45.巧妙な恩返し
「さて、茶でも入れるからそこの椅子にでも座っておいてくれるかのう?」
ディムロイさんは自分を自室に招くやいなや、そう言って出入り口とは別にあるもう一つの扉へと消えていった。
信頼してくれるのは嬉しいのだが、いくらなんでも初対面の人間を自室に一人にしておくというのは不用心ではなかろうか。
この部屋に来るまでに通った廊下の所々に設置されていた絵画やら焼き物やらも、自分にはよくわからないがきっと高い物なのだろうが、見る限り本当にただ設置されているだけであった。
まあきっと魔法的な何かしらの措置がされてはいるのだろうし、自分程度ひねり潰せる戦力がこの屋敷には揃っているのだろう。
(まあそもそも盗みなんてしない――ん? なんだあれ?)
部屋の隅にある大きな本棚に並べられた本のうちの一冊に目を奪われる。
その本は、明らかに異質であった。
他の本が高級感のあるハードカバーに包まれているいるというのに、そいつだけはカバーすら無く、紙をただ本の様に纏めただけの物なのだ。
本と言うよりは資料といった雰囲気を感じさせられる。
見る限りかなり日焼けをしているようで、下手につつけば破損させてしまうかもしれない。
普段ならばそもそも他人の所有物なので勝手に手に取るような事はしないはずなのだが、自分はその本につい手を伸ばしてしまった。
感じるのだ、おじいちゃんの魔力を――
「……『精霊学術研究報告書』?」
見た目のわりにしっかりとしている本の表紙には、そんなタイトルがつけられていた。
表紙の裏には何やら魔方陣が書き込まれており、おじいちゃんの魔力をそこから感じる。
恐らく本を保護するための魔方陣魔法をおじいちゃんが刻み込んだのだろう。
その隣のページには目次のような物が書かれており、それに軽く目を通す。
「『精霊の起源』……『精霊の行動原理』……ん? 『闇精霊の実態』? 闇精霊って何――」
そんな疑問を抱き、記されたページを見にいこうとしたその時、扉の開く音と共に湯飲みを浮かせながら運んできたディムロイさんが入室してくる。
「待たせたのう少年」
「うわわわっ!? ごめんなさい別に盗もうとしてたとかそんなんじゃないんですごめんなさい!?」
驚いたのも相まって突拍子も無い言い訳をしてしまう。
これは確実に怪しまれる――
「……別に疑ってはおらぬが、そう慌てられると逆に怪しいのう。ん? ああ、なるほどのう。大方セイルの魔力でも感じて気になったんじゃろう?」
ほぼ百パーセントの正解を導き出した洞察力に驚いていると、さらにディムロイさんは続ける。
「一応セイルが保護の魔方陣を刻んでおるが、それほど強力なものではないからのう。大事に扱ってくれるかの?」
「あ、いえ、何でおじいちゃんの魔力を感じるのか気になっただけなので……」
「そうかの、ならばそこの椅子にでも掛けるがよい」
「わ、わかりました」
精霊について書かれているらしいその本を元あった場所へと戻し、促された椅子へと腰掛けると、目の前の机の上に湯飲みが静かに空中を移動してきて置かれる。
自分の感覚が正しいのならば、ディムロイさんは風の魔法で湯飲みを操作しているはずだ。
何でも無い様にやってのけているが、中のお茶に波一つ立たせる事無く魔法で物を動かすというのは、流動的に動く風魔法を用いてならば殊更難しい事のはずだ。
おじいちゃんに比べれば肉体的な強度は実に弱そうに見え、パッと見では風が吹けば倒れてしまう様なヨボヨボのおじいさんにしか見えないのだが、正直接近戦であっても勝てる気がしない。
そう感じさせられる何かがあるのだ。
おじいちゃんといいハヴァリーさんといい、今目の前で腰を労るように椅子へと座ったこのディムロイさんといい、本当にこの世界の老人は恐ろしく強い人しかいないのだろうか。
それに、この人と話していると何だか――
「ん? ワシの顔に何かついておるかのう?」
「あ、いえ、その……何だかディムロイさんの話し方とか雰囲気がおじいちゃんと似てるなぁって……」
