50.部分点
(気まずい……)
もう歩き始めてから十分程経過したであろうか。
その間、自分はただひたすらメアリーの後を着いて歩いているだけだった。
メアリーの一言のおかげで、特に自分が何か悪い事をした訳ではないという事がわかり、心境としては非常に楽にはなった。
しかし、それ以降終始無言でひたすらに歩き続けるメアリーの後ろ姿を見ていると、なんと声をかけて良いものか――そもそも話しかけても良いものかわからず、自分も黙りこくってしまっていた。
そうして話しかける勇気も持てないまま、時間が経てば経つほどに空気は重くなってしまい、結果として今の気まずさが出来上がってしまっているのだ。
通路を外れて茂みの中に小さく出来た獣道の様な場所を進み出した時など、いったいどこに行くつもりなのかと聞きたかったが、メアリーの背中が「黙ってついてこい」と語っている様に感じられ、結局何も言えないままであった。
なんとも情けない話である。
いつもならそんな気まずい空気に晒されても、キュウを撫でる事で気を紛らわす事も出来るのだが、残念ながら当のキュウはメアリーの腕の中だ。
景色を見て気を紛らわせようにも、左右も上も緑に囲まれた現状ではそれもままならない。
そんな発散の仕様の無い焦燥感にやきもきし始めた頃、唐突にメアリーの背中との距離が縮まって――いや、単純にメアリーが立ち止まっただけだ。
いつの間にかメアリーの背中ばかり見つめて視界が狭まっていたようだ。
「ほら、着きましたわよ」
振り返ったメアリーのその言葉に辺りを見回してみると、そこは周りを雑木林に囲まれた小さな空き地だった。
変わった点といえば、外周部に一本大きな木が生えている事くらいだろうか。
根元が広く窪んでおり、背もたれにして座るにはちょうど良さそうだ。
雑木林によって外と中とで視界は隔絶されているため、何か騒ぎでも起こさない分には小部屋の様に扱えるだろう。
何だか隠れ家みたいで思わず少年心が擽られる。
「――何か感想は無いんですの?」
そうして景色に見とれていると、メアリーがそんな質問をしてきた。
どこか得意気なその表情を見るに、色よい感想が返ってくると既に確信しているのであろう。
きっとそれだけこの場所はメアリーのとっておきなのだ。
ならばこそ、適当な感想ではいけないと思うし、心底驚いてもいるのだが、残念ながら自分のセンスでは「凄い」だとか「綺麗」だとかいう何ともチープな感想しか思い浮かばない。
どうにかして少しでもマシな返答をしなくては――
「その、よくこんな凄い場所見つけられたなぁって……」
しかし結果として自分の口から出たのは、そんな褒めているのかさえよくわからない質問であった。
いや、質問かどうかさえ聞き手側からすればよくわからないであろう。
ただ、純粋に疑問に思ったのは確かなのだ。
正直よく見てはいなかったのだが、ここに至るまでに通ってきた獣道の入り口は、そこを入り口だと知っていなければ普通に見逃してしまうような場所だった。
こんな上から眺めでも出来なければ見つけられそうも無い場所を、いったいメアリーはどうやって見つけたのであろうか、と。
「はあ……別に期待はそれほどしておりませんでしたけど、もうちょっと他に何かありませんでしたの?」
案の定メアリーからは呆れたような反応が返ってきた。
当然の反応だとは思う一方、「期待をしていなかった」とこうも正直に言われると、ちょっぴり傷ついたりもするが――
「もっとこう『静かで落ち着けそうだ』とか『そよ風が爽やかで休憩にはもってこいだ』とか言い様があるでしょう?」
「でも僕が『そよ風が爽やかで――』って言い出したら、それはそれでメアリーちゃん引くんじゃない?」
「……言われてみれば確かにそうですわね。気持ち悪いですのでやめてくださいまし!」
「え? う、うん、ごめんね」
