巻かせたり出来たりと色々発見はあったが、結局出力や指向性を決めるのは指先の出口のようなのだ。
あーでもないこーでもないと悩んでいると、少し前から槍で地面に何かを描いていたセイルが徐に口を開いた。
「まあ初めての魔力行使でここまで出来たなら上出来じゃろう。一旦戻って飯にするかのぅ」
「え、これ上出来なの? まだ中までで強が出来てないんだけど……」
「送風機のような表現方法じゃの。なるほど初めてならば良いイメージじゃが、魔法は上を目指せば果てが無いからのぅ……。そのうち改めた方が良いかもしれんの」
「そうか……やろうと思えばいくらでも風を強く出来るんだもんね……」
「そういう事じゃ。まあ上手くいかぬ理由も帰りながら説明してやるから一旦戻るぞい」
「うん。わかった」
「キュウッ」
そう言って二人と一匹で来た道を帰り始めた。
来る時はセイルの後ろをついて歩いたが、何となくそんな気分だったので隣を歩いてみると、また嬉しそうに表情を綻ばせた。
(ちょ、ちょっと恥ずかしいな……)
「ほほほ。良いのぅ」
「そ、それで、おじいちゃん。上手くいかない理由って何?」
「おお、そうじゃったそうじゃった。なに、難しいことじゃない。単純に力不足じゃ」
「力不足?」
「体を動かしたり物を持ち上げたりするのに筋力がいるように、魔力を制御するのにもそれ相応の力がいるのじゃ。タケルは魔法に関しては生まれたての赤ん坊みたいなもんじゃからの。寧ろタケル風に言えば中まで出来ただけでも驚きなわけじゃ。魔力制御の才能があるぞタケル!」
「なるほど……」
言われてみれば当然である。
おじいちゃんと化してからやけに甘やかされているような気がしなくもないが、実際衝撃的な事なのだろう。
昔の弟子の話から考えるに、生まれたての赤ん坊がいきなり走り回っているような感覚なのかもしれない。
寧ろ恐怖である。
「あと、これはやってほしくない事じゃから先に言っておくのじゃが、魔力を制御するための力不足を魔力で補うという力業もあるのじゃ」
「なるほど。その手があったか……。でもそれって……」
「その分魔力を余計に消費するのぅ。まあこの力業をこなすのにもそれなりの魔力制御技術が必要ではあるんじゃが。まずはしっかりと一つの魔法を制御出来てからじゃの」
「そっか……うん。わかったよおじいちゃん」
そうやって話しながら歩いていると森を抜けて花畑へと出た。
一面に広がる花々はそよ風に揺れ、甘い香りが鼻腔をくすぐる。
陽光をいっぱいに浴びる花弁と水路を泳ぐ魚から反射する光は心地よく視覚を刺激し、宙を舞う蝶々が水路を流れる水の細流と花を撫でるそよ風でリズムをとっているような錯覚さえ覚える。
森で感じた肌寒さを忘れさせるほどの暖かな空気は、本当にこの空間だけ春で保たれているのでは無いかと感じさせてきた。
「いや、本当に春なのでは?」
「お、気付いたかタケル。考えとる通りこの空間は魔方陣魔法によって季節を春に保つ結界が張られておるのじゃ。他にも色々機能があるわしの自信作じゃ」
自分の何とはなしの呟きにセイルが答えてくれた。
魔方陣魔法とやらが何なのかいまいちわかっていない自分には正確に凄さがわからなかったが、恐らく相当高度な技術なのであろう。
「そうなんだ。それにしても綺麗な花畑だね」
「そうじゃろう? 女房が花の好きな奴でのぅ……。頼まれて作ったんじゃ。花畑の手入れも機能の一つじゃぞ。よく二人で眺めて、気が付いたら数時間過ぎていたなんてこともあったのぅ」
セイルが懐かしそうに花畑を見渡す。
(そんな日曜大工感覚でこれだけの事が出来るものを作れちゃうんだ……)
そんなことを考えていると、セイルは何か思い出したようにまた話しかけてきた。
「そうじゃタケル。大事なことを伝え忘れておった。まさにお主の人生に関わる事じゃ」
「人生?」
こちらの世界に来てからは自分にとって人生に関わる大事件のオンパレードであるのだが、まだ何かあるというのだろうか。
「理由も原理も定かでは無いが、シエラが発現したものは、発現したその瞬間から時の流れが緩やかになるのじゃ」
「えっと……つまりどういう事?」
「まあ簡単に言うと寿命が延びるのじゃ」
とてもお得な能力であった。
「へぇ。どれくらい延びるの?」
「発現する時期にもよるのじゃが、わしなんかは二十五歳の時に発現して、今年で百七十五歳になるのぅ」
訂正、とんでもない能力であった。
自分の独断と偏見ではあるが、セイルの顔に刻まれた皺などから年齢を予測するに、まだ七十歳付近くらいにしか見えない。
「百七十五歳って……」
