51.悪意なき相違
「こんにちは。今日もお邪魔するよ」
「……こんにちはですの。邪魔をするのなら帰ってくださいまし」
緑の通路を抜け、木の窪みに腰掛けて読書をしている先客へと挨拶をすると、そんなつっけんどんな言葉が返ってきた。
まず一言目はちゃんと挨拶を返してくれる辺りがなんとも"らしい"と感じつつ、ここ数日でこの類いの冗談にも慣れたものなので二つ返事で対応する。
「そっか、じゃあ帰るね。行こっかキュウ」
『え? 帰るの?』
疑問符を浮かべるキュウを連れて、踵を返して再び緑の通路へと足を踏み入れようとしたところで、乱暴に本を閉じた音と共に慌てた様子の相手側の声が届く。
「ちょっ!? ちょっとした冗談ですの! いちいち真に受けるんじゃありませんの!」
「え? 冗談だったの?」
「そ、そうですの! 毎日のようにやっているのですからいい加減慣れなさいまし!」
「なんだ、じゃあ邪魔しても良いんだってさ。良かったなキュウ!」
『なるほどね、わかった!』
自分の意図を理解した様子のキュウが、窪みから立ち上がって数歩自分たちに近づいてきていた相手――言わずもがなメアリーへと宙を駆け接近していく。
「え? いえ、別に邪魔をして良いと言っているわけではありませんわきゅっ――!?」
勢いのついたキュウのモフモフとした腹ダイブを顔にくらったメアリーは、変な悲鳴を上げながら後ろへと倒れ込みだした。
そのまま倒れては痛いだろうと思い、メアリーの後方にポルテジオを現出させて軽い風の魔法を放ち、転倒の勢いを殺す。
すると、狙い違わずメアリーはゆっくりと尻もちをついた後、仰向けに倒れた。
「わぷっ――や、やめ――きゃっ、息がっ、プフッ――」
『わーい♪』
その体勢のままキュウに顔の上をバタバタと右往左往されているメアリーは、またもや変な悲鳴を上げているが、時折垣間見える口角が上がっているのできっと大丈夫だろう。
そんな様子を横目に通り過ぎ、この数日で自分の定位置となった“大木の窪みの中心から少し左寄り付近”へと腰を下ろす。
この場所に座ると、いくら周りが騒がしかろうと否が応にも落ち着いてくるから不思議なものである。
とりあえず座りはしたものの、メアリーにとっての勉強の様に、自分には特にこの場所でやりたいことがあるわけではない。
なのでいつも通り木漏れ日を眺めながら二人の戯れを聞き流していると、ついにメアリーが笑いながら音を上げる。
「アハハっ! ぎぶっ、ギブですの! もう降参、降参ですの~っ!」
想像以上にメアリーが笑っているので不思議に思い、そちらに目を向けてみる。
すると、メアリーはいつの間にかうつ伏せになっており、襟首からはキュウが顔をだして鼻をフンフンと鳴らしていた。
「え……? 何してるのキュウ?」
『ん? お腹とか背中とかくすぐってたの!』
「いや、何を平然と服の中にまで入ってるのさ……」
流石のキュウでも他人の服の中にまで侵入するとは思っていなかったので、驚きを禁じ得ない。
『あれ? うーん、なんか別に良い気がして……うーん……?』
キュウ自身もその行為が非常識である事は理解している様なのだが、何故無抵抗にそうしてしまったのかはわからない様で首を傾げている。
(メアリーちゃんも楽しそうだったけど、流石に今のはマズいんじゃ……?)