「い、いえ、そんな真に受けられましても……って、なんでまたあなたは笑っているんですの!?」
「……うん、ちょっとホッとしてね」
メアリーの言葉にちょっぴり傷つくそんな気持ち以上に、あの気まずい空気から解放された事が――こうしてまたくだらないやり取りを出来た事が嬉しいという気持ちが強かった。
「そう、ですの……」
しかしきっと、この感情はメアリーには理解し難いものだろう。
不快感を与えてしまう前に話題を変えよう。
「それで、この場所はどうやって見つけたの?」
今度はしっかりと質問として受け取ってもらえるようにそう聞くと、メアリーはばつが悪そうに少し目を逸らしながら口を開く。
「その……別に私が見つけたわけではありませんの」
何故ばつが悪そうにしているのかと疑問に感じたが、とりあえずそちらは気にせず話を続ける。
「え? じゃあ誰が見つけたの?」
「……曾おじい様に休憩場所として教えてもらったんですの。この場所を見つけたのがどなたかは知りませんわ」
なるほど。
恐らく得意気に感想を求めた手前、自分で見つけ出した訳ではないと明かすのが恥ずかしかったのだろう。
立居振る舞いがしっかりしており大人びてはいるが、やはりまだ齢十一の女の子なのだ。
そう考えるとなんだか無性に微笑ましくて――
「……プッ」
堪えきれず思わず漏れ出してしまったその笑い声を聞き、内心を見透かされた事に気がついたのか、メアリーは顔を赤らめる。
「な、なんですのその意味ありげな笑みはっ!? あ、あんまりジロジロ見るんじゃ無いですの!」
そんな事を言いながら、足早に自分の隣を離れ、大木の根元の窪みへと腰掛けた。
「ふふっ、ごめんごめん。でもそれじゃあ、この場所ってそれなりに知られてる場所なんだ……」
人伝に聞いたということは少なからず周知されてしまっているのだろう。
秘密基地の様だと心躍らせていただけに少しばかり残念に感じていた自分にしかし、メアリーから齎されたのは――
「……いえ、たぶん他には誰もいらっしゃいませんわ。もうこの場所を使いだしてしばらく経ちますけれど、一度も他の方をお見かけした事はありませんの」
――そんな否定の言葉であった。
自分の予想が良い意味で裏切られたのだから、普通ならばその返答に喜ぶところであるのだが、ある一点が気になり思わず聞き返す。
「え? じゃあいつもここに一人でいるの?」
「ひ、一人の何が悪いんですのっ!」
素朴な疑問として聞いただけだったのだが、予想外に反応が良い。
どこか慌てた様子を見るに、ひょっとしたら少し気にしている部分なのかもしれない。
「そもそも、一人の方が余計な気も散らないですし! 人目もありませんから伸び伸びと過ごせますし!」
訂正――相当気にしている部分だった様だ。
そうだと理解した瞬間、自分の脳裏に一つの閃きが走った。
「別に悪いわけじゃ無かったんだけど……――でもそっか、一人の方が良いんだ……」
「へ? えぇ、まあ……」
「それじゃあ僕はあんまりここを使わないようにした方がいいかな……?」
「べ、別にそういうつもりでは――!?」
「結構好きな雰囲気の場所だけど、メアリーちゃんの邪魔はしたくないし……」
「い、いえ、ですから、その……」
実に捻くれた閃きである。
わざわざこの場所を教えてくれている時点で、自分が利用する事を容認してくれているのは明らかだ。
しかし、慌てて取り繕うメアリーの姿が可愛らしくて、悪戯心からついからかってしまったのだ。
「ど、どうせ本を読んでいるだけですから、この場所にあなた一人増えたところで、その……」
失言をしてしまった事に動揺している様で、目は泳ぎ、手は忙しなくキュウを撫でている。
そんな様子も微笑ましく、思わず笑みが零れそうになるがどうにか我慢しようと努める。
もう少しこの様子を眺めていたいのだ。