それを聞いたディムロイさんは少し勢いよく笑いを漏らして、上機嫌に続ける。
「ふぅっ、そうかそうか。あやつもワシと同じ程度には丸くなったか!」
「え? おじいちゃんって昔はああじゃなかったんですか?」
「ああ、若い頃など尖りに尖っておったぞ! まあ確かに年を重ねるごとにあやつも丸くはなっていっておったが――いや、丸くなると言うよりは、覇気が無くなっておったと言うべきかのう。じゃから手紙を読んだ時には随分と驚かされたぞ!」
自分にはとても尖った性格のおじいちゃんなど想像がつかないが、正直とても気にはなる。
「少年、確か名はタケル君じゃったかのう? そいでそっちの小っこいのがキュウじゃったか?」
「は、はい、それであってます」
『そうだよ!』
「そうかそうか、ではタケル君、パーティーまでの少しの間ではあるが、最近のセイルの様子でも聞かせてはくれんかのう?」
「わ、わかりました! えっと、まず何から話しましょうか……?」
「そうよのう……まあせっかくじゃから初めて会った時の話でもしてくれんか?」
「はい! おじいちゃんと初めて会ったのは――」
よく考えれば、帝都に来てからおじいちゃんの話をここまで堂々とするのは初めての気がする。
ハヴァリーさんやティストさんには特に詳しくは聞かれなかったし、屋敷の外で迂闊に話す事は出来なかったからだ。
今の今まで気がつかなかったが、大事な人の話が出来ないというのは意外と辛い事なのかもしれない。
時偶合いの手を挟みつつ微笑みながら話を聞いてくれるディムロイさんを相手に、自分はこの時を待ちわびていたかの様に、ひたすら森でのおじいちゃんとの思い出を語った。
―――――――――――――――――――――――――――――
「――僕が『また釣り糸が切られちゃったや』って言ったら、急に銀鬼灯を出して湖に振り抜いたんですよ。そしたら湖が割れて、下から魔物が出てきて――あ、まあそのまま霧散していったんですけどね。どうもおじいちゃんの作った釣り糸に魔力が含まれてたから食べちゃってたみたいなんですよ。その頃僕はまだ地面より上にしか魔力探知を出来なかったし、おじいちゃんもやってなかったと思うんですけど、一瞬で魔物に気がついて倒しちゃう何て流石だなぁって……」
「ん? ……まあよいか。たぶんじゃがワシの予想じゃと魔物を倒す事になったのは単なる偶然じゃと思うぞ? 昔っから怒ると自制のきかなくなる事が多かったからのう……タケル君の釣りの邪魔をする何かにもどかしくなって思わず振り抜いてしもうたんじゃぞたぶん」
「えっ!? そ、そうなんですか!?」
「一番面倒じゃった頃のあやつならば湖ごと……いや、その森一帯を消し飛ばしておったじゃろうのう。いやぁ丸くなったもんじゃ……」
ディムロイさんは何やらしみじみと語っているが、その危険人物と自分の知るおじいちゃんがとても同一人物だとは思えない。
「あの――」
もっと詳しく聞こうかと思ったのだが、自分は思わず口を噤んだ。
ソフィアよりも深く濃い琥珀の様な瞳を優しげに細め、本当に嬉しそうな表情でディムロイさんは自分の顔を見ていたのだ。
自分が言葉を飲み込んだのを確認したディムロイさんは口を開く。
「君は本当に良い風をしておる……」
「良い風……ですか?」
「ああ、気持ちに素直な良い風じゃよ。聞いておった通りじゃ」
笑みを称えたままディムロイさんは続ける。
「ワシは君に二つ程礼を言わねばならぬ事がある。それもどちらもワシにとって最大限の礼じゃ。ワシの老い先短いこの魂では返す事すらままならぬ程の恩義じゃのう」
鼻から笑みを含んだ空気を漏らし、一拍呼吸を置いてからディムロイさんはさらに続ける。
「一つはワシの大事な大事な曾孫娘の一人であるソフィアの命を助け、今までよりも明確な"希望"を抱かせてくれた事。そしてもう一つは後悔と使命感に塗れて半分惰性の様に魂を消費しておったワシの友に、奴の生き方を思い出させてくれた事じゃ」
「い、いえ、僕はそんな――」