そこで自分は気がついた――いや、気が付いてしまった。
そして、気がついてしまったからには聞かずにはいられなかった。
「ほほほ。思っておった以上にお爺ちゃんじゃったじゃろ? タケルもシエラに目覚めたから――」
「おじいちゃん」
「……ん?」
「――おじいちゃんは……いつからこの森に一人でいるの……?」
もしも奥さんもシエラが発現していたのなら、今もこの森に居てもおかしくはないはずだ。
ひょっとしたら今は出掛けているだけなのかもしれない。
つい最近亡くなったという可能性もある。
だがもしも、夫婦の片方だけにシエラが発現したとしたら。
愛する人だけが老いていき、看取った後に長い時を一人で過ごさねばならないとしたら。
(そんなの辛いに決まってる……)
そう思うと同時に、あまりにも無神経な質問であったことに気がつく。
辛いと思うなら尚更聞くべきではなかった。
「ご、ごめんおじいちゃん。言いにくい事なら別に……」
言いきるよりも先にセイルの大きくごつごつとした手が自分の頭をやや乱暴に撫でた。
「……タケルは優しい子じゃのぅ。そんな泣きそうな顔をするでない……。そうさの……もう六十年になるかのぅ。じゃがわしには幸いな事にテッチもおったし、数ヵ月に一度は帝都におる友人とも会えるでの。確かに寂しいと思うこともあったが、女房との別れもある程度納得もしとるのじゃ」
セイルはそう言うが、六十年とは決して短い時間ではない。
きっと自分には想像もつかないほどたくさんの別れを繰り返してきたのだろう。
そんな考えを見透かしたかのようにセイルは話を続けた。
「確かに長生きしておると、多くの別れを経験するものじゃ。過去にはシエラの発現によってパートナーを先に亡くした夫婦が耐えられず後を追うなんてこともあったらしいしのぅ。じゃがわしは悪いことばかりとは思えんのじゃ。多くの友人を看取ったし、訃報を聞くたびに悲しくもなる。しかし、別れもあれば新たな出会いもある。タケルもその出会いの一つじゃ」
「おじいちゃん……」
「やり残したこともあるしのぅ。まあつまり、タケルにもその事を胸に刻んで生きてほしいのじゃ」
「――うん。わかったよおじいちゃん」
「良い子じゃ。それにのぅタケル。実はわしの女房はシエラに目覚めてはおったんじゃぞ。ただまあ……事故みたいなものじゃな……。普通の夫婦よりずっと長く共に過ごせたし、逝く前にちゃんとわしに言葉も残していてくれたでの」
一拍呼吸を置き、懐かしそうに空を仰ぎ見ながらセイルは続けた。
「思い出が辛いことはないのじゃ。――辛さを掻き消すほどに思い出が輝いておるからのぅ」
(輝く……思い出……)
強い人だと、そう感じた。
――自分の脳裏に焼き付いた記憶はくすんだ暗くて辛いものが多い気がする。
「僕にもそんな思い出が出来るかな……」
「……人生は何が起こるかわからん。ただ、自分の魂のままにがむしゃらに生きればきっと輝けると、シエラはそれを成す為の力なのだと、そうわしは信じておる。タケルのシエラがわしの想像通りの力だとするなら、その力はきっとタケルを含めた多くの人を救えるはずじゃ」
頭を撫でてくれていた手が離れ、口調を軽い雰囲気のものに変えてセイルが続ける。。
「さあ、家に着いたことじゃし、飯にするかのぅ」
「――うん!」
その後は朝と同じものを食べてから、また広場へと向かうのであった。
―――――――――――――――――――――――――――――
「さてタケル、特訓を再開するぞ。まずはとりあえず、手を扇ぎながら朝と同じことをしてみるのじゃ」
言われるがまま、枯れ草に向けて手を軽く扇ぎながら中の風を送ってみる。
「あれ? おかしいな……。あれ?」
しかし、出てくるのは中は愚か弱にすら満たないような風で、狙いも左右にぶれてしまう。
思い通りに行かない制御に困惑していると、セイルが声をかけてきた。
「どうじゃ、動きが加わるとまたさらに難しくなったじゃろ? 風か弱まるのはタケルが無意識に"手で扇ぐ程度の風"と認識してしもうとるからで、狙いがぶれるのは指先から魔力を放出しようとしておるからじゃ。指先が意識を集中しやすいというだけで、出そうと思えば鼻の先や腹の前からでも魔法は出せるのじゃ。試しにやってみぃ」
「なるほど。えっと……じゃあ」
意識を集中しにくいところはどこだろうかと考えて、右太腿の裏から放出してみた。
すると凄まじい風が後方へ吹き出し、地面の枯れ葉が吹き飛ばされていく。
予想だにしていなかった結果に慌てて出力を弱めた。
(こんなに強い風を出すつもりじゃなかったのに……難しいな……。あれ?)