そんな自分の悪巧みに気がつく様子も無く、尚も自分に誤解を与えたのではないかと気にして言葉を選ぶメアリーであったが――
「別段邪魔になるということは、その、ありませんわよ――って、どうしてあなたはまた笑って……? ま、まさかあなたっ……!? かっ、からかいましたわね!」
泳いでいた視線が自分の顔を捉えた所で遂にかわれている事を理解した様で、顔を朱に染めながらそう言ってきた。
「ふふっ、ごめんごめん。メアリーちゃんが可愛かったからついね」
「か、かわっ――!? お、煽てれば有耶無耶に出来るとでも思ってるんですの!?」
「え? いや、本当に可愛かったから可愛いって言っただけだよ?」
「っ――!? あ、あなたよくもまあそんな事恥ずかしげも無く何度も何度も……!」
「恥ずかしい……かな? 結構頻繁に言ってるんだけど……」
可愛いものを可愛いと言うことに何を憚ることがあるのだろうか。
本気で不思議がっていると、依然として顔を朱に染めたままのメアリーは、その視線に少々の非難の色を含ませながら唇を震わせる。
「ひ、頻繁にですって!? ――少しばかり軟弱者だとは思っていましたけど、まさか軟派なだけだっただなんて……。フケツですわ!」
随分な言われ様である。
何か勘違いをされている様なので慌てて反論をする。
「な、軟派って……僕はただキュウとかテッチによく言ってるってだけで……」
「なるほど……――それはつまり私を人間として扱ってないって事ですの?」
今度は予想外な角度からの反論を受けてしまった。
「い、いや、別にそういうわけじゃ……」
断固として人間として見ていない訳ではないのだが、上手い反論が思いつかず、返答がしどろもどろになってしまった。
そんな自分に対して、尚もメアリーは捲し立てる。
「でしたらいったいどういうつもりで――へ? い、いえ、別にあなたと同じだということに不満があるわけでは……」
「キュキュウッ!」
が、しかし、半分勢い任せのように反論してきていたメアリーの語気が唐突に弱まった。
何事かと思い様子を見てみると、キュウが自身を撫でるメアリーの手を両前足で確保し、その甲を何度も舐めていた。
実際は単純に自分とメアリーのからかい合いが長く、暇になったキュウがそれを止めるためにとった行動だったのだが、メアリーはキュウが先の発言に対して抗議をしているのだと受け取った様だ。
というより、全く気がつけなかったが軟派以降の件は自分をからかっていたのか。
てっきり本気で勘違いされているのかと思っていたが、キュウ曰くただ仕返しにからかっていただけだそうだ。
いつの間にか立場を逆転されていたとは、なかなかやるものである。
「キュ、キュッ、キュッ!」
「も、もう、ふふっ、わかっ、わかりました! わかりましたからっ! そんなに責めないでくださいまし!」
感心している間にキュウの舐める場所が手の甲から顔に変わり、メアリーがギブアップを申し出ていた。
ちなみにキュウは別に責めている訳ではなく、ただ単に楽しくなっているだけだ。
(まあメアリーちゃんもなんだか楽しそうだし、しばらくそのままでも良いか)
そうして、いい加減自分も腰を落ち着けようと大木の根元の窪みを見た時、ある事に気がついた。
メアリーが窪みの中心より少し右にずれて座っているのだ。
窪みは詰めれば五人ほど座れそうな程に広いとはいえ、普通一人で座るつもりならばど真ん中に陣取るであろう。
それをわざわざずれてくれているという事は――
(――なんかちょっと照れるな……)
まるで自分が隣に腰掛けるのが“当然”かのように行動してくれているという事実が無性に嬉しく感じ、照れくささから逆に座るのを少しばかり躊躇してしまう。
しかしいつまでもまごついていても仕方がないと意を決し、ゆっくりとメアリーの隣へと腰を下ろした。
(ちょ、ちょっと近すぎたな……?)