「『大層な事はしていない』と、君はそう思うのじゃろう? ソフィアから存分に聞いておるよ。『お礼をしたいのに全然受け取ってくれない』とな。全くあやつの家族は総じて難儀な性質じゃて……。しかしまあ、じゃからこそ、それに救われる者もおるわけじゃ。――しかし、それによって傷つく者もおるかもしれぬ」
ディムロイさんの言葉の意味を、自分はしっかりとは理解できない。
だが、例え理解出来たとしても自分には反論を返す事は出来ないのだろうという妙な確信があった。
そう思わされる程の説得力を感じさせられたのだ。
ディムロイさんは尚も続ける。
「その性質は決して悪いものではないが、じゃからこそ悪いとも言えるものじゃからのう……。ほんに、年を重ねてもままならぬコトの何と多き事よ。しかし、それでこそ飽きのこぬ人生というものよのう?」
今度は何を言っているのか全く理解が出来ない。
だが、どうやら自分が理解出来ないという事も理解してディムロイさんは話している様だ。
ちょっとばかり意地悪ではないだろうか。
「ふぅ、偏屈な爺ですまんのうタケル君。じゃが、これを君に説くのはワシの役目では無く、そもそも今は説ききれぬ事なのじゃとワシが勝手に思っておるのじゃよ」
まるで心でも読まれているかのような気分だ。
「そもそもワシの思い違いという可能性もあるからのう。じゃがまあ、強いて言える事があるとすれば『感情に際限など無い』という事じゃ」
「それは……どういう?」
「今はわからずともよいのじゃよ。人という生き物は、物事を真の意味で理解をするためにどうしても経験を要する。かといって経験だけでは足りぬ事もある。その足りぬ部分を補ってくれるものがどれだけ傍にあるかで、人生なぞいかようにも変わるのじゃよ。すべては巡り合わせじゃ」
何だか凄くモヤモヤとする。
言っている事がわかりそうでわからないのだ。
「いつか、今の言葉を僕も理解できるんですか?」
少しでもそんなモヤモヤを取り除きたいがために思わずそう聞き返した。
この感情に終わりはあるのかと――
「言うたじゃろう? 『感情に際限など無い』と」
「い、一生このままですか……?」
自分は至極真面目にそう聞き返したのだが、ディムロイさんは戯けた様に答える。
「どうじゃろうな? そう言う意味では『感情の際限は決め得ぬ』と言った方がよいかもしれんのう。まあせいぜい考えて生きるのじゃ少年よ」
何故わざわざ悩みの種を植え付けたのだろうかと最初は思った。
だけども、そう言うディムロイさんの目がおじいちゃんのやさしい目にとても似ていたためか、どうにも自分には悪意のある言葉には思えないのであった。
―――――――――――――――――――――――――――――
「久しぶり、じっちゃん!」
「ちょっサキト!? お、お久しぶりですディムロイ様」
「いいんじゃよアイラの嬢ちゃん。難癖つけてくる奴が居るようならワシが黙らせるからの。それよりも、さっきは早々にタケル君を連れて行ってすまんかったのう」
話も終わり、ディムロイさんに連れられるままパーティー会場へと訪れた自分であったが、アイラの反応を見てディムロイさんが貴族である事を思い出す。
完全におじいちゃんの友人だという認識でしか話していなかった。
サキトの呼び方を許している様子から、大丈夫だと信じたい所だが、今からでも様付けで呼んだ方が――
「ああ、タケル君もそのままでいいからのう。あやつの事が無くとも曾孫娘の友人なのじゃ。アイラの嬢ちゃんももっと砕けてくれても良いのじゃがのう?」
大丈夫だった様だ。
しかしきっと、これはディムロイさんが寛容なだけなので、今後貴族と話すような事がある時は気をつけなければならないだろう。
「い、いえ私は……」
「ああ、わかっとるわかっとる、周りにおるのが商売相手や競争相手ばかりじゃからのう。まったく粗探しばかりしおってからに……家を継いどるわけでも無い子供にまで気を遣わせてしまうなぞ、嫌な世の中になってしまったものじゃよ……。おお、そうじゃ――」