メアリーも年頃の女の子。
いくら相手がキュウとはいえ、笑い転げてはいたが、服の中にまで入られたのは不愉快ではなかっただろうか。
そう不安に思い再びメアリーへと目を向けると、依然として息を荒げながら恨めし気な視線を向けていた。
「あなた……精霊に何て事を仕込んでいるんですのっ……!」
――自分に。
「ええっ!? ぼ、僕が仕込んだわけじゃないよ!?」
とんだ言いがかりである。
いったいどんなもの好きが、自身の契約精霊に女の子の服の中に入って弄りまわす芸を覚えさせるというのだ。
言い逃れようもなく、ただの変態ではないか。
犯罪一歩手前どころか、もはやただの犯罪である。
「じゃあいったい誰が仕込んだと言うんですの!?」
「いや……それはキュウが勝手に……」
「言い逃れのために契約精霊を売るだなんて……」
メアリーがわざとらしい程に『信じられない』とでも言いたげな目を向けてくる。
(確かにキュウにメアリーちゃんとじゃれあう様にけしかけたのは僕だし……)
そんな目を向けられていると、何だか本当に自分がいけない事をしてしまった様な気がしてきてしまった。
「そ、その、ごめんね……?」
何に対しての謝罪なのかもよくわからず、半分混乱しながらそう述べると――
「え? 本当にけしかけたんですの……?」
――ドン引きしていた。
「ち、違うよ!? やったのはキュウの勝手だけど、確かに監督責任は僕にあったかもしれないなと思って……その……」
「何をまごまごと言い訳しているんですの! 誰が悪かったのかはっきりとおっしゃいなさいまし!」
「ぼ、僕が悪かったです……」
結局捲し立てられるままに自分が悪いということにしてしまった。
まあ自分がキュウをけしかけた結果として、メアリーに不快感を与えてしまったのだ。
(甘んじて罰を受けるべきかな……? いや、でもなぁ……)
半ば誘導尋問じみた問答に、あっさりと押し負けてしまった自分に情けなくなっていると、今度はどこか呆れた様なメアリーの声が耳に届く。
「あなた……いくら何でも簡単に言いくるめられ過ぎですの。冤罪をそんな安易に受け入れるものじゃありませんわよ?」
「え? 冤罪って……?」
「別にあの程度どうって事はありませんし、あなたに非が無い事くらいわかっておりますの」
「へ? そ、そうなの?」
ということはまた自分はメアリーにからかわれていたという事だろうか。
どうにも最近メアリーに一本とられてばかりである。
「そうもなにも……私の見当違いで、実際はあなたに非があるという事でしたら、全力で軽蔑いたしますけれど? ああ、あなたからしたらそちらも魅力的なのかもしれませんけど、私、嘘つきは嫌いですからその辺は弁えて発言してくださいまし!」
怒濤のようなメアリーの物言いに思わずたじろいでしまう。
「ええと……キュウにゴーサインは出しましたけど、服の中にまで侵入するとは思っていませんでした……」
なぜか敬語になりながらそう弁明すると、メアリーが鼻で笑う。
「私に嘘をつかない事を重視したわけですわね」
「い、いや、別に軽蔑される事に魅力を感じてもいないよ……?」
「……まあ今回はそういう事にしておいてあげますの」
「いや、本当に魅力なんて感じてないからね!?」
『ないの?』
「ないよ!」
自分の必死の弁明も、キュウとの無駄な問答もどこ吹く風とメアリーは受け流し、途中に転がっている本を拾って再び窪みの定位置へと腰掛け、読書を再開した。
看過できないレベルでメアリーの勘違いが酷くなっている気はするが、あまり同じ部分に固執して口うるさく弁明を繰り返すのは、相手の気分を害してしまい、反って逆効果かもしれない。
(ひょっとしたらまたからかわれてるだけかもしれないし……うん、きっとそうだろうな!)
だとすれば、やはり下手に弁明をしすぎるのはメアリーの思う壺であろう。
と、自分も定位置へと腰掛けると、キュウもいつも通りメアリーの方へと走っていった。
そうしてしばらくいつも通りのんびりとしていた時、耳をくすぐる環境音にふと違和感を覚える。
何がおかしいのだろうかと耳を澄ませると、メアリーが本のページをめくる音がいつもと些か違っているということに気がついた。
(そういえばさっき落としてた本、いつもよりだいぶ大きかったような)
そう思い起こしながらメアリーの方へと目を向けると、やはりいつもより明らかに大きな本を読んでいた。
いつも読んでいる本も英和辞典程もある大概に大きい本なのだが、今読んでいるのは百科事典とでもいえる程の大きさだろうか。
抱えるように読んでいるためか、いつもの膝の上が占拠されていて行き場を失ったキュウは、メアリーの頭の上であくびをかいている。