人にはそれぞれパーソナルスペースと呼ばれるものがある。
相手との関係性によって変化する不快に感じない距離感の事を言うのだが、座ることに精一杯になっていた自分はその点に対する思慮に欠けており、すぐ隣――少し肘を張れば接触してしまうほど近くへと腰を下ろしてしまったのだ。
いくら何でも近すぎた事は理解しつつも、だとすればどの程度の距離感で居ればいいのかがわからず、何度か小さく座り直しながら距離を少しずつ離していく。
(このくらい離れれば流石に大丈夫かな……?)
最終的には人ひとりが間に座れる程度の距離に落ち着き一人安心していると、いつの間にかキュウによる顔舐めから解放されていたメアリーが、どこか呆れた様な視線をこちらに向けながら口を開いた。
「何をモゾモゾと動いているんですの気持ち悪い」
「い、いや、ちょっと近くに座りすぎちゃったから……」
「そもそも隣に腰掛ける事を許した覚えなどないのですけれど?」
「えっ!? だ、だめだったの!?」
自分の先ほどまでの舞い上がり様が勘違いだったのだと思った瞬間、羞恥で顔が赤くなる。
それよりも許してくれていないならば、急いでこの場所を離れなければ――
「まあ――」
慌てて立ち上がろうとしていた自分の体は、メアリーの声と共に前方から吹いてきた柔らかい風に押されて再び元の場所へと収まった。
突然の事に困惑しながらも魔法を行使した当人の方へと目を向けると――
「――ここに来た時に、この子を私にこうして撫でさせるのであれば、許してさしあげない事もないですわよ」
顔を少し背けながら、そう言ってきた。
ほんの少し、本当に少しだけ隠しきれなかったその頬は薄らと紅潮していて――
(――ああ、そうか)
今になってやっと、メアリーに棘のある言葉を使われても悪い気がしない理由がわかった。
もちろんメアリー自身に悪意がないと言うのも一因ではある。
「――そっか、うん、じゃあそうさせて貰おうかな」
別にキュウが嫌がりさえしなければいつでも好きな時に撫でてくれていいのだが、そんな野暮な事は言うまい。
だってこれは――
「またそうやってニヤニヤと……! いつか痛い目見せてやりますから覚えておきなさいまし!」
――ただの照れ隠しなのだ。
要するに自分には、メアリーの言葉遣いが背伸びをした強がりの様に感じられていたのだ。
だとすれば微笑ましさを感じこそすれ、嫌悪感など覚えるはずも無い。
「あんまり痛いのは勘弁して欲しいけど、まあ楽しみにしとくよ」
「痛い目を見せると言っているでしょう!? 楽しみになんてするんじゃありませんの!」
「そういえばさっきの尻もちで頭打っちゃってちょっと痛いんだけど?」
「人の話を最後まで聞かないあなたが悪いんですの! まったく……」
それだけ言ってメアリーは、マジックバッグから何かの本を取り出して読書をし始めた。
会話はとりあえずここまでと言うことだろう。
先ほどまでの騒がしさから一転して、辺りには木々の葉が擦れ合う音が満ちる。
たまに静かに響く本のページをめくる音もアクセントになって心地よく、しばらく聴いているとだんだんと瞼が落ちそうになっていく。
なぜか酷く懐かしい気持ちになり、眠たくなるほどにリラックスしているのに、どこか落ち着かない。
きっとまだ、この場所に慣れていないからだろう。
ぼんやりとそんな思考を浮かべている間にも、瞼はどんどんと重くなってきた。
(まあ……少しくらいなら……大丈夫かな……?)
寝ても良い。
そう妥協した瞬間、自分はゆっくりと眠りに落ちていった。
言わずもがな、特訓の再開には遅れ、ティストさんにこってりと絞られたのであった。
大変大変大ーーーー変お待たせしました。