何か思いついた様子のディムロイさんが指を鳴らすと、自分とサキトとアイラの肩に一匹ずつ深緑の魔力の小鳥が生成される。
「そいつを連れておれば屋敷の者たちは特に何も言わぬじゃろうから、この会場に居づらくなったらばどことでも気分転換に散策するが良いぞ。ソフィアは今日の主役故、どうせあまりおぬしらとは話せぬじゃろうからのう。まあソフィアが気疲れした頃を見計らって少し話しかけに帰って来てくれたらばそれで十分じゃて」
「あ、ありがとうございますディムロイ様!」
「え? この鳥を連れてるだけで良いんですか?」
「それは言わばワシからの信頼の証じゃて。ああでも、あまり使用人の邪魔になるような事はせんでおくれのう。まあそのあたりの判断も含めての信頼じゃよ」
「わかった! ありがとなじっちゃん!」
サキトが礼を述べた所で、何やら入り口付近が騒がしくなる。
「おお、どうやら準備が終わったようじゃのう」
ディムロイさんの言葉から察するに、ソフィアが来たという事だろうか。
自分たちが会場に入ってからすらもそれなりな時間がたっているが、やはりパーティーというからにはドレスなどを着るために時間がかかってしまったのだろうか。
『ドレスって時間かかるの?』
「いや、わからないけど……僕もこのスーツ着るのに結構時間かかっただろ?」
キュウの素朴な疑問に答えはするが、ドレスの構造すら知らない自分には正直全く予測のつかない部分だ。
(でも……間に合うように準備はしてただろうし……何かあったのかな?)
そんな自分の思考を余所に、入り口が開かれ――
「……ソフィア?」
現れた少女は確かにソフィアだ。
しかし、自分の知るソフィアとは全くの別人に見えたのだ。
確かに普段の落ち着いてはいるがどこか元気そうな見た目からは一風変わり、髪がアップにセットされていたり、しっかりとメイクをされていたりする事で大人の女性といった印象だ。
派手過ぎない程度に煌びやかな黒のドレスも、拍手の嵐の中をゆっくりと歩く少女の所作と相まって一層にその印象を引き立てている。
だが、一番自分が違和感を覚えたのはドレスでもメイクでも所作でも無く――少女の瞳だ。
(なんで……あんな冷たい……)
普段の優しく暖かい、見た者を安心させる様な彼女の眼差しが、見る者を凍てつかせるかの様な冷たいものになっているのだ。
凜としたなどという表現では足りない程の――
「あ――」
少女の瞳が自分たちを捉えた瞬間、一瞬揺れる。
その瞳の奥に、自分は確かに自分の知るソフィアを見た。
思わず安心する自分にアイラが小声で話しかけてくる。
「ソフィアが心を許せる相手ってあんまり居ないの。特にこういう場では油断が出来ないから、私なんかよりもよっぽど辛いと思うわ」
アイラは表情を悲痛に歪めながら続ける。
「正直あんな状況だったとはいえ、初対面のあんたにすんなり普段通り接したのにはびっくりしたわ。今はなんとなく納得はしてるけどね……。まあ、世間一般的に――特に貴族の間ではあっちのソフィアが普通なのよ」
とても、自分の知る明るくて元気なソフィアからはあの状態が普通だなどとは想像がつかない。
だとすれば、あの瞳は隙を見せまいと自分を抑える殻の様なものなのだろうか。
そんな思いまでして何故こんな事を――というのは野暮なのだろう。
自分には貴族の事なんてわからない。
それでも、今目の前で友人が苦しんでいるわけだ。
ならば自分には何が――
「だからねタケル。いつものソフィアに戻った時は、いつも通り接してあげて。それがあの子の何よりもの救いになるから」
「――うん、わかった」
あの瞳を少なからず恐れた自分を戒める。
あの状態がどうしても必要なものだと言うのならば、自分に出来る事はソフィアが羽を休められる場所になる事なのだろう。
「後でどうにかソフィアに会いに行こうな、キュウ」
『うん!』
ソフィアの隙になってしまう可能性があるならパーティー中に迂闊に近づくのは悪手となり得るだろう。
ソフィアの安心できる場所で、存分にキュウをもふもふさせてあげようと、そう画策するのであった。