そんなキュウとの愛らしい様子を観察していると、メアリーが物言いたげな視線をこちらへと向けていることに気がついた。
「毎度毎度言っている気がしますけど、何を不躾にこちらをジロジロと見ていますの? 気が散るのでやめてくださいまし!」
キッとした視線を向けて凄もうとしているのはわかるのだが、キュウが滑り落ちないように極力頭を動かすまいとしている様で、非常に不自然な睨み方になっており、その上目遣いが寧ろ可愛らしい。
「いや、今日は凄く大きな本を読んでるから不思議に思ってね。それって何の本なの?」
そんな姿に思わず漏れ出そうになる笑みを抑えながら、そう問いかけると、メアリーは何故か少し躊躇いがちに答える。
「……風属性の上級魔法の教本ですわ」
「へぇ、上級魔法の……」
初級魔法すらろくに知らない自分には何の事やらさっぱりだが、確かアイラが三つ使えるとかで凄いとソフィアが言っていた気がする。
だとすれば、メアリーの歳で既に覚えようとする段階まで行っているのはとても凄いことなのではないだろうか。
そもそも魔法の才能があるから、特訓のために軍属大学院へと来ていたはずだ。
「もういくつか使えたりするの?」
「つ、使えませんわ……。けど、基礎魔法コード配列くらいはそろそろ覚えておこうと……そう、思っただけですわ……」
何やらよくわからないワードが出てきた。
聞いたまんまだが、魔法の何かしら基礎の部分なのだろう。
実のところ、今となっても自分は何一つ「名付きの魔法」とやらを知らないままでいる。
本当は、講義が休みの日にでもアイラやソフィアに簡単な初級魔法などを教えて貰おうと思っていたのだが、連絡手段を知らないために会うにならず、かといっていきなり家に押しかけるのも迷惑な気がしたのだ。
(ハヴァリーさんには普段の生活に加えて、魔力感知の特訓にも付き合ってもらってるし……。ティストさんとリオナさんにも別方面の特訓をしてもらってるし……)
この際、メアリーさえ良ければ教えてもらうのもありなのかもしれない。
メアリーの方が上級者なのは火を見るよりも明らかなのだ。
「じゃあメアリーちゃんって、どれくらいの魔法が使えるの?」
「っ――! 中級の魔法を……いくつか使えるだけですの……」
「へぇ、凄いなぁ」
「……」
何の気無しで確認程度にしたその質問に、何故かメアリーは明らかに動揺した後、目を伏しがちにそう答え、黙ってしまった。
『だけ』などと言っているが、自分からすれば想像もつかない世界だ。
帝都までの道のりの途中、一度だけアイラに中級魔法を見せて貰ったのだが、まるで楽器の演奏でも見せられているかの様な気分だった。
ピアノで言うならば、「あの場所とあの場所を同時に押せばこういう音が出て、それを数種類繋げるとこういうメロディーが鳴って」というように、魔力を決まった通りの組み合わせで決まったとおりに動かして魔法を形成しているというのはわかった。
しかし、素人がピアニストの指や足の動きを見た所で、真似は愚か「どうしてそう両手や足で違う動きができるのか」と混乱をしてしまう様に、魔力の動きが複雑怪奇すぎていったいどう制御をしているのかさっぱり検討がつかなかったのだ。
さらにそれぞれの魔力も音階の如く違った性質を持っているときた。
アイラなどは自分の魔力制御を凄いと褒めてくれたが、自分からすればアイラの方がよっぽど超人だ。
制御力をもし筋力で表現するならばアイラはきっとゴリラみたいなものだろう。
そうなるとリオナさんはキ○グ・コ○グで、メアリーは――
「な、何ですの、また不躾にジロジロと……」
「いや、猫かな? ってね」
「……いったい何の話をしてるんですの?」
メアリーを動物で例えようと考えると、何故か猫しか浮かんでこなかった故の発言だったのだが、メアリーからしたら何の脈絡も無い話なわけで、訝しげな視線も声音も、まあ当然の反応である。
『じゃあアイラんを動物で例えたらその"ごりら"? ってやつなの?』
「い、いや、別にそういう訳じゃないよ?」
本人に知られたら絶対に怒られそうな事をキュウが口走ったので慌てて否定する。
「どう見たってアイラがゴリラになるわけないじゃないか」
『でもメアリんは猫なんでしょ?』
「いや、なんだかんだ猫だって結構筋力あるだろうし……。だいたいそんなことを言い出したら、リオナさんがキン○・コン○って事になっちゃうじゃないか!」
『しらないよ! 武が言いだしたんでしょ!』
などと訳のわからない問答を繰り返していると――
「――だから人を放置して勝手に訳のわからない話をするんじゃないですの!」
痺れを切らした様子のメアリーがまた上目遣いで睨み付けてきた。
頭の上と隣とで意味不明の会話を延々とされれば、怒りたくなるのも当然である。