「ほほほ。どうじゃ難しかったじゃろ?」
「ねえ、おじいちゃん。魔法って"反作用"が無いの?」
「ん? 反作用とな……?」
「えっと……今僕は後ろに向けて突風を出したわけなんだけど、僕自身はそれの影響を受けてないというか……。普通後ろに風を出したなら僕は前に進む力を受けると思うんだけど、それがなかったんだ」
「ううむ……。そうかのぅ……?」
「えーと……」
物理の基本的な内容であるが、やはり異世界だと感覚が違うのであろうか。
自分がかつてどんな例えで教えられたかを必死に思い出す。
「あ! そうだおじいちゃん! 試しにそこの木を、全力で押してみて!」
そう言ってセイルの傍にある一本の立派な太い幹を持つ木を指定する。
物を押した時に感じる力で反作用を例えるのだ。
「ん? 全力でか?」
「うん!」
――反作用を強く感じられた方が良いだろう。
そんな軽い考えであった。
「よくわからぬが、やってみるかの…………ハッ!!!」
セイルが繰り出したのは、それはそれは美しい掌底打ちであった。
凄まじい轟音と共に、木はくらった場所から粉々に砕け散り、後方にある木にまで罅が入っている。
後には切れ目の随分と粗い切り株と衝撃で抉れた地面だけしか残っていない。
「――えっと……木から何か抵抗を感じたり……した?」
「ほとんど感じんかったが、なるほど。何を言いたいのかなんとなくわかってきたぞい。今まで魔法は対象に影響を与えるものじゃとしか認識しておらんかったが、確かにそう考えると風を出したら進みそうなものじゃのぅ……。しかし……」
ブツブツと呟きながら思考の渦に飲み込まれていくセイルに慌てて声をかけて引き戻す。
「そ、それでおじいちゃん。魔法って反作用は無いのかな? もしあるなら風魔法を上手く使えば空とか飛べそうだなって思ったんだけど……」
「ん? おおっ! そうじゃったそうじゃった。基本的には反作用とやらは無いが、タケルの言うような魔法も作れぬ事も無いと思うぞ」
「本当に!?」
まさにファンタジーである。
出来るのならばやってみたいと思うのは人間の性であろう。
しかし現実は甘くないらしく――
「出来ぬことも無いが、魔法本来の性質を変えて、しかも人を上空へ吹き飛ばすレベルの風を出し続けるとなると……どう考えても最上級魔法の、しかも上位の領域じゃのぅ……」
「そっか……」
最上級とやらがどれ程難しいのかはわからないが、言葉の響きからして相当難しいのであろう。
「今のタケルでは難しいだろうのぅ……。しかし方法が無いわけではないぞ。魔方陣魔法を使うのじゃ」
「魔方陣魔法だったら僕にも使えるの?」
「魔方陣魔法は魔法と魔力の"制御"を魔法陣で肩代わりする魔法じゃから、魔力さえあれば誰でも使えるぞい。まあ作るのに知識は必要じゃが、わしは魔方陣魔法を作るのが趣味じゃからの。わしが作ってやろう」
「やった! ありがとうおじいちゃん!」
「まあこれまでの魔法の常識を覆す可能性があるほどには難しいじゃろうから、そんなにすぐには作れぬぞ。気長に待っておいてくれのぅ」
「うん!」
(空を自由に飛べるんだ。いくらでも待とうじゃないか!)
「さて、魔法の基本中の基本は教え終わったし、そろそろシエラを確かめるかのぅ」
「そういえばそうだったね……」
危うく本来の目的を忘れるところであった。
「シエラを出した時の感覚を思い出して魔力を使ってみるのじゃ」
「う、うん……」
(あの時の感覚……キュウを護りたいと……願いを籠めていたあの時の感覚を……)
「……おじいちゃん。」
「ん? どうした?」
特訓を開始してから苦節数時間。
ここまで来て自分のシエラ発動の道は――
「ちょっと……出し方わかんないや……」
「…………」
結局発動の仕方がわからないという大きな壁にぶつかったのであった。
誰かブクマしてくれたの凄く嬉しい……。