ただ、やはりそう凄まれた所で可愛らしいだけで、怒られているのに思わず笑みが漏れそうになってしまう。
「――ご、ごめんね? 別に大した話じゃないから気にしないで」
「……私からすれば、アイラさんがゴリラなどと言われているのはそれなりに大した『失礼な』話なのですけれど?」
「そ、それは言葉の綾というか何というか……というよりこっちにもゴリラっているんだ……」
もしかしたらこの世界にはいないかもしれないと少し楽観視していたのだが、尚更アイラに先程の話を知られるわけにはいかなくなった。
「……? いえ、私も文献で南方に生息しているというのを読んだことがあるだけですから、流石に帝都近辺にはいないと思いますの」
「いや、そう言う意味じゃなくって……まあ気にしないで」
「いえ、『気にしないで』ではなく、いったい何の話をしているのかとこちらが聞いてるんですの! というか、不躾にジロジロ見ていた理由を聞いただけですのに、どうしたらここまで話が訳のわからない方向に飛躍するんですの!?」
「――!?」
「何を『飛躍しているのに今気がついた』みたいな顔してるんですの!」
「――?」
「それでもって『原因がさっぱりわからない』みたいな顔するんじゃありませんの! それを一番問いただしたいのは私ですのよ! ああもう! 何なんですのあなたの契約者はっ!」
「キュウ……」
あまりにも的確に心情を読まれた事に驚いていると、二進も三進もいかないもどかしさからか、メアリーは頭上のキュウをむんずと両手で掴んで、キュウに問いただし始めた。
キュウも呆れぎみに『さあね……』とか言わないで欲しい。
軽く傷ついてしまう。
「それで、結局何の話をしたかったんですの?」
頭上からキュウが居なくなったことで、今度は上目遣いではなく普通に睨みつけながらそう聞いてきた。
ムッとしたその表情もそれはそれで可愛らしいと思いつつ、これ以上機嫌を損ねるのは全く以て本意ではないので、思い出すために急いで思考を巡らせる。
「ああ、そうだそうだ! メアリーちゃんに魔法を教えて欲しいなって思ってたんだよ」
「……その話がどうしたら、アイラさんがゴリラだのというふざけたお話になるんですの?」
自分でも不思議である。
「というより、魔法を教えて欲しいんですの?」
「うん」
「……それは、私の魔法をという事ですの?」
「え? う、うん」
先程までとは一変してどこか重苦しい雰囲気でメアリーが問いかけてきた。
『私の』というと、メアリーの魔法は何か他の人と差異があったりするのだろうか。
もしくは自分の言葉に何かおかしい所でもあったのか。
『いっぱいあったでしょ。ぜんぜんカンケーない話したり』
「いや、そっちの事じゃなくて……というか別に全然関係ない話ってわけでも――」
そこまで口にして、このままではさっきの二の舞でまたメアリーを怒らせてしまうと気がつき慌てて口を噤んだのだが、当のメアリーは何か思案を巡らしている様子だ。
かと思えば先程までより尚、重く、真剣な様子でメアリーは口を開く。
「本気、ですの?」
「う、うん」
「……なるほど、つまり実力を……」
「え、えっと……難しそうなら無理にとは言わないけど……?」
そもそもメアリーにだって自身の予定があるのだ。
無理強いはしたくないと思い、そう口にしたのだが――
「っ――!? 問題ありませんのっ!」
「ほ、本当に?」
なんだか問題がありそうな答え方だったので聞き返すが、メアリーは肯定を返す。
「ええ。ですが、少し期間をいただきますわよ?」
「う、うん、それはもちろん。都合の良い時でいいよ」
「――でしたらっ……三日後の長休憩時に第十八訓練場に来てくださいまし」
それだけ言うと、メアリーは持っていた本を閉じて立ち上がり、空き地の出入り口へと歩いて行く。
「え? 今日はもう帰っちゃうの?」
いつもより明らかに早い帰りに思わずそう口にすると、こちらを振り向かずにメアリーは返答する。
「……準備は万端にしておきたいですので」
「そ、そうなんだ。ありがとう。じゃあ、また」
「……ええ、また三日後に、お待ちしておりますわ」
そう言って、メアリーは自分たちを残して空き地を出て行った。
「……ねえ、キュウ」
『……なに?』
「僕、メアリーちゃんを怒らせちゃったかな……?」
『……武がへんな話してたときも、たぶんべつにおこってはなかったの。さっきのも、おこってるとはちょっと違うと思うの』
人の感情がなんとなく読み取れるキュウがそう言うのならば、きっと間違いではないのだろう。
『でも、楽しそうではなかったの……』
「うん、そうだよね……」
ただ、確かな正解を得る術は、自分には無かった。
体感8ヶ月




